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ひかりの恋 卒業  作者: ひなたひより
第三章 卒業式
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第11話 陽だまりの教室

 島田と共に職員室を出た清水ゆきは、朝のホームルームへと向かう廊下の途中で、隣を歩く島田に話しかけた。


「もう、最後なんですね」

「ええ、まあ卒業式がありますが」


 島田はいつものようにどこか飄々とした感じだ。

 いつもと違うのは、着ているものが普段のラフな格好ではなく、微かに防虫剤の匂いのする背広姿ということぐらいだった。


 卒業式の前に理容室ぐらいは行くのだろうか。


 ゆきは、島田のトレードマークである後頭部の寝ぐせを観つつ、そんなことを考える。

 立派な大人がいつも寝ぐせ頭で職場に来ているのはどうかと思う。しかし、見慣れるともうこれでいいのではないかと思ってしまうのが不思議だ。


「それにしても黒板の絵、凄いことになってましたね」


 ゆきが思い出したようにその話題を出すと、島田は可笑しくて堪らないといった顔をした。


「まったくです。あいつら頑張り過ぎだっての」


 昨日、二組は時間ギリギリまで卒業記念の絵を制作していた。

 終業前に教室に戻った島田とゆきが目にした完成作品は、想像していたものを完全に凌駕していた。


「高木の奴、またやってくれましたよ。恐らくあいつの表現力に感化されたクラスの奴らが、実力以上の頑張りを見せたんでしょう」

「きっとそうなんでしょうね。でも、みんな本当に頑張りましたね」


 三年二組の教室の前で足を止めた島田は、扉に手を掛けたままゆきに顔を向けた。


「では行きましょうか」

「はい」


 教室の戸を開くと生徒達の視線が自然と二人の教師に集まった。


「起立」


 クラス委員の号令で生徒たちが席を立った。

 卒業式を明後日に控えた今日、この三年二組の教室で行われるホームルームは実質的に最後となる。

 卒業式の当日は式の終了後にこの教室で、いわゆる卒業証書授与式が行われ、そのあと解散となる。

 教壇に立つ島田から少し離れた位置に立ったゆきは、いつもとは違う独特の空気が教室に充満しているのを感じていた。

 そしてただ静かに、早春の光の射しこむ教室で生徒達と向き合い、一年間このクラスを見続けてきた担任教師の最初のひと言を待っていた。


「おはよう。今日もいい天気だな」


 まるでいつもと変わらない担任教師の第一声に、生徒達の表情が和らぐ。

 軽く笑い声が上がった教室で、島田はまず今日の流れを説明した。


「ホームルーム終了後、各自ロッカーや机の中の物を全部持って帰ること。とにかく忘れもんだけはするなよ。それから、解散した後は自由に他のクラスを観て周れ。他のクラスもお前たちと同じように、気合いを入れた黒板制作をしてるはずだ」


 そこで島田は一度背後の黒板を振り返って、また生徒達に顔を戻した。


「昨日も言ったが、なかなかの力作だ。それにしても、お前ら頑張り過ぎだっつーの。俺も後で清水先生と他のクラスの作品を鑑賞しに行くつもりだが、まあうちのクラスがぶっちぎりだろうな。ね、清水先生」


 急に話を振られて、ゆきは慌てて返答する。


「ええそうですね。まだ他のクラスは観ていませんが、私もぶっちぎりだと思います」


 島田に続いてゆきも太鼓判を押したことで、生徒たちが盛り上がる。


 本当によく纏まったクラスだ。


 ゆきはあらためて、島田が生徒達と造り上げたこのクラスに感心してしまう。

 副担任として、短い期間ではあったが島田の傍にいたゆきは、教師として、また人としての島田隆文を今は少しは知っていた。

 生徒の自主性を尊重し、あまり口を挟むことは無いけれど、彼はよく生徒達を観ていた。

 場の空気を適度にほぐし、生徒達が力を発揮できる環境を作ることを、彼はいつも最優先にしている。そんな教師だった。

 

「順位を決めないのが残念だよ。お前ら本当に最後までよくやった」


 島田は生徒達の頑張りを笑顔で称えた。

 普段、あまり褒めることのない教師の最大級の賛辞に、ゆきは大きな拍手を添えたのだった。


 それから卒業式当日の流れを説明した後、島田は教壇に手を置いたまま、生徒達に静かな目を向けた。

 そして、同じ様に静かな目を向ける生徒達に向かって、ゆっくりと島田は口を開いた。


「三年間なんて、あっという間だな」


 そして島田はフッと自嘲気味な笑顔を作った。


「しんみりするのは式の当日にしよう。じゃあ今からお前たちに、この高校での三年間を熱く語ってもらおうか。一人ずつ一分間のスピーチを席順でしてくれ。じゃあ安藤、お前からな」

「トップバッターかよ……」


 指名された男子生徒は渋りながらも席を立つ。

 一分間というのはとても短い時間だが、ひと言で終わらせるには間を持て余す。

 限られた時間の中で、総勢三十余名の生徒たちは、次々と個性豊かにそれぞれの青春時代の感想を発表していった。

 ゆきは思う。

 同じ学校で、同じ青春時代を過ごした生徒たち。彼ら彼女らのそれぞれに、この学園を舞台にした物語があって、そのどれもが、彼らをここまで成長させたのだ。

 そして、それは間もなくエンディングを迎える。

 本当に、言葉に出来ないほど切ない。

 それでも、私は最後までこの青春物語を見届けられる。

 きっとそれはとても幸せなことなのだろう。

 ゆきは教壇に立つ島田の横顔に目を向ける。

 陽だまりの教室で、生徒たちのスピーチに耳を傾けるその横顔は、どことなくいつもより穏やかに思える。しかし、その内面にあるものを、ゆきは窺い知ることは出来なかった。


 終業後の三年生のフロアは、ホームルームを終えて教室から流れ出て来た生徒たちで賑わっていた。

 中でも三年二組の教室の前には人だかりができていて、誠司の姿を探すひかりにとって結構な壁になっていた。


「ひかり。こっちこっち」


 背伸びをして教室の中を覗き込んでいたひかりは、楓の声に振り向いた。


「高木君でしょ。あっちにいるよ。多分向こうもひかりを探してるみたい」

「ホント? ありがとう」


 別の教室を覗き込んでいた誠司にようやく合流出来て、ひかりはひと息つく。


「やっと見つけれた」

「ごめん。俺もひかりちゃんを探してて」


 どうやら入れ違いだったみたいだ。そのあとどこからともなく現れた勇磨とも合流して、またいつもの四人で黒板制作を見て周ることになった。


「二組は最後が良さそうね。今はとてもじゃないけど近寄れそうにないわ」


 楓が不満顔でコメントしたように、やはりと言うか二組の制作した絵は皆の注目を集めていた。


「まだ観てないけど、高木君が描いたんでしょ。ずるくない?」


 楓に絡まれて、誠司は困り顔で申し開きをした。


「俺はレイアウトを任されただけだよ。それとちょっと描き方のポイントを伝えたのと、あと仕上げでちょっと手を入れただけだから……」

「なによ。やってくれてるじゃない。私たちも頑張ったのに、これじゃあ勝ち目無いじゃない」


 楓がムスッとしたまま不満を口にすると、隣にいた勇磨も便乗してきた。


「そうだそうだ。俺も頑張ったけど、流石に誠ちゃんには一歩及ばん。ちょっとは加減してくれよ」

「あんたの画力でそれを言う? 余計なことをツッコませんじゃないわよ」


 この二人は相変わらずだ。

 ひかりは可笑しさを抑えながら三人を促して、教室を周って行った。


「へえ、みんな頑張ったんだな」

「ホントね。似たり寄ったりかと思ったけど、クラス毎に個性があったよね」


 勇磨と楓の何気ない会話にひかりも共感を覚える。

 思い出を詰め込んだ黒板制作。

 自分がそうであったように、チョークを持った一人一人が特別な線を描き、メッセージを残した。

 そして、ひと通り周り終えたあと、ひかりたちは自分の教室である三年三組へと戻ってきた。


「どうよ、高木君」


 大きく枝を伸ばした桜の樹と白い校舎。

 隙間なく書かれたクラスメートのメッセージ。

 とても生き生きと鮮やかに描くことが出来たとひかりは思う。

 楓に感想を訊かれ、誠司は桜色に彩られた黒板をしばらく俯瞰してから口を開いた。


「素敵だね。消してしまうのが勿体ないくらいだ」

「ホント? やった。高木君に褒められちゃった。ね、ひかり、めっちゃ嬉しいんだけど」

「うん。良かったね」


 喜び合う楓とひかりに目を向けていた誠司は、黒板のある一点に視線を移す。

 そこにはひかりの残したメッセージが書かれてあった。


 ありがとう またいつか 時任ひかり


 黒板をじっと見つめる誠司に、ひかりはなんとなく、その心にあるものを訊いてみたくなった。


「どうしたの? 誠司君」

「いや、本当に素敵だね」


 三組の教室をあとにしたひかりたちは、混み合っていた二組の教室へと入った。

 ようやくまばらになった教室で、四人は黒板に向き合った。


「やっぱすごいわ」


 最初に口を開いたのは勇磨だった。

 鮮やかに描かれた並木道と桜の天井。

 枝の隙間から射し込む陽光が並木道に美しい模様を描き、立体的なコントラストを浮き上がらせていた。

 いま本当に自分が桜のトンネルに立っている。そう錯覚してしまいそうな迫力のある画だった。


「満開だね……」


 楓は言葉短く溜め息を吐くようにそう言った。


「きれい」


 ひかりはただそう呟いて、黒板いっぱいに彩られた春を鑑賞する。

 何度も歩いた並木道。

 桜の咲いている季節にあなたと並んで歩くことは出来なかった。

 でも、今こうしてあなたと並んで、春色に包まれた並木道に立っている。


「誠司君」


 ひかりはそっと誠司に寄り添う。


「また一つ、思い出ができた……」


 きっと少年も同じことを思っていたのだろう。

 胸がいっぱいになったひかりに、誠司は優しい笑顔で応えた。


「そうだね……」


 そして、ひかりは誠司の残したメッセージを黒板の端に見つけた。

 そしてひかりは誠司の顔を見上げる。


「同じだね」

「うん。君と殆ど同じだったね」


 とてもつつましやかな小さな字で、そこにはこう書かれていた。


 ありがとう いつかまた 高木誠司


 お互いに笑顔を見せあう二人に、楓と勇磨は不思議そうな目を向ける。


「なあに? どうしたの?」

「なんでもないよ」


 なんとなく二人だけの秘密にしたくて、楓の質問をひかりははぐらかした。


「春からは次の三年生がこの黒板に向かうんだね」


 ぽつりと感慨深げに漏らした誠司の言葉に、またひかりの胸は切なくなった。

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