好き
「とりあえず、この部屋使って。何も無い部屋だけど、その分綺麗だからさ」
咲に案内された部屋は、部屋の隅に段ボールが積み重ねられた物置部屋。娯楽と類は何一つ無く、部屋の中央に布団が敷かれている。
「あのー、お友達の家にお泊りする時は、お友達の服を貸してもらえると聞いていたのですが?」
「アタシの服がアンタの体に合うと思う? たまたまジャージを持ってきていて、お互い助かったね」
「咲さんの服、着たかったな~……チラッ」
「アンタの背と体格がアタシに近かったから貸したかもね」
「僅かなチャンスに掛けませんか?」
「嫌よ。それにギャンブラーがハイリスクを覚悟で挑むのは、それに見合ったリターンがあるから。アンタがアタシの服を着れた所で、アタシに何の得があるのさ」
「咲さん。損得で物事を判断するのはいけませんよ」
「アンタが言うな。とにかく、今日はもう寝ること。明日は勉強漬けで、昼寝なんか許さないんだから。今の内によく眠ることね」
咲は剛美を物置部屋に残すと、自室へと移動した。椅子に座り、机の棚から勉強ノートを取り出そうとすると、一緒に新品のノートが机の上に落ちた。
新品のノートをパラパラとめくると、当然中身は白紙のままで折り目一つ無い。分かり易いように教科ごとの色のノートを使っている咲であったが、この白いノートは結局どの教科にも使われる事はなかった。
「咲さん!」
剛美がノックも無しに部屋に入ってきた。咲は剛美の無礼を叱ろうとしたが、枕を抱えて弱気な表情を浮かべた剛美に、叱る気が失せてしまう。
「……どうしたのさ? もう寝ろって言ったじゃんか」
「こ……怖くて、寝れません……」
「……はぁ?」
「あのお部屋の電気! ちっちゃい明かりにならないんです! 真っ暗なお部屋でなんて、怖くて眠れません!」
咲は思った。その恵まれた体格と力を持っておきながら暗がりを恐れるのか、と。万が一に幽霊の類が現れたとしても、剛美なら睨むだけで消滅させられる確信が咲にはあった。
しかし、暗がりの中で一人で眠れずにいる剛美は確かに目の前にいた。短い付き合いであるものの、剛美が演技をするほど器用な人間ではない事は、咲には既に分かっていた。
「……はぁ。布団持ってきて。ここで寝ていいから」
「すぐ持ってきます!」
去り際に見せた剛美の笑顔。それは純粋な喜びか、あるいは卑しい悦びか。どちらにせよ、咲は自分の部屋に招くつもりであった。雨の中、囲いも無い段ボールに入れられた捨て猫を見捨てられない気持ちと同じだ。
剛美が布団に潜った事を確認すると、咲は部屋の明かりを僅かに残して、自身もベッドに横になった。
「……咲さん。起きてますか?」
「さっき目を閉じたばかりなのに、もう寝てるわけないでしょ」
「寝つきが良い可能性もありますし」
「そういう確認が出来て、どうして部屋に駆け込んできた時はノックしないのさ」
「うっ……! ご、ごめんなさい……」
「それで? 何か用?」
「その、咲さんはどうして私に優しくしてくれるのですか?」
「自覚あったんだ。気を使われてるって」
「ほ、本人の口から言われると、中々にキツいですね……」
「……アタシ、クラスの人気者ってのが苦手でさ。中学の頃、絡まれないように避けてたんだ。実際は良い人達なんだろうけど、なんだか怖くてさ……ろくに知りもしない相手に偏見だけ抱いて、勝手に怖がってしまう自分が嫌い。だからか、泣いたり怖がったりしてる人を見ると、自分を見ているようで嫌になるんだ。アンタが気付いているか分からないけど、アンタってアタシの前だとすぐに泣きそうな表情になるよね」
「当然です。アナタは私にとって、理想の女の子。そんな理想から否定されれば、残るのはこの無駄に大きな体だけ。そう考えると、私は咲さんを良いように利用してるのかもしれませんね?」
「ふーん。アタシからすれば、アンタが言う無駄に大きな体ってのが羨ましいんだけどね。アンタもアンタで、コンプレックスの一つは抱えてるんだ」
「不思議なものですね。理想が必ずしも万人の理想だとは限らない。人に好き嫌いがある以上、それが当然なのでしょう」
僅かな明かりが灯る暗闇の中、二人は互いの理想を語った。そうして二人は気付く。自分が思う理想は、今の自分だからこそ抱けるものだと。仮に二人の体格が逆であったのなら、二人の理想も逆になるだろう。
会話が一旦終わり、咲は天井を見上げ、剛美はベッドの上にいる咲を眺めていた。まるで二人の理想のように、向ける想いのように、二人は向き合えずにいた。
「咲さん」
「なに?」
「私、咲さんが好きです」
「そう。アタシはまだ分かんない」
「フフ。そうですか。それを聞いて安心しました」
「どうしてさ」
「これから好きになってもらえるからです」
「まぁ、確かにアタシ達はまだ一ヶ月程度の関係だし、お互い知らない事も多いでしょう。これからアタシがアンタを好きになるかもしれないし、逆にアンタがアタシを嫌いになるかもしれない。せっかく同じ部屋で寝るんだから、好きになりたいものね」
「はい。私、頑張ります」
そうして、二人は眠りについた。互いに好きになりたいと言葉にしておきながら、その【好き】の意味が互いに違う事も知らずに。