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水色桔梗の雫 ~異伝本能寺の変~  作者: つむぎ舞
前日譚
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京よりの早馬

 夕刻から雲行きが変わり強い雨が降り、その中を京の都よりの早馬が二つの通達を届け来た。

 一つは織田信長公が明智軍を急きょ閲兵する故、六月二日の早朝には軍を京に入れよとの通達が森蘭丸もりらんまるの名で、そしてもう一つは織田信忠おだのぶただ様より京での閲兵後は明智軍と共に織田家本軍に先駆けて出陣するとの通達であった。

 六月二日の京の都での閲兵に合せて急きょ行軍予定を変更せざるを得ず、明智光秀あけちみつひでは夜半にもう一度五人の宿老達を城に集めた。


 閲兵については昨年に明智光秀自身が取り仕切った馬揃えに倣い京内での行軍順路と集結場所はすぐに決まったのであるが、目下の問題は京までの道のり。


「雨で道のぬかるみが気になりはしますが、予定通り明朝出立すれば、前日の六月一日の昼には京の都の郊外に軍を進めておくことは十分に可能でしょう」

「いつもの気まぐれでしょうが、織田信長公も今回は急ですなあ」

「この時期に閲兵を行うには理由があるという事でしょう。朝廷や民に対して西国平定の機運を高め、織田の威勢を全国に知らしめる為、そんな所でしょうか」


 溝尾庄兵衛みぞおしょうべい明智光忠あけちみつただの二人がそう言葉を交し、明智光秀の方を見る。


「庄兵衛の言う通り、それが今回与えられた我が軍の役割だと私も思う。

 だがそれだけではおそらく足りぬ。加えるならば織田信長公の心情。織田信長公は意外に子供っぽいところがある。おそらくは京の民や朝廷の度肝を抜いてやろう等と内心では考えているのやも知れぬ」


 明智光秀のその表現に宿老達は皆一様に頷いて見せた。

 その理由は中国地方出兵を明智が命じられる少し前、安土城にて起きた出来事に起因する。


 明智光秀は織田信長公の怒りを買い、徳川家康とくがわいえやすの饗応役を途中で解かれて羽柴秀吉への援軍を命じられた訳であるが、事の事実を知らぬ者は「役目の失態で戦地へと送られるのだ」などと申す者もおり、数日前に溝尾庄兵衛を先頭に宿老達の皆が事の顛末を知っておきたいと明智光秀に問うて来たからだ。


 徳川家康の饗応に際して織田信長公より叱責を受けたのは事実。

 当初、明智光秀自身も何が悪いのかが分からず憤慨したのだが、森蘭丸より事の真相を伝えられて返って大笑いしたものだ。

 織田信長公が明智光秀を叱責した理由が「食事の献立が豪華すぎるから」というのである。

 明智光秀が各地の商人を廻り集めた珍味で仕立てた献立には、織田信長公がこれまで食した事の無い品も数多く、自慢げに料理を振る舞っておきながら徳川家康に「これは何か」と尋ねられて答えられなかった事が余程悔しかったからだったというのである。


 この話を宿老達に伝えると斉藤利三さいとうとしみつは腹を抱えて大笑いし、溝尾庄兵衛などはしばらく開いた口を閉ざすことも出来ぬ有様であった。

 そんな話を少し前に聞いたばかりの宿老達五人が、明智光秀の言葉に同意するのも至極当然の事であったのである。


「しかし前日の日の高いうちから京の郊外に一万を越える数の軍が駐留しては人々を驚かすことはできませんぞ」

 明智光忠がそうもっともなことを言う。

 藤田伝五ふじたでんご明智秀満あけちひでみつもこういう話し合いは苦手だ。そして藤田伝五はいつも通り腕組みしたまま口を閉ざしている。

 明智光秀の視線は斉藤利三にも当然向けられる。彼はやれやれといった表情で口を開いた。

「我らは織田信長公のお遊びにも付き合わねばならぬ。そういう事ですなあ。

 しかしそうなると六月一日の夜に京郊外へと密かに兵を進め、二日の朝にわっと都に入る必要があります。途中行軍速度を調整し、一部夜間行軍もせねばなりませんな」


「夜間の行軍は危険を伴う。利三の申すそのお遊びで貴重な兵を損じることがあってはならぬ。夜間行軍には万全に備えておきたい」

「では夜間の峠越えの手配はこの光忠にお任せを。翌早朝からすぐに先行して準備に入り、京の郊外、桂川の駐留場所確保にも周山城から急ぎ兵を出しておきます」


「信長様の方はともかく、我らの動きは信忠様には知らせておくべきだろう。明日早朝早馬を信忠様の元へ、途中にある嵐山の物見台にも使いを出せ。

 長岡の者が勘違いして明智が不穏な動きをしていると勝龍寺城へと走り兵が出てくる事にでもなれば面倒な誤解が起きる」


 行軍についての話し合いはそれで終わり、砕けた空気がその場に流れる。

 話題は自然と西国平定のものへと切り替わっていった。


「羽柴と明智が先陣となり攻め入り、織田信長公の本隊十万がそれに続くのだ。これで毛利討伐は確実。その勢いのまま九州攻めに入ると考えている。加えて神戸信孝かんべのぶたか(後の織田信孝おだのぶたか)様の四国平定も成ればそれで西の戦はほぼ終わるだろう」


「四国の長宗我部ちょうそかべ家の件は誠に残念でありました」

 溝尾庄兵衛がそう言うのには理由がある。

 斉藤利三の実兄のいる石谷家の娘は長宗我部元親ちょうそかべもとちかの妻で斉藤利三は長宗我部元親の義兄にあたる。

 石山本願寺戦の終結後、織田家と長宗我部家の関係が悪化。

 この状況を改善しようと明智光秀と斉藤利三の二人が中心となり長宗我部家の説得工作を根気よく続け、織田信長公が新たに提示した土佐一国安堵の条件での臣従を認めさせる所まであと一歩という所であった。

 しかし四国討伐軍の編成がこの二月に決定されたのだった。


「長宗我部元親殿は何代もの悲願として四国平定を目指していた。先に織田信長公自身が約束した四国平定許可の朱印状を反故にされ、本拠地の土佐国と阿波国の南部のみを安堵という条件に変わった事が長宗我部の態度の急変に繋がったは仕方なき事」

「しかし国力三十万程度、兵力も二万そこそこといった所でしょう。それで織田家にどう抗おうというのか。田舎武士の意地、というには不可解ですな」

 

 斉藤利三が溝尾庄兵衛の言葉に反論する。

「長宗我部元親という人物は愚か者では無い。

 何の賞賛も無く織田に兵を挙げたとは思えない。それに毛利との同盟締結という噂もある。これに加えて九州勢の後押しなどがあるのやもしれぬ」

「利三、同盟があったとしてもその中核は毛利家であろう。此度の中国地方平定はそのまま西国平定に大きく繋がるのだという事を皆も心せよ」

「はい」

 明智光秀がそう締めた事で、この話題はここまでとなった。

 

 そして明智光秀はこれまで彼等に話せずにいたあの件を、この場で伝えようと決心した。


「皆に伝えておくべき事がある。

 毛利討伐後、我らは岩見国と出雲国の二国を所領とする内示を織田信長公より受けた。それと引き換えに丹波国と近江国坂本の地は織田家に召し上げられる」


「なんと」

「丹波国は我らの血で切り獲った領地。それを召し上げるとは如何なる事ですか?」

「石見国、出雲国は海に面し銀の産出もある。今よりも格段の加増にはなるが…」

「殿、我ら明智は何時になれば安息の地を手に入れることが出来るのですか」


 そう宿老達が口々に言う気持ちも理解出来る。

 だが明智家を存続させていくためにはこの日ノ本の中央より遠く離れる事も必要なのだ。

「よく聞いて欲しい。織田家はこの日ノ本の中心に織田一門による強力な直轄地を作り上げようとしている。中央に近ければ警戒され危険視され、望まぬ政争に巻き込まれる可能性もある。そして最悪粛正の対象となりうるかもしれぬのだ」


 明智光秀の「粛正」の言葉に宿老達は息を呑んだ。

 数年前に織田家重臣の中で最大勢力を持つ佐久間信盛さくまのぶもりが突如追放処分となっているからである。

 明智光秀の言葉は絵空事では無く織田家に属する者にとっての身近な現実であったからだ。


「では殿、岩見国、出雲国が我ら明智の繁栄の地となるのですか?」

「悪くはないと思う。しかし私はそこを一時の通過点と見ている」

「通過点ですか…。どうも私は古い人間のようです。所領を守ってこその武士。その想いが強い」


 溝尾庄兵衛も明智光忠も肩を落として溜息をついてしまった。

 彼等の気持ちもよく分かる。だからこそ光秀自身この話を中々切り出せなかったのだ。


「殿のその口ぶりですと、殿は西国のどこかにすでに目を付けておるように聞こえますが」

 斎藤利三が声に出すと皆の視線が再び自分に向いた。


「九州だ。筑前国と筑後国を含む九州地方の北部一円。それをこの日ノ本に於ける明智家の所領にしたいと私は思っている」


 明智光秀は美濃国の斉藤義龍さいとうよしたつに攻められ岩村の地を落ち延びた後、母方の血筋の若狭国武田家を頼っている。

 その時の数年間で各地の商都を巡り政を学ぶ機会を得、その際に船旅にて出雲国や九州の博多へも足を運んだのである。

 彼は宿老達に自身が見聞した九州に地について、しばらくその場で皆に語って聞かせた。


「古の国府、貿易で栄える商都ですか。殿の語る九州の地はまるでお伽の国の如く聞こえますな」

「日ノ本を織田家が統べた後、織田信長公は海の外、明国を次の視野に入れている。明に至る道中には朝鮮があり、そこを目指す拠点となるのがかの地なのだ」

「朝鮮に明、日ノ本を総ても戦は終わらぬのですな」


「ご老体二人は心配性ですな。まだ日ノ本の戦も終わっておらぬのに、そんな先の事を心配してもしょうが無いでしょうに」

「何い」

 笑いながら言う斉藤利三の軽口に、溝尾庄兵衛も明智光忠もムキになる。


「日ノ本の西を制しても未だ東が残る。

 そして日ノ本が統一される頃には織田家は信忠様の時代になり、この明智も光慶が総ているいる。信忠様と光慶が進む世こそが未来なのだ」

「殿の信忠様びいきは相当なものですからな。

 武田攻めの手腕を見ても織田一族では随一、我ら信忠様の人となりは存じ上げぬが殿が見込んだ人物なれば間違いは無いと信じておりまする」


 溝尾庄兵衛がふと何かに思い当たったのか、おやという顔をする。

「筑前といえば、羽柴秀吉が筑前守を名乗り、殿は日向守でありますな」


 既に形骸化した国司としての官位。

 九州地方に攻め入る先陣として明智とともに進む羽柴は、九州平定後にその官位を持ち出して明智の狙う筑前国の領有権を主張するとも考えられる。

「羽柴秀吉に筑前国は我が物として取られぬよう、此度の戦ではそれだけの働きをせねばならぬな」

 明智光秀の言葉に笑いが漏れた。


「明智は織田家の為のみに戦うにあらず。明智一門繁栄の地を目指して、で御座いますな」

 斉藤利三が立ち上がり、彼らしい台詞でおどけて言うと、皆大声で笑った。

 続けて斉藤利三が手を叩くと酒と杯が運ばれてきた。

 

「出陣前だ。最初の一杯だけの酒盛りといこう。足りねば後は水杯にて」

 明智光秀は斉藤利三の計らいに応えて自ら五人の杯に酒を一つ一つ注いでいく。


「織田は昼を照らす太陽。臣はその影、夜の世界の住人の如くか。なれば我ら明智は夜空に輝く月の様でありたいものだな」

 杯を手に明智光秀が夜空を見上げる。


 雨は降り続き空には星も見えない。

 だから皆、心の中に晴れた月夜を想い空に杯を掲げた。

「明智の勝利に」

 明智光秀の声に皆の重なり合う声が続いた。

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