本能寺襲撃②
すでに本能寺の境内は敵に制圧され、本能寺の本堂は業火と共に崩れ落ちた。奥の御殿にも飛び火し、寺のあちこちから火の手が上がりはじめている。
本能寺内で未だ行われている戦闘は、御殿と主殿の建つ北側へと移動していた。
織田側の生き残りは守りの強固な主殿へと退き、指揮を執る森蘭丸は女人衆の退去を命じた。
本堂を突破した襲撃者達は、突如目の前に現れた城造りの主殿に躊躇し、数が揃うまでの間様子を覗っている。
この時、敵勢の一部に乱れが生じた。
本能寺の外に宿泊していた湯浅直宗と小倉松寿の二名の小姓が自身の名を叫びながら敵中に斬り込んだのだ。
二人は織田信忠の手勢の横やりで本能寺の包囲の兵が減った隙に、寺内へと潜り込んでいたのである。
しかしながら多勢に無勢、二人の姿が敵の中に埋もれ見えなくなると、主殿に通じる二方向の渡り廊下へと襲撃者達の攻撃が開始された。
主殿を囲む幅広い水堀もその深さが無いと知れると、腰まで水に浸かりながら寄せて来る。
水堀から攻め来る敵を槍で突いていた小河愛平が、胸に矢を受け水堀へと転落していった。
東の台所口を支えていた高橋虎松が返り血で真っ赤に染まった姿で森蘭丸の元へと駆け戻ると、折れた刀を捨て新しい刀に持ち替える。
「蘭丸殿、これまでにございます」
森蘭丸はその進言に頷くと、二人で主殿奥へと下がり入口の戸板を閉めた。
残った二人の小姓が外の廊下で敵を食い止める。
高橋虎松が自身の着物を脱ぎ捨て織田信長公の豪華な着物を羽織ると、頭の髷を落として髪を振り乱す。
「虎松、すまぬ」
「織田信長公の身代わりならば、本望」
森蘭丸は膝を付いた高橋虎松の首を斬り落とし、小刀でその鼻を削ぎ顔を潰していく。
戸板が蹴破られ、十数人の襲撃者達が主殿の室内へと雪崩れ込んできた。奥の襖も開かれる。
森蘭丸が倒れた遺体を庇うように両手を広げて襲撃者達に立ち塞がる。
数本の槍が、彼の体を貫いていった。
* *
立ち上る炎を目指してただひたすらに駆け続けた。
水色桔梗の旗印を背負った千二百騎の騎馬隊は、京の町並みを疾風の如く走り抜け、明智秀満の指揮する隊一千はその勢いのまま本能寺正門へと突入した。
本能寺を包囲する敵には斉藤利三の隊の二百騎が当たり、その騎馬隊が一直線に駆けると幾つもの首が飛んだ。
この突撃を受けて寺を囲んでいた襲撃者達の列は糸が解れるように崩れていく。
本能寺境内へと降り立った明智秀満は、そのまま指揮する隊を寺の北側へと進めた。空はすでに白みがかり、木立や建物の輪郭もはっきりと見える。
同時に厩前の死闘の跡が目に入る。それらを横目にただ敵を求めて走る。
寺の奥、北側から合図が二度空に上がった。狼煙が空で弾けると、多くの歓声が北側から聞こえてくる。
「まだだ」とそう自分に言い聞かせた。
森の如き木立を抜け崩れてなお燃え続ける本能寺本堂にまで辿り着くと、そこで隊を二つに分けた。
明智秀満自身はそのまま北へと進み、もう一隊は本堂左側から奥の御殿を目指させた。
* *
この時、御殿へと迂回させた隊の先頭を進んでいたのは本城惣右衛門という名の下級武士であった。
共に突入したのは皆騎乗の士であり明智家中では名の知れた馬廻りの者達の姿も多く見られた。その者達に決して遅れを取るまいと進む彼を遮る者は無く、御殿の中は閑散としていた。
敵は徳川勢、狙うは徳川家康の首。彼はこの時までそう考えていた。
主君明智光秀が「徳川家康」とそう口にしていたという話を騒ぎの中で聞きつけたのだ。
大名をこの手で討ち取れれば大手柄である。しかもこの集団の先頭を行くのは自分自身、その武功はすぐ目の前にある。
御殿の室内は蚊帳が吊されたままの状態であり、ここに居た者達がどれほど混乱していたかも容易に想像出来る。
途中逃げ遅れた女人達とすれ違い、死体から鎧を剥ぎ取っている男を見つけて斬り伏せた。
* *
明智秀満は本能寺本堂を北に直進した所で襲撃者の群れとぶつかった。
勢いよく斬り込むも一度は跳ね返された。
敵は脆くはなかったが、何度かの押し合いで装備の差が出始めた。重装備の明智甲冑武者の前に軽装の敵は次々に屍を連ねて数を減らしていく。
そこへ御殿内を迂回してきたもう一つの隊が現れ、敵の真横から急襲したのだ。
弓がしなる様に敵が一気に崩れていく。
その中で一人止まり兵を鼓舞する老将の姿を明智秀満は捉えた。
雄叫びを上げて遮る敵を槍で突き、その将との距離を詰めていく。
敵味方入り乱れる乱戦の中で、両将がその存在を認める距離にまで達した時、明智秀満は槍を捨て老将へと組み付いた。
軽い。
体格の差は圧倒的で、老将の片足の膝裏を持ち上げて押し倒すと、その衝撃と鎧の重さに老将は短い呻き声を上げた。
刀を抜き老将の首筋に刃を押し当て、力任せに肘で刃を押し込んでいく。
口から血を流しながら明智秀満を見る老将の目は「それでいい」と言っているような諦めの表情をしていた。
飛び散った鮮血で顔を赤く染めた明智秀満が立ち上がる横を、明智の甲冑武者達が次々に駆け抜けていく。
敵は完全に崩れ、戦意喪失して逃げ出す者まで現れ始める。
壁や土塁を越えて逃げだそうとする者達を外周を一通り制圧した斉藤利三の兵が弓で射、槍で突いていく。それらを突破した者も明智の騎馬に追いつかれて次々に討ち取られた。
明智秀満は御殿の出火部分の消火を命じると、数人を兵伴い御殿の内部に足を踏み入れた。
若き小姓、その凜々しい顔立ちは森蘭丸だろうか、目を見開いたまま倒れるその目を閉じ、更に奥の間へと歩を進める。
華麗な着物を纏った首の無い遺体が一つ。
これは織田信長公か。
無念の思いに明智秀満は拳を固く握りしめた。
* *
妙覚寺も炎に包まれていた。
明智軍の接近に慌てた者が火を放ったのである。
織田信忠保護を命じられて妙覚寺にまで辿り着いた明智光忠は、寺に残っていた者を捕まえると彼の居場所を問い質した。
本能寺襲撃を知った信忠様は供を率いて織田信長公の救援に赴いたが敗れ、一度はここ妙覚寺にまで戻って来たのだという。
その後、京の都を包囲する明智軍の動きを見て京郊外への脱出は困難と見て僅かの人数を引き連れ二条御所へと向かったというのだ。
「我らを敵と見誤りなさったか」
改めて皆に二条御所への進軍を命じたその時、二条御所の方角から多数の鉄砲の射撃音が聞こえてきた。
二条御所で誰か、否、信忠様が戦っているのは明白である。すぐに来援に赴かねば、明智光忠は馬に飛び乗るとすぐに指揮する軍に移動を命じた。
それからすぐに彼は異変に気付く。
鉄砲の音はそれきり鳴りを潜め、一度として聞こえてこなかったのである。
* *
先行して京へと向かった斉藤利三旗下の安田国継の騎馬隊三百は、京市内の三つある木戸を押え、明智秀満と斉藤利三の騎馬隊の通過を確認すると、隊をそれぞれ十騎の三十の小隊に分けて京の東側の鴨川沿いを封鎖した。
数カ所おきに灯された松明の明かりに照らされた騎馬の集団の黒き影は、それを見る京の人々の目に恐怖を植え付けた。
夜も明け、京の町から逃げ出してくる人々の姿がまばらに見える。
その中を明らかに動きの違う武装した数人の一団が地から湧き出すように現れた。
安田国継はそれを見て取ると、両翼の二隊にも合図を送り、その集団を包囲して一息のもとに殲滅した。
騎馬武者達がその場に止まり顔を見合わせている。
この者達が姿を現した場所には大きな穴が掘られていたのだ。この者達はこの穴を通じて京の町中から逃げてきたのだと思われた。
「斉藤利三殿に伝令を、この穴の存在を知らせるのだ」
安田国継の命で伝令として一騎が駆けていく。
騎馬武者達が駆け去った後、その惨殺現場を遠巻きに見ていた人々は、ただその行為に畏れおののいていた。
* *
この頃、二条御所に籠もる織田信長襲撃者達の間で小さな争いが起きていた。
二条御所警備に配されていた織田兵を殺し、襲撃者達を御所内に招き入れた雑賀衆達が「約定と違う」と異を唱え、その全員が襲撃者達によって武器を奪われ拘束されたのだ。
二十名程の雑賀衆を率いる頭領は足の悪い男で名を田造と言った。
彼等は約一年前に警備として雇われてこの二条御所へと入った。そして一年の雌伏の時を経て、事が起きた今日この日、同じ役目を務め見知った顔となっていた織田兵達をその手で殺め、織田信長襲撃者達をこの二条御所へと導いた。
そこまでが彼等が請け負った仕事の内容である。
この後は速やかに京を離れて彼等の住む里へと帰還する。
そういう約定であったのだが、この襲撃者達を率いる火車を名乗る僧形の男は「そのような約定など知らぬ」と言う。
そしてこのまま二条御所に立て籠もり、最期まで殺到してくる織田兵達を相手に戦うことを彼等に強要したのである。
当然、田造はそれを拒むが、彼等は襲撃者達に囲まれ武装放棄の後に全員が拘束されたのである。
そうこうしているうちに明智軍による京包囲は完成し、二条御所にも明智光忠率いる一軍が押し寄せて来た。
火車は不敵に笑いながら田造に申し出る。
「今我らに討たれて死ぬか、織田と戦って死ぬか選べ」
「事ここに至ってはやむを得ぬ」
田造は織田と戦う事を選択し、配下の雑賀衆達に命じて配置に付かせた。しかし戦えぬと判断された田造の二人の娘、燕と雀の二人は依然拘束されたまま、人質としてどこかに連れて行かれたままだ。
田造が次々に指示を飛ばし、雑賀衆を各櫓へと配置に付かせる。
最後に残った数人に向け、襲撃者達に悟られぬ様小声で田造は命じた。
「織田軍の隙を付いて何とか逃げ出す。その道筋を探せ」
「頭、それでは燕と雀は」
「助ける算段は儂が考える。だが無理なら見捨てよ。儂もこの足ではもう逃げられぬ。娘達と共に儂もここで死ぬ」
二条御所大手門の前に現れた織田軍が開門を迫る大声を上げる。
寄せて来た敵は正確には織田家に属する明智軍である。しかし彼等にとってはどれも織田軍であった。
梯子を伝い大手門そばの壁から顔を覗かせた田造がその先頭に立つ騎乗の武者に向け鉄砲を構えた。
頭を撃ち抜き即死させる事は出来る。
しかし田造はあえて狙いを外して彼の右肩を撃ち抜いた。
それが自分達との約定を破った襲撃者達に対する、彼なりのささやかな抵抗だった。




