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水色桔梗の雫 ~異伝本能寺の変~  作者: つむぎ舞
六月十三日
64/84

決着①

 山下の砦から出陣を知らせる太鼓の音が聞こえる。

 高野山攻めの動きを見せる大和国の筒井順慶の軍八千に対する備えだという知らせが橋口隼人はしぐちはやとの元へと届いた時、すでに軍は動き始めていた。

 それは橋口隼人が軍務を解かれたという意味でもある。


 脊山の城を去り一人の男に戻る前に自分にはやらねばならぬ責務がある。

 織田信長との戦いで百十数名にまで減った兵士達と、追放に近い形で高野山から送り返されてきた千人近い数の民、彼等がこの脊山周辺の地で生きる術を整える事が、ここでの自分の最後の仕事になるだろう。


 さとりを呼び出し、軍を解散しここに集う皆の中から新たな長を選び、この地で暮らす方法を考えると告げた。

「嫌だ。絶対に嫌だよ」

 彼女はその決定に幼子のように反発した。

 たしなめる自分の言葉に耳を貸さず、まるで狂わんばかりに唸り叫び、そしてその場を出て行った。


 彼女の今の狂気は恐れからのものだろう。

 これまで何人もの兵が彼女の裁定で命を落とした。今も兵達は信頼ではなく刷り込まれた恐怖によって彼女に従っている。

 皆が新たな集団に生まれ変わるとき、そこに覚という女の居場所はない。

 彼女が承諾すればだが、自分が伴って去ろうと考えている。

 妻に迎えるのとは違う。互いに心を交し分かり合う事は無く男女の情交に至ってもいない。ただ彼女は温もりを求めて自分に身を寄せてくる。

 美しい女、橋口隼人は一度覚を強く抱きしめた事があったが、その時彼女は声を発さずただ震えているだけだった。彼女の過去に何があったのかを自分は知らない。

 結局の所、互いを求めるでもなく覚とはそこまでの関係にしかなれなかった。


 覚が側にいる間、自分の身の回りの事は全て彼女がしてくれていた。命じた訳ではなく、自然とそういう形になったが、そんなありきたりの毎日を自分でも気付かぬ内に覚に求める様になっていたのかもしれない。

 この地の事を定めた後、彼女の行く末は改めて考えようと思っている。


 面倒事がもう一つ、この城に転がり込んできている。

 竹中重矩たけなかしげのり、かつて弟であった者が織田信長襲撃犯を追い、ついにはここまで辿り着いたのだ。

 織田信長襲撃から僅か二週間、当然運もあっただろが、この短期間に我らを突き止めたという事実は正に驚きで、それに敬意を表して彼には事の全てを語って聞かせてやった。

 竹中重矩が明智光秀と関わった経緯を橋口隼人は知ろうとは思わなかった。

 しかし、過去の縁という情に絆され彼を生かしてここから出せば、その口から語られる言葉、そして人の名はこの件に関わった多くの者達の命を危険に晒す。

 筒井軍の明らかにおかしな動きも、竹中重矩の報告に基づき明智光秀が動いた結果かもしれない。

 殺すしかないとは決めていた。

 今日の日没、刑を執行すると彼には伝えた。


 つい先程の取り乱しようが嘘のように冷たい表情になった覚が、この城の守備を務め、脊山城破却に力を尽くしてくれていた高野山の二百の兵が退去の挨拶がしたいと告げに来たと伝える。

 すぐに大手門へと向かうと告げ、橋口隼人は彼女を見つめた。

 この時、橋口隼人は初めて人として彼女を見つめていた。覚は相変わらず無表情な人形の様に顔を傾げる。

 この感情の起伏の激しさに心を砕き一喜一憂する日がもうすぐ来るのか、自分の退屈な余生もそれで少しは楽しげになるかもしれない。

 彼女を一人残し、橋口隼人は一人居を出た。


 二百の高野山の兵は、大手門であった場所に整列して自分の到着を待っていた。

 彼等には出撃していった軍の後は追わず、船渡しを使い高野山へと戻る様にと伝えた。筒井軍八千にあの賊の集まりの様に乱れた軍では、その数一万といえど敗れ、まともな戦にさえならぬだろうと告げると、彼等は自分の意に従う意思を示してくれた。

 二ヶ月間の脊山城の守備とこの城の破却作業への働きに対する礼を述べ、最後の別れを交した。


 居館に戻ると覚が未だそこに留まり自分を迎えた。

 あの事はまだ彼女に伝えていない。どの様に伝えるべきかをまだ自分の中で整理できていないのだ。二人で暮らそう等と申すと、彼女に大きな誤解を与えるかもしれないと思うと妙に言葉に詰まる。

 こんなにも自分は不器用だったか?

 彼女に手渡された日課の薬湯を口にしながら出た言葉がどうしようもないものだった。

「ここの警護の者の姿がありませんでしたが」

「軍を解くと命じられましたので、その様に」

 そんな当たり前の答えが返ってきて、そして彼女は一礼して去って行く。

 自分の気持ちを表してか口の中に残る薬湯の苦みがいつもより強く感じられた。


 本丸の先の小さな出丸に残された質素な居館、腰を落ち着けてしまうとそんな場所でも元からあった自分の居場所の様に感じて別れがたい思いがある。

 漠然と眺めている板間の風景に橋口隼人は小さな違和感を感じた。

 隙間から漂う空気に混じっているのは血の臭い。

 愛用の槍を求める手の先にそれは無く、橋口隼人は刀を抜いた。

 存在が知れたと感じるや、一人の男が自分の前に姿を現した。覚の護衛に付けた手練れの一人、その手には自分の槍が握られている。


 これが覚が出した結論。

「戦う意思なき者には死を」

 定められた掟がついには自分にも及んだという事だ。

 自分が理解出来ぬのと同様に、あの女は自分の事をまるで分かってはいない。

 苦々しい想いとは裏腹に、橋口隼人は自分に相対する刺客に対して不敵な笑みを漏らした。


「私を屠るに一人とは、舐められたものだな」

 覚の護衛の手練れの選定は橋口隼人自身の手で行った。

 その者の力量を見抜くにはそれ以上の力が必要という事をあの女は知らない。選定した者達の中に自分に勝る者は一人もいなかった。

 ただ得意とする槍は敵の手にある。柄物の優劣は力量の差を僅かに縮める。間合いの勝負になるだろう。


 突きが三つ。気迫の籠もった一つを立てた刀で弾きながら間を詰める。

 刀を決して大きくは振らない。間を空ければそれだけ槍に有利になる。小さく吸い付く様に敵に身を寄せていく。

 体の中に違和感が、焼ける熱さが胸を襲う。

 息を固め橋口隼人が歩を二つ進めた時、首から血しぶきを上げて刺客は両膝を着き息絶えた。

 橋口隼人は突然の苦しさに襲われ吐いた。この程度で病が目覚めたか。

 返り血で染まった体を支えられず床に両手を着く。どうせ血まみれだ、今更血を吐いたとてどれ程の事もあるまい。

 血だと思ったものは濁った液体、薬湯だった。焼けるような熱さが胸の中で暴れ、口と指先にも痺れを感じ始めた。これは毒か。


 大量の銃声が一斉に響いた。

 慌ただしく走る足音、敵襲を告げる声と打ち鐘が鳴り響く。

 鉄砲の数が多すぎる。軍が去るのを見て小競り合いの続く根来寺の僧兵共が攻めて来たに違いない。こんな時に、指揮を執らなければ。

 橋口隼人は血の海となった床を奪い返した槍を杖代わりに立ち上がろうとした。

 手の感覚が定かではない。ずるりと滑る様に床に体が張り付いた。

 体を返す。もがきながら目にした天井は、歪むように回っている。


          *          *

 

 脊山城に続く一本の坂道、そこを通り過ぎていく二百の兵を道の脇の藪に潜んで見ていた。

 城兵は二百と聞いており、その全てが城を捨てて出ていこうとしている。ではあの二百の兵の先頭を行く騎乗の者がここの頭という事になるのか?

 おかしいと、つばめは首を傾げていた。

 首に紫の布を巻いた連中がいない。そもそも妹の仇であるあの背の高い女の姿が無い。逃げられたのか? 竹中重矩はどうなった?

 そんな感情が渦巻いていた。


 上の方から凄まじい数の銃声が聞こえる。

 それに合せて打ち鳴らされる警鐘。上の城にはまだ敵がいて、鈴木孫一達がそれに攻撃を仕掛けているというのは明白だった。

 今やり過ごした二百は別な軍、情報とは違ったがそんな事は普通にありえる事だった。


 城の騒ぎを聞き、やり過ごした二百の兵が再び返して坂道を登ってくる。

「あれを止めるぞ」

 裏一りいちがそう叫び、裏一と四人の雑賀者が九丁の鉄砲を抱えて道へと躍り出る。燕と孫六まごろく弥助やすけもそれに続いた。

 六人の銃列、裏一の「放て」の声で一斉に鉄砲を撃ち放つ。

 燕と孫六は再装填動作に入る。四人の雑賀者達はもう一丁の鉄砲を手に取り即座に二射目を撃ち放つ。

 

 再装填を終えた燕と孫六、そして裏一に投げ渡された一丁を手に取った雑賀者の三人で三射目を撃ち放った。

「上へ走れ」

 裏一の声と共に五丁の鉄砲をその場に捨て、それぞれが一丁の鉄砲を装填しながら坂道を駆け上がる。さすがに走りながらの装填に燕は間に合わなかった。

 振り返り四人の雑賀者と孫六が四射目を撃ち放った。


 二百の高野山の軍が混乱していた。

 しかしこちらが十人にも満たぬ小勢であると知ると、槍や刀を振り上げて坂道を駆け上ってくる。装填を終えた燕、孫六と四人の雑賀者達が鉄砲を構えると、彼等は怯んで頭を屈める。

「孫六、お前達は行け」

 裏一がそう叫んだ。その言葉に孫六は頷き、燕の手をぐいと引いた。

「一緒に行ってやれぬ。すまんな」

 裏一が自分に向けてそう言った。その背では、藪に潜んでいたままの五人の雑賀者達が二百の兵の中に斬り込んで行く姿が見えた。

 孫六に強く引かれて燕は駆けた。弥助も自分の側を駆けた。

「孫六、あの人達死んじゃう」

「気にするな」

 言葉とは裏腹に自分の腕を掴んだ孫六の手に力が籠もるのが感じる。燕はもう一度振り返った。


 前方の柵に首に紫の布を巻いた四人の姿、遠いが気付かれた。

 弥助が背の刀を抜き速度を上げると敵の注意が弥助一人に向いた。燕は火縄に口から風を送りながら、片膝を付いて敵を見据えた。

 敵の胸の中心に狙いを定めて一呼吸、引き金を引き燕は一人を倒した。同時にもう一人も倒れている。孫六が自分を見ながらどうだという顔をして見せる。

 二人が倒れた事で敵の二人が立ち止まった。弥助は二人と刃を合せずそのまま敵の間を駆け抜けて反転する。敵に迷いが生じた。

 一人は弥助に、一人は自分と孫六に向けて刀を抜き走り来る。

 再装填動作には二人とも入っている。ほぼ同時に二人の鉄砲が火を噴き、向かい来る敵を倒したが、当たったのは孫六の鉄砲の方だった。

 負けた。悔しさが一瞬燕の中に生まれたが、それは弥助の声に掻き消された。

 敵を斬り倒した弥助が自分に早く来いと合図している。


 孫一達の本隊の放つ派手な鉄砲の発射音、それに混じり時折数挺の鉄砲の発射音が、燕達の背からはまだ聞こえていた。

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