雑賀の地③
同盟か、敵対か、静観か、雑賀五組の長の意見は分かれ合議は結論に至らずは夜になっても全く進展の無いままだった。
六月八日に雑賀城へと訪れた明智光秀よりの使者への返答はまだしていない。
織田信長が明智光秀によってその息子織田信忠共々京で死んだ。明智光秀は今、空白地となっている織田領の中央に勢力を持っているが、果たしてそれが何時まで続くのか。
織田家の家臣団がこぞって明智討滅に動くことは簡単に予想できる。
雑賀が織田と敵対していくなら明智は貴重な味方となりえる。ただ、織田が雑賀を攻めた直接の原因は兄のの土橋守重が四国の長宗我部元親と結び神戸信孝に対抗しようとしたからである。
それまでは鈴木孫一の働きによって雑賀と織田との良好な関係が維持されていたのだ。
明智を切り捨て織田との関係修復に努めるべしと宮郷、中郷、南郷の長は声を揃えて言うのに対し、織田は信用ならぬと反論するのは鈴木孫一の出奔により十ヶ郷の長を務める鈴木重兼だった。
鈴木重兼は鈴木孫一の兄であり、病弱な為に表には出ず鈴木孫一の補佐として郷の運営を行ってきた人物であり、実質の十ヶ郷の長だったといってもいい。
その彼も、主殺しの明智光秀が信用できるのかとの問いには、さすがに口を閉じた。
宮郷の太田左近は土橋家と鈴木家を嫌い相変わらず合議の場に顔を出さず、代理の者を寄越してくる。
五組の合議とはいえ、長達の眼差しは自分の方へと向く。彼等は意見は言うが決定権を託されているのは自分だというのは何となく感じるものだ。
明日でそれも三日目、土橋重治は、集まった長達に明日決断を下すとして今日の合議を終わらせた。
しかし明智光秀の使者も雑賀の今のこの有様は想像していなかっただろう。雑賀に果たして戦う力はあるのか? と盟を申し込むには躊躇したかも知れない。
土橋重治が堺海上にて織田軍を打ちのめし、帰還した雑賀ノ庄は燃え尽きた廃墟だった。かつては雑賀五郷で十万人、その内の七万人の人口を数えた雑賀ノ庄には今や五千人も人は残っていない。
雑賀城には的場源四郎昌長が主将として入り、かつて雑賀鉄砲千人隊として組織された鉄砲熟練者の生き残りが中核となって織田軍の攻撃をかろうじて耐え抜いた。鷺ノ森道場の本願寺顕如も従者と共に兵や民の心を支えた。
その二人は今、自分の良き助言者となってくれている。
雑賀復興には人集めがまず第一だった。幸いなことに土橋重治帰還の噂を聞きつけて、一族の土橋平次が南から戻って来た。
幼少の頃は真面目で堅苦しい物言いをしていた彼も成長し、海の男達に揉まれて随分と砕けた感じになっているが、曲がった事が嫌いな性格はそのままで良くものを見る。
彼には今、町の治安維持と物資の分配を任せている。
合議が終わり改めて雑賀再建の話を続けるために、本願寺顕如が自分の元へとやって来た。
「土橋家が当面の食と仕事を民に世話するとの噂を聞きつけて、避難していた人々が戻ってきてはいます。しかし織田から奪った物資はすぐに底を尽く、国を養うにはその程度では不受分でございます」
「顕如様、まずはこれを見て頂きたい」
土橋重治が取り出した棒状の物体を顕如は視線を落として見つめた。
「黄金でございますな。それをどこで」
「元々これは商船や遠洋に漁に出る船の事故の補填や戦のための物資装備の調達といった非常時の為に蓄えられてきた財、これを発案したのは孫一の父だが土橋家はそれを受け継ぎ何十年と積み重ね、それは途方もない蓄えとなっている。これを使うのは今だと思う」
「それだけの黄金を織田に奪われず何処に隠しておられたのか。私が隠れた雑賀崎の洞窟にもそんな物はございませんでした」
「黄金は我らの足元に眠っておる。この雑賀城だけだなく、雑賀ノ庄にある全ての土橋家の屋敷の下にも同様のものがあるのだ。城を取り壊せば民が不安に思う。まずは焼かれた土橋の屋敷跡から黄金を掘り出すとする」
「なるほど、雑賀は良き指導者を得ました。民はそれを喜ぶでしょう」
「儂はそんな器ではない。困った時に頼れる兄貴、そのくらいが丁度良い」
「欲の無いお方ですな。いや、ならばこそ雑賀の地は蘇るのか」
廊下をドタドタと早足で歩く音が近づいてくる。無造作に戸板を開き土橋平次が入って来た。
「おう平次か、南への交易船は何隻出立できた?」
何か言おうとした平次だったが、平次はまず土橋重治の質問に答えた。
「まだ二隻がやっとだ。衣類などの生活品を買い出す船を優先するとそっちに回す銭が足りねえ」
「重治殿、交易船とは?」
「和歌浦の港から潮に乗れば四日ほどで南の明との貿易拠点へと辿り着ける。そこで仕入れた物をこっちで売れば莫大な利益になるのだ。数日もすれば堺の商人達が目を剥く品々を満載した船が港に戻る。
財はいつか尽きる。少しでもそれを生まねばならんからな」
土橋平次が土橋重治と本願寺顕如の間に身を乗り出すように入ってくる。
「兄者すげえな、それは黄金じゃないか。一体何処で手に入れたんだ?」
黄金の棒を食い入る様に見る姿に、土橋重治と本願寺顕如は顔を見合わせて笑い声を上げた。
「平次、何か用あって来たのだろう?」
「ああ、明智の密偵を捕えたがどうしてよいかわからん。だから兄者に聞きに来た」
「密偵だと、明智の使者には尋ねてみたのか?」
「見知っている者だと答えた。密偵ではなく殿の客人であったと。娘の方もおかしな事を言ったな。鷺ノ森道場側の土橋家の屋敷が自分の家だったと」
土橋平次の口から三人の情報が次々と語られる。侍と娘、肌の黒い異国人が土橋と顕如様の事を嗅ぎ回っていたという。仇を探しているというのも気になった。
平次が話した屋敷、そこは土橋重治が昔足の悪い男と二人の幼い姉妹の為に貸し与えた場所。何年も前に姿を消したその一人が帰ってきたというのか?
「平次、そいつらをすぐにここに連れてこい。それから的場殿がその辺で寝ているはずだ。すまんが起こしてきてはくれまいか」
「的場の大将は機嫌が悪いと怒鳴るんだ。こんな夜中だぞ、勘弁してくれよ」
「いいから呼んでこい」
顔を一度しかめて土橋平次は早足に立ち去って行った。
* *
真夜中、竹中重矩達は雑賀城内の粗末な小屋から引き出された。
言われるがまま燕と弥助と共に城内の坂道を登った。辿り着いたのは本丸、三人はそこで土橋重治と相対した。
本丸主殿は中央の欄間で二つの大部屋に仕切られ、畳の貼られた主室には二人の男が座していた。中央の賊の様な男が土橋重治、僧形の者が本願寺顕如なのだろう。
我らのいる板張りの部屋は二面の戸板が抜かれ外からは丸見えで、事に備えて周囲には二十人の雑賀者が配されている。
燕を中心に左右に竹中重矩と弥助が座り、まず互いの名乗りを済ませた。
土橋重治はその間ずっと燕の顔だけを見つめていた。
「回りくどいのは好かぬ。率直に聞く、何の目的があって雑賀まで来たのだ」
「本願寺教如と申す者を探しております。京の公家より本願寺顕如という方に尋ねれば行方が分かると教えられました」
「あの者は義絶した身で既に本願寺とは無関係。ただ教如と呼べばよろしい」
「お前達、教如を探して何とするのか」
「京で死んだ雑賀衆二十余名との関係を聞き出したいのです」
「雑賀者、それが一体京で何をしていたというのだ」
「公家に雇われ二条御所の警備の一部を担っておりました。それを仲介したのが教如。六月二日、雑賀衆は明智軍と戦いこの燕を一人残して全滅致しました」
「その娘は仇を探しているらしいが、京で死んだ雑賀者が明智軍に殺されたのなら教如を恨むは筋違い、狙うなら明智光秀の首だろう」
ここからは慎重に話さねばならない。
明智の使者は果たして交渉に際して謀反人明智光秀、織田の家臣明智光秀のどちらとして接したのだろう。我らの迂闊な振る舞いでその交渉を潰すことは出来ない。
「明智の使者はお前達を明智の客人と申した。明智軍と戦った生き残りがなぜそうなる」
「我らが刺客より明智光秀殿の命を救ったからです」
話をねじ曲げはしたが嘘では無い。このまま質問攻めされては先にボロが出る。
「世間では明智光秀謀反と騒がれておりますが、面白い話を私は耳にしております。京にて織田信長父子を害したのは本願寺と雑賀の手の者であったと」
土橋重治は何を唐突に馬鹿な事をと笑い出した。
「笑うな」
燕が立ち上がる。外の雑賀者が一斉に鉄砲を部屋の中へと向けた。
「父様は織田に殺された母様の復讐と、織田信長が死ねば織田と鈴木に奪われた雑賀を土橋が治め、皆家に帰れると信じて事を起こしたのだ。本願寺は私と妹を人質に取り、皆を明智軍と戦わせた」
燕が土橋重治を指差す。
「お前がその土橋、お前が父様と仲間達を京へと送り込んだのではないのか」
燕が本願寺顕如を指差す。
「本願寺は約定を破った。お前がそう指示したんだ」
「ちょっと待て、まずは座れ」
「京での生き残りは比叡山に集められ皆殺しにされた。妹の雀もそこで死んだ。お前達のどっちが味方まで殺せと命じた。どっちが私の仇だ」
竹中重矩は燕を無理矢理座らせた。
掴んだ両肩からは彼女の荒い息づかいと体に込めた力が伝わる。燕は溢れんばかりの涙を目に溜めていた。
これに対して土橋重治も本願寺顕如も今は険しい顔をしている。
長い沈黙が続いた。場の空気を変えたのは眠そうな顔で現れた男、雑賀者達は鉄砲を降ろし男に頭を下げた。
「私、的場昌長と申します。その娘さんの言葉はなかなかによく響く」
的場昌長と名乗った男は燕の前にずいと体を寄せ、燕の顔に自分の顔を近づけた。
「この城は織田軍に攻められ落城寸前であった。私も顕如様も明日には死ぬだろうと覚悟していたのだ。事前に織田信長を討つ準備があるなら我らは織田の仲間の振りをしてその時を待てば良かった。
長宗我部と盟を結ぶ必要も、鈴木孫一が土橋守重殿を殺す事態にもならなかった。雑賀の地も焼け野原にならずに済んだ」
そう言い終えると的場昌長は頭を掻いた。
「すまぬ、孫一だの守重殿といっても分からぬ事だな」
「お前達は京の事を何もしらないのか?」
「何も知らん」
「嘘をついてはいないのだな」
「この中で一番悪知恵が働くのは顕如様だ。顕如様ならば何か役立つ話をしてくれるのではないかな」
「重矩、お前はどう思う?」
「確かに彼等が私達の探す敵であれば、雑賀の地のこの有様の説明ができません」
「そう重矩が言うならそうなのだろう。お前達の事は私の勘違いだった。許せ」
ここまで来たら事を正直に話そうと竹中重矩は決断した。
「織田信長は安土城にいます。明智光秀殿が京にて襲撃軍より救出したのです」
自分の言葉に土橋重治と本願寺顕如、的場昌長の三人が顔を見合わせる。竹中重矩は自分の知る事件の詳細を彼等に伝えて聞かせた。
但し、負傷した織田信長の容体だけは語るのを伏せた。
この言葉に最初に答えたのは本願寺顕如であった。
「京で織田信長を襲撃した軍についてですが、それが本願寺一向宗の者達に見えた事、教如がその一件に関係しているのであれば私に心当たりがございます」
「顕如様、儂もその話に興味がある。ここで語ってもらえるか」
土橋重治の言葉に顕如が頷いた。
「織田との和議を結び石山本願寺より退去した軍兵は三つのみ。
一つは四国へと渡海しましたが長宗我部の手により滅亡。二つ目は私と共に雑賀の地へと逃れた者達。彼等は皆武器を捨て雑賀の各地や本願寺勢力圏の町などに民として戻りました。
そして三つ目が教如に率いられ高野山へと入った者達です」
「つまり教如は高野山にいると申すのですね」
「教如は既に高野山を去っています。その後の消息は私の情報網でも掴めぬまま、あなた方が彼を探し出すことは難しいでしょう。ですから高野山に入った軍兵を追うのがよろしいと思います」
話の終わりを感じて土橋重治が口を開いた。
「お前達は解放することにする。その娘の仇とやらを探すことはどうやら本願寺や雑賀の無実を証明する事に繋がるみたいだからな。差し当たっては明智の使者に我らの無実を伝えて貰わねばならない。顕如様も的場殿もそれで異存はあるまい」
「分かりました。この竹中重矩が明智の使者への説明を引き受けましょう」
立ち上がり去ろうとした燕に土橋重治が聞き慣れぬ名を呼び声を掛けた。かあとほそう呼びかけたと思う。
燕は振り返ったが何も答えず、土橋重治の方もすぐに行けと彼女に合図した。
竹中重矩は燕と弥助に先に戻って休むようにと伝えた。
別室で明智の使者との話を終えた竹中重矩が、燕と弥助の元へと戻ろうと雑賀城内を歩み出したが、本丸主殿の部屋の明かりはまだ灯されたままだった。
* *
細長い鉄砲を水平に構えて見せ、土橋重治はそれを的場昌長に手渡した。
昔から鉄砲の扱いがとにかく苦手だった。これまで的を狙って当てた事など一度も無い。弾を撃ち出す時のあの轟音、あれを間近で聞くと玉が縮む思いがする。
人は笑うが嫌いなものは嫌いなのだ。
的場昌長は鉄砲のからくりを点検すると、火薬入れや道具箱にも目をやり、作られた鉄砲玉を手に平の上で転がしてその出来を確かめた。
「よく手入れされている。相当に仕込まれていますな」
的場昌長がそう評するのは珍しい。
かつて彼が率いた鉄砲千人隊の兵でもそう言われたのは数名で、その彼が武器も道具の扱いも一級と認めたのである。つまりあの燕という娘は相当の鉄砲熟練者という事になる。
「あの娘の事だが、的場殿はどう思う?」
「間違いないでしょう。私にも彼女の面影がはっきりと見えていました」
「燕という名に聞き覚えは無いが、やはりそうなのだな」
「あの娘は重治殿に気付いただろうか?」
「覚えておらぬだろうよ。昔一度だけ手を引いて歩いた事があるだけだ。それにあの頃とは儂の風貌も随分と違う」
的場昌長は自分の役目は終わりと感じたのか、一礼して主殿を後にした。
土橋重治は自身の腕に残る刀傷に目をやり、思い出した恥ずかしさに顔をしかめた。燕の荷物にあった欠けて色あせた小さな木櫛を手に取って見つめ、楽しかった昔に想いを馳せる。
しかしそれは同時に土橋重治の苦い思い出も思い起こさせる。
この櫛は自分と孫一とがあの人と交した誓いの証。何年も経った今、これを手にする事になるとは思いもしなかった。
湧き上がる苦い想い。
孫一と二人であの人と交した雑賀を守るという誓いを二度も裏切った心の中の重荷。一度目は雑賀の内紛、鈴木孫一の三郷攻めとそれに続く兄守重と鈴木孫一との確執を止められなかった自分の弱さ、二度目は織田の再侵攻に際して為す術無く雑賀の地を捨てて逃げ出さねばならなかった負い目の気持ち。
顕如様も的場殿も仕方なかったとそう申してはくれた。
それでも自分の口がそう語るのを土橋重治は許せなかった。
欠けた思い出の木櫛に許してくれと語りかけても何も返っては来ない。
土橋重治の閉じた目蓋に振り返った燕の姿が蘇る。
顔を上げた先にそれは幻の様に浮かび、そしてあの人の姿と重なった。
蛍火。土橋重治は手を伸ばした。
彼女は少し恥ずかしそうに微笑んでいた。
土橋重治、鈴木孫一、燕の母である蛍火。この三人の物語は刊行されています『雑賀乱る~反骨の兵達~』を読んで頂けるとより理解が深まると思います。
元々雑賀三部作という形で書き始めた小説。
第一部『雑賀乱る』は刊行に至りましたが、その後が続かずこちらで第二部となる『水色桔梗の雫』を発表させて頂きました。
『雑賀乱る』の読者感想で、「ここで終わるの?」の声が多かったのもその小説が三部作の一つであったからです。
この『水色桔梗の雫』はあくまで明智家をメインで、雑賀はサイドストーリーですが、一部と三部を繋ぐ話となるので、あえて二部としております。
第三部『八咫烏の咆哮』は襲いかかる秀吉の軍勢相手に土橋重治と鈴木孫一が戦う前半と、土橋と鈴木が消えた雑賀最後の雄、太田左近が秀吉に牙を剥くという二部構成の話ですが、今の所発表予定はありません。
そもそも『なろう』で歴史小説書いて読んでもらえるのか? という感じでしたので試しに『烈華~乱世を駆けた鬼姫~』を投稿してみたのですが、それなりの数の方が読んで下さっていたので、『水色桔梗の雫』をこちらで発表することに致しました。
まあ、素人小説家の作品です。あまり期待しないで三部作の完遂を願っていて下さい。




