決着②
脊山城の真下、削り取られた斜面と森の切れ目に辿り着くと鈴木孫一は草の隙間から城の様子を覗った。
見えるのは崩れた土塀、打ち壊された逆茂木、そして空堀などは埋められている。まだ柵と櫓らしきものはいくつか残るが、城の防御の殆どを故意に破壊してあるのは見て取れた。
数刻前に太鼓の音が響き、下の方が騒がしくなった。
放った物見から砦に詰める軍が東に向けて動き出したと報告を受けた。当然、この城の者達も動くと予想できる。
城の状態から見てもここを放棄するするつもりなのは明白で、悠長に構えていれば救い出すはずの竹中重矩の命も危うく、この城にいるという橋口隼人にも逃げられてしまう。
俺達が動けば裏一と孫六の別働隊もそれに合せて行動を起こすはずだ。そう信じてすぐに攻撃すべきだと決断した。
まずは城の者達の注意をこちらに集中させる。
森から抜け出し斜面上で銃列を敷いた。
多勢に見せるため、最初の銃撃だけは全員で一斉に放つ。敵に動きがなければそのまま突入、十数えながらじっと様子を覗った。
動きがあった。
打ち鐘が響き敵襲を告げる声、上の方で兵が行き来する姿も見える。
まずは遠間で飛び道具の応酬を続けて時間を稼ぐ、そして敵の注意をこちらが引きつけている間に裏一と孫六達の成功を待って撤収。
そんな予定を組み立てていたが、城からの飛び道具での反撃は一切無い。それどころか首に紫の布を巻いた十人が自分達の真正面から斜面を駆け下り討って出て来たのである。
こちらの人数は七十、まず三十の鉄砲が放たれ、次にまた三十、そして残りの十は装填の援護の為に待機する。この一連の動作が終わるとき、蜂の巣になった敵の十の骸が斜面を転がり落ちてきた。
城方はそれを見届けると新たな十人を繰り出してきた。
響く銃声、そして新たな敵の骸。
滑り落ちる敵の骸の勢いに何人かの雑賀者が巻き込まれて藪の中へと消えた。
発砲煙で視界が塞がり始める。次の攻撃で討ち漏らした敵が一人銃列の中に飛び込んできた。おうやく討取ったが、こちらも二人の犠牲と一人の重傷者を出した。
敵はこちらの三人を除くに既に三十人は失っている。
あちこち壊しているとはいえ、城の立地や防御を活かせばもう少しまともな戦いが出来るはずだが、どう見てもこれはただ兵を無駄死にさせているとしか思えない戦法。
敵将は馬鹿者だと思いながらも気付けば攻め込む我らが気押され足止めされている。
鈴木孫一は十名程を選び森の線まで下がらせ迂回させて脊山城へと登れと命じた。彼等が斜面の頂きに達すれば、視界の取れる一帯を制圧できる。それで敵の動きも制限できる。
櫓の上で叫ぶ女の姿が見えたと報告する者がいた。
狙えば倒せるという言葉に応える者は誰もいない。敵軍の采配があの女なら放置しておく方が戦を有利に進められる。そしてその女を倒すのは俺達では無い。
あの女の方も戦法を変えてきた。頭上に三十人、否、更に三十人のもう一集団。
これだけの数の鉄砲を恐れず肉薄してくる連中、逆落としの勢いでそれが降ってくればとても防ぎきれない。
防ぐだと、鈴木孫一は自分の言葉に舌打ちした。
「皆、前に出ろ。攻めているのは俺達だ。戦の流れを変える」
雑賀者達が鉄砲を並べたまま斜面を登って行く。二十人の横列が二つ。その後ろに鈴木孫一を含む約十人が続く。
敵が頭上から降ってくるかの如く突撃してくる。
一列目の銃列が一斉に火を噴く。進む者倒れる者、どちらの勢いも止まらない。
入れ替わった二列目の銃列の発砲は敵との零距離。黒煙が巻き上がる中、そのまま斬り合いの乱戦に突入した。
黒煙が晴れるのを待って、後方の鈴木孫一達は乱戦の最中の敵を一人づつ精密に狙撃していく。鈴木孫一と手練れの射手二名がそれを行い、装填手が各自に一名ついている。
孫一達に肉薄する敵を防ぐため、残りの者が乱戦には加わらず護衛に付く形だ。
鈴木孫一は敵の一人にゆっくりと狙いをつけた。
敵の足を撃ち抜き、体勢を崩した敵を雑賀者が斬り倒す。動き回る敵を一撃で仕留めずとも、腕や足を撃ち動きを止めるだけでも十分な援護になる。
次と声を上げると装填された鉄砲が手渡される。
良い勝負だ。手練れ揃いの俺達相手に敵も中々にやる。
鈴木孫一はこの戦に高揚感を覚えながらも小さく舌打ちしていた。味方にも相当な犠牲が出ることを覚悟しなければならないからだ。
次と呼び伸ばした手に鉄砲が手渡されない。
「遅い」
鈴木孫一が振り返ると同時に手に焼けるような痛みが走った。下から這い上がって来たのだろう、全身が血まみれの敵が装填手を倒し、孫一に襲いかかったのだ。
振り下ろされる刃を躱して腰の刀を抜くと孫一はその男に飛びかかった。
孫一と敵がの男が組んだまま斜面を転がり落ちていく。前方にばかり意識を向けていた護衛の者達がそれに気付き、慌てて二人が鈴木孫一の姿を追う。
「戦えぬ者は死、それが掟」
鈴木孫一が胸に刀を突き立てた男はそう呟きながら絶命した。
ひどく体を打ち付けた衝撃で思うように動けない。体中の痛みが消えると、残された痛みは斬られた手に集中した。近くの木に寄りかかり口に噛んだ布で負傷した手を固く縛った。
右手の親指が根元から失われている。
遅れて駆けてきた護衛の二人に手を挙げ自分の無事を知らせた。
こいつら掟と言った。
集団を維持し、結束を固めるためにそれは定められたのだろう。
鈴木孫一率いる一団にも決め事は存在する。大なり小なり人が集まれば自然と決め事は出来ていくものだ。だが、この連中の言う掟はそれとは意味が違う。
恐怖を人の心に刷り込み支配するもの。そして掟の裁定者は絶対的な力を得る。
心を支配された者達がそれを守り力を強固にしてしまうからだ。
人は皆、誇りや欲、守りたい手に入れたいものの為に自らの意思で正邪の概念を越えて戦う。それは時として自らの命を捧げる事も厭わぬものになる。それが人間というものだ。
誰かが集団を維持するために都合良く作り上げた決まりに縛られ死を強要されるなど、そんな馬鹿げた事があってはならない。
俺はこんな掟などというくだらないものを作り出した奴を絶対に許さない。
見上げる戦場、城将は橋口隼人だったか。
その顔面に必ず俺の怒りの拳を叩き込んでやる。
* *
目指すべき場所はすぐに見当が付いた。
城内の周囲の建物は自分が幽閉された蔵以外は全て打ち壊されているし、橋口隼人の気配が行き来した方角には常に注意を払っていた。
連なる銃声の音の中、幽閉された小屋を半ば強引に破り脱出した竹中重矩であったが、そこには見張りの者の姿すら無かった。
故に追っ手もかからず自分は橋口隼人の元へと迫っている。
この騒動の隙を突き、逃げ出すことを竹中重矩は考えなかった。自分がここまで辿り着き、京に始まる一連の事件の全てを書き綴ったこの書を兄の面前に叩き付けてやりたかった。
脊山城本丸の先に突き出した小さな曲輪に建つ館と呼ぶにはみすぼらしい建物、警備する兵も無くそこは無人の様にも感じられた。
戸板を開き中へと躍り込んだ竹中重矩は、むせる血の臭いに口を覆った。
血の海の中で膝をつき息絶える一人の男、そしてもう一人は天井を見上げ床に転がっていた。
竹中重矩は兄の体を抱え、死闘によって負ったであろう傷口を必死に探した。
「毒ですよ」
兄は慌てる自分の姿を笑いながらそう言った。あの女か、これを出来るのは覚と呼ばれていたあの女しかいない。
「なぜこんな事になっているのですか」
「覚の目的はここの全ての者達を死に追いやること、私もその一人だったということ」
「狂ってる」
「彼女を変えられてるかとも思いましたが、私にそれは出来ませんでした」
兄の視線は定まらず、ただ天井を見ている。既にもう何も見えていないのかもしれない。
「お前が来たという事は、攻め手は雑賀衆ということですか。我らに恨みを持つ根来衆で無いならばこの戦を収める方法はある。あの女、覚を倒しなさい。それで彼女に付き従う兵達は掟から放たれる」
戦いが起っている理由、攻め手が何者かなど自分は知らない。
「私の代わりにあの流浪の人々を導いて欲しい。あなたなら出来るでしょう」
「どういう事だ、説明してくれ」
もう自分の声は兄には届いていない様だった。死に行く者の願いは一方的で勝手なもの。全てを伝えた安心感か、苦しげだった兄の表情は少し穏やかになった。
か細く途切れ途切れの言葉がつづられる。
「出会った頃の木下さんはいつも陽気で無茶な程に我武者羅で、子供の様に目をきらきらさせていた」
兄の体が痙攣している。
「ああ、楽しかった。あの頃は本当に」
目を見開いたまま兄の体が力なく崩れた。抱きしめた体はまだ温かい。それでももう生きてはいないのだとはっきりと分かった。
「何をしている。竹中半兵衛重治ともあろう者が、こんな所で終わるのか」
竹中重矩の止まった時は、迫るいくつかの足音に押されて動き出した。
自分の無事を問う声、聞き慣れた声が背に聞こえる。燕、警戒しながら弥助と鉄砲を構えた見知らぬ若者が自分の横をゆっくりと通り過ぎる。
「こっちの目つきの悪いのが明智の手の者で五郎。それと雑賀の孫六だ」
立ち上がった自分に燕が新しく加わった仲間の名を伝えた。五郎と呼ばれた男が兄の亡骸の事を尋ねた。
「彼が城将の橋口隼人です。彼は死にました」
「重矩、あまり時間は無い。すぐに動こう」
身勝手な頼み事ではあっても兄の最期の言葉を自分は果たさねばならない。
「私にまだここで成すべき事がある」
「何を言っている。お前の為に俺達の仲間が死んでるんだぞ」
孫六と呼ばれた若者が跳びかかってきそうな勢いで自分に咆えた。
「この戦を終わらせる方法がある」
「どういう事だ重矩?」
「燕の妹の仇、覚という名の女が死ねば戦っている兵達は戦を止める」
「なぜそんな事がお前に分かるのだ」
「孫六、重矩が言うのだ。信じろ」
燕のその一言で意外にもあっさり孫六は引き下がった。
五郎と孫六の二人を先頭に本丸へと返す。本丸の北側に取り付く少人数の雑賀者達の姿が見えた。孫六が口笛を鳴らし鉄砲を横にして腕を空に伸ばした。
雑賀者達の一人が同様に鉄砲を掲げて、孫六に合流してきた。
「私はあそこに固まっている人々の所へ、やらねばならぬ事がある」
本丸の片隅で寄り添う人々の群れを指して竹中重矩がそう告げると、孫六が二人の雑賀者に自分の警護を命じた。
「お前が死んでしまったらこの戦、俺達の負けになる」
確かに自分の救出がこの戦の目的ならばその判断は正しい。
そして竹中重矩には五郎も同行するという。ここが私達の最終目的地、あとはそれぞれが成すべき事を成せばいい。
「燕、何してる。早く来い」
先を行く雑賀者の後ろで孫六が燕と弥助を呼んだ。
「行ってくる重矩、妹の仇を討ってくる」
そう言い残し孫六の元へと駆け出す燕と弥助、白い歯を見せて無邪気に走る三人の姿に竹中重矩は苦笑した。とても戦に赴く者達の姿には見えなかったからだ。
寄り添う人の群れの中へと歩を進めた。
様々な視線が自分を見つめている。敵意でも好意でも無い、これは絶望か。
歩を止め、大きな声で言った。
「城将、橋口隼人殿にお前達の事を託された。お前達の長と話がしたい」
竹中重矩の声に、片腕の無い男が一人立ち上がった。




