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水色桔梗の雫 ~異伝本能寺の変~  作者: つむぎ舞
六月七日
29/84

旅立ち

 安土城内は慌ただしく動いている。

 つばめ弥助やすけの二人は明智光秀が宿泊している屋敷に書き置きし、その夜のうちに安土城を発った。

 書き置きには燕の知る二つの漢字、自身の名と京という二つだけを書いただけだが、それで意味は伝わると思う。

 夜が明けてからと思っていたが、もう眠れるような気持ちでは無い。


 四人を殺した。人を撃ったのは初めてだった。

 人が倒れて動かなくなるのを遠目に見ただけで、その時は心には何も感じなかった。

 安土城の下り道は弥助の後をついていくのに必死で転ばないように足元ばかりを見ていたが、城下町へと出るとその歩みは単調になり、あの時の光景が思い出される。

 不意に青ざめ背筋に冷たいものが走る。耳の裏からつんとするような感覚がして頬に小さな痺れも感じる。

 これが恐怖? 燕は思わず目を閉じた。


 父様が自分達に鉄砲を与えたのは狩りをする為ではなく戦う為だという事は分かっていた。何と戦うのかは分からなかったが、その時は人を撃つのだという事は覚悟していた。

 覚悟していたはずだったのに。

 雑賀者は死ぬと海の向こうにある常世国とこよのくにと呼ばれる楽園に送られる。だからせめて自分が殺める人達にはその楽園へと行って欲しいと願い、この鉄砲に『常世国』と名付けた。


 息が苦しい。視界がぼやけ、赤黒い幕が目の中を覆っていく。

 燕は立ち止まった。

「燕、燕」

 弥助に名を何度か呼ばれ、大きく深呼吸した。

「燕、少し休む」

 自分の変化に気づいたのだろう。弥助がそう言った。

 無人の城下町の建物の下で少しだけ休んだ。

「大丈夫だ弥助、私は大丈夫」

 自分にもそう言い聞かせた。


「弥助は人を殺しても何も感じないのか?」

「私は、戦士だから」

 弥助の言う戦士とは、戦うと決めたら迷わない。敵と定めた者に慈悲はかけない。そういう誓いを心に立てた者の事を言うらしい。

 私もそうならねばならないと思った。


 夜明け前には出発し、暗い街道を二人で歩き続けた。

 燕は足軽装束、弥助は合う鎧が無かった為、屋敷で見つけた鎧を壊して紐で繋げたものを着物の上からたすきに縛った変わった姿をしている。

 街道は閑散としていたが、夜が明けると多くの人々とすれ違い、その誰しもがこの変わった姿の二人の姿に一度は振り返った。


 瀬田の唐橋と呼ばれる赤い橋を渡った所で後ろから十数騎の鎧武者を乗せた騎馬の一団が通り過ぎて行き、馬首を返してこちらに向かってきた。

 一人鎧を身につけていない侍が馬を寄せ自分達を見つめる。

「なるほど、これは奇妙な二人だ」

「お前は誰だ」


 燕の問いには見覚えのある小男が馬から降りながら答えた。

「こちらは竹中重矩たけなかしげのり殿だ」

「ふじた」

 藤田行政が私と弥助の手を取を掴んで言う。

「燕、弥助。勝手に行くなと言ったではないか。逸る気持ちだけでは目的は果たせぬぞ」

「ちゃんと考えている」

 言い返したが嘘だ。それを気づかれてしまった。藤田が笑っている。

「お前達の仇を探すには文字を読んだり交渉したりと色々な知識も必要になる。分からぬ事はこの竹中殿に任せて、何事も相談して決めるのだ。それに道中の路銀も必要だろう」


 しばらく燕は考えた。

 藤田が紹介した侍がどこの誰だか知らないが、自分達に足りないものを補ってくれるのは確かだろう。それに味方は多い方が心強い。

 藤田が連れて来たのだから信用は出来るのだろう。

「分かった。そこの侍も私達の仲間にしてやる」


「藤田殿、中々気の強い娘ですな。雑賀者がこのような小娘とは驚きです」

「小娘ではない。燕じゃ」

「竹中殿、昨夜の襲撃の時に鉄砲を撃っておったのがその燕ですよ」

「何と」

 竹中重矩は慌てて馬を降り、私の前で頭を下げた。

「我が命の恩人に対して失礼を申した。燕殿、許されよ」

 彼の謙虚な姿勢は気持ちよく、悪い人では無いのだろうと思った。燕殿はちょっとむず痒い。

「燕でいいよ」

「では私のことも重矩と呼んでください」

 互いにぎこちなく笑い合った。


「竹中殿、隣の黒人は弥助と申してな、本能寺で唯一生き残った小姓の一人だ。それに武技についてはかなり腕が立つ」

 昨夜の襲撃を藤田行政と弥助の二人だけで最後は撃退していた。それに思い至ってか、竹中重矩は弥助の腕や腰を軽く叩きながら頷いている。


「すぐにお前達を追いかけようと思ったのだが、色々と準備があってな」

 藤田行政が合図すると一頭の巨馬が引かれてきた。

 弥助の目が乗り手のないその巨馬に釘付けになっている。


「徒歩では何かと不便であろう。これは鬼葦毛おにあしげ、織田信長公お気に入りの馬だ。本能寺での奮戦の褒美として殿がお鍋の方より弥助にと授かってきた。

 鬼の異名を持つ馬ならば弥助に相応しかろうとも申されておった」


 弥助は馬の首筋に静かに触れて何か耳元で囁いている。馬は少し鼻息を荒げ、蹄を何度か鳴らした。

「少し荒い、でも馴れるでしょう」

「ふじた、私は馬には乗れぬ。馬を貰っても困る」

「馬には二人のどちらかに乗せて貰うのがよいだろう。燕にはこれを、殿からじゃ」


 巻かれた布を取ると少し短い刀、脇差しが現れた。小柄な自分が使うに相性がいいが、私には常世国がある。刀を貰っても持て余すだけだ。


「その刀はお前達の後ろに明智が付いているという証となるだろう。殿は随分惜しそうな顔をしていたが、今はそれしか無いと申されての」


 郷義弘ごうのよしひろの脇差し。

 織田の要職にある者、明智光秀と交流のある者ならば、それが彼の愛刀である事は知っている。明智光秀が安土城に向かう際、織田の譜代衆を説得する為に自身の腹を召す覚悟もあり、その為に持参していたものである。

 その柄の目貫には明智の桔梗紋が入れられている。

「よいか燕、弥助。お前達はもう明智者なのだ。いつでも我らの元へと戻ってこい。いいな」

「ふじた、ありがとう」


「名残惜しいが、これから儂は殿の命で大和国へと向かわねばならぬ。お前達の目的、必ず果たせよ」

 藤田行政はそう言うと馬に乗り、供の兵達に出発の合図を送った。藤田行政が合流すると、馬群は一気に速度を上げて走り去る。



 しばらくその場に止まり、弥助が馬と格闘するのを眺めていた。

 あのように大きな馬を操るのは難しいのだと竹中重矩は言う。

 馬は慣れない乗り手にしばらく暴れていたが、何とか落ち着き弥助に従うようになった。弥助が額の汗を拭いながら戻って来る。

 出発の時である。燕は二頭の馬の前に立って弥助の馬の方を指差した。

「弥助の馬の方が大きい。そっちに乗ってみたい」

「燕だめ、まだこの馬危ない」


 弥助にまだ無理と言われては仕方ない。燕は竹中重矩の乗馬の方を見る。弥助の馬に比べると子馬の様にも見える。

「重矩、馬とはどこから乗れば良いのだ?」

「燕は大小の刀を差していないのでどちらからでも構いませんが、武士は総じて右から馬に乗ります」

「そうか右だな、よし」

 差し出された竹中重矩の手に引き上げられて彼の前に同乗させてもらった。


 小さな方の馬だが初めて見るそこからの景色は、驚くほど高く感じた。

 鞍に伝わる揺れで股が痛い。拍子をうまく取れるようになれば、それにも慣れるのだろうか。

 馬はまだ早足で歩いている程度だが、それでも頬に当たる風は心地よかった。

 燕は歓喜の黄色い声を、何度も上げていた。

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