周辺情勢六月七日(柴田勝家)
越後国の上杉景勝率いる上杉家の軍勢と対峙していた柴田勝家の軍勢は、越前国北ノ庄城へと帰還すべく長い軍列を作りながら重い足取りで奪い取ったばかりの魚津城を後にした。
前田利家、佐々成政、佐久間盛政の三将も勝家本隊と離れ、すでにそれぞれの治める領国鎮撫に向けて帰還の途にある。
京での明智謀反の知らせを受けてから既に三日が経過していた。
その真偽を量る連日の軍議を終え、勝家はようやく軍を反転させたのだった。
最初の報が届いたのが六月四日。
柴田勝家以下の主立った武将は、陥落させたばかりの魚津城で最期を遂げた上杉方の城将中条景泰他十数人の首実検の最中であった。
彼等は自分の耳に名を記した木札を付け、ある者は討ち死にし、ある者は自害して果てていた。
四万の織田軍に約四千の軍で奮戦した彼等を佐々成政は勇将の鏡であると褒め称え、前田利家は上杉手強しと今後の進軍では更なる抵抗があるだろうと不安をつのらせていた。
魚津城の戦いは城方の抵抗に苦しめられたが、結局の所、駆けつけていた上杉の援軍の撤退によって勝負はついた。
上杉家の援軍の撤退は、信濃国を手中にした森長可が、更なる功を上げんと単身上杉家の本城春日山城へと軍を進めた為であったと佐久間盛政の報告で知った。
伝えられた明智謀反により織田信長公滅亡の報は、皆の前で口にした。
前田利家、佐々成政、佐久間盛政の三人はすぐに明智憎しと声に出したが、柴田勝家はこれを窮地に瀕した上杉方の謀略であるとして一蹴したのである。
それも当然の事で、明智謀反を伝え来た伝令はその事を伝えるとすぐに姿を眩ましてしまっていたからであった。
本来の伝令は、用件を伝えた後、伝えた相手の返答を持ち発信主の元へと帰還するため、その場に待機して待つものである。
姿を消したのはその素性が知れるのを恐れた為、つまり敵の間者の可能性が極めて高い。
この機密は噂となりすぐに外に漏れ軍内を駆け抜けた事で、勝家はこれが謀であると確信に至り、すぐに上杉の謀略に乗せられるなと全軍に通達、自らは何事も無かったかのように首実検を続け、その後の論功行賞も滞りなく行われていった為、将兵達もすぐに落ち着きを取り戻した。
柴田勝家が慎重であったのは、かつて勝家自身が織田信長公滅亡の報を鵜呑みにして軍を止めた事があり、織田信長公より雷のような叱責を受けた経験があるからである。
確かに明智光秀の躍進は家中でも異例というほどのもの。
信長公に仕えて古い者達は、当然それに嫉妬し苦々しい想いを抱えている。羨望と妬みの裏返しと言うべきか、先程の間者の報にすぐ三将が乗ってしまったのは、そういう含みもあったからだろう。
しかし最初の報から遅れること半日、安土城より発せられた伝令が柴田勝家の陣へと駆け込んだのである。それは紛れもない織田の正規の伝令であった。
「明智光秀京にて謀反。織田信長公、織田信忠様共に御滅亡」
「それは真の事なのか」
立ち尽くす柴田勝家。その場はしばし凍り付いた。
「光秀如きに織田信長公が遅れを取るなどありえぬ」
佐々成政も前田利家も先程とはうって変わり、否定的な言葉を口にする。しかし今回、柴田勝家は明智光秀であればそれを抜かりなく成すだろうと認めた。
だが、何故今謀反なのだという想いは強く噴き上がった。
「お前は何をしでかしたか分かっておるのか、この大馬鹿者めが」
柴田勝家は激怒し、鎧を鳴らしながら一人陣から出て行くと、地面を踏みしめ歩き続けた。
「織田家中の誰よりも織田信長公に目を掛けられ、十分な地位を与えられたではないか。明智光秀よ、お前は一体何が不満であったのだ」
織田家にも水面下での諸将の争い事はある。
森長可の越後攻めへの参戦もこの柴田勝家を出し抜こうとして行われた進軍であり、その顕著な例の一つと言える。
だが光秀だけは別格であった。
公家や朝廷との橋渡し役という、家中では他の誰にも真似できぬ役職を与えられ織田信長公からも重宝されてきた。
その他、軍務政務の両面で飛び抜けた才覚を発揮し、他者の足を引っ張らずとも織田の重職を一人手に入れていった。
織田家筆頭家老と呼ばれる自分でさえ、明智光秀の躍進には焦りを抱いた。
それに加えて明智光秀と織田信長公の天下布武に向けての視野や感性の繋がりは、決して自分には得られないものだった。
そして最も衝撃を受けたのが天正四年の石山本願寺との戦の際、窮地に陥った明智光秀を信長公自らが負傷するという危険を冒してまで救出した事、この知らせを越前国の居城で聞いた時には我が耳を疑い、そして自分と明智光秀との間に開いた織田信長公からの信頼の差に絶望した。
明智光秀、一番ありえない男が織田信長公を殺害したのである。
当の織田信長公ですら明智光秀の謀反、それは見抜けなかったであろう。最も信頼していた者に裏切られ死を迎えた信長公の心中は、どれ程無念であったであろうか。
しばらく城の土塁の上を柴田勝家は歩いた。
前田利家、佐々成政の両将がその後を続く。立ち止まり安土城のある方角を見つめた。夕陽が空を血の様に赤く染めていた。
怒り、やり場の無い怒りが体の中から何度も噴きだして来るのが分かる。
柴田勝家の咆哮は三度赤い空に向かって轟いた。
夜になり、全ての軍事行動を停止させ兵達には撤退の準備を開始させると共に、主立った者を集めて軍議を開いた。
未だ加賀国、越中国の情勢は安定していない。その為全軍を以て明智光秀討伐に赴けば、後方地となるこの二国が不安要素となる。
上杉軍はまだ一万を超える兵力を有しているし、占領地の二国にも潜在的な一向宗達が多く存在しているからだ。
この軍議の最中にも、近江国の佐和山城、長浜城落城の知らせは届き、明智謀反は揺るぎない確信へと変わった。
明らかに明智光秀は我らの近江国進軍に対する備えを整えつつある。
時を置けばその防備はより強固なものになるだろう。
柴田勝家は、前田利家、佐々成政、佐久間盛政の三将に占領地二国を固めさせ、自らが率いる一万五千の兵力を以て近江国安土城を目指すとの決断を下した。
六月七日、反転中の柴田勝家の軍に思いも寄らぬ場所から使者が到着した。
明智光秀よりの使者である。
「我が主明智光秀、京にて織田信長公を救出し安土城にあり。織田の混乱終息の為に急ぎ柴田勝家軍の来援を請う」
この場に残るはすでに柴田勝家一人、使者の口上を彼は聞き、更には問い質した。
明智光秀の謀反で無いならば、敵は何者であったのかと問うと、使者は敵は石山本願寺と雑賀衆の残党数千の決起であったと答え、謀反はその時の戦の様相を知らぬ者が吹聴しているものであり、安土城より発せられた先の伝令は誤報であると述べた。
但し、織田信忠様の死は事実であり、京の二条御所にて討ち死にされたのは確かであるとその使者も認めた。
それが事実であれば、明智光秀がなぜと思わせた疑問は消える。
佐和山城、長浜城を攻めた経緯を尋ねると、襲撃は突発的なものではなく、長く準備されて来たものであったと使者は答え、織田信長公入京日時という極秘事項を知る者は織田の要職にある限られた者だけである事を根拠に、石山本願寺、雑賀衆を実行犯として明智に信長公殺害の罪を着せ葬ろうとする黒幕が織田家中にいるのではないかとの懸念からの自衛策の一つであったと申したのである。
柴田勝家はすぐに供廻りだけを連れて安土城へと駆けつけたいという押えがたい衝動に駆られた。それを押しとどめたのはこの使者の言動をそのまま信じても良いのかという疑念。
織田信忠様も倒れた今、織田は旗頭を欠いた状態にある。
これに加えて織田家筆頭家老である自分までもが倒れる事があれば、明智を倒せる力を織田は失うことになりかねない。
この使者そのものが明智光秀が自分を誘い出すための罠だともとれるのである。
「事の真偽は安土城に入ってからこの柴田勝家がその目で見て決する。明智の支配下にある近江諸城は、我が軍の通過と同時に開城せよ」
使者にはそう伝え、明智光秀の元へと送り返した。
「本隊から輜重を切り離し、急ぎ北ノ庄城へと駆ける」
全軍にそう通達した。
明智光秀は自分に僅かな供廻りだけを引き連れて安土城へ来いというのでは無く、一軍を以て援軍に参れと申している。
それは自分を罠に掛ける為の言動では無かった。
信じたい。何よりも織田信長公が生きている。その言葉に賭けてみたいという気持ちはある。
だが、
「一体中央では何が起きているのだ」
馬上で柴田勝家はそう低く呟いた。




