海の影で泳ぐ
夏休み期間なだけあって、水族館は家族連れの客で埋め尽くされていた。ガラス窓から見える魚や軟体生物を横目にしながら向かうは水族館の中心地。そこでイルカショーが行われ、ゲストに有名人が来るとの事。ほとんどの客の目的はそれだが、ごく一部の客は足を止めながら、ガラス窓の向かい側で生きる海の生物を一つ一つを眺めている。
二人が水族館に着いた頃、ちょうどイルカショーが始まり、通路には十分なスペースが生まれていた。施設内は薄暗く、ガラス窓の向かい側のブルーが、天井や床をユラユラと泳ぐ。まるで海の中にいるようであった。
二人がまず初めに目にしたのは、色とりどりの小型の魚。すぐ傍にはそれぞれの名前と生態が細かく記載されているが、目の前で泳ぎ回る魚達の鮮やかさに、二人は目を奪われていた。
「綺麗。それに、涼し気だ」
「咲さんの方がずっと綺麗ですよ」
「アンタ絶対に恋人出来ないよ。キザだし、タイミングを間違えてる」
「そういう反応が見たくて言ったんですよ」
「苦し紛れだね」
「本心です」
二人は流れるように次の展示へ向かい、今度はさっきと真逆の大型の生物が泳いでいた。平らな体をしながら、まるで空を飛ぶ鳥のように泳ぐエイ。青黒い表面には不気味さがあるが、旋回する時に見えた白い裏側の穴は、笑っているようにも泣いているようにも見えた。
「エイのあれってエラか何かなの?」
「鼻孔ですよ。目は表面にちゃんとあります」
「へぇー。よく知ってるね」
「見直しましたか?」
「横目で解説を盗み見してなければね」
「バレてましたか。よく私を観察出来ているようで」
「止してよ」
そうして、二人は一つ一つを眺めていき、最後にクラゲの展示で足を止めた。これまでの泳ぐ動作ではなく、浮かぶ印象が強いクラゲ。透き通った体の内側には光が灯っており、それがユラユラと舞う様子に、二人は自然と目で追いかけていた。
「アタシさ、海の生き物の中でクラゲが一番好きなんだ。可愛いとかそういうのじゃなくて、こう、上手く言葉に出来ないけど、なんか良いんだ」
「クラゲの触手には強い毒がある事をご存知ですか? 触れるだけで痺れてしまい、やがて完全に動かなくなる。それが海の中で集団で襲い掛かってくるんです」
「また解説見た?」
「フフ、どうでしょうね。人は海の中では制限があります。息や動き、慣れない場所という恐怖。それに反して、さっき見た鮫のような巨大で恐ろしい存在が、自由気ままに襲い、そして喰らう。普通なら禁域として恐れるでしょう。ですが人は、知能を駆使して海を攻略し、このような施設で海の生物を見世物にする。偏った見方をすれば、人のエゴが凝縮されたような場所」
「気分が悪くなるよ。もっと気楽に楽しめないかな」
「けど、おかげで海の恐ろしさだけでなく、神秘的な美しさを目の当たりに出来る。そう考えると、人のエゴというものは、善と悪の二面性を持っていると思いませんか?」
「今日はやけに哲学的だね。場所酔いってやつにでもなった?」
「……そうかもしれませんね」
浮かぶクラゲを眺める剛美の表情は、不思議なものであった。美しさに瞳を輝かされながら、見えない涙を流しているかのように悲しんでいた。
そんな剛美を見た咲は、左手の人差し指を剛美の右手の小指に絡ませた。揺らぐブルーの影がそうさせたのか、あるいは剛美の悲しみを紛らわせる為か。どちらにせよ、咲は剛美の傍にいる事を証明した。それは剛美とって至福であった。
「咲さんはクラゲみたいですね」
「なにさ急に」
「こんな風に指を絡められては、痺れて動けそうにありません」
「じゃあこのままここで余生を過ごしなよ」
咲は絡めていた指を離すと、足早に剛美から去っていった。剛美は咲の意地悪さに微笑を浮かべたが、一向に足を止める気配の無い咲の後ろ姿に焦りを感じ、慌てて後を追いかけた。
二人が水族館を出ると、拍手と歓声が沸き上がり、イルカショーの盛況ぶりがうかがえた。ほんの少しだけ名残惜しさはあるものの、イルカを見る為だけに再入場する程、二人はイルカに興味はなかった。




