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水色桔梗の雫 ~異伝本能寺の変~  作者: つむぎ舞
六月十日
46/84

雑賀の地①

 時が無いという気持ちの焦りが強行軍という形で二人に無理をさせてしまっていた。疲れ切ったつばめは馬上で弥助やすけの懐に抱かれながら眠っている。

 若江三人衆の多羅尾綱知たらおつなともの助言に従い、彼等と別れた後は本願寺勢力下にある途中の大きな宿を全て迂回し、織田勢力圏である岸和田城下の町場の伝馬待機所で一度だけ馬に休息を与えた。


 海に面する岸和田の城の様子はここからでは覗えなかったが、織田の兵達は何かに怯えるかのように城と付近の砦に籠もっているかの様だった。

 その理由はすぐに分かった。

 南の貝塚の寺内町が、織田に裏切られた鈴木孫一と手を結び報復に立ち上がるのではとそう町場の民が噂していたのだ。

 岸和田の織田軍はそれを警戒していたのだろう。


 海岸沿いを南下し、紀州国へと入る一番の難所と思われていた孝子峠の道は、思いの他簡単に通過することができた。

 織田の兵糧輸送の為の荷駄が通りやすく出来る様、道の拡張が随所で行われた形跡があり、荷車が通れる道を馬で踏破するのにそれ程の時を要さなかったからだ。

 つい先日まで織田軍は雑賀の地の殆どを占領していたという。織田兵の姿は既に無いが、その名残は峠越えの道中のあちこちで見る事が出来た。


 何度か後ろを振り返っていた弥助が乗馬を止めた。

 馬に乗った五人程の集団が後ろから付けてくると言うのだ。弥助の目は遙か遠くを見通せる。弥助の言葉が事実か確かめるために、自分にもその姿が見えるまで、竹中重矩たけなかしげのりはその場に止まった。

 遠いが確かに騎乗した商人の様な風体をした一団がこちらに向かっているのが見えた。彼等もこちらに気付いたようで、そのまま馬首を返して引き返していく。


 一体何者であろうか、竹中重矩は弥助と共に先を急いだ。

 孝子峠の頂を越えると、雑賀の姿が一望できる。雑賀側の道は十分に整備されていて、道幅も広く緩やかで馬の進む速度も格段に上がった。

 目を覚ました燕が指差し、目の前の地域が十ヶ郷、紀ノ川の向こう側が雑賀ノ庄と呼ばれる場所だと教えてくれ、すぐ西には鈴木孫一の中野城があると言われたが、そこは焼け落ち無残な廃墟になっていた。

 十ヶ郷に入ると街道沿いの町や村は全て焼かれていた。

 生まれ育った地を見て少しはしゃいでいた燕の表情が曇り、口からは言葉が消えた。


 空は晴れているが道は雨でぬかるみ、乗馬が水溜まりの水を勢いよく跳ねる。雨が燃えていた町の火を消し止めたのかも知れない。

 織田軍による破壊の跡は生々しく残されているが、それでも行き来する雑賀の人々の顔には活気がある。焼けた家の残骸を取り除いて新たな木材を運び込み、家々を再建しようとしているのだ。

 汗を拭いながら働く人々の顔には笑顔もあった。


 燕もそんな人々の姿を見ているうちに元気を取り戻した様だった。

 道すがら本願寺鷺ノ森道場の場所を尋ねると、紀ノ川を渡った南にそれはあると教えられた。まずはそこへと向かうこと、竹中重矩、弥助、燕の三人は紀ノ川の河口を目指した。


 それ程の時をかけずに辿り着いた紀ノ川河口は、雨が降り続いた後で増水していた。その流れの中を帆を張った大型船が次々に海へと出て行くのが見える。

 河口付近の町や港は健在で、この辺りは織田軍の被害からは免れた様である。


 竹中重矩達三人の辿り着いた場所、そここそが織田家に協力することで破壊を免れた湊水軍の本拠地であった。

 今そこは、堺海上から雑賀へと帰還した数多くの船が積み荷を降ろし、雑賀復興に必要な資材を求めて日ノ本各地へと船が旅立っていく拠点となっている。


 対岸への船渡しは増水により一時閉鎖、船を使わず紀ノ川を渡るとなると、更に上流へと進んで田井ノ瀬と呼ばれる大きな中州のある場所まで出なければならないらしい。

 ただ、この増水では行った所で川を渡れる確証は無いと地元民にも告げられた。

 陽も随分と傾いてきた。今日はここまでと判断し、竹中重矩は馬借のある宿を探すため、弥助と燕をしばし河口に残し、一人二頭の馬を引いて町中へと入っていった。


          *          *


 港に立てられた高札に人が集まり騒いでいた。

 その側には味噌や漬物の入った大きな樽が並べられ、その後ろでは船から降ろされた米俵が次々と積み上げられていく。

 燕は弥助を残して高札の側まで来てみたが、そこに書いてある字が読めない。集まった人々の誰かが声に出して読んでくれないかとも期待したが、そううまくはいかない。


 しばらくして大きな船から背に旗指物を背負った派手な出で立ちの若者が数人の男達を引き連れてやって来た。男は高札の横に台を置いてその上に登ると集まった人々の前で口上を述べた。


「皆の衆、これから話す俺の言葉をよく聞けよ。

 俺達は堺の海であの織田の水軍を打ち破り雑賀の地へと帰ってきた。織田を破ったのは土橋重治つちばししげはる様じゃ。その土橋重治様と皆が尊敬する本願寺顕如ほんがんじけんにょ様のお二方が決められた事を皆に伝えるぞ」


 本願寺顕如、私達が探している人だ。それと土橋というのは父様と関わりのあった人だろう。燕はそのまま男の声に耳を傾ける。


「当面の間、土橋家が雑賀の地を去らずに残った皆が生きて行くだけの食が口に入るようにしてくれるそうだ。仕事を無くした者、家族を養えない者はまずここに来て名前を書け。差し当たっては織田から奪ったこの戦利品の糧食を分配してやる」


 集まった群衆から大きなどよめきがあがり、我先にと男の元へと殺到しようとした。男がそれを大声で止めると再び皆口を閉じて男の声に耳を傾けた。


「明日、土橋家の役人がここへ送られてくる。その役人達が仕事も皆に振り分けてくれるだろう。お前達は今から帰ってこの事を多くの者達に触れ回って欲しい。

 但し、これはすぐに困っている者達だけだ。誰であろうと不正を見つければその場で首を刎ねる。今苦しんでいる者からまずは救うのだ。それを心して欲しい」


 言い終わると集まった人々に食料が配られ始める。土橋様と連呼する声が周囲に満ちていく。


 道中で焼かれた村に侍が命じたこと。竹中重矩はそれを異例の温情だと言った。

 土橋重治、本願寺顕如の二人がこの地で行っている事は、それに比べて何倍も素晴らしい事では無いのか? その二人が私の敵だとしたら、二人を撃つことはこの雑賀の地の人々を苦しめる事になるのではないだろうか?


 私の姿を見つけ、こちらに歩いて来る弥助の姿があった。しかし人々はその姿に驚くでもなく無関心である。それは不思議な光景の様にも見えた。

 向こう岸へ渡る手段はないかと二人で大きな船の側をうろついていると、突然大声で声を掛けられた。


「異国の人、言葉は分かるかい?」

 振り返るとそこにいたのは、先程の派手な出で立ちの男。

「お前は異国人を見ても驚かないのだな」

「雑賀の地には異国の船も訪れるからな。異国人は珍しくはない。だが肌の黒い異国人は珍しいな。ところで、その異国の人が船に用があるのではないのか?」


 確かに異国人が船の側をうろついていれば、そう思われても仕方ない。

「船に用があるのは私達だ。私は対岸の自分の家であった場所に戻りたい」

「家か、お前は雑賀人なのか?」

「雑賀で生まれ育った。しばらく京で暮らしたけれど、ようやくここまで辿り着いたんだ」


「京とはまた、遠くから来たものだな。

 織田の侵攻でこの地から逃げ出した者が大勢いる。この雑賀の地を復興させるには多くの人の助けが必要になる。今、雑賀に戻ろうとする者は誰であれ大歓迎だ。

 俺達はこの荷を降ろしたら向こう岸へと戻る。その時ならこの船に乗せてやってもいい。連れがいるのなら今のうちに連れてこい」


「本当か、本当だな」

「ここへ来て誰かに尋ねられたら土橋平次つちばしへいじの名を出せばいい」

「わかった」


 土橋平次を名乗った男はそう告げると、船の上から多くの者にサボるなと怒鳴られて慌てて船の中へと戻って行った。


 土橋、あの男も土橋なのか。でもこの船の水夫達にさえ叱られていてとても偉そうには見えない。土橋の家に属する一人というだけかもしれない。

 ともかくその男のおかげで船には乗れそうだ。


 数刻後、燕、弥助、竹中重矩の三人は紀ノ川を渡る大型船の上にいた。

 土橋平次と名乗った男の姿は無かったが、船の頭には話を通してくれていて船には無料で乗ることが出来た。

 いい加減な感じの男だったが、約束は守る男なのだ。次に会えたら礼を言おうと思う。


 曇り空に夕陽の赤が混ざったお世辞にも美しいとは言えない空の景色が流れていく。それは今の自分の心の様でもあった。


「全く、どうすればこういう事になるのか。ともかく燕、お手柄です」

 風を顔に受けながら竹中重矩が困惑と笑顔の混ざり合った表情で自分に言う。

 得意げな顔をして笑って見せたが、心は重い。


 こんな形で雑賀に戻るとは思っていなかった。常世国、この鉄砲で土橋を撃つ事になるのだろうか。その時私は決断出来るのだろうか。

 弥助は私の決めた事に何も言わずに従ってくれる。私の行いが正しいか間違っているかは関係ない。それは私が自分で決めねばならない。


 でも竹中重矩であれば、私が迷った時どうすれば良いか導いてくれるかもしれない。そう思っている弱い自分がここにいる。

 彼に頼ってはいけないのかもしれない。竹中重矩は手柄のために私達と一緒にいるのだから。

 でも、


 燕は竹中重矩の着物の袖を掴んでぐっと力を込めた。

 一瞬、竹中重矩が自分の顔を見たが、すぐに彼は気にせず紀ノ川の景色へと視線を戻す。


 三人を乗せた船が静かに方向を変え、進んでいく。

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