襲撃
明智の兵達は皆陽気だった。
燕は笑い話に華を咲かせる皆の姿を見つめていた。
夏の夜は暖をとる必要は無いが、闇の中より火の側の方が人は落ち着くようで、長い階段沿いに建てられた屋敷の中に入り込んで早い者は眠ったりしているが、起きている明智の兵達は外の小さな火種の側に集っては歓談している。
彼等は織田信長という大国の主が襲われたことは大変な事なのだと思ってはいるが、その織田信長は無事に救い出されてここ安土城にいると伝えられている。
それによって何が変わり世の中がどう動いていくのか、そういう事は上の偉い人達が考える事で、彼等自身は兵士としての仕事をするだけだと割り切っている。
兵士というのはそういうものなのかもしれない。
自分は皆の様に火には極力近づかないようにしている。
首飾りの様に首に下げた早合の束、その木の筒にはそれぞれ一回分の射撃に必要な火薬と弾が詰めてあり、五つの筒のついた束を二つ首に掛けている。
それに腰には木製の火薬入れも身につけているし、衣服には火薬の粉が付着していることもある。
普段から火に近づかないのは自分の身を守るためでもある。
燕と弥助のいる兵の溜まりの一画は、毎日の様に賑やかであった。
陽が落ちてすぐの短い時間だけではあるが、藤田行政が日に一度は必ずここに訪れてきていたからだ。
当初は重臣藤田行政の姿に萎縮していた兵達であったが、彼が燕と弥助の二人と明智の兵達の間に入って馬鹿話をしたり、岩のような顔を崩してぎこちなくも面白い踊りを披露するなどして場を和ませ、二人と兵達のぎこちない関係もそんな中で自然と解消され、今では普通に仲間として迎えられていた。
怖そうで変な顔の男だが、燕も弥助もこの藤田が好きだった。
明智の兵達が眠りに入り燕の弥助の側からも人気が消えると、二人は總見寺下の斜面の茂みの中へと移動した。
兵達の溜まりから離れるのには理由があり、今後のことを二人だけで話すためだった。夜ごと二人で暗い闇の中、夜の琵琶湖を眺めながら自分達の計画を練っていた。
実際には弥助に何か案があるわけではなく、燕が住んでいた京の長屋に向かい父の持ち物を探すというぐらいしかまだ話し合えてはいない。
妹の雀の亡骸の冷たさは今も覚えている。
必ず仇を探し出す。この気持ちだけは揺るぎない。自分にとっての今の敵は織田信長でも明智光秀でもない。
あけちが言うには、その敵は私と弥助だけではなく、明智にとっても敵なのだと言う。だが明智は今は大変な時、しばし時をくれと言われた。
待てるわけが無い。
夜が明けたら弥助と共にこの安土城を発とう。もう一人では無い。弥助がいてくれる。
いつの間にか眠っていた。弥助に揺り起こされた。
声を出そうとした口を大きな手で押えられて目がかっと開いた。飛び起きた自分に静かにと合図を送る弥助に目で相づちを打ち、弥助が指差す闇の中を見つめた。
眼下にはジグザグに曲がりくねる石段の細道、篝火もいつもの場所にあった。
弥助が篝火の一つを指差す、明かりの下に人の足が見えた。明智の兵士が倒れている。
「燕、二十三人の黒い人達」
弥助の小声と同時に自分達の真下の石段を駆け上る黒い集団が見えた。彼等は上の城目指して駆けていく。
何がと考える間もなく弥助に腕を引っ張られて茂みの中を移動した。
寺の上の大きな屋敷の庭先から城へ向けて走った。途中、数人の明智兵が血を流して倒れている場面に遭遇した。
何者かは知らないが敵の襲撃だ。
いつもは開け放たれている上のお城への入口となる大きな黒い鉄門がゆっくりと閉められていく。
「弥助待て」
敵だとあけちに知らせなければ。
銃身から弾込め用の細い棒、カルカと呼ばれるそれを抜き出し常世国と名付けた鉄砲に弾を込める。
空に銃口を掲げて一発発射し、すぐに再装填してもう一度鉄砲を発射した。
続けて弥助と二人で「敵だ」と大声で叫びながら鉄門まで走る。
力持ちの弥助でもこの門は開けられそうにない。
「弥助、上だ」
燕は上のお城の石垣を指差して弥助の背に乗った。
弥助はそのまま、目の前の石垣を掴んで器用に上り始めた。
* *
銃声、しばらくしてもう一度聞こえた。
明智光秀は槍だけを手に寝所からそのまま庭へと飛び出した。
明智秀満と竹中重矩が外に出ていた。藤田行政と明智光慶、溝尾茂朝の三人が続いて出てくる。
上の本丸から警備の者達の敵襲の叫び声も聞こえ始める。
「秀満と庄兵衛、兵を集めよ。残りは続け」
明智光秀はそう命じて、藤田行政、竹中重矩、明智光慶の三人と屋敷の警備に就いていた兵士十数名を従えて本丸へと走った。
安土城本丸へと続く門は三つ、搦手道に続く門は常時閉鎖し、開放してあるのは正門となる西側の黒金門と東側の裏門。
敵の数は不明だが門を閉ざされれば打ち破るのに時を要する。
安土城全体では一万を超える兵がいるが、本丸内には残留した織田兵が二十名で警備に当たっているのみである。そして織田信長公の本丸天守内はほぼ無人に等しい。
明智光秀が目指したのは裏門、眼前の門はまだ開いている。倒された織田兵が石段を転げ落ちてくる。
藤田行政が先頭を切り門内へと駆け込んだ。
敵は三人、藤田行政が一人を組み討ち地面へと放り投げ、それを竹中重矩が槍で突いた。
自分を狙い来た槍を掴み引き寄せると、敵はそのまま石段の下まで転げ落ちて動かなくなった。三人目の敵はすでに明智光慶が斬り倒していた。
眼前の大きな屋敷から炎が上がる。
城内の混乱を狙っての所業であることは明白。そこは後々この城を天皇の住居にする際の居住施設として清涼殿風に仕上げた屋敷であった。
炎の明かりに照らされ、裏門の封鎖失敗を知り敵の一団、十名程が走り来るのが見えた。
「伝五、数名連れ迂回して天守へと急げ、織田信長公をお守りしろ」
「承知」
藤田行政が五人の明智兵を率いて他の屋敷横の帯曲輪を目指して駆ける。帯曲輪の廊下を走れば本丸天守側まで到達できる。
「私が明智光秀だ。何者か」
明智光秀は大声で名乗り自分の存在を知らせた。敵の一団の視線が一斉に自分に向いた。
前に出た明智兵三人が一瞬で倒された。
明智光慶と竹中重矩の二人が戦いやすいように自分から離れ距離を取ると、二人づつの敵が彼等に向かい、六人の敵が明智光秀と明智兵達の中へと斬り込んでくる。
明智光秀は息子明智光慶の名を呼んでは見たが、こちらも乱戦状態。そして光秀自身も敵と斬り結ぶ中、味方の兵士は次々に数を減らしていく。
明智光秀の持つ槍が斬りつけられ真っ二つになり、そこへ追撃の斬り込みが来る。姿勢を落とし槍の穂先を敵の足に突き立て、地面を転がって難を逃れたがそれで武器を失った。
真横から刀を振り上げ向かい来る男が見えた。避けられない。
轟音、男はまるで棒が倒れるように明智光秀の前で崩れた。
落ちている刀を拾い上げ、音のした方を振り返った。
少し軽い独特の射撃音、雑賀の娘の持つ鉄砲の音だ。闇の中で姿は見えないが、どこかにいるのだろう。
「父上、ご無事ですか」
明智光秀の側に明智光慶が付いた。彼が対した二人をどうしたのかは知らぬが、敵は既に地に伏していた。
自分を狙い向かい来る二人の敵の前に明智光慶が進み出ると、その二人の刀を流れるようにあしらいながら、光慶はあっという間に二人を斬り倒したのである。
「息子に守られる様になるとはな」
明智光慶の剣の腕には驚愕した。藤田行政が鼻高に自慢するのもこれならば頷ける。
まだ銃声は続いていた。
離れた場所にいた竹中重矩もその銃撃に救われた様で、倒れた敵を前に何が起こったのかと辺りを見回している。
燃える炎の明かりがあるとはいえ、この闇の中鉄砲で敵を仕留めるのは容易な事ではない。それも一撃で確実に討ち取るなど尋常ではない技だと言える。
そしてあの娘の所在も未だに掴めない。影の様な動きとでも表現すべきか。
まったく、光慶にもあの燕と申す娘にも驚かされる。
背後で明智秀満の叫ぶ声が聞こえた。
僅かに残った襲撃者達は駆けつけた明智軍に次々に討取られていく。
兵を率いて明智光秀は天守へと走った。
最後の石段、無数の敵味方の死体。
天守入口の扉の前で、明智光秀をはじめその場の全員が息を呑んで立ち尽くした。
藤田行政と弥助の二人だけがそこに立っていた。
二人は折れた刀を握り、入口扉に寄りかかった姿で絶命している木村次郎左衛門の亡骸に向けて手を合せている。
藤田行政が駆けつけるまでの間、味方を全て打ち倒された彼は、単身天守入口の扉を背に敵を一人で食い止めていた。
藤田行政達が加勢に加わったが味方は倒れ、最後は藤田行政一人で敵の手練れ十人を相手にするという様相、弥助が現れ藤田を助けねば彼の命も危うかったという。
そして藤田行政と弥助の二人が最後の敵を倒すのを見届けると、木村次郎左衛門はその場に崩れ落ちたという。壮烈な最期だった。
「織田信長公、鍋の方、お市様を守る為には扉を閉めねばならなかった。許せ」
天守より出て来た水野守隆は並べられた警備の織田兵達を前に大きく頭を下げ、天守の中に入った織田兵三人もその後ろで泣き崩れた。
天守警護はもうその四人しか残っていなかった。まさに間一髪、弥助と雑賀の娘燕、あの二人に救われた。そしてもう一つ、自分の命も。
「刺客を送り込むとは油断であった。まさかこれだけの軍の在る安土城を狙うとは」
藤田行政はそう申すが、警備に手抜かりがあったとは思えない。
各門の番所に兵を置き、巡回も十分に行わせていた。それでも破られた。この襲撃者達は相当に訓練された者達なのだろう。
「どの敵が送り込んだ者達でしょう」
溝尾茂朝の問いに明智光秀は答えず、ただ唇を噛みしめた。
刺客が狙ったのはこの明智光秀ではなく織田信長公の命。織田信長生存を伝えたのは織田の重臣達の中でもほんの一握りの存在のみである。
それを知る者達の中で、このような刺客集団を操る者は織田家中でも唯一人、伊勢国の北畠信意、他には考えられなかった。
織田の一族、しかも実の子が織田信長公の命を狙うというのか。
明智光秀は怒りの拳を強く握りしめていた。




