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正体

 夢から覚めた咲は、自分の手足が拘束されている事に気付いた。布で縛られていて、どうにかすれば千切れそうな物であるが、非力な咲ではどうする事も出来ない。自分の状態を確認すると、次に今置かれている状況を確認した。




 咲がいたのはアパートやマンションの一室。床には物が散乱しており、ゴミや零れた液体で汚れている。窓には内側から板が打ち付けられており、日差しが通らなくなっているにも関わらず、洗濯物が干されていた。その洗濯物も、いつから吊るしていたのか分からないくらいに黄ばんでいた。当然、ゴキブリがそこらかしこで這い回っている。




 この異様に汚い部屋に、咲は気味の悪い恐怖を覚えていた。さっきまで見ていた夢も悪夢と呼べるものであったが、やはり現実は朧げな夢よりも恐ろしさがハッキリとしている。




 咲はベッドから体を起こし、床に散らばる物の中から縛っている布を切れる物を探した。少し離れた先に刃物と思わしき物が埋もれているのを目にすると、小刻みにジャンプしながらそこへ向かう。




 しかし、床は本当に散らかっているので、すぐに咲はつまづいてしまい、ゴミの山に倒れてしまった。強烈な悪臭と嫌悪感。咲は嗚咽を吐きながら、ゴミの山を這いずっていく。




 ようやく辿り着くと、刃物と思っていた物は、酒瓶であった。目当ての物では無かったものの、咲は酒瓶を手にして、床に直置きされたテレビにぶつけた。割れた酒瓶の破片を使って足の拘束を切ると、次に破片を口に咥えて手の拘束を切った。




 手足の拘束が解けて自由に動けるようになった咲は、すぐにここから出ていこうとした。




 その時、玄関の扉の鍵が開く音がした。咲は慌ててベッド下に隠れた。悪臭とゴキブリに体と声で反応してしまいそうな拒否反応を抑えながら、入ってきた人物が再び外へ出るのを待った。




 帰宅した家主は片手にぶら下げた袋をゴミ山に投げ捨てると、自身もそこへ腰を下ろした。誘拐した咲がいなくなっているにも関わらず、その人物は慌てる様子もなく、静かに携帯を開いて電話をかけた。




「…………もしもし。ええ、私です。遅くなって申し訳ありません。はい……はい……そうですね。要望通りに誘拐しました」




 声からして、男のようだ。丁寧で、落ち着きがあり、声色だけでいえば普通の男性かと思わせる。だからこそ、その男の恐ろしさが際立っていた。




「はい……はい……それでは、約束通り―――え? 写真? 言葉だけでは、信用出来ない? そうか……なら、ビデオ通話にしてください」




 ベッド下から見える男の足がベッドの前で立ち止まる。ゆっくりと体勢が下がっていき、ベッド下に隠れている咲と目を合わせた。男の顔は人畜無害な顔であった。普通や当然といった常識をよく理解していそうな顔だ。つまり、この男にとって、咲を誘拐するのは普通や当然の事なのだろう。




『……咲ちゃん』




 聞き慣れた声がした。咲の視線が男の目から、男が向けている携帯の画面に移ると、そこには胡桃の姿が映されていた。布団を被っているのか、画面の明かりに照らされた胡桃以外は暗闇に包まれていた。




「胡桃……! 無事だっ―――」




『本当に、やってくれたんだ……』




 胡桃の発言は意味不明であった。咲の無事を知って安堵する訳でも、咲と同じく恐怖している訳でもない。それはまるで、幼少期ぶりにクリスマスプレゼントを親から貰った子供のようであった。




「そうだよ。私は胡桃の頼み事を確かに叶えてあげたんだ」




 追い打ちをかけるように、男は優しく胡桃に語りかけた。その声色から、咲は悟ってしまう。目の前にいる男。自分を誘拐した誘拐犯は、胡桃の親族なのだと。




「さぁ、胡桃。今度は君が私の望みを叶える番だよ。以前のように、私をパパと呼んでくれ」




『……咲ちゃんに酷い事してないよね?』




「パパは胡桃の為にやったんだ。胡桃の大事な友達に危害は加えないよ」




『……場所をメッセージで送るから、そこに咲ちゃんと一緒に来て。話はその時にしよう』




 胡桃がそう言うと、携帯の画面が暗転した。男は携帯をポケットにしまうと、ベッド下にいる咲に手を差し伸べながら、少し微笑んだ。




「さぁ、出ておいで。胡桃の所へ連れて行くから」

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