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水色桔梗の雫 ~異伝本能寺の変~  作者: つむぎ舞
六月十二日
56/84

妹の仇

 煙と共に小さな炎が顔を覗かせると、小枝の裂ける音も大きくなっていく。

 火に勢いがつけば湿った枝でも煙を少しの間噴き出して、薪としての役割を果たしてくれる。

 明日からは高野山に向けて山を登る事になるから今日は早めに体を休めようという事になり、竹中重矩たけなかしげのりに言われて陽の高いうちから弥助やすけは薪とする枝を集めて一人野営の準備をしていた。

 それを自分に命じた竹中重矩はというと、水を汲みに出たつばめの帰りが遅いと川辺に様子を見に行っている。


 自分にはここが一体何処なのかが分からない。それでも幾つもの町や村を通り過ぎ山を越え川を渡ったのだ。安土の城からは随分遠くまで来てしまった事だけは理解出来た。

 この旅で燕は自分よりも竹中重矩という侍を頼る様になってきた。

 剣でも弓でも彼より自分の方が遙かに強い。

 ただこの旅での様々な出来事は、彼女を守り手助けをするにはそれだけでは駄目なのだと知るには十分で、燕が事ある毎に竹中重矩に相談し、言葉を交す姿を横目に見ながら内心寂しさを感じていた。


 燕という少女に出会い、彼女を守ろうと決めた。彼女を守るには自分がかつて暮らした安土城へと行くことが一番だと思ったが、そうではなかった。

 人々は城を捨て、そこは巨大な建物が残るだけの場所になっていた。王子信忠と暮らした岐阜城に向かおうかとも思ったが、王子の死を知りそれは諦めた。

 でもそんな自分の考えとは裏腹に燕は彼女の妹の仇討ちに行くと言う。当然自分もそれに同行すると彼女に告げた。

 それは自分の掲げるもう一つの目的とも合致した。

 本能寺で自分一人だけが生き残った。残された自分が彼等のために出来る事は彼等の仇討ちぐらい。燕が目指す仇は自分の仇でもあるかららだ。

 その旅もいずれは終わる。

 この旅の最終目的地はこの先になる高野山になるだろうと竹中重矩は言っていた。

 全ての事が終わった後。もう自分に返る場所は無い。

 だからずっと燕と一緒にいようと思う。どんな事でもすると言えば彼女はそれを受け入れてくれるだろうか?


 鳥の声が消えた。

 川辺はここからそう遠くは無いが、燕と竹中重矩の帰りが遅い。雨で川の水が濁っているから清水を求めて上流へと向かったのだろうか。

 不意に川の上流の方から木の枝を折り草をかき分けて近づく複数の気配を感じた。目を凝らすと五十人近い数の人影が木々の間を動いている。

 

 逃げろと本能が語りかけてくる。弥助はすぐに燕が置いて行った鉄砲と鉄砲道具の入った背負い箱を担いでその場を離れた。

 少し距離を置いて様子を覗う。

「まだ仲間がいる様だぞ。追え」

 そんな声が火を起こしていた辺りから聞こえてくる。彼等はやはり自分を追いかけてきている。

 燕と竹中重矩に何かあったのは間違いない。すぐに助けに行かなければ。


 弥助は追っ手の気配が感じられるぎりぎりの距離を保ちながら身を隠しつつ後退する。彼等が諦めて帰還するその後を付ければ二人の所へと辿り着けると考えたからである。

 どのくらいの時間逃げ回っただろうか、今度は下流からも人の気配がする。

 追っ手に挟まれてしまった。

 川に飛び込めば逃げ切れる。それをすれば燕が大事にしている鉄砲を駄目にするし、二人の居場所を掴む事も出来なくなる。

 どちらか一方を切り抜けるしかない。そう決断して弥助は背の太刀を抜いた。

 数が少ないのは下流の方、二十人程の集団に向けて勢いをつけて走った。

 森が開け、弥助の眼前に現れた男達は皆鉄砲を自分に向けて構えていた。無理だ、殺される。彼等の一人に太刀を浴びせる間もなく自分は討たれるだろう。

 弥助はその場に立ち止まり、鉄砲と太刀を握りしめた両手を空に掲げた。


「おい、黒人のお侍だよ。頭、この人ですよね」

「ああ、そうだな」

 間の抜けた会話が弥助の耳に入ってくる。中央の日に焼けた赤黒い肌の髭の男が合図すると、皆銃口を空に向けた。

 雑賀城で見た男だった。確か名前は土橋重治つちばししげはる

 こっちへ来いと促され、すぐに彼等と合流した。川の上流からは追っ手の者達が迫って来る。


 土橋重治は雑賀者の男の一人から投げ渡された鉄砲を受け取るとその先頭を走る男に向けて発砲した。弾は男に当たらず近くの木を砕いた。

 轟音と木の裂ける音で一斉に彼等はその場に身を屈めて止まった。

「今のはわざとだ。次はお前達の眉間を撃ち抜くぞ」

 土橋重治がそう自信満々に言う。 

 お前達は何者だと誰何する声が聞こえてくる。

「雑賀衆、雑賀ノ庄の土橋重治だ。いきなり襲いかかろうとするとは物騒だな。どういう了見だ」


 土橋重治の言葉に男は応えず、かかれと全員に合図を送ろうとする。もう一度土橋重治が鉄砲を放ち、今度はそれが男の足元へと着弾した。

「これが最後だぞ。高野山が雑賀と争うつもりなら受けて立つぞ」

 その言葉に他の雑賀衆達も一斉に銃口を追っ手の者達に向けた。


 高野山と雑賀の戦と聞きさすがに男も怯んだようだ。何も言わず退けと合図をするとその場を去って行く。

 途端に雑賀衆が皆大声で笑い始めた。

「土橋の頭、あんた鉄砲を当てたことが一度も無いだろう。今の台詞思わず吹き出しそうになっちまったぜ」

「笑いながら言うな。わざと外したんだ。わざとだぞ」

 弥助は土橋重治に礼を述べ、燕と竹中重矩お姿が見えぬのだと彼に語った。

「やはりマズい事になっている様だな。お前達、今の奴等の後をすぐに追うぞ」


 土橋重治を先頭に雑賀衆が彼等の消えた上流へと進んで行く。弥助も遅れじと彼等の後を追った。


          *          *


 高野山はただの寺ではなく広大な寺領と武力を持つ一つの国。

 他国人の侵入には監視の目が常に光り、田畑を耕す農民はすぐに兵へと変貌する。大事なのはこの三人の誰も欠けること無く目的を遂げこの地を去ること。

 雑賀での失敗を繰り返してはならない。竹中重矩は山内へと足を踏み入れる前に燕と弥助にその事を教えるため、今日は川辺で野宿する事を選んだはずだった。


 皆の竹筒に飲み水を満たそうと川へと出た燕が不用意に近隣の者に声を掛けたのかもしれない。若い女が一人で現れた。戦で女や子供は戦利品ともみなされる。

 そして彼等は燕に襲いかかった。


 声も上げる間も無かったのだろう。様子を見に来た自分が目にしたのは三人の男達に押さえ込まれて暴れる彼女の姿だった。

 竹中重矩は躊躇せずその三人を槍で突き二人を殺し、息のあった一人を燕が大石を振り上げて止めを刺した。

 彼女は自分に縋り付いて震えたが、着衣にそれ程の乱れは無い。ただ髪を束ねていた紐が切れ、長髪が肩まで垂れている。


 しかし賊はその三人だけでは無かった。

 若い娘を襲う姿を遠目に見物していた者達もいたのだ。すぐに竹中重矩と燕の二人は十人に囲まれ、賊は更に数を増して五十人を越える人数になった。

 最初の十人は野良着姿で賊に変貌した農民かと思ったが、彼等に呼ばれて現れたのは首に紫の布を巻いた異様な統一された集団。これは高野山の兵なのか?

 燕共々竹中重矩は縄を打たれて捕えられた。

 高野山を訪れる旅の者だと訴えると、先に燕を襲ったのは高野山の者達、多少の後ろめたさはあるのか飯盛山砦へ連行し、そこで事の詮議を行うと伝えられた。


 しばらく上流へと向かい歩くと急造の船渡しらしき場所に出た。北の対岸には多くの筵旗を掲げた砦があり、その奥の小山の山上にも砦らしきものが見える。

 ただ一点、おかしなのはその船渡しを利用して運ばれていく人々の列だ。女子供に体の不自由な男達を少しづつ対岸へと渡していっている。

 その集団が何なのか見当もつかないが、増水して流れの早い紀ノ川を渡すのに苦労していて、その作業は中々進んでいないようにも見える。


 竹中重矩はこの集団を対岸へと送り出す指揮を執っているのが女である事に気付いた。首に紫の布を巻いた男達数人を連れて歩く背の高い女。

 先程の自分達の騒ぎの報告を耳にした彼女はこちらへとやって来て、興味深く自分の顔を覗き込んだ。

 彼女が自分の名を尋ねる。別に隠す必要は無い。竹中重矩と名乗った。

 女はそれ以上何も聞かず、急に興味が失せたという様な素振りで自分の前を通り過ぎていく。

 次に女は髪を垂らし俯いたままの燕の顎を掴みその頭を上げた。


 睨む様に燕が女の顔を見ていた。そこでその女に異常な程の変化が起きた。燕と目を合せた女が突然悲鳴の様な声を上げ数歩後退ったのだ。

 女の表情には驚きと恐怖とが入り交じっていた。


「そんな馬鹿な、なぜ生きている。比叡山で殺したぞ娘、確かにこの手で私が殺したはずだ」


 女が悲鳴にも似た大声で叫ぶ、その声に周囲の兵達も何事かと驚いている。

「お前、今何を言った。今何と言ったんだ」

 燕が目を見開いて女に向けて言う。

 縛られた体で強引に女へと向かおうともがく。


「重矩こいつだ。この女が妹を殺したんだ。こいつが」

 叫ぶ燕が兵達によって地面に押し倒される。地に顔を伏したまま彼女はうなり声を上げ続けた。女の方はまだ胸で大きく呼吸をしていたが、燕の発した『妹』という言葉で事情を理解した様だった。


「お前達が何者かは知らぬが、我らにとって不都合な事を知っている様だな」

 女は押さえ込まれて動けぬ燕を見下ろし、勝ち誇った様に微笑んだ。

「この者達は飯盛山砦ではなく脊山城へと連れて行く。まだ他に仲間がいないか一帯を捜索しろ」

 そう命じて甲高い声で笑いながら歩いて行った。


 自分と燕はそれぞれ別の船へと乗せられた。

 増水した紀ノ川の流れは速く、船が流されぬように両岸から縄を張り、その縄と船が繋がれている。船は乗船した数名が漕ぐのではなく繋がれた縄を人力で手繰る事で行き来する様だ。


「雑賀衆が現れて逃がしたというのか」

 そう話す女の声が聞こえた。

 弥助が逃げ延びたなら必ず我らの痕跡を追ってくる。弥助はそういう特殊な技を持っているのだ。これでまだ我らに望みはある。


 突然の出来事だった。

 二人を乗せた二隻の船がそれぞれ紀ノ川の中程にまで差し掛かった時、何かが水の中から飛び出してきて、その何かに燕は水の中へと引き込まれて消えた。

 竹中重矩にも手が伸び水中へと引き込もうとしたが、自分はそれを反射的に拒んだ。これまで集めた情報を記した帳面が水に濡れて失われる事を躊躇ったからだ。

 それでも二人の男が船に体を乗り上げ手を伸ばしてくる。兵が斬りかかり男達は血まみれのまま水中へと消えた。


 下流の方で燕を抱えた二人の男が浮き上がるのが見えた。彼等は速い流れに任せてそのまま下流へと下っていく。

「捕えよ。あの娘を捕えるのだ」

 そう女が川岸から叫び声を上げ喚き散らす。

 そう叫んでもこの船は縄に繋がれ対岸との行き来にしか使えない。この船が渡りきるまで兵達は何も出来はしないのだ。

 女がもう一度、叫び声を上げた。

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