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水色桔梗の雫 ~異伝本能寺の変~  作者: つむぎ舞
六月十三日
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風吹峠

 早朝から門前町のあちこちの建物からは湯気が立ち上り、鉄を鍛える音が休み無く聞こえてくる。野菜や雑貨を抱えた人々眼下を通り過ぎていく。

 彼等は通りの中央を馬で進む自分達の姿を気にする様子もなく、広場に集まると忙しそうに市の準備に精を出していた。

 根来寺の門前町坂本は、賑わいだけなら京の都よりも活気に満ちている。

 つばめは人々のそんな活き活きとした姿を見るのが好きだった。自分にも力を分けて貰える様な気がするからだ。人々の笑い声が聞こえると、自然と自分も笑顔になっているのがわかる。


 先頭を進むのは鈴木孫一すずきまごいち、次を孫六まごろく、そして自分を乗せた弥助やすけの馬が続く。

 前を進む孫六は何度も振り返り私と目が合うと慌てて前を向く。そんなに気にせずともはぐれたりはしないのに、おかしな奴だ。


 通りを肩を鳴らして歩く根来寺の僧兵達は、鈴木孫一の馬が側を通ると背筋を伸ばして道を開け、私達が通り過ぎるのを見送る。

 鈴木孫一、一体何者なのだ?


 雑賀は鈴木と土橋の争いでずっとおかしな事になっていた。でも鈴木孫一はあの変な顔の土橋重治に頼まれて私達を助けに来てくれた。

 鈴木と土橋の争いはもう無くなったという事なのだろうか、それは雑賀にとっては良いことだ。

 鈴木孫一を乗せた馬は坂本の町を通り過ぎてもどんどん先へと進んでいく。

「孫一、こんな朝早くから一体何処まで行くんだ」

「風吹峠、そこにお前に会わせたい人がいる」

 鈴木孫一はここ根来寺で準備を整えると言っていた。  

「鉄砲鍛冶か? 私のこの常世国は根来寺の芝辻とかいう人が造ったんだ。その人に会うのか」

「まあ、そんなところだ」

 この鉄砲を造った者の所へ行けばもっと凄い物が手に入るかもしれない。そう思うと何か楽しい気持ちになって、燕は唄を口ずさんだりした。

 燕のそのはしゃぎぶりは馬を降りて険しい山道へ入るまで続いた。

 

 孫六と弥助の二人を馬の番に残し、あるか無いかも分からぬ様な山道を進んだ。一応道らしきものはあるから人が住んでいるのは確かなのだろうが、こんな所に住むのは余程の変わり者なのだろう。

 木々が減り陽のよく当たる見晴らしの良い場所で鈴木孫一が歩を止めた。そこから先にもう道は無い。

「着いたぞ」

 こんな所に何がと問い質そうとした燕だったが、そこで彼女は声を失った。長く伸びた草の中に大きな石が五つ並んでいた。

 鈴木孫一は道中で摘んだ白い小さな実を付けた白い花をそれぞれの石の上に置いていく。

「これが蛍火ひたるびのお前の母親の墓だ」

 鈴木孫一が一番右端の石の前でそう口にした。

「お前はひどい奴だな」

 この言葉の意味を孫一は理解出来ないのだろう。何を言っているという目で自分を見ている。


「死んだと聞かされても私も妹もそれを本当には信じていなかった。死に顔も見ていないし墓も無かったからだ。何か理由あって母様は何処か遠くにいるのだと、そう思い続けてきた」


 燕の言葉はそれ以上続かなかった。でもここで母様は死んだのだな。本当に死んだのだな。

 涙は出ない。悲しみや怒りの気持ちも湧かなかった。ただ突然目の前に現れた現実に力が抜け、そのまま燕は地面に崩れた。

「すまん、そういうつもりでは無かったのだ」

「これが母様」

「この場所を知る者はもう殆どいない。そして記憶に留めているのは俺と土橋重治ぐらいだろうと思う。だからお前を連れて来た。お前に知らせておくべきだと思ったのだ」


「私は本当は孫一に礼を言わねばならないのだろうな。でもごめんなさい。今は言葉にできない」

「ああ」

「教えてくれないか、母様は何の為に命を懸けて戦ったのだ?」

「蛍火は雑賀を愛していた。そして何よりそこに住む人々の笑顔を、それを守りたかったのだと思う」

「それは雑賀に生きる人が皆思っている事ではないのか?」

「そうだ。雑賀の民はその為に戦った。蛍火もその中の一人だった」

「戦を防ぐ事は出来なかったのか」


「それは雑賀を動かす立場にある者が考えなければならなかった事だ。蛍火は兵士の一人にすぎなかった。あの時織田軍の別働隊の足止めする事が出来なければ間違いなく雑賀は滅びていた。幼かったお前も生きてはいなかったかもしれぬ」


「母様のいない雑賀なんて私達には何の価値もなかった。だから父様も雑賀を捨てたんだ」

「蛍火もお前達を残して死ぬつもりは無かったはずだ。だからきっと戦いながらも最後まで必死に生きようとしたはずだ。お前はそうは思わないのか」


 そう思わないはずがない。きっと孫一の言う通りだ。

 いろんな想いだけが胸の中で駆け回るのを感じる。それを手で押さえつける事で燕はそれに抗っていった。


 帰りの下り道の足は重かった。でも前を歩く鈴木孫一は自分よりももっと、とても辛そうに見える。昔の事を思い出しているのかもしれない。

 燕と自分の名を呼び、鈴木孫一が振り向いた。

「お前は俺を恨んでくれていい。いや、そうあるべきだ」

 突然そんな事を言い出した。

「俺はあの時雑賀を動かす立場にあった。そういう意味では俺が蛍火を死なせた」

「孫一、お前は努力したのだろう」


「俺も雑賀を守りたかった。その為に俺なりに力を尽くしたはずだた。しかしそれは雑賀を滅亡の淵にまで追い込んでしまったのだ。全て俺の責任だ」


「孫一、雑賀は今もまだあるじゃないか。それは孫一や土橋、母様や皆が雑賀の為にと励んだからだと私は思う。ここに来る途中で私は焼けた雑賀の町を立て直そうとしている人達を沢山見て来た。今も雑賀の人々は励んでいるぞ」

「俺は、俺はどうすればいい」


 明智光秀や竹中重矩と話して一つだけ分かった事がある。

「でも今のままでは雑賀はまた戦に飲まれる。雑賀だけが幸せな国じゃ駄目なんだ。それは他国から見れば羨ましく妬みを買う、力ある国はそれを武力で奪おうとする」


「お前はどう考えているのだ」

「雑賀はあけちを通じて織田と仲良くなるのだろう? まずはそこからだ。孫一、手を貸せ」

「簡単に言うな。これまでの争いで生まれた憎しみ、立場や富や利権というものを口にして皆事を複雑にしている。織田がそれを認めるかどうかだろう」


「あけち、明智光秀は私にこう言った。今の織田ならば戦をせずとこの日ノ本を一つの国にしていけるだけの力があると。織田の人々だって血が流れない事を願っているに決まっている」


「その先には織田信長だけが力を持つ世が出来上がる。そんな世で織田信長が皆を苦しめるかもしれんのだぞ」

「その時は織田信長を皆で討てばいい」

「物事はお前の言うように簡単ではない」


 もう燕は何も言わなかった。鈴木孫一を押しのけ一人先頭を歩く。

 自分の思っている事が正しいのかなんて分からない。

 自分はあまりにも世の中の事を知らないからだ。

 でも母様がなぜ戦ったのか、それだけは理解出来た。

 母様は特別な思いを持って戦に望んだのではない。その気持ちは誰もが持っているありふれた想いだったのに違いない。

 そしてそんな純粋な気持ちを持つ人々が多くいればいるほど、国というものは良くなっていくのだと思う。


 足音が聞こえる。鈴木孫一も再び歩き始めた様だ。

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