京の都
南蛮寺の建物は都の中でも異彩を放っている。
高山重友がその設計から資材集めに至るまで心を尽くして築き上げたそれは、まさにキリシタンの城ともいうべき建物である。
寺の中心には天守を模した木造三階建ての瓦屋根の塔があり、それを取り巻くように礼拝堂、神学校、寄宿舎などがあった。
燕、弥助、竹中重矩の三人が南蛮寺を訪れると、イエズス会宣教師の一人、フランシスコ・カリオンがその対応に現れた。
彼は三人の中に弥助の姿を認めると、一般の信者の立ち入れない宣教師宿舎の一室を快く提供してくれた。
竹中重矩が京の町に入るに当たってまず考えたのが弥助の事である。
彼はとにかく人目を引く。それに大きな黒人が織田家の小姓を務めていた事は京の民にもよく知られており、その姿を出来るだけ人々の目に晒したくは無かった。
京都所司代代行を務める明智配下の三宅秀朝は、村井屋敷にして織田の官吏を使い政務を行っているが、織田内部に敵があるかも知れぬと言われる現状、織田家に縁のある者達に弥助の姿を見せる訳にもいかず、村井屋敷での逗留も避けるに至る。
その為潜伏場所に考えたのは河原である。
京の東を流れる鴨川の河原は、河原者と呼ばれる一風変わった者達が住み着き独特の芸を見せる事で生業を立てている。
更に五条川原辺りにはそんな彼等の市も建つようになっていた。
だが河原は同時に野盗の類いの巣窟としても知られる。
我々の乗る馬は大きな財産であり、燕の持つ鉄砲、そして彼女そのものが彼等の標的ともなり得た。
考えた末に辿り着いたのが南蛮寺であった。
黒人も白人も同じ南蛮人、そう変わりはないだろうという安易な発想であったが、京の外れの河原よりは町中にある南蛮寺の方が探索には向いていた。
南蛮寺を訪れた時、午前のミサの最中だと告げられた。何かの儀式なのだろうと思った。
案内された寄宿舎の部屋はどれも小さく質素だった。
土間に寝床一つと手洗い用の水桶、書物の置かれた台があるだけだ。
これが宣教師達の日常の暮らしの場なのだと聞き驚いた。
自分達三人は寝床が沢山置かれた大部屋へと通された。
しばらくここで休息を取ると告げると、燕は頷き彼女は腰の袋から見慣れぬ道具を次々に床へと広げ始める。
フランシスコ・カリオンが弥助と話がしたいと申すので、異国人同士の旧交を深めるのも良いかも知れぬと竹中重矩はそれに了承の意を示した。
竹中重矩は寝床の一つに横たわり天井を見上げていた。
美濃国の菩提山城を発ってから数日、遠くまで来たものだ。ここ数日のことを振り返り浮かんだのが孝と申す女官の顔、長浜の城で別れたあの人は今どうしているのだろうか? ついそんな事が気になった。
「燕、臭いなそれは」
異臭が気になって燕の方を覗き見た。
囲炉裏の側に陣取って燕はちらりとこちらを見て、また作業に集中し始める。
「鉄砲玉を作っているのだ」
彼女は手に持った小さな鉄鍋を囲炉裏の日の上で揺らしながら言う。
燕が火にくべた手持ちの小さな鉄鍋の上に鉛の塊を置くと、みるみるそれが溶けて液状になる。それを玉形に流し込むと冷えて丸い弾丸が一つ出来上がった。
「昔は母様と一緒によくこうして玉を作った」
側で見ていると簡単そうに見えるが、良い玉を作るのはなかなか大変なのだという。雑賀衆は家族でそんな事もするものなのか、それともこの娘が特別なのか。
突然、耳に聞いたこともない長く尾を引くような音が響いた。戦の合図か? 屈んで辺りを見回す自分の姿に燕は腹を抱えて笑い出す。
「重矩、あれはおるがんというのだ。もうすぐ歌声も聞こえてくるぞ」
燕の言う通りだった。すぐに音に合わせて多くの人々の澄んだ声が重なり聞こえてきた。
「あれはでうすという神様を讃えて歌っているのだそうだ」
明智秀満や藤田行政からは世情に疎いと聞いてはいたが、京の生活については燕の方が詳しいのだろう。
朝と昼の二回この儀式が行われ、他にも南蛮言葉を教える学校や怪我の治療の場もあるという。
「燕はこの寺に詳しいが、キリシタンなのか?」
「ここではでうす様唯一人を信じろと言われるけれど、沢山の人や動物、他の生き物全てを救うのに神様が一人だけでは大変ではないか。神様は一杯いたほうがいい。だから私は仏様もでうす様も八咫烏様もみんな信じているぞ。だからキリシタンではない」
確かにそれはキリシタンの発想ではない。互いに彼女の様に考えられれば、巷で聞く様な仏教徒とキリシタンの争いは無くなるのではないだろうか?
「ここに来ると無料で粥が食える。何度か来ているうちに覚えてしまった」
ただ神を崇めろと言うだけでなく、っこ南蛮寺では衣食住の提供に学問の修学と実践的な活動を行っている。戦乱で行き場を失った人々がキリシタン信者になる理由も分かる気がする。
「重矩、お前はなぜここに来た?」
「ここへ? 南蛮寺にですか」
「そうじゃない。私は妹と仲間達の仇討ちの為にここにいる。そして弥助も仲間達の仇討ちと私を守る為にいてくれる。お前は明智に頼まれたのか?」
「私の家は兄が死んで織田の家来ではなくなった。それで領地の民は織田の税に苦しんでいる。だから大手柄を上げて織田の家来に戻れば領民達も救われる。そう思ったからです」
「そうか、手柄か」
燕の声は少し寂しげだった。
決して自分は半端な気持ちでこの任を受けたわけではない。それでも彼女達とは目的に対する距離があるのだと感じた。
共に命を懸ける仲間として受け入れて貰うにはもう少し時がかかるのだろう。
いつの間にか歌声も止み、塔の鐘が鳴ると外の人の動きが伝わってくる。
しばらくすると弥助が戻って来た。
宣教師と何を話したのか聞くと、彼は本能寺での戦いについて尋ねられたと答えた。信者に神を説く者達がなぜそんな事を知りたがる?
単なる好奇心? 彼等の民に対する慈愛に満ちた行動の裏には何か違う目的でもあるのではないか。そんな不快な気持ちが湧き上がった。
弥助にはそれ以上彼等に何も話すなと言い聞かせておいた。
昼前には南蛮寺を拠点に外へ出ることにした。
ここから村井屋敷は目と鼻の先、自分と燕の二人で戦装束から平伏へと着替えて出かけた。南蛮寺は下京の中心にあり外は繁華街、弥助には馬の世話と荷物番をしながら待っていてもらうことにした。
村井屋敷で対応に出た三宅秀朝に二人は丁重に迎えられた。
「殿から竹中重矩殿一行を全面的に助力せよと承っております」
「この屋敷には京の軍事や民政の記録があるはずです。それについていくつか調べて頂きたいのです」
竹中重矩は安土城で明智秀満との会話を書き留めた帳面を取り出し、その時に話し合った調査内容についていくつか提示した。
一、林秀貞の京の住居について
二、二条御所の警備について、特に雑賀衆についての記録
三、六月二日以降の京での民の死者や行方不明者について、その身元など
以上三つの事を三宅秀朝に告げ、その事を記した場所を帳面からすぐに破り取った。事の全ては自分の頭の中にあればよく、全てが明らかとなった時に改めて書き記せばいい。
この調査報告は夕刻改めて聞くことにし、雑賀衆が一年を暮らしたという長屋へと向かった。
その道案内は燕に任せた。久々の京の町、燕ははしゃいでいた。
あちこちを見回しながら建物を指差し、細工物の出店や綺麗な着物を置く店、珍しいものを扱う食べ物屋を教えてくれた。
目的の長屋は下京の外れ、二条御所に近い場所にあった。
長屋は無人で新しい住人はいない。
燕が長屋の一つに入る。そこが彼女の家だった場所の様だ。
土間に置かれた大きな瓶を二人で動かすと、下に掘られた穴の中に木箱があった。
「この中に大事なものがきっと入っている」
蓋を開けると中には銭が少々と書状の束が入っていた。
銭は燕に渡し、竹中重矩は書状を一つ一つ眺めていく。字の読めない燕が横で難しい顔をして見ている。
大層な紙に包まれた書状を開くと、それが二条御所警備の任の契約を記したものだと分かった。書には雑賀衆それぞれの個人名と月々の禄が示され、村井貞勝ともう一人、近衛前久の署名が入っていた。
燕が部屋の隅の背負い箱を持って行きたいと言い出した。
中には鉄砲に必要な物が詰まっているらしく、それがあればしばらく鉄砲の補給はいらないという。
夕刻、村井屋敷に戻ると忙しく動き回っていた官吏は帰宅し、静かな屋敷内で三宅秀朝との三人だけの面会となった。
彼の横にはいくつかの冊子が積まれており、自分が提示した内容について成果があるのだろう。彼は得意げな表情で自分達に語った。
林秀貞という京在住者は無く、二年前に林家の名で購入された屋敷に南部但馬と名乗る者が住むこと、二条御所警備の雑賀衆の契約書は竹中重矩が手に入れたものと同じ書式のものであった。
しかし死者、行方不明者については数百人にも及びその一人一人については把握できないという。ただ、商売を営んでいた町屋の主と使用人全てが六月二日を境に姿を消したという奇妙な届け出が数件あったと告げられ、それらの町屋の出店もおよそ二年前であった。
本能寺襲撃軍の将が南部但馬、そして行方不明者の中に襲撃準備に加担した者達がいるはずだと竹中重矩が語ると、三宅秀朝は南部屋敷とそれら町屋の調査を行うと確約してくれた。
この内容から察するに、織田信長公襲撃は二年も前から練られていたと考えるべきなのだろうか?
「二条御所の警備に当たっていた雑賀衆は敵を御所内に招き入れました。契約書の署名をした人物から情報を聞き出したいのですが」
近衛前久、関白に任命された事もある高位公家。
彼と公の場で会うのは難しいだろうと三宅秀朝は言う。だが今は、上京の子息の屋敷に身を置いている事が判明した。
村井屋敷を出るともう陽も落ちていた。窮屈な話が続いていたからか、燕は大きく背伸びをしてみせる。
「近衛の公家様なら父様の名で会えるかもしれない。何度か公家様の所へ手紙を届けたことがある」
自分達の一日はまだ終わらない。身支度を調えもう一仕事あるのだ。
* *
ここ連日の内裏での酒宴で近衛前久は胃の調子を崩していた。
体の不調はそのまま己の気分にも反映されるのだろう、不機嫌な自分に屋敷の使用人達もあまり近づこうとはしなかった。
夕食の粥で腹も少し落ち着き、いつもより早めに寝床に着いた。
酒宴の席に居並ぶ公家達の誰が織田信長を葬ったと自慢げに語るのかと耳を澄ませていたが、皆一様に明智光秀を讃えるだけに終始した。
朝廷内は正親町天皇の天皇派と誠仁親王の親王派の水面下での抗争が、全ての公家が内裏に参集したことによって露骨に表面化し、近衛前久自身の人間関係にもそれは大きく影響し、内偵は遅々として進んでいなかった。
襖越しに使用人が自分に面会を申し出る者が来ている事を告げる。
こんな夜中に使いの者も立てずにいきなりの訪問とは無礼な者達、何よりそれを追い払わず自分にどうづべきか伺いを立てる使用人にも腹が立った。
丁重に追い返せと告げ下がらせたが、その者はまた戻って来た。
使用人は訪問客を『田造の使い』と告げた。
二条御所警備に雇い入れた雑賀衆の頭の名前、彼は御所で死んだと思ったがその使いの者とは?
近衛前久は話してみたい衝動に駆られた。
衣服を着替え寝所から歩いて使いの者を待たせてある部屋へと足を運んだ。
部屋の中には奇妙な二人の供を連れた侍が待ち、彼は自分に一礼した。
「竹中重矩と申します。こちらは田造の娘で燕、もう一人は弥助」
名は知らぬが織田信長の小姓に黒人がいたと思い出した。娘の方は田造の二人の娘のうちの一人なのだろう。
田造の生死を問うと、彼は二条御所で死んだと告げられた。
そして彼等は明智光秀の命により織田信長襲撃の主犯探索の任を帯びて行動している事を自分に告げる。
当然その証となるものを近衛前久は彼等に求めた。
竹中重矩が燕と申す娘を促し背の刀を自分に差し出す。
飾りの無い刀、目貫の桔梗紋で光秀所有はすぐに分かった。彼が入朝する際に常に腰に差していた脇差しである。刀を抜くのは非礼と思いそのまま返した。
竹中重矩が目の前に置いたのは雑賀衆雇用の契約書。村井貞勝が持ち来て自分が署名を行ったものである。
「この契約の経緯をお話頂きたい」
京の争乱を収めたのは明智光秀の軍、であれば彼等も織田方という事になる。話しても問題は無いだろうと近衛前久は思った。
「内番衆と外番衆を併せて五十名、それらが交代で二条御所の警備を担う。
警備と申しても実際には政務の一部を担う者達、彼等は兵ではない。石山本願寺との戦の最中、京の治安維持と朝廷警護の名目で織田信長は二条御所にも多くの兵を配した」
竹中重矩という男は自分の話を筆で書き留め始めた。
それを覗き見たが文字を書き連ねず印の様なものを点々とつけている。自分には何を書いているのか理解出来なかった。
「誠仁親王はそれに感激され、織田兵が退去した後に二条御所は城の如く櫓も備えておるのに守る兵が無くば京の民にも笑われようといたく嘆かれたのだ。
禁裏番衆の貴族武士達も櫓の立哨などする者もおらず、結局京都所司代村井貞勝の私兵にて警備はまかなわれてきた」
「雑賀衆についてはどのような経緯であったのでしょうか?」
「誠仁親王は足りぬと申された。増兵できぬものかと村井貞勝に相談したが無理だと言われ、ならば我ら独自で警備強化を図ると申し出た。我らとて本当の意味で朝廷に仕える兵が欲しかった」
「それで雑賀衆を求めたのですね」
「村井貞勝に兵を鉄砲を持たせてみてはと言われたのだ。
二条御所に攻めの兵はいらぬから、守りの為の弓や鉄砲の方が都合がよい。しかし鉄砲は金がかかる。鉄砲一丁を求めるのに十五石、雑兵を一人雇うに一石八斗、兵を雇う十倍以上に金がかかるのだ」
「確かに」
「そこで根来衆か雑賀衆に目を付けた。彼等を雇えば彼等の操る鉄砲も一緒に付いてくるとな。それで根来寺や雑賀衆に関わりのある人物に相談し田造の一党の話が持ち上がったのだ」
この経緯が織田信長襲撃とどう繋がるのだと尋ねると、竹中重矩の口から思いもよらぬ言葉が飛び出してきた。
「田造率いる一党が御所警備の織田兵達を倒し、織田信長公襲撃者達を二条御所へと招き入れたのです」
「間違いであろう。私が援軍を請いに二条御所へと入った時には既に怪しげな一団に御所は占拠され、雑賀衆の姿は見当たらなかったが」
「その時、近衛様の目の届く場所に彼等がいなかったというだけでしょう」
「田造の一党は元々は織田に味方する鈴木一派と聞いておる。それに争いを嫌い山中に隠棲した者達だとも、それがなぜ敵に味方するのだ」
燕と申す田造の娘が突然会話に割り込み強い口調で喋り出した。
「鈴木など知らん。父様は織田信長が死ねば土橋が再び雑賀を治める。それで雑賀に皆で戻れると話していた。私達はすぐに二条御所から出て行くはずだった。でも明智軍に囲まれ、戦う事を奴等に強要された」
「それでは私が二条御所に敵を雇い入れたという事になるではないか。そんな馬鹿な、この私が」
彼等の言う事が事実であれば、織田信長襲撃への関与は朝廷の誰かが行っていたのではなく、知らずとはいえそれが自分自身であった事実に近衛前久は狼狽えた。
だがもう契約書という物証が彼等の手にある。
「私はどうなるのであろうな」
「事の詳細は安土城の明智光秀殿に報告せねばなりません。ですが近衛様に関する物証はこの契約書のみ、これはお渡し致しましょう。京都所司代の屋敷に同じ物がもう一つございますが、それを私が破棄するには一つ条件がございます」
「そちらの望みは何か?」
「最初に申しましたが、織田信長公襲撃の主犯探索が私の任、雑賀衆を近衛様に紹介した人物の名をお聞かせ願いたい」
当然名は知っている。
彼ならば確かに織田信長襲撃という暴挙を画策してもおかしくはない。
彼はかつて自分の猶子とした人物であり一応の義理はある。
近衛前久は彼との縁に少しためらいを見せたが、結局その者は自分を欺いたのだと納得させた。
「その者の名は本願寺教如」
「近衛様の申したその名に嘘はないと信じます。二条御所に入った敵は石山本願寺に連なる者達との調べはついております。彼の居場所もお教え願いたい」
「教如は織田の探索から逃れるため姿を隠すと申しておった。
ここ一年ほどは彼との連絡手段も無く居所は私にも分からぬ。だが確実に知っているであろう方が一人だけいる」
「それはどなたでしょうか?」
「紀州国鷺ノ森道場の本願寺顕如」
近衛前久は彼等が去った後も部屋で一人ただ畳を見つめていた。
竹中重矩は自分に同情の意を示し、京都所司代屋敷に残るもう一つの契約書の処分を約束してくれた。
そして去り際に自身の命の為と名に傷がつかぬ様、証拠となるものは全て処分された方が良いと述べてくれた。
はっとなり近衛前久は自身の寝所へと駆け戻る。
そしてここ数日のことを記した日記の頁を慌てて破り取ると、それに火をつけて燃やした。
燃える炎を見ながら、言いようのない脱力感が全身を支配していく。心には大きな穴が一つ空いた様だった。




