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水色桔梗の雫 ~異伝本能寺の変~  作者: つむぎ舞
六月十日
49/84

洞ヶ峠

 下鳥羽の陣での報告は耳を疑う内容だった。

 神戸信孝かんべのぶたか率いる四国方面軍四万の兵力は、渡海した二万の兵力を除いて六千にまで減少し、何とか軍の体裁を保っている程度だったからだ。

 犠牲となった津田信澄つだのぶすみの功であったといってもよい。

 明智光秀は淀城に夜間行軍の為の街道沿いへの篝火の準備を指示し、夜の闇の中すぐに全軍を洞ヶ峠へと進軍させた。

 大和国の筒井順慶つついじゅんけいの軍と合流し、大阪の事を見極めた後に転進して東上してくる羽柴秀吉軍に備えると諸将には通達した。


「光秀殿、あなたは神戸信孝と丹羽長秀にわながひでを前にして兵を退くと申されるのか」

 この事に津田信春つだのぶはるは明智光秀の陣幕に飛び込み異を唱えた。しかし神戸信孝を討てと申す彼の言葉を明智光秀はどうしても飲むことが出来なかった。


 柴田勝家しばたかついえに送った使者が戻ったことにより事態は変わった。

 柴田勝家は神戸信孝の烏帽子親であり、その後も彼の後見人をずっと務めてきた。その二人の関係を無視できず、神戸信孝を討つ事は柴田勝家との盟への道を閉ざす恐れがあるからだった。


「我が主津田信澄と共に戦い散った者達の事を忘れろと申されるのか」

「そうではない。一時、その感情を私に預けて下さらぬか。神戸信孝と丹羽長秀の罪は事が収まった後に公の場で必ず問うと約束しよう」


 明智光秀の動かぬという確固たる意思を感じたのか、津田信春は頭を垂れたままその場を後にした。その無念の思いは光秀の胸にも伝わってきた。


 夜明けと同時に明智軍が洞ヶ峠に姿を現すと、河内国の勢力には動きが見られた。若江三人衆と三箇頼照さんがよりてるである。


 若江三人衆筆頭の池田教正いけだのりまさは、織田家重臣であった佐久間信盛さきまのぶもりの改易に伴い若江三人衆は現在織田信長公の直轄軍となっており、どの織田家家臣の勢力の下にも属さぬという。それは明智光秀のみではなく、神戸信孝、羽柴秀吉にも付かぬという実質の中立宣言であった。

「織田信長公の早期回復を我らは願う」

 使者が最後に発した言葉に明智光秀は驚き、その情報を知り得た経緯を使者に尋ねると、神戸信孝軍の逃亡兵が領内の村を荒らし、その討伐に功のあった三人、織田家発給の手形を持ち紀州国を目指すその者達の言葉であったと使者は語ったのである。


竹中重矩たけなかしげのり殿も心憎い事をされますな」

 溝尾茂朝みぞおしげともがそう呟いた。

 使者は竹中重矩の名を出してはいない。それに彼等が紀州国へと向かったと京都所司代代行の三宅秀朝みやけひでともより明智光秀が報告を受けたのは昨夜の事である。

 なぜ知っている?

「私だけ仲間外れというのは面白くありませんので、手の者を数名送りました」

 明智光秀は呆れ顔をしながらも、その気配りに感謝した。


 次に陣を訪れたのは西の三箇城を拠点とする三箇頼照。

 彼は洗礼名サンチョを頂く程に熱心なキリシタンであり、彼の治める三箇の地はキリスト教の一大拠点でもあった。そして今回彼が明智陣営を訪れた理由も特殊だった。

 三箇頼照が明智に合力するのはその軍門に屈するのではなく、近江国でのキリスト教宣教師保護に対する礼であると述べた。

 明智秀満あけちひでみつが坂本城にて保護したキリスト教宣教師一行、しかしオルガンティーノとジョアン・フランシスの二人の司祭はキリスト教に寛容であった織田信長を明智光秀が害したと思い、明智秀満が依頼した高山重友たかやましげともへの合力依頼とは反対の書簡を彼に送ったのである。

 その書は三箇頼照の元へも届けられたが、その時の宣教師一行は現在三箇の地に滞在しており、修道士の何人かが三箇頼照に明智に保護された事実を告げたのだという。


 明智光秀は、此度の出陣は神戸信孝軍の動きを封じる為であり、決して河内国へと勢力を伸ばす意図はないと説明した。


           *          *


 筒井順慶が父の死によってわずか二歳で筒井家の家督を継いだ時、大和国には地侍を束ねる三好家の松永久秀まつながひさひでが台頭していた。

 居城筒井城を奪われるという劣勢にあってなお筒井順慶が戦い続けられたのは、豊富な資金力を持つ寺社勢力に彼が支えられたからであった。

 三好家と袂を分かった松永久秀を三好家と筒井家が連携して追い込むも、畿内に進出し始めた織田信長の勢力に松永久秀が属すると状況は一変、筒井家は再び劣勢を強いられる事になる。

 その後足利義昭あしかがよしあきと結び松永久秀が織田に反旗を翻すと、織田家は筒井順慶を味方にすべしと働きかけたのが明智光秀であった。

 これ以降明智家と筒井家の関係は深まっていく。


 天正四年には大和守護に任じられ、天正五年に再び松永久秀が織田に謀反を起こすと、その鎮圧によって長年の仇敵との戦も終息した。

 その後、石山本願寺攻めの指揮を執る為大和国から離れた佐久間信盛に変わって、筒井順慶の目付役として大和国に入ったのが明智光秀と滝川一益たきがわかずますの二人。そして大和国の平定は明智光秀主導によって行われていく。

 要領を得ない筒井順慶を指導して大規模な検地を実施するだけでなく、当時拡張中であった筒井城の作事を中断させ、地の利を活かした平城として新たに大和郡山城の普請も明智光秀の助言である。

 大和郡山城の外郭完成と大和国内の支城破却を以て明智光秀は織田信長に届け出、筒井家は正式に大和国を治める織田家の大名家ととして認められたのである。


 更に大和国内の統治を盤石にする為に、領内の不穏分子狩りが行われたが、地侍達の敵意が筒井順慶に向かぬよう、これからの処断は明智光秀自身の手によって行われたのである。

 これら一連の明智光秀の働きがなければ筒井家は未だ大和国内の一勢力に過ぎず、その事を一番理解しているのが筒井順慶自身である。

 彼は明智光秀を我が父と敬愛し、織田信長が明智家と筒井家の縁組みを命じたことも有名である。


 これらの縁を考えれば此度の明智家への筒井家の合力は当然と、誰もがそれを疑ってはいなかった。



 約定の日の陽が落ちても筒井順慶の軍勢八千は洞ヶ峠に姿を現さなかった。

 大和郡山城からは藤田行政ふじたゆきまさが帰還し、明智光秀は諸将を集めた軍議の席で大和郡山城で何があったのかを藤田行政に語らせた。


「筒井軍の先陣二千は既に大和郡山城を発ち、本隊の六千の出陣を命じるその時に筒井順慶殿の病状が悪化し倒れられたのです。

 主の意識が戻り新たな命が下るまで出陣は出来ぬと重臣一同の協議で決まり、先発した軍も呼び戻されてしまったのです」


 この筒井軍の不着に対して、近江衆は反発した。

「約定違反ではないか」

「理由をつけての参陣拒否ではないのか」

 そんな言葉が場に飛び交った。


「それは違いまする。筒井順慶殿は自ら先頭に立ち出陣すべしと乗馬に跨がったその時、突然苦しみ出されて落馬されたのだ。この藤田行政の目の前でな」


「しかし一度出した兵まで引き上げさせるとは」

「藤田、筒井順慶殿が我らの味方であるという事に間違いはないのだな」

「はい」

「では今はそれで良しとしようでhないか」

 明智光秀のその言葉に、近江衆も口を閉じた。


 次に溝尾茂朝が立ち上がり、大阪石山本願寺跡地に籠もる神戸信孝と丹羽長秀の軍の惨状が報告され、次いで河内国の若江三人衆の使者の返答、そして三箇頼照殿の合力が取り付けられた事が伝えられる。

 その場の皆が一番注目したのが羽柴秀吉の動き、特に六月二日、京都本能寺にて織田信長公と博多の商人達との会合の段取りを整えたのが彼だと知ると、羽柴秀吉こそが本当の敵ではないかという空気が漂い始めた。

 明智光秀がこれまでの実情を踏まえ新たな決断をここで下した。


「我らは洞ヶ峠の陣を払い、東上して来る羽柴秀吉に備える。羽柴秀吉との対峙は丁度この地の対岸山崎の地になるだろう。

 現在、我が家臣斉藤利三(さいとうとしみつ)と共に京極高次きょうごくたかつぐ殿と阿閉貞征あつじさだゆき殿の軍が我らに先駆け同地にある。現地での陣立ては彼の方針に従って頂きたい」


 その後行軍の順序を決め軍議は散会となった。

 三箇頼照には当面大阪の軍の北上の抑えを任せ、軍資金を積んだ荷車を一両彼に預けた。

 明智光秀は柴田勝定しばたかつさだ明智定頼あけちさだよりをその場に留め、定頼の初陣の終了を告げると彼を坂本城へと戻すようにと命じた。


「殿、軍議の席では申せませんでしたが筒井家の件、実はおかしな風向きになりまして」

 最後に残った溝尾茂朝と藤田行政の二人のうち、藤田行政がそう告げてきた。

「藤田、何があった?」

「筒井順慶殿が病に倒れるまでは確かに明智に味方すると定まっておりました。しかしその後の重臣達の協議で子息の筒井定次つついさだつぐを筆頭に羽柴秀吉に味方すべきとの声が高まったのです。私はその席にいませんでしたが、筒井家の重臣の一人がそう教えてくれました」


「藤田、筒井定次をどう見た?」

「腰の据わっておらぬ小男という印象を受けました。此度筒井家は明智にも羽柴にも付かず日和見を決め込むのではないかと思います」


「羽柴秀吉、戦であの男に劣るとは思わぬが、こういう所は先手先手を打たれておるように感じる。さすがというべきかな、そういう意味であの男は恐ろしいな」

「殿、気弱なことを。この藤田が戦場でならば自ら先頭に立ち秀吉の首を討ち取りますぞ」

「私の目が最初から羽柴秀吉を見ておれば、筒井家の件も対処出来たかも知れぬ。だが筒井家は敵に回らぬ。今はそう考えて動こうではないか」


「殿、どうにもこちらの軍の兵力増強が思わしくありませんな」

 溝尾茂朝の言う通り、順調に味方となったのは近江国の者達だけである。河内国については実質三箇頼照の手勢のみであり、それも羽柴秀吉との対峙には動員できない。

「あとは丹後国の長岡藤孝か」


 明智光秀は送り出した明智光慶あけちみつよしの事をしばし思い出した。

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