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ひかりの恋 卒業  作者: ひなたひより
第三章 卒業式
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第3話 焦る少年

 美術室の窓から見える景色。

 キャンバスに美しい夕焼け空を描いていた手を止めて、誠司は静かな瞳を窓の外に向けていた。

 

「先輩」


 誠司が首を巡らせると、隣で絵を描いていた田丸悦子が、誠司のキャンバスを覗き込んでいた。


「綺麗な空。実物よりも素敵ですね」

「そうかな、ありがとう」


 悦子は誠司の描く風景画をもうしばらく眺める。

 そして、ぽつりとこう口にした。


「時任先輩のこと、描かないんですね」

「えっ、まあ、学校ではちょっとね……」


 少し恥ずかしそうに後輩から目を逸らして、誠司はまた線を描く。

 右手の薬指と小指を使い、掌で上手く筆を包んで、最近の誠司は器用に絵を描いていた。

 以前ほどのスピードは無いものの、その表現力はさらに磨き上げられたようだ。

 悦子はそんな先輩の背中を近くで見続けてきた。


 ずっとあなたを見ていたい。


 ふと湧きあがる寂寥せきりょうに、また胸が苦しくなる。


「卒業式、来週ですね」


 ポツリと言った後輩のひと言に、誠司は筆を止める。


「そうだね。田丸さんには色々お世話になったね」


 手を怪我してから、美術部に於いて、悦子は誠司の身の周りのことを率先してこなしていた。

 いつもありがとうを言ってくれる先輩の、いつもと違う一言に、悦子は少しうつむき加減に目を伏せる。

 

「私こそ。先輩には色々教えていただきました」

「そうかな? ただ部活に来てただけだよ。島田先生みたいに」

「島田先生なんかと先輩を一緒にしないで下さい!」


 軽くキレた悦子に、誠司はきょとんとした顔をする。


「あ、すみません。つい全力で否定してしまって。私は先輩にたくさん教えてもらいました。先生なんかと一緒にしないで下さい」

「ハハハ、まあ、田丸さんにそう思ってもらえて光栄だよ。島田先生はちょっと気の毒だけど」


 コンクールの絵の件で、悦子は島田のことを少しは見直していたけれど、尊敬する先輩とはキッチリ区別していた。

 相変わらず顧問に辛口の悦子に、誠司は眉をハの字にして微笑を浮かべた。


「ああ見えて先生、それなりに部員のことよく見てくれているんだ。田丸さん、済まないけど四月からも島田先生を支えてあげてね」

「はい。部長として仕事はきっちりとやります。ご心配なく」


 何でもないことのように、悦子はまた自分のキャンバスに向かう。

 そんな後輩の横顔に、誠司はもう一度感謝の言葉を残した。


「二年間ありがとう。田丸さん」


 尊敬し憧れ、そして特別な感情をもらった優しい先輩の言葉は、少女の心に風を吹かせた。

 切なさを含んだ笑顔をその横顔に浮かべ、悦子はまたキャンバスに向き合うのだった。


 部活終了のチャイムが鳴る三十分ほど前に、筆を動かしていた誠司の手が突然止まった。


「ん?」


 幅跳びの砂場のある奥のフェンスに人影がある。

 少し逆光で見えにくいけれど、どう見てもその人影は女子陸上部の練習を覗いているように見えた。


「なんだあいつ!」


 絶対にひかりのことを覗いている。すっかり頭に血が上った誠司は、描きかけのキャンバスをそのままに美術室を飛び出した。


「どうしたんですか先輩!」


 追いかけてくる声に何も返さず、誠司は階段を駆け下りる。


「変質者か? 捕まえて何をしていたのか問い詰めてやる」


 普段冷静な誠司だが、ひかりのこととなると話は違った。

 渡り廊下を全力疾走し、誠司はひかりのピンチを救うべく校舎を飛び出したのだった。


 誠司が異変に気付く少し前。


「ねえあれってどう思う?」


 陸上部の女子部員たちがヒソヒソと何か話しているのに、跳躍を終えたひかりは気付いた。


「どうしたの?」


 ひかりが女子の一団に尋ねてみると、そこにいた全員が奥のフェンスの方を指さした。


「あれですよ。さっきからひかり先輩の方をジーッと見ている感じなんです。めっちゃ怪しいんですけど」

「えーと、どれどれ……」


 少し逆光気味で見えにくいが、女子部員たちの指さした方向には確かに誰かがいた。


「ご父兄の方じゃない? 練習を見に来てるんだと思うよ」

「そうかな? でもひかり先輩の方ばかり見てた感じですよ」

「ふーん。じゃあちょっと行って確認してくるね」


 無防備に確認をしに行こうとしたひかりを、部員全員が慌てて止めた。


「何言ってるんですか! 変な奴だったらどうするんですか」

「そうですよ。ああゆうのは無視するのが一番ですって」


 そこへ跳躍を終えた楓が合流してきた。


「なあに? 何だか盛り上がってるみたいだけど、私も入れてよ」

「あ、楓先輩。実はあそこに……」


 後輩たちの話を聞いて、いきなり楓は逆上した。


「なんですって! ひかりを覗いてたって!」

「ええ、それはもうジロジロと」

「もうあったまきた。文句言いに行って来る!」


 ただでさえ気の短い逆噴射娘は、言うが早いか、弾丸のように飛び出していった。

 そして、フェンスの近くまで行ったかと思うと、すごい勢いで引き返して来た。


「どうでした? 楓先輩」


 何やら険しい表情で戻って来た楓に、部員の視線が集まる。

 しかし、楓は何も言わずひかりの腕をとった。

 そしてそのままひかりを一団の中から連れ出していった。


「どうしたの? 楓?」


 ようやく足を止めた楓に、ひかりは当然の質問を投げかけた。

 すると楓は険しい表情のまま、事のあらましを説明し始めた。


「いや、ちょっと逆光気味だったし、見間違いかも知れないんだけど」

「ん?」

「フェンス越しにこっちを覗いてた人って、多分あれだと思うのよ……」

「あれって?」


 さらに楓が何かを言おうとした時、ひかりはフェンスの外の外周を全力疾走する人影に気付いた。

 逆光気味ではあったが、ひかりはその人影の正体にすぐに気付いた。


「誠司君?」

「あ、ホントだ高木君だ」


 誠司らしき人影は、真っ直ぐにフェンス越しの怪しい人影に駆けて行きながら、大きな声で一喝した。


「そこで何やってるんだ!」


 息を荒げた誠司と、謎の人影は少し間隔を開けて対峙した。

 そしてしばらくの間、沈黙した。


「ねえ楓、あれって」

「うん、やっぱりね。高木君のおじいちゃんに間違いないわ」


 そして誠司はようやく沈黙を破って疲れ切ったような声を漏らした。


「おじいちゃん……ここでなにやってんだよ」

「おお、誠司、こんなとこで会うとは奇遇だな」


 陸上部女子部員を騒がせた小さな事件は、こうして幕を閉じた。

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