粘るか、沈むか
咲は悩んでいた。凝視する携帯電話の画面には、人気のソシャゲのガチャ情報が映っている。小柄で可愛らしい女の子で、オマケに性能が良いそのキャラクターに、プレイヤーは血眼になっていた。咲はこのゲームのプレイヤーではない。凝視しているキャラクターも好みには当てはまらず、咲とは縁の無いものだ。
そんな咲とソシャゲを繋げているのは、咲が好んで観る配信者の存在。先日の配信で一喜一憂する配信者の声に、咲は分からないまま共感していた。そして配信終了間際、配信者が興奮した様子で語った言葉が咲を呪う。
『これ面白いので、是非みんなもやって!』
短い言葉であったが、その声色に込められた魔力で咲を魅了する事は容易であった。
(これ無料だけど、キャラクターは別なんだよね。みんな課金して手に入れたって書いてあるし、重ね、ていうのも必要らしいし。となるとやっぱり課金が必要だけど、ゲームにお金を使うのはな~。でも、レンジさんがあれだけ楽しんでた様子だったし、結構面白いゲームなのかな? いや、それでも無料の物にわざわざお金を出すのは、なんか抵抗感が)
試遊という選択肢が頭に浮かばない咲は答えを出せず、授業開始のチャイムが鳴ってしまった。咲は携帯をしまい、モヤモヤとした頭のまま、午前の授業を受けた。
昼休みになり、クラスメイト達が昼食を食べる中、咲は再び携帯を睨んでいた。一緒に昼食を食べていた剛美は一人で勝手に喋り倒し、胡桃はそのおかしな状況にひたすら困惑していた。
放課後になっても、咲は未だに悩んでいた。考え事の邪魔になる剛美から隠れる為に、普段は寄らない図書室に隠れながら、携帯の画面を睨む。
「咲だ」
同じくたまたま図書室に寄った恋が、図書室の隅っこに隠れている咲を見つけた。膝を抱えながら苦い顔をして携帯を睨む咲に静かに忍び寄ると、間近で咲の顔を眺めた。普段から可愛らしく映っている咲の顔は、苦い表情を浮かべても尚、その可愛らしさは失われていなかった。
十秒以上凝視され続けて、ようやく咲は恋の存在に気が付いた。綺麗で恐ろしい青い瞳が真っ直ぐと自分に向けられている状況に、咲の喉の奥から叫びが沸き上がっていく。叫びが口から吐き出されるよりも前に、恋は咲の口を手で塞ぎ、更に顔を近付けた。もはや互いの瞳しか映らない視界で、咲はますますパニック状態に陥る。
静寂に包まれた図書室に、舌の音が鮮明に鳴る。それは本のページをめくる音にも勝らぬ小さな音であったが、咲にとっては大きな音であった。
咲の口を塞いでいた手がゆっくりと離れていく。口の中で押し留められていた叫びは消え、代わりに息の音が吐き出された。叫ぶ事も、逃げ出す事も出来ない。それほどまでに、咲は恋を恐れていた。
そんな咲とは裏腹に、恋は酷く冷静な様子で咲から顔を離すと、視線を咲が握っている携帯の画面に移した。
「それ、やってる?」
「……え」
「ゲーム。オレもやってるよ」
咲は困惑していた。例えて言うなら、狼が遠吠えで群れに報せるのではなく、人間の文明の力を用いて連絡するかのような違和感。人を見た目で判断してはいけない事は重々承知であったが、何事にも限度というものがある。
「……面白いの、これ?」
咲は思い切って聞いてみる事にした。恋の話が本当なら、咲の悩むを解決する手助けになると判断しての事。
「面白い、というより、面白くなった」
「どういう事?」
「その子が出てから面白くなった」
携帯に映るソシャゲのキャラクターを恋が指差す。
「……その、課金って必要かな?」
「しなくても問題無い。しても良いけど」
「でもネットだと―――」
「中毒者の話は見ない方が良い。アイツらは他人を沼に引きずり込もうとしてるだけ。初心者はまずゲームの楽しさを知る事が大事」
「なるほど……それで、これは何処で売ってるの?」
「ネットにあるよ。ネットゲーム自体が初めて?」
「うん」
「じゃあ導入の仕方も教える。家にパソコンある? スペックは?」
「あるけど、性能はよく分かんない」
「そっか。じゃあ確かめてみるね」
「うん……うん?」
会話をしてるはずなのに、微妙に噛み合わない二人。こうなれば意思が強い方が主導権を握る。この場合の二人、どちらが主導権を握るかは明白であった。
咲の母親が晩ご飯の準備中、玄関の扉が開く音が聴こえた。時計から咲の帰宅時間だと察すると、咲の母親は簡単に手を洗い、咲を出迎えようと玄関へ赴いた。
「おかえりなさい。今日はちょっと遅かっ……たわね……」
ギコちない笑みを浮かべる愛娘の隣に、見知らぬデカい人間。咲の母親が恋を男か女か判別する前に、恋は家に上がると勝手に二階に上っていった。
「……おっきい人だね」
「ね。でっかいよね」
恋について話し合う二人の表情と声は、なんとも間抜けであった。