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水滴らし

作者: Lamprathus

Lamprathusと申します。拙い文章ではありますが、どうぞ最後までお付き合いくださいまし。

 三月某日。どういう訳か、やけに早く目が覚めた。先日大学の友人と夜遅くまで飲み歩いていたものだから、目を覚ますのは夕方頃とばかり思っていたというのに。


 まぁ折角の幸運だ、有意義に過ごすとしよう。そう思い、布団から這い出て脱衣所に赴く。シャワーすら浴びずに眠りに落ちたツケとして身にこびりついた粘つくような不快感を、一刻も早く洗い流したかった。


 シャワーを浴び、ふかふかのタオルで全身をよく拭き、髪に頑固に絡んだ水滴もドライヤーで乾燥させる。この爽快感は何にも代え難い。


 適当に用意した朝食のトーストに齧り付きながら、これからの予定に思いを馳せる。しかし、別段やりたいことがあるわけでもないし、やりたい事ができる経済状況でもない。何かをすれば金がかかる。そんな当然の社会が、あらゆる行動を縛り付けていた。


 ──そうだ、散歩でもしてみよう。ただ何をするでもなく、歩くだけならば金はかからない。当然の理屈だ。そう思い立つのと同時、手元にあったトーストはもう無くなっていた。


 カジュアルな外向けの格好に着替え、家を出る。すると丁度、アパートの隣の部屋に住むサラリーマンが同時に扉から現れた。


「あ、おはようございます……って、え?」


 一瞬、目を疑う。何の変哲もないサラリーマンはどういうわけか、全身がびしょびしょに濡れていた。髪や衣服の端からぽたぽたと滴る水が、地面に染み込んでいく。


「あぁ、おはようございます」


 そんな彼は何事も無いかのように、微笑みを浮かべて挨拶をしてくる。


「おはようございますって、なんだってそんなびしょ濡れなんですか」

「なんでって言われましても、こうしなきゃいけないものですから」


 そう言い残し、サラリーマンはその場を去る。ぽたぽたと滴れる水滴が、彼の通った跡に染み込み、その軌跡を刻んでいく。誰がどう見ても異常に思える光景だが、それ以上追求する気にはなれなかった。


 おかしな人だ、と首を傾げながら歩き出す。辺りを見回してみると、道行く大人の殆どは全身に水を被っていた。ぽた、ぽた、ぽた、と、水滴は彼らの軌跡を大地に記していく。その軌跡は複雑な模様となり、ある種の現代アートのようなものを描き出していた。


「みんな、どうしちゃったんだろうな……?」


 当てもなく歩いていると、気づけば近所の公園に辿り着いていた。そこで無邪気に駆け回る子供たちは、誰一人として水に濡れてはいなかった。そしてそれとは別にもう一人、乾いたままの人物が座っていた。


 それは、どこか薄汚い印象を受ける老人だった。所謂ホームレスとか言う奴なのか、辺りに段ボールを撒き散らしてただ佇んでいた。そんな老人に、好奇心を抑えきれずに話しかける。

「どうして、あなたは濡れていないんです? 街の人はみんなびしょ濡れだってのに」

「あぁ? なんだってあんな真似せにゃならねぇんだ。ああいうのはやりたいやつにやらせりゃいいんだよ」


 どこか片意地な雰囲気で老人は言い、ばつが悪そうに何処かへと去って行った。何故だろうか、水に濡れるという異常な行為にも関わらず、それをしていない老人こそ異常者のように思えてならなかった。


 再び歩き出すと、公園の蛇口に何人かの若者が群がっていた。彼等はバケツに水を汲みながら他愛もない雑談をしていた。はっきりとは聞き取れないが、どこか哀愁漂う雰囲気である。


 バケツに水が溜まる。すると高校生のうちの一人が手に取る。何をするのかと思えば、彼は自らの頭上でバケツをひっくり返した。大量の水が降り注ぎ、青年の全身を濡らした。彼等はそれを特にどうと思うこともなく、再びバケツに水を汲み始めた。


 不思議なこともあるものだと思っていると、ふと視界の端にある掲示板が目に留まった。そこには幾つかのアルバイトの求人ポスターが貼ってあった。思えば先日、寝坊でアルバイトをクビになってから、新たな職場を考えていなかった。丁度いい機会だと思い、求人を詳しく読んでみた。


 適当に吟味していると、一つ丁度いい条件のものがあった。内容はただのコンビニバイト。特に何か光るものがあるとは到底思えないが、どういう訳かやけに魅力的に思えた。


 思い立ったが吉日。そう思い、ポスターに記載された電話番号を携帯電話に入力する。すんなりと電話はつながり、すんなりと話が通り、なんと今日この後に面接が出来るとの事だった。慌てて家に帰り、押入の奥にしまっていたスーツに着替えて再び家を出た。


 やや早足で、記載されていた地図を頼りにコンビニエンスストアに赴く。家から然程時間はかからなかった。この距離であれば、容易に通えそうだ。


 恐る恐る自動ドアを潜り、店内に入る。中には中年の店員が一人いるだけだった。案の定と言うべきか、彼の全身はびしょびしょに濡れていた。


「あの、ここで働きたいと電話させていただいたんですが、店長はいらっしゃいますか……?」

「あぁ、君がさっきの子か。僕が店長だ、早速面接しちゃうからこっちおいで」


 彼に誘われ、店の奥に足を踏み入れる。普段全く見ることのない景色に、少し心を昂らせていた。


 肝心の面接はと言うと、特に何の問題も起こらないまま終わった。結果は文句なしの採用。明日からでもシフトに入って欲しいとのことだった。随分と滞りなく職場が決まり、やや置いていかれるような心地を覚えた。


 帰る前に、店長の人物に一つ質問をした。


「どうして、みんなそんなにびしょ濡れなんですか?」

「うーん……そうしなきゃいけないから、かな」


 その答えは朝のサラリーマンと殆ど同じ。しかし今は、何となくその意味が分かった。


 コンビニから家に帰る途中、何となく再び公園を訪れた。先程高校生が屯っていた蛇口には人はおらず、忘れられたのであろうバケツのみが残っていた。


 特に考えもなしに歩み寄る。バケツは空だった。蛇口を捻り、水を貯める。特に深い意味はない。ただ、"そうしなければならない"気がした。


 水が限界まで注がれる。バケツを持ち上げる。行動する直前になり、ようやくこれがあるべき姿だと確信が持てた。

 ざぶん。僕もまた、一人の人間になったのだ。

いかがでしたでしょうか。評価、感想等お待ちしております。

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