第4話 夕食後の訪問者
夕食後、食器を片付けていた誠司は、玄関のチャイムの音に手を止めた。
「こんな時間に誰だろう」
濡れた手を拭いて玄関の戸を開けた誠司は、そこで見慣れた坊主頭と出くわした。
「なんだ勇磨か」
「なんだはないだろ」
約束もせずこうしてフラリと現れることも度々ある。
誠司は特段なにも勘ぐることなく、坊主頭の友人を家の中へと招き入れた。
「夕飯は食べて来たのか?」
「ああ、済ませて来た」
誠司は勇磨にお茶だけを用意してやり、狭い自分の部屋で炬燵を挟んで向き合った。
「で、何の用だ?」
「用が無かったら来ちゃいけないのかよ」
「そうゆうわけじゃないけど、この時間に来たし、何か用があったのかと思ってさ」
勇磨は誠司に淹れてもらった湯気の立つほうじ茶を一口飲んで、フーと息を吐いた。
「ま、今日は暇だったんで一度昼間に来たんだ。でも留守だっただろ。おじさんに聞いたら遅くなりそうだって言ってたからこうして出直してきたってわけさ」
「ふーん」
何だかこいつ、いつもと雰囲気が違うな。
誠司は得体の知れない雰囲気を醸し出している坊主頭に、少し不気味さを感じてしまった。
「なあ誠ちゃん、昼間どこ行ってたんだ?」
「どこって、その辺だよ。ひかりちゃんも橘さんも今日は先輩の大学に行って練習してたし、お互いに暇だっただろ」
「ふーん、で、その辺ってどの辺なんだ?」
やたらと誠司の行動を知りたがる勇磨の薄気味悪さに、今度は誠司が質問した。
「おまえ今日はなんか変だぞ。俺に何か隠してるだろ」
「え? いや、別に」
「本当か?」
「本当だって。妙な勘繰りは止せよ」
どうも何か腹にありそうだ。まだ何となくそわそわしている勇磨の腹の中を誠司は探る。
「橘さんと何かあったのか?」
「え? いや、そうゆうわけじゃあ……」
何となくはっきりしない態度に、誠司は自分なりの結論を出した。
「おまえ、ちゃんと卒業してから会ってるのか? 橘さんはあんな感じだから、おまえから連絡して会うようにしないと、距離が開いてしまうぞ」
「えっと、まあそうだよな……」
「俺はひかりちゃんと毎日電話で話してるし、会う約束もいっぱいしてるんだ。おまえ、この前やっと携帯買っただろ。電話はちゃんとしてるのか?」
「まあ、気が向いた時に……」
「馬鹿。気が向いた時ってなんだよ。電話は毎日しろ」
誠司はこの機会に、付き合いだしてからもあまり前と変化のない坊主頭に、相手の気持ちを考えて行動しろと勧めておいた。
「いいか、橘さんを大切にしろよ。おまえを好きになってくれる女の子なんてそうそういないんだからな」
「フン。自分はモテてていいよな」
「は? 何のことだ?」
切り返されて、勇磨は慌てた感じで取り繕う。
「えっとあれだよ。ほら、前に学校に押しかけて来た娘がいただろ」
「ああ、石川さんのことか。まあ、そうゆうこともあったけどさ……」
少し回想してトーンを落とした誠司に勇磨が尋ねる。
「なあ誠ちゃん、二股ってどう思う?」
「は? なんだ、おまえもしかして橘さん以外に……」
おかしなことを言い出した勇磨に、誠司はよもやと顔色を変えた。
「いやいやいや、そうゆうんじゃないって。一般的にだよ。あくまでも一般的に、二股かける野郎ってのはどうなんだろうなって思ってさ」
「そりゃあ、駄目だろ」
あっさりと返答した誠司に、何故か勇磨は安堵したような顔をした。
「そうだよな。二股は駄目に決まってるよな」
「まあ、駄目だと思うな。もし誰か好きな人が出来たとしても、二人同時なんて良くないよ。本当に好きな人を選ぶべきだろうな」
「今付き合ってるやつと別れてってことか?」
「おまえ、いったい何の話をしてるんだ?」
どうも話に脈絡のない勇磨に、誠司はまた首を傾げる。
「おかしな妄想はもういいから、とにかく橘さんを大事にしろ。もし二股をする気なら悪いことは言わない。考え直せ」
誠司にそこそこきつく言われて、勇磨は渋い顔でぼそりと呟く。
「俺の話じゃないんだって……」
「は? 何だって?」
「いや、なんでもない」
それから一時間程度まあまあくだらない話で盛り上がり、勇磨は座布団から尻を上げた。
「そろそろ帰るわ」
「一体おまえは何をしに来たんだ?」
軽く嫌味を言ってやり、誠司は勇磨を玄関先まで見送った。
最後に誠司は念を押しておく。
「二股は駄目だぞ」
「分かってるって。しつこいな」
うんざりといった顔をしつつ、勇磨は玄関先を動こうとはしない。
「なあ誠ちゃん、そう言えばもうすぐ引っ越しだよな」
「ああ、もうすぐだな」
「新生活に必要なもの、もう買ったりしたか?」
「ああ、ぼちぼち揃えていってるよ。そっちは?」
「ああ俺も、ちょっとずつな。来週でも駅前のモールで買い揃えるつもりだよ。ところで……」
勇磨はなんだか言いにくそうに続きを口にした。
「誠ちゃん昨日、モールに買い物とか行ったりしてないよな……?」
「ああ、別に買い物に行ったりしてないよ」
あっさりと答えた誠司に、勇磨はパッと笑顔を咲かせた。
「そうか、それならいいんだ。ハハハハ」
「なんだ? 今日のおまえ、滅茶苦茶気持ち悪いな」
そのあと、最後まで様子のおかしかった友人を見送り、誠司は家の中へ入った。
「それでどうだった?」
勇磨から電話が掛かって来るのを待っていた楓は、早速首尾を確認した。
「どうって、まあ、普通だったよ」
「普通って?」
「特に変わった所は無かった。それとモールには行ってないってハッキリ言ってた」
「フーン、じゃあやっぱり別人だったか」
昨日モールで見かけたのが誠司ではないと分かり、楓はほっとひと息ついた。
「高木君2号、めっちゃややこしいっての。ちょっと浮気を疑っちゃったじゃない」
「ああ、俺も騙されかけた。取り越し苦労で安心したよ。ハハハハ」
気になっていたことが解消した二人は電話越しに笑い合う。
「ねえ新、まあ大丈夫だろうけど、一応明日からの卒業旅行の間、高木君の様子をそれとなく見といてよ」
「まあ、橘がいないあいだ俺も暇だし、どうせ誠ちゃんと遊ぼうと思ってるけどな。でも叩いても埃ひとつ出ないと思うぜ」
「まあ一応ね。高木君ほど一途な男子もいないとは思うけど」
楓の意見に、すぐに電話の向こうの勇磨も賛成した。
「橘の言うとおりだよ。誠ちゃんも二股は駄目だって言ってたし」
「二股? そんなツッコんだこと聞いたの?」
男子同士の会話に、楓は大いに興味をかき立てられた。
「まあ話の流れでさ。誠ちゃんに二股についてどう思うって聞いたら、俺が二股を考えてるって思い込んでさ、思いとどまれって説教されたよ」
「ふーん。もしあんたが二股をしたら、そっこーフッてあげるからすぐに報告しなさい」
さっぱりと言い切った楓に、電話の向こうの勇磨があたふたしだす。
「しないしない。見かけどおり俺は硬派なんだ」
「フーン、まあ、浮気したら絶対に許さないから覚えといてね」
「俺には橘だけだよ」
電話の向こうから聴こえて来た心動かされるひと言に、楓の頬が熱くなる。
「なあに、あらためて告白?」
「と、とにかく、橘だけだから。あの、それと……」
電話の向こうの勇磨の声が少し小さくなった。
そして、僅かな躊躇いのあと、また声が聴こえて来た。
「誠ちゃんと時任って毎日電話してるみたいなんだ。それでその……俺もこれから毎日、電話してもいいか……?」
「……うん。いいよ」
ボソボソと小さな声で訊いてきた勇磨よりも小さな声で、楓はそう返事したのだった。
 




