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水色桔梗の雫 ~異伝本能寺の変~  作者: つむぎ舞
六月十日
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雑賀の地②

 雑賀ノ庄の紀ノ川南岸には、織田から奪ったという物資兵糧が山積みされている。

 人の行き来も盛んで活気に溢れるその町の姿も、一度南に目を向ければ目を覆いたくなるような惨状が広がっている。

 織田軍に占領されていた雑賀ノ庄は、紀ノ川に面する一帯以外は大なり小なり破壊の跡を残していた。破壊は南に向かうほどに酷くなり、雑賀ノ庄の南半分、つまり雑賀城の城下町といえる地域は城を包囲していた織田軍によって跡形無く焼き払われていた。


 目的地であった本願寺鷺ノ森道場は破壊された中津城後の西にあったが、今は閉鎖されて無人であった。本願寺顕如ほんがんじけんにょは従者を連れて雑賀城へと入り織田軍に対して抵抗を続け、織田軍が退いた後も未だ衆目の前には姿を現していないという。

 おそらく数日前に水軍を率いて帰還したという土橋重治つちばししげはると共に城内にて雑賀再建の為の話し合いが今も行われているのだろう。

 

 本願寺顕如と会うという目的はそこで手詰まりとなった。

 顕如に会うには敵の拠点かも知れぬ雑賀城へと赴く以外に方法が無いからだ。


 これから如何にすべきか思案する竹中重矩たけなかしげのり弥助やすけつばめの三人は、燕に案内された一軒の空家に身を置いていた。そこは鷺ノ森道場に近い町中にある。

 ただ気になったのは、この家がそれなりの大きな屋敷だという事だ。

 燕は短い間だったが、家族と五年前に住んでいたのだという。

 燕の家は元は隣郷の宮郷の百姓で、彼女の母親が織田軍と戦った事で、織田に与した宮郷内では裏切り者と呼ばれて逃げるようにこの地に移り住んだのだという。

 燕達がこの屋敷を出て三年は経つらしいが、彼女達が居なくなった後この屋敷に住んだ者は居ないのだろう。時が止まったかのように家具や小物などはそのままの物が残されていると彼女は言う。

 ただ、屋敷の中や庭の状態を見るに、織田の侵攻以前までこの屋敷はきちんと誰かの手で手入れされてきた形跡がある。


 この雑賀の地であれば織田信長を襲撃した一軍を養い続ける事は十分に可能である。二年前の雑賀はすでに織田に屈しており、雑賀の安堵を条件に鈴木孫一は織田信長に合力を申し出ていた。

 それにも関わらず、織田信長を排す事を数年にも渡って準備してきたというのか? それとも鈴木家と対立関係にあったという土橋家が独自に動いていたというのだろうか。

 結果として雑賀は再び織田に攻められ、六月二日の京での襲撃によって落城寸前であった雑賀城は窮地を脱した。

 雑賀の地への織田による再侵攻を予測して事前に手を打っていた? どうにもしっくりと来ない。


「私の話はつまらないか?」

 部屋の隅で昔話を語り続けていた燕がそう言葉にした。彼女の話に対して途中から上の空だったのに気付かれた。


「ここで敵が嫌がる事をしてやればいい。織田信長は生きていると雑賀の民に事実を教えるのはどうだ? 私が京での生き残りだと知れば口封じに何者かが来るかもしれない。そいつを捕まえればいいだけだ」


 燕の言う事は効果的かも知れない。

 だがそれは我らを襲い来る者達を倒す万全の準備があってこその事、迂闊な行動は敵に辿り着く前に三人共が討ち果たされる可能性の方が高い。

 燕の言葉に返答しない自分に苛立ったのか、彼女は声を荒げた。

「こんな所に閉じこもっていても何もわからない」


「そうですね。もう一度外を回ってきましょう。少しでも情報が欲しい」

 燕は自分の顔を見て急に表情を和らげて笑った。

 険しい顔をしていた自分を少しでも励まそうと昔話を聞かせてくれていたのかもしれない。

「町へ出てくる。弥助、留守を頼むぞ」

 燕の言葉に弥助は自分も一緒にと声を上げた。警戒されないとはいってもやはり目立つのは避けたい。それに我らを付けていたあの一団に発見される恐れもある。

 燕が自分の持つ鉄砲を弥助に差し出した。

 ここに置き去りにするのではなく、そして必ず戻って来るという彼女なりの意思表示なのだろう。それで弥助は納得した。


 陽も暮れて夜になっても紀ノ川河口付近の人の行き来は絶えなかった。人の溜まりの側で噂話に耳を傾けていると思わぬ情報を手に入れる事が出来た。


 京からあの織田信長を討ち果した明智光秀の使者が来ており、その協議の為に雑賀五組の長が雑賀城へと召集されているという。

 明智光秀は雑賀を救ってくれた大恩人ではあるが、天下の大罪人としての風評も強く、織田信長が倒れても織田が滅びたわけではなく、その協議も進展していないのだという。


「重矩、あけちは雑賀と手を結ぶのか?」

「今京の方で何が起こっているのかは分かりませんが、明智光秀殿は雑賀は敵では無いと判断されたのかも知れません」

「ここに敵がいないなら、一体何処に妹の仇はいるというのだ」

「事の真相と、国と国との関係は別物であると思います。我らはただ事実を掴めば良いのです。燕は雑賀が織田の敵であった方が良いと考えていますか?」

「それは」

 竹中重矩の言葉に燕はこの地に来て抱いた胸の内を自分に語ってくれた。


「土橋が雑賀の民を救うためにやっている事は良いことだと思う。でもそんな者が味方までを口封じの為に殺せという冷酷な命令を下したのだろうか?」

「我らがまず辿らねばならぬのは土橋では無く教如という人です。その先に土橋があるのかは今は分かりません」

「妹の仇が土橋でなければいいな」

 そう彼女は小さく呟いた。


「明智の使者が来ているならば、城から出て来た所でその使者に接触を試みるのが今は最良の手のように思えます。それで城内の様子が聞き出せるかもしれません」

「そうだな重矩、今すぐ城の側まで行って明智の使者を見張ろう」

「話では会談は長引いている様子。とりあえず今夜ぐらいは体を休める時間はありそうです」

「では明日だな」


 屋敷へと戻り、弥助を交えて三人で手持ちの飯を食った。

 出会った頃と違い、弥助も随分自分に口を開くようになった。

 今夜は弥助が自分の生まれた国の話をしてくれている。特にそこに生きる動物たちの話は何とも面白く興味深く、その姿を弥助が体を使って表現する姿に燕も自分も腹の底から笑い声が出た。

 

 弥助のこんなおどけた姿を竹中重矩が見るのは初めての事だった。

 年齢は自分より下だという事は察しがつくが、その顔立ちや体つきとは不似合いなほどの澄んだ瞳は少年そのものだった。

 もし燕と弥助の二人だけでこの旅をしていたら。

 そう考えると天を仰ぎそうになる。安土城で明智光秀が是非にと自分に懇願した気持ちが今ならばよく分かる。

 自分がこの二人の為に成せる事は多い。もっとしっかりとせねば。


 皆が声を止めた。何かがいる。

 最初に反応したのは弥助だった。竹中重矩が部屋の明かりを吹き消す。燕はすぐに部屋の隅に身を隠した。

 合図を送り、弥助と二人で武器を手に庭へと出た。辺りに火縄の匂いが満ちていた。

「抵抗はするな」

 その声と共に鉄砲を構えた人影が一斉に壁の上で立ち上がる。その中の一人が合図を送ると明かりを持った武装した一団が屋敷の中へと雪崩れ込んでくる。

 男達は自分と弥助の二人を取り囲んだ。


 弥助の力があれば倒せぬ人数ではない。相手に鉄砲がなければの話である。

 壁の上から一人の男が降りてきた。燕は部屋の隅で息を潜めておそらくはその男に狙いを定めている。男はその暗がりに目をやると、ふんと鼻で笑ってみせる。


「やはりお前達か、黒い異国人が一緒と聞いてもしやとは思ったがな」

「私達に何の用があるのか」


「それを聞きたいのはこっちの方だ。

 この屋敷は土橋家の持ち物。そこへ怪しげな者達が出入りしていると届け出があった。聞けば土橋や顕如様の事を嗅ぎ回っているという。異国人を連れているからまんまと騙されたが、お前達はどこかの密偵か?」

 

「ここは私の家だ。お前達こそ、そこへ押し入って来るとは盗賊ではないか」

 燕が部屋から出て来てしまった。すぐに彼女は男達に取り押さえられた。

 彼女を押えられるとこちらは身動き出来ない。竹中重矩と弥助は手に持った武器を地面に置いた。

 男は部屋の中に入ると自分達の荷物を物色しながら話しかけてくる。


「俺は土橋平次。ここ雑賀ノ庄を治める土橋家の人間だ。もう一度言うがこの屋敷は土橋家の持ち物。この娘の家ではない」

 

 土橋平次は竹中重矩の帳面に目をやったが、そこには人の名が記されているだけで他人がそれを見るだけでは何の事だか分からないはずだ。それを繋ぐ言葉は全て自分の頭の中にある。

 帳面に記してあるのはその記憶を呼び起こすための文字に過ぎない。

 案の定彼は帳面をすぐにしまい込み、他の物色を続ける。次に彼が目を止めたのは燕の持つ小ぶりな刀。


「娘、お前は京から来たと行ったな。それにこの刀の紋には見覚えがある。お前達は明智の密偵か?」

「密偵ではない。私は妹の仇を探しているだけだ」 


「その仇が土橋や顕如様であれば見過ごすことは出来ぬ。しかし今、我らと明智は盟約を結ぶかどうかの微妙な関係にある。ともかく兄者の判断を仰ぐことにする。お前達の柄物や荷物はこちらで預かるぞ」


 竹中重矩、弥助、燕の三人はそのまま屋敷の外へと連れ出されて用意された荷馬車の荷台に載せられた。武器は取り上げられたが縄を打たれたわけではない。

 今は明智の使者に配慮しての事だろう。交渉が決裂すればその時は命を奪われる事になるかもしれない。

 

 闇の中、松明を掲げる数騎のを先頭に三人を乗せた荷馬車とその後に続く鉄砲組の小隊の列は、焦土となった町並みの中を雑賀城へと向け早足で進んで行った。

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