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水色桔梗の雫 ~異伝本能寺の変~  作者: つむぎ舞
六月十三日
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宮津城急襲

『戦う理由』を一部訂正致しました。

 六月十三日は雑賀編の完結と山崎の戦いと忙しいです。

 海が透き通る程に青い。

 その打ち寄せる白波が堺で見た海よりももずっと大きく激しいと若殿は無邪気に目を輝かせている。砂浜から薄い青緑色に見えるところまでが浅瀬で、それが長く続いていると彼は自分に告げる。

 元服を終えたとはいえ、まだそんな無邪気さを残す若者なのだ。


 船上で目を細めて海を眺める若殿、明智光慶あけちみつよしの日焼けした肌からは赤みが消え、背や肩の剥けた皮の下はより茶味がかっている。

 その側では自分を含む明智家の家臣二十名が日に焼けた肌を晒し、体に染みついた海の匂いを発している。


「宮津の城が見えて参りましたな」

 前方に小さく見える宮津城を指差す長岡家水軍の将、松井康之まついやすゆきの言葉に妻木範賢つまぎのりたかは頷いてみせた。

 田辺城を出てから二日、浜辺で全身を日に焼かせて夜は近くの漁村の漁網にくるまり眠った。海の民に似せる為の若殿の発案だったが、結局の所それは上手くいかず肌色の年期は漁師達のそれに及ばず、体から発する強烈な磯の匂いに船乗り達は閉口した。

 思惑通りにならなかった事を詫びる若殿の姿に家臣達は行為の笑みを浮かべた。


 宮津城を占拠した一色軍に捕われている長岡藤孝ながおかふじたかたまの両名を救い出す方法として明智光慶は商船での城内侵入を選んだ。

 その発端は長岡家の家老松井康之が中国地方出征の為の兵糧手配に北へと送った御用商船が一隻、遅れて舞鶴港に戻ったと知らせ来た事に始まる。


 一色家と長岡家は由良川を挟んで物見隊同士の静かな睨み合いが続いている。

 織田信長の命による摂津国の兵站庫への兵糧供出はここ丹後国にも及んでおり、互いに軍を維持して睨み合う両家は深刻な兵糧問題も抱えている。

 宮津城を占拠し、城の兵糧を手に入れた一色家と異なり、宮津城から発した長岡の兵一千を余分に加えた長岡軍の方がこのままの対峙が続けば先に兵糧を食い潰す事になる。


 長岡家が民から兵糧を強制徴収し人心が離れるのを一色家は待っているのではないか? あとは一揆を扇動して長岡家を民の力で追い詰めればよい。

 妻木範賢がこの自らの見解を長岡忠興ながおかただおきに伝えると彼の顔から血の気が引いた。

 そこへこの遅れた御用商船の到着の一報である。

 この時期、兵糧を満載した商船が宮津城に入るのは一色家にとって情勢を更に有利に導く喜ぶべき事態、この商船に我らの命運を託すと明智光慶は決定したのだった。


 この決定に長岡家側からは家老松井康之自らが行動を共にすると告げてきた。主を救うに理由などいらぬというのが彼の言い分であり、但し準備に二日間が必要だとも述べた。

 その言葉を明智光慶は飲み、自分達を海の民に似せる為の行動をその二日間で行ったのであるが、その間に松井康之は配下の水軍を招集し、我々に続いて海から攻め込む後続部隊を編成してみせたのである。


 御用商船に乗船した明智者十九人は積み荷を運ぶ人足に扮する。その服装や小物までを松井康之が監修し、刀一つ持つことを許した。

 船乗りは士分と同等の扱い、海賊から身を守るのに柄物一つ持つぐらいは普通だという。

 妻木範賢は船を仕切る商人、顔立ちの幼い若殿、明智光慶はその小物として側につく。

 松井康之は顔が知れている為船内で操船する水軍衆の指揮を執り、斬り込みと同時に後続の水軍をも率いる事になる。

 田辺城では長岡忠興が城兵二千を城に留めたまま、宮津城兵一千を解散させたと見せて由良川を少人数で渡河させ、宮津城攻撃の時を待つという算段だ。


 そしてその策は六月十三日、ついに決行されたのである。


          *          *


 一隻の商船の接近に宮津城内の旗が慌ただしく動くのが分かる。

 船が城に近づくと目の前の船着き場には何十人もの兵が集められている。宮津城に水門は無い、構わず進めと松井康之は命令し、半ば強引に船を横付けさせた。


 城兵達からの攻撃は無い。

 これよりは自分の出番だ。妻木範賢は掛けられた渡し板を一人渡り、此度の兵糧輸送の遅延という不始末、海が荒れ期日に遅れての到着を居並ぶ一色家の兵達の前で必死に詫びて見せた。

 敵襲ではなくおかしな者が現れたと兵達にも困惑の表情が見える。そして運んできた積み荷が兵糧であると知るとその場で一番偉いであろう男が城将の指示を仰ぐと早足で去って行った。

 丹後国内の情勢を知らず、ただ荷を運び来た商人と認められた様だった。

 男は城将の名を矢野と口にした。一色家の重臣矢野藤一郎(やのとういちろう)の事だろう。

 男が駆け戻って来ると積み荷を城内へと運び込むようにと告げ、集めた兵には元の配置に戻るようにと命じた。


 船着き場にある荷車四台の半分に兵糧を積み込んだ所で、妻木範賢は出発の声を出した。半数はまだ船からの荷下ろしの最中、荷台の荷車の案内として先導する男のすぐ後を歩き、その後ろを小さな包みを抱えた若殿が付いてくる。

 遅参の謝罪を長岡藤孝様にしたいと申し出ても不要と告げられるだけ、一色家が城を占拠している事を隠したまま兵糧だけを奪う腹なのだろう。

 相手が自分達を騙そうとしている事は返って都合が良い。その分こちらが偽物とは露見しにくいからだ。


 本丸にある兵糧庫前まで案内され積み荷の米俵や大壺を運び込んでいる間に妻木範賢は周囲に目を配った。すでに宮津城本丸の縄張りは頭にある。建物の屋根を見て御殿の場所に目星を付けた。

 本丸内に見える警備の兵は十名、空の荷車で引き返す間も周囲の物見は怠らなかった。宮津城を占拠する兵は総勢三百、一部が城下町の警邏と長岡軍の警戒に外へと出払い、大半は城の外郭に詰めている。

 船着き場から本丸までの間には警備兵二人の木戸が二つ。そして本丸の手前に二ノ丸とを結ぶ警備五名の小門が一つである。

 この小門さえ押えれば、本丸を完全に隔絶出来る。


 そろそろ城外でも何事かが起る手筈、次で仕掛けると若殿、そして皆に伝えた。まず先程と同様に二台の荷車を十人に引かせた。もう監視の兵は誰も付いてこない。

 打ち鐘の鳴る音が遠くから聞こえる。

 城下町からの出火と騒ぐ声、二つ目の木戸を通り過ぎた所でわざと一台の荷を崩して妻木範賢は人足との悶着を装い叱咤の大声を張り上げた。

「新しい車を用意しろ」と命じて五人を船着き場へ向けて走らせる。

 下の二つの木戸の警備はその五人で倒し、彼等は残りの味方を率いて船着き場から返してくる。


 目の前の小門を伝令の兵が行き来する。

 その場で一色兵達の会話に耳を澄ませた。情報は断片的だが、城下町の出火の混乱を突き長岡軍が由良川を渡る動きありというものだった。

 しかし、その全てが陽動。

 由良川に展開する長岡軍は見せ勢、長岡忠興はすでに渡河させた一千と共に城からの合図を待っている。


 妻木範賢は小門の警備の一人に近づいた。

 邪魔だと押しのけてくる腕を取り宙に投げ、地面に落ちた兵の首に膝を落とす。落ちた槍を奪い更に一人を倒した。

 妻木範賢の動きに呼応し他の明智者も小門の警備兵に襲いかかる。下の木戸から残りの味方が駆け上がって来るのが見える。

 船着き場の方からは外の味方への合図の狼煙が上がり始めた。


「十名でこの門を後続の水軍衆が来るまで死守せよ。決して敵を中に入れるな」

 若殿はすでに五人の明智者を率いて本丸へと向け走っている。妻木範賢も遅れじと残りの者を率いて本丸を目指す。


 既に本丸内は若殿達と一色兵達との間で乱戦となっていた。

 こちらは腕利き揃いだが刀一つにふんどし姿、敵に甲冑武者はいないが武具に身を包む多数を倒すのは容易ではない。

 主殿方向から城将矢野藤一郎率いる新手が現れる。妻木範賢は自分が率いた四人をそれに当てた。


 乱戦の一画で次々に血しぶきが上がる。

 その元凶はそこで戦う若殿、明智光慶であった。槍や刀の刃を掻い潜り、見る間に三人の敵兵を一人で討ち取って見せた。

 剣はかなり使うと聞いてはいたが妻木範賢がそれを見るのは初めて、若殿の剣は荒々しさよりも無邪気さが舞っている様にもその目には映った。

 退かず刃を潜って前に出る。なぜ出来る。そう動ける。

 妻木範賢の目はしばらく若殿、明智光慶の動きに釘付けになっていた。

 若殿は更に二人を斬り倒し、乱戦の中一人若殿だけが返り血に染まっていく。


 若殿の動きは死線を抜け刃の恐怖を乗り越えた者がようやく辿り着くもの、しかし先の佐和山城戦が初めて彼が刃を振るった戦いだと聞いている。

 棒打ち剣術では打ち身はあっても体を斬られ血を流すことは無い。相手の持つ刃の恐怖をまだ体が心が理解していない。

 だから死線を抜けた者と同じ場所、その先へと体が踏み込める。

 無知故の勇気、若殿の剣は危うい。そう妻木範賢は評した。


 意識を戻した。

 ともかく若殿の活躍でこの場は優勢、勢いよく賊を討取れと声を上げた矢野藤一郎も味方だけが倒される光景に気押され奥へと退いた。

 彼が最後に下す決断は人質二人の殺害。

 奥の方を指し示し、若殿二人で主殿へと進んだ。

「叔父上、姉上」

 若殿が声を上げ呼びかける。開け放たれた主殿の間から兵が吹き飛んできた。

 年の頃五十近い男が槍を手に暴れている。敵将矢野藤一郎もあっという間にその老兵に組み伏せられてしまった。


 長岡藤孝は自裁を申し出、受け取った刀で解釈の者を襲い暴れたのだ。

「油断したお主が悪い」

 組み伏せた矢野藤一郎にそう言いながら彼は豪快に笑っていた。

 これが長岡藤孝、文化教養人として知られる姿とは全く異なる逞しい風貌に、妻木範賢もしばし立ち尽くした。


         *          *


 策は成った。自分に付き従った明智者達にも犠牲は出ていない。明智光慶はその成功に安堵の溜息を漏らした。


 その反面、宮津城内の戦は凄惨な終息を迎えた。

 狼煙の合図で松井康之の水軍衆二百が船着き場から攻め込み本丸を占拠、長岡忠興が率いる一千が宮津城を取り囲んだ。

 本丸の水軍衆二百が城内へと討って出ると、内と外から攻められた一色軍は混乱し、長岡忠興の苛烈な性格は城兵皆殺しという程に手厳しいものとなった。


 捕えた矢野藤一郎を軟禁し、明智光慶は京での織田信長襲撃についてを長岡藤孝に説明した後、改めて使者として父明智光秀より託された言上をこの場で彼に伝えた。

 城内の掃討をほぼ終えた長岡忠興は父藤孝の無事な姿に安堵したが、すぐに妻の玉の姿が無いと騒ぎ始めた。

 宮津城が一色軍に攻められた時、長岡藤孝は数名の下女を付け小舟にて城から逃がした。海路で逃げるならば家老松井康之の久美浜城を目指せと申し伝えたという。

 しかし長岡忠興の元へは二人の書状が届いた。

 つまり姉の玉は一色家の手に落ちている。

 矢野藤一郎は味土野の地で彼女を捕縛したと答える。味土野は長岡家に嫁ぐ際に明智家から姉の玉に与えられた領地。

 久美浜城へと向かう途中一夜の宿を求め立ち寄った所を捕縛されたのに違いなかった。

 しかし事を起こした以上姉上を救う手立ては無い。

 このまま長岡軍が一色家の弓木城を攻め落とせば丹後国の争乱は終結する。

 しかし長岡忠興はそれを躊躇した。


「忠興、何をしている。弓木城を一気に攻め落として明智光秀殿に一刻も早く兵を送るのだ」

「出来ませぬ父上、すまぬ光慶殿、私には玉をどうしても犠牲にする事が出来ぬ」

「ここに至って玉の事は手遅れ、諦めよ」

「出来ませぬ父上、私には出来ませぬ」

 拳を振り上げる長岡藤孝の両足にしがみつき、長岡忠興が父に許せと懇願する。明智光慶は彼等の決断を待つことしか出来なかった。


 この父子の言い争いを鎮めたのは長岡家の管轄する京の西、嵐山の物見台よりの報告を中継し、田辺城より届けられた伝令の報告。

「明智光秀軍と羽柴秀吉軍、京の西山崎の地にて開戦す」


 父上、我らは間に合いませんでした。

 明智光慶は妻木範賢の肩を叩き立ち上がった。

「姉上の事は心残りですが、後はお二人に託します。私は戻らねばなりません」


 一言だけ言い残し、明智光慶はその場を後にする。遠ざかる足音に長岡忠興が顔を上げた。明智光慶は一度だけ振り返り、長岡父子に向けて笑顔で応えた。

「最後に会えて良かった。さらばです」

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