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水色桔梗の雫 ~異伝本能寺の変~  作者: つむぎ舞
前日譚
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信長入京

 京の都は時代の流れと共に南北に市街が広がり、この頃には北側を上京と南側を下京と区分され呼ばれている。

 かといって住む人々が完全に区分されている訳では無いので、上京は正親町おおぎまち天皇を擁する禁裏を有し富貴な者達の住む町として、下京は商業区であり民衆の町として人々には大まかに認識されているという程度である。

 この丁度中間に二条御所は築かれており、織田信長おだのぶなががこれを誠仁さねひと親王に献上しその一族を住まわせたことで上京の禁裏を(上御所)、二条御所を(下御所)と呼ぶこともある。

 織田信長の滞在した本能寺、織田信忠おだのぶただが滞在した妙蓮寺はどちらも下京にあり、特殊な建物としてはキリスト教布教の拠点である南蛮寺も同地に建造されている。


 二条御所の裏門から飛び出していく二人の少女。

 年の頃は十三、四歳といった所か、丁度大人と子供の境目の様な年頃である。二人とも幼さを残す同じ顔立ちで双子である事も見て取れる。

 それを見送る御所警備の織田兵と鉄砲を携えた屈強な体つきの男。

つばめすずめ。陽が落ちる前には戻れよ」

「わかってる。いつものことじゃ」

 二人の少女は二条御所の南側を水堀に沿って走っていく。 

 二条御所の櫓の上から二人を見下ろす警備に雇われた雑賀衆の男に、燕と雀は白い歯を見せながら手を振ってみせた。

 

「かあ姉、今日は何処から回る?」

「こら雀、その名は使うなといつも言うとるじゃろう。私達の名は燕と雀じゃ」

「そうじゃった」

 そうおどけながら頭をちょんと叩く雀。


「今日は下京の東側からじゃ。昼には南蛮寺に辿り着かねばな」

 燕の言葉に雀が頷く。

 南蛮寺では一日に一回、布教活動の一環で寺内にて粥の炊き出しを配っているのだ。人数には制限があるから上手く並ばねば粥を貰えない。だからといって早く並びすぎると『でうす様』とやらの長い説法を聞かされる羽目になる。

 このあたり、この一年近く京に住む私達なりのコツというものがあるのだ。

 そして二人が訪れたのが多くの人が行き交う商業区。

 人々の溜まりを見つけてはその側で二人して腰を降ろし、話されている噂話などに聞き耳を立てる。

 そうして仕入れた話の数々を、二条御所に戻り父親に毎日報告する。


 普段は寡黙であまり言葉を発しない父様も、その時ばかりは二人の話にしっかりと耳を傾けてくれるのだ。

 特に織田家に関わる話を持って帰ると「よくやった」と言い頭を撫でて褒めてくれる。

 それが嬉しくて妹の雀と二人、織田家に関わる噂話は無いかと今日も下京の町の中を歩いて行く。

 でも雀はすぐに町の珍しい売り物や飾り物を見かけると足を止め、暫く物欲しげに眺め始める。

 外で食事を摂るために父様から渡された少額の銭には手を出さず、南蛮寺で振る舞われる粥で彼女達は腹を満たし、その少額のお金を少しずつ蓄えて雑賀衆の皆が仕事を終えて里に戻るときにその飾り等を買って帰るつもりでいるのだが、雀はその時が待ち遠しくて仕方が無いのだ。


 昼近くになったのでいつも通り南蛮寺を目指した。

「燕姉、私が一番乗りじゃ」 

 急に駆け出す雀が大通りを横切ろうとして四十近い数の大きな騎馬の一団の前に飛び出してしまった。

 慌てて雀を追いかけ固まって動けずにいる彼女の手を引き戻して騎馬の一団の為の道を空けたが、馬上の若い侍が大声を荒げて自分達に言う。


「この無礼者めが、織田信長公の通行を妨げるとは」

 そこまで言い、自分達二人の姿を見てその若い侍は眉をひそめた。

「双子とはなんと不吉な」

 若い侍が刀を抜き互いに抱き合う自分達に向けて馬を寄せてくる。

 殺される。そう思った時に横から声がした。

「捨て置けお乱」

「しかし双子ですよ。このような不吉を放置しては、信長様にいらぬ災いが及ぶやもしれませぬ」

「不吉?何を言う。このような珍しきものを見れたのじゃ、これは吉兆よ。それを血で汚すは無粋よの」

「わかりました」


 若い侍は刀を納めると、私達を無視して馬を進めた。それに続いて騎馬の一団も動き出す。

 その姿を燕は込み上げてくる感情を抑えながら、その場はただ見送った。


(あの侍、確かに織田信長と言った。あれが織田信長…、雑賀を攻め母様を殺した織田の頭領)


          *          *


 京都本能寺は寺社としては小規模ながら外周には水堀が設けられ、その内側は頑丈な土壁と土塁で囲まれている。

 南に正門、本堂の東に小門、西側は京都総構えの一面を成す巨大な土塁と壁、正門広場に僧房の他に厩舎を兼ねた宿泊施設が連なり、中央の本堂までの両側は巨木や竹林で境内の中にある森の様にも見える。

  本堂北側は織田信長の京での宿所として近年大規模な改築工事が行われ、織田信長の居館としての巨大な屋敷が建造され、その東側の主殿は石垣の上に建つ小さな天守の如き形状をしており、その周囲は庭園の流れを引き込み水堀としてあり、さながら小城郭の様にも見える。


 織田信長が四十名の小姓中間衆と本能寺に入ったのが五月二十九日の昼。招集を受けた馬廻りの者十名程が同日それに加わり寺へと入った。


 突然の織田信長入京の知らせを受けた多くの者が貢ぎ物を手に挨拶に訪れ、当日予定していた茶会は準備の都合で延期とし、その代わりに手持ちの茶器や美術品の幾つかが披露された。

 手配が間に合わなかった品はその目録のみが読み上げられ、後日の茶会の席にてそれらは改めて披露すると伝えられ、その後数日間に渡って訪れ来る公家達には宴席を設けて能などが催された。


 宴で賑わうその裏で、織田信長は博多より呼び寄せた豪商島井宗室(しまいそうしつ)神谷宗湛(かみやそうたん)等との密会を行っていた。

 毛利討伐後に九州へ向けて進める軍の渡海の手配と兵糧武具の確保及び敵情勢の聴取についてである。


 六月一日、その日に開かれた表の宴席は夜更けまで行われ、散会となると寺内にはいつも通りの静けさがだけが残った。

 就寝前に織田信忠と京都所司代の村井貞勝むらいさだかつの二人が織田信長の元へと訪ね来た。

 二人を主殿の間で迎えると、織田信長は手元にある金平糖の壺から数粒を取り出し信忠に与えた。

 織田信忠はそれを仰々しく受け取ると南蛮風の珍しい菓子を前に童の様な喜びを見せた。


「徳川家康と共に堺へ発ったのではなかったのか?」

「父上が京に来られたと聞き、家康殿の警護を兼ねて馬廻りの大半を饗応役の長谷川に付けて先に行かせました。私は明日出立して彼等と合流しますよ」


 護衛が少ないのではないかと問う織田信長に、信忠は笑いながら答えた。

「明智軍と共に参りますよ。明智の精鋭が護衛であれば申し分ないでしょう。私はそのまま父上の軍に先駆けて明智軍と共に進み毛利家とやらを見聞しておきます。

 父上の方こそ、ここ本能寺の警備が少なすぎるのではないですか?」


「武田攻めの後に馬廻りに三ヶ月の暇を出した。

 毛利攻めの決定で一ヶ月ほど早めての招集になったが、三ヶ月の刻限まではまだ十日もある。気の早い者十名程が集まったぐらいか。刺客には小姓達が常に備えておるし、野盗の類いであれば村井の手勢で十分であろう」


「では弥助やすけを父上の元に置いて行きます。森蘭丸に預けますので明日にでもお会いください」


 弥助の名を聞き声を出した。

 昨年、イエズス会のヴァリアーノが謁見の際に伴って来ていた黒人の若者をどうしてもと譲り受け『弥助やすけ』と織田信長自身が命名したしたのである。

 彼と出会ったのがここ本能寺。それから役一年を小姓達と寝食を共にさせた。

 生来のものか武の才能が一際高く、巨体で怪力なだけでなく獣の様な俊敏性には目を見張った。

 一通りの武技を仕込み数人の馬廻りと立ち合わせたが、弥助はそれらを見事に打ち倒して見せた。以来彼を護衛として伴い、武田攻めの後に信忠の馬廻りとして彼に付けたのである。


 金平糖を一つ口に含み、口の中で転がした。

「この儂と信忠、お前を葬れば織田家は窮地に陥る」

 不意に切り出した問いに、少し考えてから信忠が答える。

「今、この時がその好機という事ですね」

「だが、京を目指せる敵対勢力の軍は無い。残るのは紀州雑賀や高野山の小勢程度、それも平定されるは最早時間の問題ぞ」

「果たしてそうでしょうか。父上は安土城に天皇を迎える腹づもり。それは公家達からの反感を招きましょう」


「なる程な。天皇を冠して織田はこの日ノ本を治める。

 しかし天皇と朝廷は一体であってはならないと儂は考えておる。故にこの信長の上に朝廷は必要ない。

 織田家の新たな居城と都造りには大阪の丹羽長秀にわながひでが着手しておる。それが完成し次第安土城を天皇の居として迎え、朝廷はそのまま京に残し、古の行事や神事と実権のない政を担当させる為にのみ存続させる。

 これに反発したとて食うに事欠く公家どもが挙兵などありえぬわ」


 そう述べ一通り笑って見せ、織田信長は表情を改めた。

「儂を仕留められる者があるとすれば『禿げ頭』か」

 そして織田信長はそう一人の男を揶揄した名を口にした。


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