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水色桔梗の雫 ~異伝本能寺の変~  作者: つむぎ舞
六月九日
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河内国

 道を辿ればいずれは目的地に辿り着ける。

 言葉にするほどそれは容易なことではない。人は飲まず食わずでもしばし耐えられる。しかし乗馬の水や食料を欠く事は好ましくなく、この旅に於いてそれらを確保する為の時間の浪費も避けたかった。

 京の三宅秀朝みやけひでともは紀州国へと向かう道中のこの問題を解決に軍の伝令や使者が用いる伝馬待機所の利用を勧め、それに必要な最上位の手形を発行してくれた。


 河内国北の湿地帯を抜け更に南下していくとのどかな空気は一変した。人の骸があちこちで野ざらしにされている。これはまるで戦場の光景ではないか。

 不安に駆られたつばめが自分の名を呼んだ。

 右前方の村から炎が上がっている。動き回る人影、弥助やすけと燕があれは織田の兵だと言う。

 なぜ織田兵が領内の村を焼く? 河内国内で一揆が蜂起したのか? しかし我らは先を急ぐ身、面倒事は避けねばならない。


 竹中重矩たけなかしげのりはこのまま駆け抜けると二人に告げた。

 全力で駆ければ弥助と燕の乗る鬼葦毛の方が何倍も速い。すぐに巨馬は自分の乗る乗馬を追い抜き先へと進んで行く。


 前方で燕が叫ぶと鬼葦毛が村の方へと向きを変えた。

 下馬した弥助が背の刀を抜き斬り込んで行く。下馬した燕も片膝を付き鉄砲に装填を始めた。走る弥助とすれ違う幼い姉妹の姿。

 二人の姉妹は燕の側で走れなくなり抱き合ったまま泣き声を上げた。


 あの二人の幼い姉妹を弥助も燕も無視できなかった。

 状況は理解出来たが、舌打ちしながら竹中重矩も槍を手に弥助の後を追った。

 弓を持つ男が燕の銃撃で屋根から落ちる。迷い無くすぐに装填動作に入る燕。

 それでいい、戦の最中に迷えば死に繋がる。


 竹中重矩は村へと入った。

 家屋の焼ける煙が漂う中で老人や女子供までが容赦なく殺されていた。

 自領内の略取であれば、村人を皆殺しにはしない。これは一度きりの略奪と決めての襲撃に違いない。

 しかし弥助が戦っていた辺りに死体が一つも残されていない。

 村の中心で敵に囲まれる弥助の姿があった。

 確かに何人かの男の胴丸には織田木瓜の家紋が入っている。相手を織田の兵だと思い弥助が躊躇したのに違いなかった。

 戦の最中に迷えば死、それは弥助とて例外では無い。

 織田家の支給装備を身につけてはいるが、敵はおそらく逃亡兵の集団。


「弥助、これは盗賊だぞ。織田兵では無い。斬れ」

 そう叫んだ。

 弥助が振り下ろす太刀で男を肩から両断するのが見えた。声が弥助に届いたのだと確信した。竹中重矩もそのまま飛び出し弥助を囲む男達の一角を崩す。

 弥助が跳躍し、太刀を真横に薙ぐと首が三つ空に飛んだ。

 弥助が動く度、更に誰かの命が消えていく。数が支えていた優位が消え、賊は算を乱して逃げ始めた。

 背で燕の声がした。

 南から駆けてくるのは重装備の馬群の一隊。

 竹中重矩は急ぎ弥助と共に燕の元へと駆け戻ろうとした。


 街道を駆けてきたのは五十騎程の騎馬隊。その殆どは街道上に停止し、五騎ばかりがこちらに向けて駆けてくる。

 泣いている姉妹を庇い背を向ける燕の横を通り過ぎ、彼等は自分と弥助の前で馬を横に向けた。

 誰何の声に旅人と答えたが、弥助の容姿は明らかにその武者の注意を引いた。


「野間殿、賊が向かってきますぞ」

 五騎の一人がそう声に出し村の方を指差した。

 一度は逃げ散った賊が仲間を引き連れ再び戻って来たのだ。我らが蹴散らしたのはそのほんの一部、賊は総勢二百人はいるだろうか、長槍や弓を大量に持ち武装の充実した一軍にも見える。

 五騎が馬首を返すと街道の隊と合流して賊に対する構えを取る。


 騎馬武者の一団と賊の群れが睨み合う中央に取り残される形となった竹中重矩達、逃げ出す隙を探す自分の肩を叩き、燕が一人で賊の方へと歩み出た。

 鉄の半面を着けて膝立ちで構え、ほぼ二呼吸ほど置いて彼女の持つ鉄砲が火を噴いた。

 振り向き二人の姉妹を再び抱きしめる彼女の背後で、配下に指示を出していた賊の頭が人の群れの中に倒れ込むのが見えた。


 賊徒に波のような衝撃が走り、数人が背を向けて逃げ出す。恐怖の連鎖は賊徒の中に広がり遂には皆が逃げ出し始めた。

 今が好機と騎馬武者が一斉に賊に向け駆けだした。馬群が自分達の目の前を勢いよく駆け抜けていく。


「御助勢礼を申す。我は若江三人衆が一人、野間康久のまやすひさ

 竹中重矩も名乗ったが、彼は自分よりも弥助と、特に鉄砲を撃った燕に興味がある様だった。

「こちらは弥助、異国人でございます。そしてこちらが雑賀衆の燕」

「小さいのは女か、雑賀衆なれば鉄砲の腕も頷ける。真に大したものだ」

「そこの侍、小さいのとは何だ。燕と呼べ」

「ほお、気丈よの。まるでどこぞの姫君の様じゃ」


 彼の言葉は褒め言葉では無い。それでもそう言われて燕はささやかな憤りの表情を和らげた。

「姫か、そう呼ばれて嫌な気はしない。姫と呼ぶがよいぞ」

 白い歯を見せる燕に野間康久の方が言葉に窮したが、すぐに大声を上げて笑い出した。

「面白い。面白いぞお主達」


 賊を追い払った騎馬武者達が駆け戻って来る。

「多羅尾殿、首尾は如何に」

「おう、賊は殆ど討ち果たしたわ。見せしめに奴等の首を付近に晒しておこうと思う」

 多羅尾綱知たらおつなともの言葉に野間康久も頷いた。

 領内で略奪を行えば相応の報いを受けるのだと知らしめ、この国にはそれを成す力があるのだと誇示する事は必要な事だろう。


 彼等の話によれば、数日前に大阪の石山本願寺跡地にて大きな戦があり、その混乱で神戸信孝かんべのぶたかの兵が多数逃亡、その一部が賊徒化して領内を荒らし回っているという。

 

 村の騒ぎの収まりを感じ、逃げ散っていた村人達が姿を現し始めた。

 集められた村人達に追い討ちを掛けるように野間康久は逃散は大罪、その行為を禁じると告げた。

「すぐに皆力を合わせて村の復興に取りかかるのだ。村が形となり新たな長を立てるまでの間、この村の税は免除とする」

 この言葉に村人達は地にひれ伏して、野間康久に感謝の意を示した。


「それだけなのか?」

 燕が野間康久に向けて口を開いた。村人達も驚いた様に顔を上げる。

「お前達はこの村から税を取るのだろう。なぜずっと側について守ってやらない」

 竹中重矩が彼女を制すと燕はそれ以上言うのを止めた。


 燕は武士の支配から脱した惣国雑賀の地で生まれ育った。侍と民との関係の常識が根本から異なっている。

 実際税の免除だけでも異例。村が焼かれようと罰則を科し税だけは徴収していく。それが当たり前の関係なのだ。

 民は自らの力で生活を取り戻し、そしてまた奪われていく。

 突き詰めれば侍はただ民から労役や軍務として人を、そして税として富を奪っていくだけの存在といってもいい。


 燕は姉妹に腰の干し飯の入った袋に安土城で渡された銀の粒を入れたものを握らせ、弥助の持つ銀の粒を村人達へと与えた。この行為に村人達は困惑しながらも小さく二人に礼を述べ、村へと戻っていった。


「三人、旅と言われたがどちらへ向かわれるのか」

「織田の密命を帯び、紀州国雑賀へこの燕を送り届けに参ります」

 竹中重矩は京で用意された京都所司代発行の伝馬手形を野間康久に差し出した。

 その手形を見た彼の顔が驚きに変わり、彼は多羅尾綱知を呼び寄せ二人で手形を何度も見返している。


「失礼申し上げた。何も問題はございません。これより先の道中も危険が伴うかもしれませぬ。我が手勢を護衛として付けましょう」

 彼等の態度の急変には理由がある。

 三宅秀朝が発行したこの手形は織田家の重要な軍務に就く者が渡される手形。その任を妨げる者は織田家の名の下に処断される。それだけの効果を持つ代物であったからだ。

 野間康久殿とその手勢とはここで別れ、多羅尾綱知とその手勢が自分達の護衛についてくれた。


 先導の五騎と少し間を空け竹中重矩は多羅尾綱知と馬を並べた。

 すぐ後ろには鬼葦毛に乗る弥助と燕、その後には二十騎が隊列を組んで続いていた。彼等と共にあればこの国で面倒事に巻き込まれることも無いだろう。


 この多羅尾綱知という人物。くだけた性格で腹の中を隠さない人柄に感じた。

 竹中重矩は思い切って織田の今の状況について彼がどう考えているのかを尋ねてみた。

「明智光秀殿の謀反など馬鹿げた噂に過ぎぬ」

 彼はそう答え、その理由も語ってくれた。


「この地は石山本願寺との戦の最前線であった。本願寺と雑賀の連合軍に包囲され窮地に陥った明智光秀殿と我らを織田信長公は一命を顧みず僅かな手勢と共に救いに参ったのだ。あの時のお二人の姿を我らは忘れておらぬ。

 主従の契りとはかくあるべしと感服したものだ。

 その後の我が主達の織田家への反逆の際も我ら三人衆が織田方についたのは、あの時の信長公と光秀殿の姿あればこそであった」


 京で織田信長公が何者かに襲われたは事実であろう。だがそれが明智光秀殿の手によって行われたとは思えないのだと彼は言う。

「多羅尾殿、織田信長公は明智光秀殿の手によって京より救出され、安土城にてご健在であります」

「そうであろう。やはり明智殿の謀反などありはしなかった」


 この事を伝えるのに竹中重矩は最初迷った。そして今彼に事実を伝えて良かったのだと思えた。ただ織田信長公の今の容体だけは、伝えられなかった。

 このように考える者も世にはいるのだ。明智謀反の虚言に踊らされる者ばかりでは無い。


 竹中重矩、弥助、燕の三人は、河内国の南で多羅尾綱知とは別れを告げた。

 三人だけになっても燕は口を開かず黙り込んだままだった。まだあの姉妹の事を心配しているのかと問うと、燕は溜息交じりの顔で頷いて見せた。

「私は鉄砲しか能が無い。賊を何人か倒すだけでは村一つ救う事も出来ない」

「賊も元は行き場を失った人々、それが生まれる原因は荒れた世にこそある」

「京の事が無ければあの村は焼かれなかった? 父様や私のせいだな」


「織田に属さぬ国でも幸せに暮らす人々がいる。その人達にとって織田の戦は迷惑以外の何者でも無い。だから織田信長の命を狙うような者も現れる」

「重矩はどっちが良いと思う?」

「人が終わり無く争う戦乱の世は早く無くなるべきだと思います」

「あけちはそんな世を織田信長が創るのだと言った。本当にそうなのかな?」

「織田信長はそんな事を考えてはいないと思います。自分が一番の世を創りたい。それが信長の本心でしょう。ですが結果として争いの無い世も同時に出来上がる」

「難しいのだな」


「織田の今の混乱が回復し、再び元の姿になれば結果的に燕の望む様な世も出来上がるはずです」

「私はその為に何をすれば良いのだ?」

「明智光秀殿が織田信長公を襲ったという嘘を広めた者達がいる。それが嘘だと証明し本当の敵を探し出す事だと思います」

「織田信長を襲ったのはあけちではないぞ」

「我らはそれを知っていますが、世の多くの人々はその事を知りません。人から人へと嘘が伝わりそれを多くの人が語り始める」

「嘘は嘘だろ」

「嘘も多くの人が語れば、本当の事の様に扱われるのです」


「つまりその嘘を暴けばよいのだな。それを多くの人々に知らせれば。でも重矩、私にそんな事が出来るのか? 鉄砲しか撃てないこの私に」

「燕は真っ直ぐに仇討ちを目指せばいいのです」

「それが世を救う事にも繋がるのだな?」

「今の私達は、そう信じて進むしかありません」


 燕が頷き、弥助に「進め」と元気な声で言った。沈んでいた彼女の姿を気にしていた弥助も、白い歯を見せて馬の速度を上げていく。

 竹中重矩も燕に語った言葉を心の中で繰り返していた。

 彼女が目指す仇、そこへ辿り着くことが出来れば。


 泉北、泉南と景色が通り過ぎていく。

 実際、凄まじい程の強行軍だが我らには時が無い。燕、弥助もその事を理解しているのか、弱音一つ吐かずに馬にしがみついている。

 竹中重矩の見つめる先には、幾重にも連なる山並みが広がっていた。 

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