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水色桔梗の雫 ~異伝本能寺の変~  作者: つむぎ舞
五日五日
22/84

佐和山城の戦い

 六月三日の深夜、明智光秀の下に集った諸将の手勢を加えた一万八千の軍勢が斉藤利三(さいとうとしみつ)の指揮の下、密かに息を殺して佐和山城下に展開していた。

 佐和山城の複数の曲輪、西ノ丸下には明智の将である伊勢貞興(いせさだおき)、諏訪盛直(すわもりなお)、御牧景重(おまきかげしげ)の三人が率いる二千が、東の大手門には明智の将である並河易家(なみかわやすいえ)と松田政近(まつだまさちか)に京極高次(きょうごくたかづぐ)と武田元明(たけだもとあき)に近江衆を加えた一万が主力として配され、そして南ノ丸下には斉藤利三と明智光慶(あけちみつよし)、柴田勝定(しばたかつさだ)、近江衆の小川祐忠(おがわすけただ)の三千が待機している。

 井戸良弘(いどよしひろ)率いる筒井軍三千は城攻めには加わらず、佐和山城と長浜城の間に展開し、佐和山城の逃亡兵が長浜城へと逃げ込むのを防ぐための封鎖の任に当たる。


 安土城には明智光秀と共に明智秀満と藤田行政が守兵三千と共に残り、佐和山城方面となる安土山の東斜面には大軍の駐留を偽装する盛大な篝火か焚かれ、それは佐和山城からも小さな赤い点として見る事が出来る。


 展開する明智軍の中でも斉藤利三の周囲の兵の士気は特に高かった。

 斉藤利三の横に明智光慶の姿がそこにあったからだ。

 足軽や徴収兵達はあれが主君明智光秀様のご長男かと注視され、その彼が自分達と肩を並べてこの戦の先陣を切るのである。それで意気が上がらぬわけがない。


 明智光慶が見つめる先には、味方を装い場内へと逃げ込んだ近江衆の山崎片家(やまさきかたいえ)の手勢が守る本丸南の小さな出丸がある。

 そして山崎片家の手引きでこの軍は佐和山城の中枢へと斬り込む先陣となる。その大役に明智光慶の胸が高鳴る。

 落ち着こうとして体を擦り、感情をごまかそうとする自分とは異なり、横の斉藤利三も柴田勝定も平然としている。戦を知る熟練の余裕ともいうべきか、二人のそんな姿が明智光慶には羨ましく思えた。


「上手くいくでしょうか?」

「この佐和山城は広大な山城です。篝火の配置から一千の城兵は城の主郭部分だけ守るのではなく、山全体の小さな曲輪にまで散らばっていると見て取れます」


「つまり、それぞれの曲輪に割いている人員は少ないという事ですね」

「そうです。それに一千の城兵全てが詰めているわけではなく、その半数は休息中、ですから守兵の数は更に少ないはずです」


 斉藤利三は地面に石を並べて佐和山城の構造を簡単に説明してくれた。

「この城の心臓部は本丸北にある二ノ丸です。これを奪れば大手口から三ノ丸までの半分以上の防御を孤立させる事が出来ます」

「私はどうすれば良いのでしょうか?」

「この城の二ノ丸は深掘りと櫓群を設けた独立した砦、攻めには危険が伴いますのでそこは柴田殿と小川殿に任せ、若殿は私と共に本丸を包囲しながら西ノ丸から攻め入る味方の援護をします」

「わかりました。利三に迷惑がかからぬよう励むとします」

「既に山崎片家を城内に引き込んだことで、我らの勝ちは疑いありません。若殿も無茶をされませぬよう。戦に勝って私の首が飛んでは元も子もありませんからな」


 内通する山崎片家とその手勢二百の合図を静かに待つ。

 しばらくして尾根から松明をぐるぐると回すのが見えた。小川祐忠の先導で斉藤利三率いる三千の兵が斜面を一気に駆け上がる。

 南ノ丸に入るとそこに山崎片家の姿はすでに無く、彼は自分が味方として扱われている間に城の指揮所となる太鼓丸に斬り込みをかけるという。

 本丸を目指す途中の坂で、先行した山崎の手勢が倒した丹羽軍の兵のいくつかの踏み越え明智光慶は進んだ。

 分かれ道を右に行けば太鼓丸、左に行けば本丸。

 太鼓丸からも松明を回す合図が見えた。山崎片家はうまくやったらしい。

 斉藤利三に続き本丸を目指す。

 この時斉藤利三は配下の兵達に手に持つ松明を灯す様に命じた。

 千の以上の松明が灯され、それが長い列になって進むと、それを合図に佐和山城を取り囲む全ての明智軍も一斉に松明を灯して城を押し包みながら鬨の声を上げた。


 ここに至り佐和山城内のあちこちの曲輪で敵襲を知らせる板が打ち鳴らされるが、太鼓の音によって城兵に指示を出す太鼓丸が既に陥落している為、城兵はそれぞれ各個に明智軍に対するしか出来ない。

 更に斉藤利三の動きは城兵の対応よりも素早く、城片は堀切に架けた木橋を落とし攻め手を防ぐ事も出来ずに二ノ丸と本丸へと易々と明智軍の侵入を許してしまう。

 城の中心部に忽然と現れた三千の明智軍に城方の兵は恐慌し、明智光慶の走るすぐ下の曲輪からも丹羽兵が山を下って逃げ出していく姿が見えた。


 二ノ丸攻めに入った柴田勝定と小川祐忠は人の背丈の三倍はあろうかという深い堀に阻まれ、頑強な抵抗に苦戦していた。

 これにようやく応戦準備の整った本丸からの攻撃が加わる。本丸からの攻撃は軽微であるが、本丸と二ノ丸の双方から明智軍三千は挟撃される形となった。




 明智光慶は斉藤利三に命じられ、矢弾の届かぬ位置まで移動し坂道の凹みに身を隠すと、そんな自分に二十名ほどの徴収兵達が追従してきた。

 彼等は闇の中で指揮系統から外れてしまった為、近くにいた鎧者を指揮者と考え従って来ただけだった。

 彼等の方も、その将が明智光慶と知ると驚きの表情を見せていた。

 自分達のいる坂道のすぐ下の西ノ丸では、城兵による鉄砲の発射音が響き、伊勢貞興達の軍を攻撃している。


「若殿様、儂等はどうすれば?」

 兵の一人が尋ねてきた。このままただ隠れているわけにはいかない。

 斉藤利三率いるこの奇襲部隊の目的は本丸を包囲しつつ敵の心臓部である二ノ丸を奪うこと。そして残るもう一つは西ノ丸を攻める味方を援護する事である。

 兵の指揮などこれまで一度もした事は無い。だがこの時、明智光慶の感情は、戸惑いよりもその使命感を優先した。


「これより西ノ丸を攻めます。私と共に戦ってください」

 集まった二十名の徴収兵達は、怯える事無くその言葉に頷いた。武器を握り直し皆心を奮い立たせている。


 片手で進めと合図を出し、短槍を手に明智光慶は皆の先頭に立ち西ノ丸へと続く坂道を駈け下りていく。

 背後で鬨の声を上げながら、二十名全てがその後に続いていた。


 西ノ丸の裏門で十名程の丹羽勢と槍を揃えてのぶつかり合いとなった。調練で学んだ基本的な隊形である。その先頭集団に自分はいた。

 藤田行政より武技を厳しく仕込まれたが、こう敵味方が密集した状況では動きが封じられてろくに身動き出来ず、味方の兵と共に槍を突き出しながら前に押し続けるしかない。


 明智軍法では将は常に先陣をと記されているが、これでは周囲の状況も掴めず指揮どころではない。自分は前に出すぎたのだと明智光慶は悟った。

 ふいに前からの圧力が消え、体が軽くなった。敵が崩れ味方が押していく。この小さな初戦は自分達の勝利だ。


 西ノ丸へと突入した。大きな広場、櫓や建物はずっと先の方である。

 明智光慶達の侵入に気づき、丹羽兵があちこちから湧くように現れ走り来る。

 一度大きく息を吸って、明智光慶は敵兵達の前に躍り出た。

 対した敵兵の槍を躱すとその踏み込み足を槍で払い、相手を転倒させる。間髪入れずに突きを入れ、槍の穂先をもう一度捻りながら強く押し込んだ。


 調練通りの型で打ち込んでくる敵兵の攻めは読みやすい。その分城兵の練度は高いのだとも感じた。

 更に敵兵の中へと一人その身を晒し、松明で照らされる明るさの中に一人立っていた。

 声を上げ槍を大きく回すと敵兵が怯んだ様にも見えた。

 松明の明かりに照らされる自分の姿が、恐ろしく屈強な武者に見えるのかもしれない。


 明智光慶の姿に味方の兵の意気も更に上がり、各々が敵の兵士と斬り結び、その場は乱戦状態となった。

 彼等は自分の様に槍を合せるのでは無く、ますで獣の様に敵に跳びかかり、敵を巻き込み地面を転げながら持参の鎌や懐に忍ばせた石で相手を薙ぎ、殴りたおしている。

 練度の高い敵の力を封じ単純な殺し合いを挑んでいく。複数で一人を襲うことも厭(いと)わない。

 彼等の戦うその姿に、藤田行政が語る戦物語の様な華麗さは微塵もなかった。


 これが戦か。明智光慶は乱戦の中、一人華麗に槍を振るい、味方と組み合う敵をを突き助けながら歩いた。

 敵を倒し立ち上がった味方の兵は十四人だった。

 皆を集めて槍を拾わせ、改めて各々が潰す櫓を指で示した。


 眼下に迫る明智軍への攻撃に集中していた櫓の兵は、明智光慶率いる小隊に背後から襲われ次々に討たれていく。

 松明を掲げてくるくると回し、櫓から下の味方へと合図を送らせる。

 形成不利と見た敵兵数人が大きな蔵の様な場所へと逃げ込んだ。その小屋へと無理に踏み込むべきか思案していた、その時である。


「若殿様、危ねえ」

 明智光慶に危険を知らせる声が響いたが周囲は闇、すぐに反応は出来なかった。

 誰かの体が自分に覆い被さったと同時に銃声が響いた。

 二人で地面に倒れ込む。まだ息のあった敵兵が最後の力を振り絞り、この場を攻めた将を道連れにしようと狙ったのである。

 その敵はすぐに駆けつけた味方の兵によって止めを刺されて絶命した。


「しっかりしてください」

 自分を庇い倒れた兵士を明智光慶は両手で抱え込む。

「明智様への恩返しだあ」

 その兵は口から血を流し、明智光慶の顔を見つめて少し笑った。

 味方の兵達の怒りは目の前の蔵の中に逃げ込んだ敵兵に向けられた。その蔵が火薬の備蓄庫だと知れるとその蔵の中へと松明を一斉に投げ込み急ぎ退避する。


 一瞬、巨大な炎が夜空に向けて吹き上がった。

 凄まじい爆音と共に四散した火薬貯蔵庫、それが城内のあちこちで戦う丹羽兵の士気を大いに打ち砕いた。

 本丸と二ノ丸双方からの抵抗も消え、しばらくの静寂だけが辺りを包んだ。

 本丸のある山頂から明智軍の勝利の声が上がり、それを追うように明智光慶達のいる西ノ丸へと伊勢貞興達の率いる明智軍が雪崩れ込んできた。


 その傍らで一塊となった明智光慶の率いた小隊だけが静かにその場に立ち尽くしていた。

 黒く汚れた顔のまま、明智光慶は自身を庇い倒れた一人の兵士を抱きしめていた。名を問うたが、彼はそれを答える前に息絶えた。

 そんな明智光慶を兵士達が囲み、静かに見下ろす。


「そいつは港で南蛮商人に売られ外国へと連れ出される一歩手前で明智様に買い取られ丹波国に来たんです。明智様はそんな者達でも民として迎えてくださった。人へと戻してくれたと感謝していました。

 若殿様の命を救えた。そいつも満足して死んでいったと思います」


「儂等は使い捨てにされる兵じゃと思うとった。長年戦場を歩いてきたが、こんな儂等の死を心から悲しんでくれる将を今初めて見ました」

 

 そんな事を口々に兵達に言われた。喋らぬ者も皆同じ思いなのか、ただじっと黙っている。

 明智光慶にも今の彼等にどう言葉をかけてよいのか分からなかった。

 

 柴田勝定が声を上げ西ノ丸へと入って来て明智光慶の名を叫んでいた。

 戦の最中に行方不明となった明智光慶を探すよう斉藤利三が慌てて彼に命を下したのだった。自分の無事を確認すると、柴田勝定は胸を大きく撫で下ろしていた。

「光慶様、斉藤利三殿がお呼びです」

「私は」

 言いかけたが、言葉に詰まった。


 柴田勝定がその場の兵士達から事情を聞き、明智光慶を庇い倒れたその者を丁重に葬ってやるようにと彼等に伝えた。

 共に戦った十三名の兵との別れの時、彼等は一列に並び自分の姿が見えなくなるまでずっと見送ってくれていた。




 後に西ノ丸で戦った十三名には斉藤利三から特別な感状が送られ、自分を庇い倒れた兵はその一族の者を士分に取り立てると全軍に通達され、明智兵達の間ではそれは大きな話題となっていた。

 斉藤利三の行いは、自分の気持ちを汲んでの配慮では無く、明智への求心力を高める為に行われた賞罰である。

 彼は軍の統率者として兵の心を掴むことにも長けているのだと思う。


 明智光慶は今日の戦について考えた。

 初陣の時の様に馬上にいるだけでは無かったが、間近で見た戦は生々しいもので、思い描いていた華麗さなどは微塵も存在しなかった。

 人と人が命を賭して争う姿が美しいはずが無いのだ。

 自分の未熟さを思い知る事になった戦だったが、戦に対する恐怖や怯えは全く感じなかった。今はそれだけでいいと自分を納得させた。

 そして明智光慶は少しだけ眠りについた。

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