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ホタル男

作者: 村崎羯諦

「つまり先生、それって恋するとお尻が光る病ってことですか?」


 俺の質問に医者が真顔で頷いた。冗談だろと俺は疑ったが、メガネの奥の目は本気だった。


「正式名称は『恋愛性尾部発光症候群』。恋愛感情が神経を刺激し、尾てい骨にある謎の発光腺が活性化します。進化のバグみたいなもんですな。ホタルと違ってフェロモン的な意味はゼロ。むしろ迷惑です」


 俺は自分のお尻が光り始めた時のことを思い出す。予兆なんてものはなかった。昨日の昼、いつものように会社のエレベーターに乗っていた俺は、偶然隣にいた同僚から俺のお尻がぼんやりと点滅していることを指摘された。そしてそれは会社のエレベーターだけでは済まされず、コンビニのレジ前、電車の中、よくわからないタイミングで俺のお尻は光るようになってしまった。そして光の点滅は間隔を少しづつ短くしていき、今ではもう点滅していない時間の方が短くなってしまった。


 しかし、改めてお尻が光り始めた時のことを思い出してみる。すると確かに医者の言う通り、俺のお尻が光ったその時、自分の近くに魅力的だなと思うような女性がいたような気がした。そう考えると、この医者の言う通り、俺がかかっているのは恋するとお尻が光る病気なのかもしれない。


「発症例の八割は、恋愛経験が乏しく、情動が限界に達した三十代男性。つまり、あなたみたいな人です。治すには、相思相愛の関係で心が満たされること。ただし、片想いは逆効果。点滅が激しくなります」


 俺は椅子に崩れ落ちた。この病気を治すには恋愛で心が満たされなくてはいけないだって? この歳になるまで一度も女性と付き合ったことのない俺が?


「いや、それは無理ですよ。先生……」


 俺の絞り出すような声に反応するように、俺のお尻が力なく点滅するのだった。



 こんなお尻を抱えて生きていくなんて嫌だ。そんな俺の思いとは裏腹にお尻の光は日を追うごとに強くなっていく。初めは暗めのズボンを履いていれば隠せていたけれど、次第にそれも通用しなくなり、いつしかすれ違う人誰もが俺の光るお尻を見ては不思議そうな表情を浮かべるようになってしまった。


 この病気を治す方法は、相思相愛の関係で満たされること。俺は病気を治すため、必死になった。マッチングアプリにも登録したし、街コンにだって毎週のように参加した。


 しかし、今まで上手く行った試しがない恋愛が、今になって上手く行くはずもなかった。それも、みっともなく光るお尻をもった状態ではなおさら。


 行く先々で俺は誰からも相手にされず、軽くあしらわれ、そして光るお尻を馬鹿にされた。何度も何度も心を折られそうになりながらも、それでも俺はがむしゃらに動き、俺を救ってくれる誰かを求め続けた。こんな俺でも愛してくれる女性入るはずだし、俺を愛してくれる女性であれば俺は彼女のことを愛する自信があった。


 相思相愛になれる女性を見つけるまで俺は絶対に諦めない。しかし、ようやく数回食事に行くことに成功した女性に対し、俺が交際して欲しいと申し出た時、俺は彼女からこんな言葉を返されてしまった。


「結局あなたはお尻をどうにかしたいだけで、付き合えるんだったら誰でもいいってことなんじゃないですか? そういう人と心から繋がれるとはどうしても思えないんです」


 そう言って彼女は頭を下げ、立ち去って行った。その彼女の後ろ姿を見つめていると、ポキっと心が折れる音が聞こえたような気がした。


 家に帰っても、お尻はうっすらと点滅していた。まるで「どうせお前は誰からも愛されない」と言わんばかりに。その夜、俺は毛布をかぶって泣いた。毛布の中でもお尻だけは、やさしく、けなげに光っていた。


 光はあった。だけど、今の俺に希望は、なかった。


 気がつけば俺は夜の山道を車で走っていた。街灯もなく、カーナビはこの先、道なき道ですと匙を投げている。しかし、それでも構わなかった。どこでもいい、俺は人のいないところへ逃げたかった。


 しばらく山道を走った後、車を適当に路肩に止め、窓を開けて外を見た。空気はひんやりしていて、どこか湿っていた。虫の声すら聞こえない静けさの中、俺は無意識にため息をつく。


 そのときだった。闇の奥に、ほのかな光がふわりと浮かんだ。ひとつ、またひとつ、そしていくつも。まるで小さな命が、夜の中で踊っているみたいに。


 蛍だった。山の奥に無数の蛍が飛んでいた。その光は不揃いで、頼りなくて、それでも綺麗だった。


 俺はドアを開けて、車を降りた。すると、まるで蛍が気づいたように、ふわふわとこちらに近づいてきた。気がつくと俺のお尻もほんのり光っていた。蛍と俺の尻が、暗闇でハーモニーを奏でるかのように。


 光に導かれるまま、俺は山道をふらふらと歩いていく。蛍だと思っていたその光源は、近づくほどに妙だった。飛んでない。点滅が等間隔すぎる。しかも……人の腰のあたりから光ってるような気がした


「えっ……俺と同じ……?」


 そこには数人の男たちがいた。年齢はバラバラ、だけど全員が、しんみりとした表情でお尻を光らせていた。そこにいたのは蛍じゃない。俺と同じ病気を抱えたホタル男たちだった。


 呆気に取られる俺に、茂みの向こうからひょこっと出てきたひときわまぶしい男が、にこりと笑いかけてきた。


「よう。君も、お尻が光ったクチかい?」

「は、はあ……」

「ここは『光る尻の会』。恋に破れた我らが、心の安息を求めて集う場所さ。恋は儚い。だが尻の光は誤魔化せない。悲しみのビーコンだよ、あれは」


 まじまじと見ると、彼の尻は青白く光る中でもやや強めの発光だった。どこか飄々とした態度でありながらも、その光の強さが、彼の深い悲しみを表しているような気がした。


「でも、いいんだ。誰にも愛されなくたって、ここに来ればみんな、同じ光を背負ってる。俺たちは孤独だけど、孤独じゃない」


 そう言って、男は仲間たちの方を見た。誰もが無言で、悲しげにお尻を光らせていた。俺は、そっと自分のお尻を撫でる。あたたかく、ちょっと眩しい俺のお尻を。


「俺も……ここで、光っててもいいですか?」


 男が頷く。その優しさに俺は思わず泣きそうになってしまう。


「みんなで一緒にお尻を光らせよう。お互いの悲しみを慰めるため、そして、俺たちを苦しめるだけだった恋愛なんてものを否定し続けるために」


 俺が頷き、全員の尻が一斉に、祝福するように点滅した。その夜、俺は初めて誰かと一緒に、お尻を光らせる喜びを知ったのだった。



「ねえ見て、すっごい……! あれ全部蛍かな?」


 夜の山に、若いカップルの声が響いた。街のネオンとは違う、儚くて、温かい光が木々の間に瞬いている。


「こんな時期に蛍って見れるんだっけ?」

「ううん、でもここのは特別なんだって。なんか、年中光ってるらしいよ。恋愛成就のパワースポットになってて、SNSでも話題なの」


 カップルは手を繋ぎ、そっとその光の群れを見つめた。どこか寂しげで、それでいて優しい光。それは確かに美しかった。


「……なんだろうね、この切なさ。嬉しいのに、泣きたくなる感じ」

「恋って、たぶん、そういうものなんじゃない?」


 二人は見つめ合い、そして静かにキスを交わした。


「愛してる」

「私も愛してる」


 闇の中、光がふわりとまたひとつ、増えたように見えた。

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