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ひかりの恋 卒業  作者: ひなたひより
第二章 日陰に咲く花
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第2話 コラボは突然に

「どうして時任先輩なの……」


 キャンバスを片付け終えて、美術室の窓を閉め終えた田丸悦子はそう呟いた。

 悦子の視線の先には、グラウンドで解散したばかりの陸上部の女子生徒たちの姿がある。

 その中には、ひときわ眩しい笑顔を浮かべる黒髪の少女の姿もあった。


 あの人は何もかもを持っている人だ。


 悦子はそう思う。


 外見の美しさも、飛びぬけた才能も、人を惹きつける魅力も、彼女は何もかもを持っている。

 それなのに……。


 悦子はまた思う。


 どうして私の欲しかったものを取っていってしまったの。


「他の誰かなら良かったのに……」


 誰もいない美術室で悦子は眼鏡を外す。


「どうして先輩なの……」


 浮かんで来た涙を袖で拭って、また眼鏡を掛け直すと、悦子は教室を出て行った。



 田丸悦子は、いわばどこにでもいる、絵を描くことが好きな女の子だった。

 小学校の時、友達に「エッちゃん、絵、上手だね」と褒められてからちょっとその気になって、絵を描くことにはまって行った。

 幸いなことに周囲に絵を描くことの好きな友達もいて、両親も趣味に没頭する娘に寛容だった。簡単に言えば、環境が良かったということだ。

 小六の時に校内に貼るポスターを任されたのが追い風になり、中学時代は美術部に籍を置いて、一応は部長を務めた。

 そして、大賞を獲った凄い先輩がいる高校に入学し、悦子の夢はまた広がった。

 きっとここまでが悦子にとって順調だった時期だったのだろう。

 いや、そうではない。

 きっとここから彼女の本当の物語は始まったのだ。



 桜の花びらが全て散ってしまったある春の日。

 仮入部申請の受け付け期間が始まり、新入生だった悦子は誰よりも先に美術部の門を叩いた。


「おー来たねえ」


 美術室にいたのは、無精髭の適当に伸びた、あまり清潔感のない顧問教師だけだった。

 急いで来過ぎたことに気恥ずかしさを感じつつ、悦子は初対面の顧問に会釈をする。


「仮入部申請だろ。まあこっちに座れよ」


 椅子を勧めた教師は、何となく想像していた感じとかなり違っていた。


 本当にこれが大賞を獲った生徒を指導した教師?


 適当に伸びた寝ぐせのある後頭部を見ながら、悦子は何かの間違いではないのかと真面目に思ってしまった。

 勧められた椅子に悦子が腰を降ろすと、教師はその向かいの椅子にドンと尻を降ろして、手を伸ばして来た。


「美術部顧問の島田だ。よろしくな」

「はい。よろしくお願いします」


 躊躇いがちに手を伸ばそうとすると、島田は不思議そうな顔をして見せた。


「いや、握手じゃなくってさ。持って来たんだろ、仮入部申請用紙」


 ややこしいことするんじゃないわよ!


 口には出さなかったが、心の中で悦子はキレた。

 やや赤面した仏頂面で悦子が申請用紙を手渡すと、島田は目を通してすぐに「ほう」と小さく声を上げた。


「中学の時は美術部の部長か。これは頼もしいな」

「はい。まあ大したことはしてませんけど」


 悦子の所属していた美術部は部員数も少なく、サークル活動程度のことしかしていなかった。実際謙遜ではなく、大したことをした記憶はなかった。


「志望動機の欄に、うちの美術部の部員の絵に感銘を受けてって書いてあるが、 学園祭の時に観たとかか?」

「いえ、そうじゃなくって」


 悦子は全国高校生芸術コンクールの展示会場で観た、あの絵のことを島田に伝えた。


「ああ、高木の絵か」

「はい。あれを観て、ここで絵を描きたいって思いまして」

「早くもファンが一人か……。おっ、噂をすればあいつ、来たみたいだぞ」

「えっ!」


 思わず席を立ちあがった悦子は、そこに現れた少年に目を向けた。


 この人が……。


「高木、早速一年生が来てくれたぞ」

「えっ、もう?」


 美術室に入って来た大人しそうな少年は、少し恥ずかし気な笑顔を浮かべながら、悦子に小さく会釈をした。


「初めまして。高木といいます。よろしくね」

「はい……。あ、田丸悦子といいます。こちらこそよろしくお願いします」


 これが田丸悦子と高木誠司の出会いだった。

 


 田丸悦子にとって高木誠司は、ただ尊敬する先輩というだけでなく、憧憬する対象であり目標であった。

 先輩のようになりたい。

 大人しくていつも伏し目がちな先輩の一挙一動をより多く観察しようと、悦子はいつもキャンバスのセッティング位置を少年の右隣にした。

 実際のところ先輩は、全国で一位を獲ったという感じのオーラなど、全く出ていない人だった。

 寡黙で恥ずかしがり屋で、そのせいか先輩や同級生、後輩からもちょっと弄られている、どこにでもいそうな目立たない男子生徒で、ともすれば悦子自身も、大賞を獲ったすごい人だということを時々忘れてしまう。そんな先輩だった。

 そんな先輩と日々顔を合わせていた悦子だったが、このところ美術部に顔を出す毎に不満が溜まって来ていた。

 悦子の不満の原因、それはまず、顧問の島田が部員に絵のことを全く指導しない、見かけどおりのポンコツだったということだ。

 自由に描けというばかりで、お手本は先輩任せで、口を開けば余計なお喋りばっかり。


 あんた何しに来てんのよ。


 いつもタバコ臭い、ゆるーい顧問に、悦子は言いたいことが山積していた。

 まあそれはさておき、悦子のフラストレーションを顧問以上に溜めさせていたのは、他でもないあの憧れの先輩だった。

 先輩の近くで学びたい。そう思っていつも一挙一動を観察していたけれど、入部してから二か月余り経つというのに、これといった作品を先輩は描いていなかった。

 

 何だか身が入っていないみたい。


 先輩はあまり真剣にキャンバスに向きあっていない。そのとき悦子そう感じてしまっていた。


 そんなある日のことだった。


「猫ですか?」


 放課後の美術室。まだ部員が集まっていない教室で、珍しく写真を手元に置いて模写をしていた誠司に、悦子は声を掛けた。


「うん、そうなんだ」


 スケッチブックに大きく丁寧に描かれた猫の絵は、そこに置かれてある写真よりも生き生きと躍動しているように見えた。


「お上手ですね」


 このところ、当たり障りのない絵ばかりを描いていた先輩が、またこうして人を惹きつけるような絵を描いている。先輩が専門とする油彩画ではなかったが、こうして気持ちのこもった絵を描いている先輩を見られたことに、悦子は内心感動していた。


「彩色もするんですか?」

「うん。するつもりだよ」


 鉛筆で細かい線を引くその横顔を、悦子は何とはなしに観察する。


 意外とまつ毛、長いんだ……。


 ふと余計なことを考えていた自分に気付いて、悦子は少し頭を振った。


「でも、珍しいですね、先輩が写真を模写してるなんて」

「まあ、頼まれたからね」


 やや苦笑交じりの感じに、悦子は事情を聞いてみると、少し込み入った答が返って来た。


「学校に迷い猫が住み着いていてね。どうやら飼い猫らしくって、生徒会の依頼で写真部が撮った写真を掲示板に貼って、猫の情報を集めようとしてるんだけど、あまりみんな掲示板を見てくれていなさそうなんだ」

「それで、先輩に白羽の矢が立ったという訳ですか」

「まあ、大きく描いて、少しでも皆に見てもらえるようにってことだよ。昨日、島田先生にお前がやれって言われてさ、それだけのことなんだ」

「きっと頼みやすいんですよ。先輩って」


 島田に押し付けられて渋々依頼を受けている先輩の姿が、悦子の脳裏にまざまざと浮かんだ。


「そうだ、田丸さん」

「はい」

「君、水彩の方が得意だったよね。下絵が終わったら彩色頼めないかな」

「私がですか!」


 先輩の書いた下絵に、私が色を塗る。ホントに?


「は、はい。先輩の頼みでしたら……」

「良かった。じゃあお願いするね」


 こうして、まさかのコラボがいきなり決まったのだった。

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