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水色桔梗の雫 ~異伝本能寺の変~  作者: つむぎ舞
前日譚
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丹波国亀山城にて①

 静かな山々に囲まれた盆地に栄える国。その国は丹波と呼ばれた。

 丹波国の三強と呼ばれたその地の有力氏族、内藤氏、波多野氏、赤井氏が織田家家臣である明智光秀あけちみつひでによって平定され既に三年の月日が過ぎていた。

 五年にもわたる織田家との戦乱とそれ以前からの氏族間の争いにより疲弊した大地の面影はもはやどこにも無く、田畑にも豊かな緑が溢れている。

 働く民の顔にも笑顔が戻り、搾取され続けた時代はすでに遙か昔の出来事のようにも思えた。


 保津川に沿い水色桔梗の旗印を掲げた騎馬隊が駆ける。

 その先頭を走るは厳つい顔の男と幼さを残す細川の若者の二人。

「若大将、もう息が切れておりますか」

「まだ大丈夫です。皆に遅れを取るわけにはいきませんから」

 若者は額の汗を拭いながら笑った。 

 その若者の名は明智光慶あけちみつよし

 今年の七月に十四歳を迎えるが、父明智光秀が織田信長公の命で各地を転戦する多忙の為、天正七年七月の丹波国北部攻略にて略式の元服の儀を終え、長岡軍との福智山城攻略に参じた。

 それが彼の初陣だった。


「馬上で姫の如く立つだけでは、戦う皆に申し訳ないですからね」

「馬術の方も様になって参りましたぞ。もう立派な若武者でございますな。そういえば若大将は愛宕山の奉納連歌の会にも行かれたとか」


 愛宕山連歌会とは、山城国と丹波国の境にある愛宕山あたごやま神社にて五月二十四日に行われた戦勝祈願の為の連歌の会で、明智光秀と明智光慶の二人が出席した。


「緊張しましたよ。実を言うと歌など学んでもよく分からない。

 父上が締めの句を先に用意してくだされていたので恥をかかずにはすみました。

 それに歌を詠んで戦に勝てるのだろうか?そこの所も私には理解出来ない。でもわずかとはいえ父上と二人で過ごすことが出来た。それが嬉しかった」


「歌で戦に勝てるならば今頃は京の公家が天下をとっているでしょうな。

 ですが戦場では紙一重という場面で起こる神懸かり的な運によって勝利が得られる事があるのもまた事実。神を味方につけることもまた大事なのでしょうな。

 まあ武士の嗜みとは言われるが、この私も歌などはとんと分かりませんでな。

 若大将は将来私の様になるやも知るませぬな」


「藤田の様な武者を目指すと申すと父上が嘆くかも知れません。

 父上はこれからは戦よりもまつりごとの時代だと言われるのですが、私は槍を振るう方が性に合っているという気もします」


「若大将は明智の跡取り。若大将が槍を振るわねばならぬ状況であれば、戦は負けという事です」

「私が槍を振るえるのは負け戦の時だけですか、これは手厳しいな」


 明智光慶のその答えに藤田も周囲の兵達も笑った。

 藤田と呼ばれた四十近い年齢の男の名は藤田伝五行政ふじたでんごゆきまさ、明智家重臣の一人で主に馬廻りを統率する武将で山城国静原山城を預けられている。

 小柄ではあるが兵からは『岩の伝五』と呼ばれ畏れられている。

 名の由来は寡黙で腕組みしながら動かぬからとも、顔が岩の様に見えるからとも言われている。


 明智光慶は藤田の語る明智者の武勇伝を聞くのが楽しみであった。

 いつか自分も華のある戦いをと夢見、その想いが彼をより武へとのめり込ませていった。


 暫く進み騎馬の一行は空き地に設けられた臨時の練兵場へと辿り着いた。

 そこでは既に数隊が調練の最中、中でも目を引くのは一斉に火を噴く鉄砲の黒煙。新編成された精鋭鉄砲隊である。


 練兵場にて藤田伝五が大声を上げると、調練の指揮を執っていた各隊の主立った者達が彼の前に集合して整列する。

 ここに集まった彼等は普段は騎馬武者として数人から数十人の兵を率いる者達、彼等の調練の間、その配下の者達は練兵場の周囲に腰掛けて、自分達の大将の姿を見物する。


 藤田伝五の指名した一人が前に出ると刀での練武を開始した。

 野戦の主流は雑兵を主とした槍部隊。しかし突入や乱戦時に備え彼等個人の武も鍛えるのである。

 明智光慶もこの中に入り刀を振るった。


 藤田伝五の「止め」の号令が響く。

 次に彼は一振りの棒を手に持ち、指名した兵に同様の棒を持たせると、自分に打ちかからせては一人一人を棒で打ち倒していく。

 自分達の大将が藤田伝五に打ち倒され土を舐める姿を見て、見物の兵達も気を引き締めるのである。


 藤田伝五の周囲に数人が打たれて座り込む。次に彼は明智光慶を指した。

 汗に濡れた顔を拭いながら明智光慶は立ち上がり、棒を両手で握り正面に構えてみせる。

 対する藤田伝五はその姿に笑みを浮かべながら腰を少し落とし、斜め内側下に片手で棒を構えた。


 明智光慶が大声を上げ走り出す。

 乾いた響きと打ち上げられた棒が一つ空に舞う。

 青空である。静かに雲が流れていく。


 小高い丘には明智軍の拠点、巨大な亀山城の三層の天守が静かに聳えていた。


          *          *


 明智光秀が丹波国亀山城に入城して三日が過ぎていた。

 近江国坂本城を離れこの地を出陣の拠点としたのは、彼の所領三十四万石のうちの二十九万石を丹波国が占め、その兵力の大半が丹波衆にて構成される為である。


 明智光秀が軍命を受け坂本城に拠ったのが五月十七日。

 軍備兵力は整えたものの山陰道からの出陣は但馬、因幡両国での物資備蓄、特に兵糧集めが難航した為に主君織田信長公に進軍路の変更を願い出てその結果待ちの為に亀山城下にて全軍が待機状態であった。

 この備蓄の滞りは羽柴秀吉が因幡国攻略に際し鳥取城攻略の準備として大量の兵糧を現地にて買い占めた為であり、次の収穫期まで兵糧の現地挑発も難しく、このまま進軍すれば明智軍が敵地で身動き出来なくなると予想できたのである。

 これに対して安土城の織田信長公より摂津国の池田恒興の元にある織田領内の大量の物資を集積した兵站庫にて補給を受け、山陽道より羽柴軍に合流せよとの通達が届いたのは昨日の六月二十八日の事であった。


 数日続いた雨も止み久々の晴れの日、濡れた鎧や笠を日に干す兵士の姿。

 城下町の水たまりを跳ねながら数騎の騎馬武者を従えた二人の武将が進んで行く。

 その騎馬の列を目にした兵士は直立し、民は顔を伏せその姿に礼を取る。そして神仏の如く拝む者まで見て取れる。

「藤田伝五は今日もまた駆けておるのか」

「光慶様を連れ出して駆けている様です」


 そう尋ねた武将は名は明智光秀あけちみつひで

 六十に届くかという年齢であるが、朱色の甲冑に身を包んだ彼の姿は依然逞しく、目は力強く生気に満ちている。

 答えた武将も明智光秀に劣らずの大柄、彼は明智譜代の臣である三宅みやけ氏の出自で三宅弥兵次秀満みやけやへいじひでみつ

 明智光秀の養女となった革手かわてを妻に迎えている。

 彼の戦場での勇猛ぶりと異なり、平時の温厚な性格は明智光秀に代わる求心力的人材で、他将や兵からの信頼も厚い。

 それらを踏まえ明智光秀は彼に明智姓を名乗らせた事から、明智秀満あけちひでみつと呼ばれており、丹波国福智山城を預けられている。

 

「明智軍が精強なのはやはり藤田殿の指揮する調練の賜物たまもの。当初は藤田殿が士分を叩き伏せる姿に皆目を丸くしておりましたが、今では誰もがその意味を理解しています」


 明智軍の馬廻りは近江国滋賀郡五万石を与えられた後に急造に整えられた。

 織田の譜代の臣とは異なり中途組の明智光秀には一族衆が極めて少なく、旧来の家臣の繰り上げ抜擢によりそれを埋めていった。

 明智を精強な軍へと作り上げる為に『明智家軍法』を定め、中でも隊を指揮する将は常に先陣を駆けよと示し、更には藤田伝五流の厳しい調練を彼等に課したのである。

 隊の上官達が厳しい調練をする姿は直属の配下となる徴収兵達の目にもとまり、自分達より過酷な調練に耐えるその姿は尊敬と戦場での信頼へと繋がるのである。


「戦の規模が大きくなる。兵の数は力ではあるが、その反面軍内に多くの徴収兵達が増えれば質の面で弱体を招く。明智軍として求める水準を維持するに我が軍は変わらざるを得なかった」

「殿は特に鉄砲隊の運用を改変されました」

「先の戦いでたかが一揆勢と侮り本願寺や雑賀衆との戦いで我らはこれ以上無い程の手痛い打撃を受けた。私は彼等から学んだのだ」

「音に聞こえた雑賀孫一ですか」

「孫一の兵は屈強な者を集めた集団で我らと同じ性質のもの。恐るべきは雑賀鉄砲千人隊と呼ばれた部隊。彼等こそが明智鉄砲隊の原型なのだ。

 射手と装填手を分離した役割分担。私はこれまで千人の鉄砲隊には千人の熟練射手が必要と思い込んでいたのだ」


「そういえば、光慶様も藤田殿の調練に何度も志願している様ですね」

「兵の調練とは別に藤田直々に武技の指導も受けている様だな。痣が残るほどに打ち据える藤田を注意すべきと伝え来る者もいる」

「主君の子息を打ち据えるは勇気がいる行動だと思います。殿はそれを止めるおつもりですか?」


「光慶自身が望んでやっているのだ。私が口を挟むべき事では無いと思う。

 織田信長公に付き従い戦場を渡り歩く間に童が一角の武者になっていた。私は子を育てたのでは無く見て来ただけともいえる。

 だからこそ我が子という立場に甘え過ごす者に育っていない事が嬉しいのだ」


 笑う自分の姿を見て明智秀満も嬉しそうな顔をした。

「どうした?」

「近頃の殿は険しい表情ばかりでしたから」


 そういえば、久しぶりに笑った気がする。

 ここ数週間の慌ただしい準備と信長公との書簡のやりとり、気持ちにゆとりが無かったのだろうか?

 否、自分から重臣達と距離を置き話す事を避けていた。


 これから始まる毛利家の討伐、そしてそれに続く九州地方への進出。

 その過程でここまで育て上げてきた丹波国と近江国坂本の地を我らは手放し新たな新領土経営をその大事業と並行して行って行かねばならない。

 これが織田信長公から伝えられた命である。

 一所懸命の精神で尽くしてくれた家臣達を土地から引き離しまた苦労させる。それを伝える事に未だ戸惑いを感じているのだ。


 明智秀満の声が自分を引き戻した。

「光慶様の武技は相当なものと聞いています。馬廻りの数人を相手に倒したとも」

「武人としてはそれでいい。だが明智の頭領となるにはまだ学ぶべき事は多い」

「光慶様はいろいろな事を経験すべきなのだと思います。武にも個人の武、軍の武、そして軍の武を支えるのが国の力、領民達の血である事もいずれは知ることでしょう」

 光慶が明智秀満の言う事を理解するにはまだ時がかかるだろう。今はただ真っ直ぐに育ってくれればいいと思っている。


 

 城下町の視察も一区切り終えた所で城を振り返った明智光秀は、急に不安な気持ちに襲われた。


 出陣出来ぬ待機状態であっても軍は物資を消費しその補充や買い付けの他、領地経営の諸事や訴訟など、軍務と政務の書類は山積みである。

 此度の戦は長期の遠征、出陣日程が正式に決まった事でそれまでに出来るだけ多くを処理しておかねばならず、城内官吏だけでは人手が足らぬと家老達も総動員したのだが、今日は明智秀満に是非にと外へと連れ出され、妻木広忠つまぎひろただ溝尾庄兵衛みぞおしょうべい斉藤利三さいとうとしみつ明智光忠あけちみつただの四人に諸事を託しての城下町視察であったからだ。


 実の所自分が目を離した際のその四人の働きについて大いに懸念が残るのである。

 うち二人は真面目に働く姿をすぐに思い浮かべられたが、残り二人に引きずられ、城内が収集がつかぬ有様になっているかもしれぬからである。

 この事を明智秀満に打ち明け問うと、彼も腕組みして黙り込んでしまった。

「やはり戻るとするぞ秀満」


 明智光秀のその言葉に、明智秀満は肩を竦めてから同意して見せた。  

 

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