周辺情勢六月九日(羽柴秀吉2)
羽柴秀吉は二万の軍勢を率いて摂津国へと入った。
摂津国の各地の町や村では荷車を引き山中に逃げようとする民の姿があった。
明智光秀謀反と騒がれる中での羽柴軍のこの進軍が、少なからず摂津国の民に動揺を与えたという事だろう。
摂津国を治める三人、池田恒興、中川清秀、高山重友がそのどちらの勢力に付くのかを未だ公にしていなかったからである。
羽柴秀吉は播磨国と摂津国の国境に近い明石に陣を張り、摂津国の混乱の有様を見ながら家臣達には嘆いて見せたが、実の所内心では両手を挙げて喝采を送っていた。
摂津国とはこの程度のものか。
この地には二人の注意すべき男がいる。これまではそう思っていた。
一人目は花隈城に拠点を置く池田恒興。
彼は幼少の頃より織田信長公と共に育った間柄。彼が織田家に臣として仕えた年数に比べて小身なのは、生真面目すぎる一面が一軍の将としては足りぬと織田信長公に判断された為と自分は見ているが、その反面、彼は織田信長公からの絶対的な信頼という秀吉が求めて得難いものをその出自によって既に手にしていた。
西国平定に於いて彼は、織田家全軍の軍需物資を備蓄した一大兵站庫の管理という大役を担っている。織田信長公の彼への信頼の大きさが、この戦で形として表れたのだ。
西国平定を成した後、その後方支援の大功を理由に、織田信長公は何れかの領地を池田恒興に与えようとしていた動きがあった。
二人目は茨木城を拠点とする中川清秀。
粗野で性格そのものが山賊の様なこの男は、天から舞い降りた幸運を手にしていた。摂津国の前領主にして織田家の重鎮荒木村重の突然の謀反である。
もともとこの謀反は中川清秀が石山本願寺に兵糧を横流ししたという嫌疑が発端で起こったと言われている。
荒木村重討伐に際し、彼の茨木城の立地は摂津国内の勢力分断に極めて重要であった。織田信長公は中川家との縁組みを交すことで摂津国平定の時間短縮を図り、この事により中川清秀は織田家の縁戚となった。
いずれこの二人はこの羽柴秀吉を苦労する事も無く抜き去り織田政権の中枢へと上り詰めていくのか、そんな事を考えていた。
しかし明智光秀の手によって西国平定は頓挫し、池田恒興や中川清秀の栄達も先送りとなったのである。そう考えればこの状況はなんと痛快な事であろうか。
池田恒興が謀反人明智光秀と共闘するはずは無かったが、中川清秀と高山重友は連携している。中川清秀が明智光秀に付けば高山重友も敵方に回る。
それを阻止するために、中川清秀には再三に渡って織田信長公は京より逃げ延びたという嘘の内容の手紙を三度も彼の元へと送ったのだ。
それほど摂津国には心を砕いてきたのだが、いざここまで来てみると、その必要はなかったのではないかと思えてくる。
羽柴秀吉の明石着陣に遅れて、数日前に送り出した堀秀政がようやく摂津国の三人を伴って陣中へと姿を現した。
堀秀政は摂津衆説得の為に時間を要したと申すが、彼がここ数日何をしていたのかは大体想像がつく。
この儂を毛利軍の抑えとして残し、神戸信孝と丹羽長秀の軍を主力とした明智光秀討伐軍を編成しようとしていたに違いないのだ。
織田信長公の側近として織田政権の中心に属した彼の目から見れば、羽柴秀吉など格下の将、好き嫌いで言えば嫌いと言われて当然だからだ。
しかし神戸信孝と丹羽長秀の軍は現在悲惨な状況にある。それを知り渋々自分の元へと戻って来た。そんな所だろう。
織田信長公お気に入りを盾に権威を振るってきた彼に既に力は無いが、その事実を彼はまだ受け入れられてもいまい。
ともかく今の儂には池田恒興の管理する兵站庫の膨大な物資と堀秀政の優れた武将としての力量の二つが必要。
ここは彼等を引き立てうまく利用していくしかない。
羽柴秀吉は堀秀政、池田恒興、中川清秀、高山重友の四人を前に、まずは独断で毛利家の和議を結び反転して来た事への謝罪の言葉を述べた。
「明智光秀が謀反を起こしたとはいえ、羽柴秀吉殿の行為は明らかな軍令違反となります。その事は心しておかれよ」
堀秀政が羽柴秀吉を律する言葉を述べる。
やはり思った通りだ。堀秀政は自分の今の立場を理解しておらぬ。
羽柴秀吉は続いて自軍の状況を彼等に説明した。
姫路城にはすでに羽柴秀長の率いる二万が控えており、その後続として宇喜多と毛利の軍が続き、総兵力は七万に近いものになるだろうとも誇張して聞かせた。
毛利軍の参戦についてはこの機会に織田家に恩を売るためだろうと説明すると彼等もその事には納得してみせた。
これに加えて羽柴秀吉は本願寺教如との会談の件も彼等に伝えたのである。
「羽柴秀吉殿は毛利家だけでなく、本願寺まで味方につけたのか」
中川清秀が声に出した。
だがついこの間まで敵であった二つの勢力と結ぶとは、そう訝しむ堀秀政と池田恒興に対して、羽柴秀吉は強く言い放つ。
「一言申し上げる。儂が気に入らねば今ここでそう申せば良い。ここ明石の二万の兵、これを堀殿に預けて儂は姫路城へと戻っても構わぬのだ。
この戦は羽柴秀吉の戦ではない。我ら織田家の家臣が一丸となって当たる織田信長公の弔い合戦なのだという事をお二方はお忘れではないのか?」
羽柴秀吉がここを去れば、後続の二万、そして宇喜多と毛利軍の助力、本願寺の協力の全てを失う。それに堀秀政に武将としての力はあっても彼は領地も持たぬ根無し草、二万もの兵を養う術を持っていない。いや、兵站庫の物資を用いれば養うことは出来るが、功を上げた兵士に報いる恩賞を与える力を彼は持たない。そういう弱みをついての羽柴秀吉の言葉であった。
「羽柴様の言う通りにございます。我らは今、明智光秀を倒す事が何よりも大事。味方同士を貶め言い争うなど光秀めを喜ばすだけでしょう」
高山重友が口を開くと堀秀政も池田恒興も態度を改め、場は一転明智光秀討伐の話題へと変わった。
池田恒興は明智軍の兵力を四万弱と想定。
その内訳は明智光秀一万六千、長岡藤孝六千、筒井順慶八千、近江衆は概ね四千との見積もりを立てた。
これに対して羽柴秀吉の語った軍容が事実ならば味方は摂津衆の兵力を加えて八万に達する。明智軍の二倍の兵力となる。
ただやはり、毛利軍と宇喜多軍はこの戦いを静観するのではないかという意見が多く、そうなると実質互角の戦力と見るのが妥当であろうとの結論に至った。
「では摂津衆の皆様の兵は池田恒興殿二千、中川清秀殿一千、高山重友殿一千という事でございますな。池恒興殿は四千を出せると思っておりましたが、やはり兵站庫の警備に兵を割かねばなりませぬか」
羽柴秀吉がわざとらしく掘秀政に視線を向けると、彼は視線を落とした。
堀秀政はこの場に従者として親族の者数名を従えているだけであり、実質は身一つでの参陣。つまりはこの会合の場にさえ立ち入れぬ一兵卒といってもいい。
今ようやく彼はその事に気付いたのだろう。
この中で最も一軍を率いる武将としての力量を持つ堀秀政が、一番力を持っていないのだ。これで堀秀政の儂への高圧的な態度も改まるだろう。
直接それを言えば嫌味になる。彼の力は我が陣営には必要なのだ。
「長岡藤孝の軍はおそらく明智光秀の軍に加わってはおらぬ」
羽柴秀吉の一言にその場の皆は再び驚きの表情を見せた。
「さすがに明智光秀、丹波国につけ入る隙は無かったが、丹後国の長岡家にはすでに手を打ってある。丹波国の旧勢力一色家に長岡家の監視を依頼し、もし何かあれば動きを封じる様にと伝えてあった。一色家も丹後国での復権の好機と必ず動いていると儂はみておる」
「では丹後国は今、国を割って争っている最中というのですな。明智光秀に合力する余裕は無いと」
「更に加えて大和の筒井順慶の元へも遅ればせながら彼の息子宛に明智に同調せぬようにと軽挙を諫める使者を送ってはあるが、こちらの方は今は何ともいえぬ」
丹後国、大和国の二つにも既に手を打っていると聞き、池田恒興は目を閉じて唸った。
それはつまり、本能寺での織田信長公襲撃以前から丹後国などに工作していた事を意味するからだ。結果として今回それは役に立ったが、味方を貶めるための工作など褒められたものではない。
当然これらを語ることで彼等の心証が悪くなるのは承知している。
だがそれをあえて語ったのは日和見の中川清秀とそれに同調するであろう高山重友に、我が方有利を示すため。
だからもう一手を羽柴秀吉はここに用意した。
「自分で申すのもなんだが、織田と明智の戦いにこの羽柴秀吉が旗頭では、いささか弱すぎる。ここは神戸信孝様に織田姓を名乗って頂き、織田信孝として我らの旗頭になって頂こうと思う。それで我らの大義にも箔が付くというもの。どうであろうか」
池田恒興が同意すると話はその方向で纏まり、堀秀政と池田恒興の両名でその事を伝える使者を大阪石山本願寺跡地へと送る事が決まった。
彼等がすんなりと自分の提案に従ったのは、明智との戦の先を見据えての事、つまりこの儂に手柄を立てさせ大きな顔をさせたくないからに他ならない。
あの二人が声を掛ければ、神戸信孝も丹羽長秀も必ず合流してくるだろう。
この会合でも分かる。やはり織田の中にはこの儂を快く思わぬ者ばかり、織田信長公だけが儂を認めてくれていたのだと。
明智光秀を討つことに迷いは無い。今はただ軍を前に進めるだけである。
明石での会合が終わると羽柴秀吉は全軍に進撃を命じた。
池田恒興の先導で彼の管理する兵站庫でこの軍の装備を整える為である。
中川清秀は明智軍の動きを探るため、高山重友は津田軍が放棄した尼崎城を整え、羽柴軍を向け入れる為に先行した。
「堀殿、姫路城で集めた兵は数はあれど兵としての力量が分からぬ。儂の黄母衣衆だけでは心許ない。ここは貴殿の将としての力を借りたいのだが、どうであろうか」
「では行軍中に兵を編成したいと思います」
堀秀政は戦の経験のある者、鉄砲や弓を扱える者をまずは軍列から引き出すと、それを精鋭部隊として編成し、次に同郷の者や顔見知りの大小の集団を作らせ行動を共にする様に伝えた。
それでも殆どの者はそれに該当せず、そういう者達には五人ずつの組を作らせてこれから寝食を共にする様にと命じた。
その後は行軍の最中に何度も太鼓や鐘を打たせて、それが何の合図であるかを繰り返し兵達に覚えさせていったのである。
池田恒興が羽柴秀吉に前方を指で指し示した。
羽柴秀吉も話には聞いていたが、直にそれをこの目で見たのは初めて。
これが西国平定戦の為に築かれた兵站庫かと思わず声に出してしまった。
物見櫓と幾重もの柵に囲まれた広大な兵站庫の敷地には、町のようにここに立ち寄る兵達の為の陣屋が築かれ、立ち並ぶ数十の蔵の前には、収まりきれない武具兵糧や資材が山のように積まれている。
よくもこれだけのものをと驚愕する程の物資がそこには集積されていた。まさに織田家の国力の粋がここにあるのである。
二万の兵の目は、街道沿いに晒された明智軍の荷駄部隊の人足達とその護衛約一千人の首に注がれていた。彼等の誰しもが戦の時は近いのだと感じているだろう。
新品の立派な武器に鎧、それらが支給されていくと兵達の表情も緩み歓喜の声が上がる。姫路城下で徴兵した軍とは名ばかりの見るも無惨な人の群れも、兵曹に身を包めば一端の兵士に見えてくるものだ。
それでも明智光秀が鍛え上げた軍が、どれ程のものであるかを考えれば不安になる。
明智光秀に対するに、この儂が出来る事は全てやった。
これからはあの男に託すのか。
羽柴秀吉は、黄母衣衆に交じって兵達の指揮を執る黒田孝高の姿を目を細めながらじっと眺めていた。
* *
高松の陣より強行軍で返してきた兵の内、姫路城下へと到着した兵の数がようやく一万を越えたと浅野長吉より伝えられた。
すでに黒田孝高と加藤光泰、中村一氏の五千の軍は、兄羽柴秀吉の軍との合流を目指して先行していった。
残り一万五千の羽柴秀吉軍本隊も、途切れ途切れの長い行列となって順次集結中である。
羽柴秀長はこれより遅れて集う者は姫路城の守りに残すと決めた。
兄秀吉が明智に敗れてとしても、ここ姫路城の備えが万全であればすぐに軍を立て直せ、羽柴不利と見て毛利家が不穏な動きを見せた場合にでも対処出来る。
ただ城代として残すに小出秀政では心許ない。
羽柴秀長は姫路城城代に浅野長吉を指名すると、小出秀政にはその補佐を命じた。
今、羽柴秀長の胸中には別な懸念がある。
その手元には今姉上、長浜城のおねが兄秀吉に充てた小さな手紙があった。
字は汗と泥で汚れ書体は定かではないが、この手紙を届けた者達の苦労がそれを物語る。姉上が遣わした二人は兄秀吉一行とどこかですれ違っていた。
姫路城には立ち寄らず、直接兄秀吉本人に届けよとの命を守り、彼等は西へと向かい、途中羽柴軍が姫路城へと引き返す姿を見て引き返し、今ようやくここに知らせが届いたのである。
内容は簡潔だった。
「長浜城は明智に開城。信長安土にあり。明智と協力して事に当たるべし」
これはどういう事なのか?
明智光秀が織田信長公を擁しているなら、それに戦いを挑むは織田への反逆、我らが謀反人となるという事ではないのか。
しかし姉上が明智の策に乗せられたとも考えられる。
明智の謀反と、謀反など起こしていないとする相反する二つの内容。
もしこの知らせが同時に我が元へと届いていたなら、その信憑性は情報の発信者に頼り、自分も兄秀吉も姉上の言葉の方に必ず心を傾けたに違いない。
しかし今、我らは明智光秀謀反の情報に基づき行動を開始している。
この決定を覆せるのは兄秀吉以外にはいない。
和議にて戦を収めた毛利家も山陰方面で不穏な動きがあると狼煙での伝達網が伝え来ている。それはこのまま明智光秀を討てと我らに促しているようにも思えてならない。
今の自分より、兄秀吉の元にはもっと多くの情報があるに違いない。姉上の言葉と毛利の動きを急ぎ兄秀吉に伝え、正しい判断を下して頂かねばならない。
兄秀吉に向けての書簡を伝令の兵に託し、羽柴秀長は全軍に出動命令を下した。




