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水色桔梗の雫 ~異伝本能寺の変~  作者: つむぎ舞
六月七日
30/84

長浜城にて

 遠くの山に立ち上る煙に兵達のどよめきが上がる。即興で仕上げた狼煙台は上手く機能しているようだ。

 あとは夜間と豪雨時に如何にして意思の疎通を行うかである。

 夜間の通信手段としては火種を吊した凧を上げるという手も試した見た。


 長浜城にて斉藤利三さいとうとしみつは、北陸から転進して来るであろう織田家の重臣柴田勝家(しばたかついえ)の軍勢に対する為に封鎖した北国街道との連絡手段を構築している最中であった。

 柴田軍との戦は膠着した対峙に止め、織田の後継者とされる神戸信孝かんべのぶたか北畠信意きたばたけのぶおきによる仲裁を求める方針を自分は殿に提示した。

 その目論見の一つが崩れた。

 安土城から届いた知らせ、昨夜安土城が北畠信意の手の者と思われる一団に襲撃されたとである。襲撃者は撃退したが、彼等のその狙いは織田信長公の命であった事が問題であった。

 この事から伊勢国の北畠信意は、織田信長公共々明智を謀反人として葬ろうと画策していると知れた。あとは神戸信孝であるが、この様子ではそれも危ういかもしれない。

 

 織田家譜代衆の取り込みが崩れ、今また織田の後継者たる二人の協力を取り付けるという一つが崩れたのだ。

 柴田勝家軍が姿を見せるまであと十日と自分は見ている。

 こうなれば膠着を維持する戦ではなく、柴田軍を寡兵で撃ち破る算段も整えねばなるまい。また眠れぬ夜になりそうだ、斉藤利三は大きな溜息を一つついた。


「またあの方が参られておりますが」

 伝え来た妻木範賢つまぎのりたかの目が少し笑っている。

 彼の言う『あの方』とは長浜城を退去した羽柴秀吉の妻おねの筆頭女官の孝と申す女性である。この二日で三度自分を訪ねての訪問である。

 斉藤利三は妻木範賢に尋ねてみた。


「あの女官、羽柴の奥方の一行に糧食の援助をしてくれぬかと申してきたので受けたのですが、何か他にも用向きがあるのか、何か落ち着かぬ所が見受けられる。あなたは彼女をどう見ますか?」


「特に我らを探っている様にも見えませぬし、何より城内の事になどまるで関心が無い様子。私は斉藤利三殿が目的では無いかとみているのですが」

「何を馬鹿な」 

「いえいえ、女の心というものは我ら男には到底理解出来ませぬ。それにあの方は的確に斉藤利三殿を探し出します」


 思い当たる事は確かにある。

 自分の容姿が凡庸で印象に残らぬ顔立ちだという自覚はある。鎧を脱ぎ長浜城内をうろつくと、警備の兵に持ち場を離れるなと誰何されたのは既に三回は下らない。

 協力者として城に留まっている京極高次きょうごくたかつぐ武田元明たけだもとあきにどなたかと尋ねられた事もある。

 妻木範賢には城内の然るべき場所に居なければ斉藤利三殿と分からぬと注意され、あまり外へは出ない様にしている。

 そんな中であの女官だけは自分が城内の何処にいても必ず探し出して声を掛けてくる。

 最初の訪問はおね達が退去したすぐ翌日、だがここではありきたりの世間話をしただけで彼女は戻っていってしまったのだが、その夜にまた彼女は長浜城の門を叩いたのである。

 そして二度目の訪問でようやく糧食の援助を口にした。

 すぐに用意しましょうと手配させたが、受け取りは明日で良いとその夜も彼女は帰っていった。

 口実を作っては長浜城に来ている。そう思われても仕方が無い振る舞いだ。


 そして三度目の来訪となる今日、糧食の受け取りの他にも何か用向きがあるのかも分からぬが、斉藤利三はともかく彼女に会うことにした。


 この孝と申す女官との会話は普通の女人とするものとは全く異なる。

 こちらが聞きもしないのに自分に興味を引かせようというのか、この長浜の地の経済や村々の誰に話せば事がうまく運ぶだの教えてくれるのである。

 それはそれで助かるのだが、会話の節々で「あの」と言いかけては口籠もる。

 何か別の用件があるのは確かだろう。その真意を今日は何としても確かめよう。斉藤利三はそう心に決めた。

 気分を変えて見晴らしの良い城の櫓の一つに二人で登った。

 一面に広がる琵琶湖、そして陸に広がる田畑を見ながら、孝は育てている作物の種類や収穫量などを話し出す。

「孝殿、今日はその様な話は無しで、私を訪ねる真意を聞きたい」

 斉藤利三は彼女に言い聞かせるように、強い口調で言った。

「あの」

「その先の言葉が聞きたい」

「あの」

 彼女の顔がみるみる紅潮していく。

「あの、竹中重矩たけなかしげのり様はいつ長浜のお城にお帰りになりますか?」

 そう言うと、両手で顔を覆ってしまった。


 彼女はただその一言を自分に問いかけられずにいたのだ。何とも回りくどい事をするものだと思い唖然としたが、彼女の女らしい姿が微笑ましくもあった。


「竹中重矩殿の事であったか、城の者は皆、あなたが私に気があるのではと噂しておりましてね」

 孝は覆った手の指を少し開いてそこから覗かせた瞳で自分を見ると、目を逸らして少し申し訳無さそうな口調で言った。

「斉藤利三様はその、お顔が私の好みではありません」


 顔か、自分でもそれなりに自覚はしていたが、こうも面と向かって言われるとは。妻のやす以来の出来事だと斉藤利三は思わず大声で笑い出してしまった。


「竹中殿は今日安土城を出られたそうです。京に向かったと知らせが届きました」

「京へですか」

「そこから先は私も行き先を知らない」

 京はここ長浜の地からは随分と遠い。ああと孝は肩を落としてしまった。

「ですが、必ず帰って来られますよ」

「そうですよね」

 元気のない返事だった。


 その後、孝は斉藤利三が用意した糧食を乗せた牛に引かせた荷車と共に長浜城を後にした。おそらく彼女がここに現れる事はもう無いだろう。



 呼び出した妻木範賢からの報告を聞く。

「陸路での輜重部隊の人足は集め終わりましたので、早急に安土城より長浜城へ兵糧を運び込みます。ですが琵琶湖水運の要となる堅田衆の取り込みはすでに成功しているのに、なぜ船を使っての輸送をされないのですか?」

「あなたはその理由を理解しているでしょう」


「はは、何となくではございますが、思うところはあります。堅田は一向宗の多い地域であり堅田衆も湖賊、敵が潜伏している可能性のある彼等を今の安土城に近づけるべきでは無いと懸念されておられる」


「その通りです。安土城からの兵糧運搬の任を終え次第、あなたにはこの長浜城の城代を務めて頂きます」

「私の様な者に過分な言われようですな」

 斉藤利三の言葉に、妻木範賢は少しだけ微笑んでいた。


 妻木一族は我らの主君明智光秀の妻煕子(ひろこ)様に連なる一族であり、妻木範賢は煕子様の弟に当たる。

 明智内での人物評は口が達者で機転が利き、算盤に長けるというものであった。

 確かに近江国攻略時の物資手配や佐和山城と長浜城の備蓄物資の算出という面で、彼は極めて高い能力を示した。

 しかし斉藤利三の目には、漠然とだが彼がそれだけに留まらない何かを持っていると感じる事が何度かあった。

 彼を城代に任じるのは、彼の隠し持つ能力を引き出すという意味合いもある。

 妻木範賢ならば、見事その任を果たすだろう。そして彼が後方地を支えてくれれば、自分は前線にて柴田軍相手に存分に力を振るうことが出来る。


 柴田勝家率いる北陸方面軍は四万ともいわれる。

 その軍勢を相手に山本山城と長浜城の軍併せて五千の軍でそれを迎え撃たねばならない。今はそれに打ち込むことが自分の全てであった。

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