周辺情勢六月七日(羽柴秀吉)
「サルよ、馬は緩急をつけて走らせればいつまでも駆けていられるのだ。良い乗り手はその頃合いの見切りも上手い」
「なんの信長様、儂の二本の足は殿の後ろであれば、いつまででも駆け続けてみせますぞ」
「言いおったなサルめが、ならばその言葉誠か証明してみせよ」
声を上げ容赦なく馬を疾駆させる織田信長公の後ろ姿を必死に追いかけた。信長様と呼ぶ自分の声も届かず、馬上の影はみるみる遠くなっていく。
待て下さい信長様、そう叫んで伸ばした腕を誰かがぐっと掴んだ。
「大丈夫でございますか?」
黒田孝高の声が聞こえた。いつの間にか意識を失い夢を見てた様だった。懐かしき日々、そんな夢を見るとは、自分の心の奥には忠義心というものがまだ残っていたのであろうか。
横を駆ける黒田孝高はさすがと言うべきか、平然とした顔で駒を進めている。
羽柴秀吉は馬の手綱を握り直し、黒田孝高に精一杯強がった笑顔を作って見せた。
ほぼ二日馬上で揺られている。
備前国の沼城にて短い休息をとっただけで、姫路城への長駆は今も続いている。
羽柴秀吉に付き従うのは数十名の近習と黄母衣衆の一部のみ。
自分に付き従う彼等には何も説明していない。織田信長公の滅亡も、なぜ毛利との和議を急ぎ整えたのかも、そして姫路城へと急ぎ駆けている理由もである。
この二日の長駆は武勇でも力でもなく心と忍耐の戦いでもある。
皆に疲労の表情は見えるが若手である加藤清正や福島正則にはまだ笑う元気がある。
与力の山内一豊の必死の形相に比べて、彼の乗る美しい馬が喜々として駆けている姿を面白くも感じた。
意外であったのがひ弱な石田三也が脱落せず歯を食いしばって付いて来ている事、これには気性が合わぬと普段は距離を置く清正に政則も驚嘆し、彼に激励の声を掛けている。
目指す姫路城まであと数里、痺れる頬からは血の気が引き、気を緩めればすぐに意識を遠くに持ち去られそうになる。何かを考えていなければだめだ。
そうだ、自分は一体何をしているのだ。なぜこんな辛い思いをしながら駆けているのだ?
長浜城に残した母とおねの為か? 無事であって欲しい。
眠っていた忠義心が目覚め、信長公を亡き者とした明智光秀に対する怒りが自分を駆けさせているのか? いや、違う。
心の底を流れるこの寒さと言い様のない不安な気持ち。これは恐れというものだろう。一体何に対する恐怖であるのか?
毛利家を騙した事はすでに露見しているはずだ。
彼等との決戦の地となる高松から一刻も早く離れたいという気持ち。それはある。
明智、明智光秀。そうだ、これは明智光秀の存在に対する恐怖か。
明智光秀が織田の全てを奪い去る。自分の持つ大権や領地や富、それら全てが奴めに奪われる事への恐怖だ。
まさかあの男にそんな事が出来るなど考えた事も無かった。
あれこそ忠義一筋を絵に描いた様な男だと思い。その不器用さを利用して何とか奴めを追い落とせないかとばかり考えていた。
その姿が全て演出であったというのか、儂はまんまと騙されたのだ。
そしてあの織田信長公でさえ出し抜かれた。恐るべき男よ明智光秀。
転進した軍と共に移動していては機を失う。全てを光秀めに奪われる。
明智光秀を討つために織田信忠様が必ず兵を挙げ動く。織田が一丸となれば明智光秀など恐れるものではない。
そして明智光秀を討ち果たした後の織田政権の一翼にこの儂が収まる為に、まず誰よりも早く信忠様の元へと馳せ参じるのだ。
北陸の柴田や東国に配されている将達に先を越されてしまえば、彼等はそれを理由に儂の力を削ごうと考えるだろう。
今自分の目の前には、明智光秀との決戦の前に、その討伐軍に誰よりも先に馳せ参じるという政治的な戦いがあるのだ。その戦いに儂は勝つ為に、今こうして駆けているのだ。
乗馬の歩調は自身の気の焦りとは裏腹に緩やかに感じる。もどかしい。
急げ、急げ、急げ。もう少しだ。
* *
羽柴秀吉が織田信長公の凶報を知ったのは六月三日の深夜。
彼が急ぎ呼び出したのは腹心の蜂須賀正勝と自身の目付役として信長公が送って来た与力の堀秀政の二人であった。
二人には事の次第を伝え、まず堀秀政を誰よりも先に先行させ摂津国の池田恒興の元へと走らせた。
池田恒興の守る巨大な兵站庫の莫大な物資を我が軍に提供させる為にである。
今の織田領内の兵糧備蓄はどの城も厳しい。明智光秀もその軍を維持、拡大していくならば、摂津国の兵站庫を狙うは目に見えている。
これを奴よりも先にどうしても押えておく必要があるからだ。
織田信長公と縁深い池田恒興が謀反人明智光秀に加担する事はまず無い。だが彼は織田の本国衆であり自分を見下している所がある。
羽柴秀吉の名で物資提供を求めても断られる公算が大であり、その為の堀秀政の出番であった。
織田信長公の右腕と呼ばれる程の地位にある彼の言ならば、池田恒興も了承すると踏んでの事である。
蜂須賀正勝には一人姫路城を目指してもらう。
姫路城にて触れを出し、新たな軍をその地で動員する為である。黒田孝高の献策で、毛利討伐には最大動員数四万の半分に当たる二万の軍のみで出陣した。
黒田孝高はこの西国平定の戦は長期のものになるため、二万づつの軍を交代で用いて帰郷させ、兵の士気を維持するためだと申していた。
だから姫路城下にはまだ残り二万の軍を整えるだけの余力がある。自分が姫路城に帰還するまでに、どれだけの兵を整えられるか、それを言い含めて蜂須賀正勝を発たせた。
その後、高松城には殿としておねの叔父で家老の杉原家次を入れ、更に宇喜多軍一万を毛利家との国境に配して後方の守りとした。
羽柴軍の主力二万の軍勢は弟の羽柴秀長に託し、自分は僅かの供回りだけで姫路城を目指したのである。
弟秀長率いる軍はまだ備前国の半ば辺りだろう。
軍が返す手配は万全であった。
織田信長公率いる織田家の本隊十万の軍勢の為に兵糧や秣の集積所を街道沿いの各地に整備し、夜間行軍の為の準備も整えていたからだ。
これを逆に利用するだけでよかった。
* *
六月七日深夜、羽柴秀吉一行は息も絶え絶えの状態でようやく姫路城へと帰還を果たした。
一行を出迎えたのは姫路城留守居役の小出秀政。
彼は羽柴秀吉の母の妹の婿であり形式上は叔父であるが、年齢は秀吉の方が上という関係で、加えて尾張国時代からの同郷で幼馴染みの付き合い。
人物としては大権を預かる武将では無く、野心とは別なところで地味な仕事をこなす小役人的な男であり、決して優れず裏切らずといった性格を高く買われてその地位に就いているのであった。
多くの蹄の音が近づいてくる。
馬上の羽柴秀吉の姿をその目に捉えた彼の表情はすぐに凍り付き、悲鳴にも似た叫び声に変わった。
姫路城内に駆け込んだ途端に馬から崩れ落ちる羽柴秀吉。続く供の者達も同様に落馬しその場は大騒ぎとなった。
体が重く動かない。
幾つもの手が自分に触れる。放せ、放すのだと心の中で叫びながら耳は音を失い、羽柴秀吉の意識は次第に遠のいていった。




