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水色桔梗の雫 ~異伝本能寺の変~  作者: つむぎ舞
六月二日
13/84

近江国坂本城①

「織田信長公がご無事であられた。これで全て丸く収まりますな」

 明智に謀反の嫌疑が掛けられている事を心配していた溝尾茂朝みぞおしげともがほっと胸を撫で下ろす。しかし織田信長公が重傷を負っての救出であった事を知ると、皆声を無くして項垂れた。


 まずは京での一件が検討された。

 本能寺襲撃者と直接槍を交え、その後の掃討までを指揮した斉藤利三が自身が受けた報告を纏める。


「本能寺及びその周辺で討ち取ったの信長公襲撃者達の首は約千二百。二条御所に籠もった敵は二百程でした。二条御所に籠もった兵は少数の雑賀衆と石山本願寺の残党である事は、兵達の証言からも明らかだと思います」

 

 石山合戦の終了後に一向宗の武士団千人が海を渡り四国の城を奪い取った例があり、その様な集団の一つが織田信長公を狙ったのではないかと斉藤利三は自身の見解を述べる。

 これには二条御所の戦闘に直接参加した藤田行政ふじたゆきまさも同意した。


「敵は京の総構えを破り本能寺へと押し寄せたのでは無く、地下通路を通じて京の都へと侵入した形跡がある。つまり随分と前から京郊外に潜伏し襲撃準備を行っていたという事になる。少数の刺客ならいざ知らず、長期に渡って一軍としての形を成したまま兵を潜伏させるのは容易な事では無い」


 軍は長く形を崩すとむ。それに京の郊外とはいえ異様な集団がそれ程長く人の中に滞在していれば、必ず村井貞勝の京都警備隊や京の民に察知されたに違いないと斉藤利三は言う。


「つまり利三は事前に織田信長公の入京を知っておらねば不可能というのだな。しかも襲撃軍の潜伏を支えるだけの力を持った協力者がいると」


 明智光秀の問いに斉藤利三は頷き、さらに付け加えた。

「そうですね。最低でも一ヶ月以内の潜伏が軍としては限界と考えます。ですから織田信長公の入京をそれ程早くに知り得る人物は限られてくるのではないでしょうか」


 織田信長公の入京は織田家中の者にも告げられぬ極秘事項。京に最も近くにいた我らでさえその知らせが届いたのが五月の二十九日。

 しかも公には織田信長公の指揮する軍の編成は十日後、しかも近江国安土城にてとなっているのだ。

 今回の織田信長公の入京もいつもの気まぐれ、それをどうやって一ヶ月以上前から察知し準備していたというのか。


「公家の内通が考えられませぬか?」

 溝尾茂朝がそう述べた。

 織田信長公が入京して数日、訪れ来た貴族達を宴席でもてなしている事をその根拠として例に挙げた。

 ここで一つ明智光秀が気になる人物の名を一人挙げた。

「本能寺襲撃軍を指揮していた将の首は、間違いなく織田家の元家老、林秀貞はやしひでさだ殿であった」


 林秀貞は織田信秀おだのぶひで織田信長おだのぶながの親子二代に渡って仕えた家老である。

 一年前の重臣佐信盛信盛(さくまのぶもり)等の追放処分に異を唱えて処分され、その年に京にて亡くなったと聞く。


「だが林殿は内政方面の事務方で高齢でもあった。とても今回の襲撃を一人で画策出来る様な人物では無い」


 斉藤利三がこの襲撃そのものについても思うところを述べてきた。

「大陸から伝わる兵書には敵城へ民に扮した兵を潜ませ内部から城を攻撃させた事例がある。しかし我が国では余所者が土地の城に紛れ込むのは容易ではない。

 しかし我が国にも例外がある。それが京の都だ。

 京の都の造りは唐土からの都洛陽(らくよう)にも例えられ、多くの他国者が行き交う特質はそれに通じる。今回の襲撃がその策を模して練られたものであれば、敵は兵書に通じる者かも知れませぬ」


「兵書に通じるというのなら、儂は徳川家康を疑うぞ。彼なら軍を養う力もあるし公家や林殿とて動かせよう」

「伝五は突拍子も無い事を言う。しかしそれも今は否定できぬか。水野殿はこれまでの話を聞き、何か思う所はありませぬか?」


 明智光秀に尋ねられて、評定に同席していた水野守隆みずのもりたかが難しい表情で思うところを答える。

「毛利家や長宗我部家の画策という事は考えられませぬか?」


 すでに敵対していた毛利家はともかく、四国の長宗我部家が織田に反旗を翻した理由を突いている。それが織田信長襲撃成功を確信しての行為であったとも考えられるからだ。

 だがこれには斉藤利三が異を唱えた。


「外敵であれば織田信長公のみならず、織田信忠様も同時に亡き者にしようと動いたはずです。確かに信忠様は二条御所にて亡くなられた。しかし信忠様の滞在先妙覚寺は襲撃されていませんでした。

 私は今回の襲撃が織田信長公のみを狙って行われたと推察します。そうなると織田信長公のみを殺害しながら、織田の世を存続させる意図を持った者」


「つまり利三は我ら織田家の内部に敵がいると、そう言いたいのだな」

「そうです」

「信忠様は信長公よりも前に京に入られその存在が知られていた。しかし利三の申すとおり滞在先であった妙覚寺に襲撃者は手を出していない。つまり今回の襲撃では信忠様は標的にはされていなかった」

「二条御所に入らずそのまま京から逃げていれば生き延びられた。信忠様はその不運が重なりお亡くなりになられたと考えるべきだと私は思います」


 織田信忠の死に、その場の皆はただ「なんと不憫な」と声を上げ険しい表情になった。


 意見が出尽くしたとして、明智光秀が評定の内容を取りまとめようとした所に溝尾茂朝が口を挟んできた。

「朝廷の画策ではないでしょうか」

 その言葉は明智光秀の胸を突いた。


 確かに彼の申す通り、織田政権の上に位置しようとする朝廷と織田信長公との間の対立は誰の目にも明らかであった。

 朝廷と本願寺顕如ほんがんじけんにょとの結びつきは未だ強く、正親町おおぎまち天皇の一番の資金源は織田に敵対する毛利家である。

 二条御所に居を構える親織田派の誠仁さねひと親王が事を知らされず、二条御所からの退去が遅れたのもそれならば納得がいく。

 付け加えるなら石山本願寺との和睦に尽力した公家の近衛前久このえまえひさがいち早く屋敷から姿を消していた事とも辻褄が合う。

 朝廷の天皇一派による織田信長公暗殺は十分に考えられるのだ。


 しかし織田信長公は天皇を冠した日ノ本の統治を目指しており、朝廷も織田政権の一翼を担う存在として存続させる事を公言していた。

 あの公家達が積極的に織田信長公を排除しようと画策するであろうか?


 朝廷の件については明智光秀自身が乗り気で無いと感じると、溝尾茂朝は言葉を濁し、他の者もそれ以上はその事に言及しなくなった。


「曲直瀬道三殿が参られました」

 そう伝えられ、評定は一旦中断とした。


          *          *


 曲直瀬道三の語る織田信長公の治療についての説明は、それを聞く皆にとって決して明るいものでは無かった。


「織田信奈は公の胸の傷は鉄砲傷であり、大きく胸の肉がそぎ取られております。まず体内の弾を抜き裂傷を縫合。臓の腑にも銃弾が達し、小さな血の管から出血が止まらぬ為圧迫し出血を抑える応急の手当てをまずは行いました。

 しかしやはり臓の腑の出血が収まらぬ為、伝え聞いた南蛮知識、熱した油を直接傷口に注ぎ込み血の管を焼き止血する方法です。これにより失血は収まり、私が施せる金創治療(外科的治療)は全て終わりました」


「それで織田信長公は助かるのだろうか?」

「織田信長公は体が冷え色白の相が出ております。命を維持するための血を多く失われているという事です。

 この相が出た者で助かった症例を私は知りませぬ」


「曲直瀬道三ほどの者が言うのだ。それは事実なのですな」

「治療にて命数を数日延ばせたという事でしょうが、回復しないとも言い切れないのです。生きる力とは不思議なものなのです。

 後は私が専門とする調合薬による治療となりますが、最善を尽くすことをお約束致します」


 明智光秀が深く頭を下げると曲直瀬道三も一礼し、静かに退室して行った。


          *          *


 明智光秀は改めて評定を再開した。

 敵は石山本願寺の残党と雑賀衆とし、それ以上の詮議は確証が無いため一旦は保留とし、まずは次の行動方針について皆に問うた。


 先程の曲直瀬道三殿の話を聞いて、重臣達がまず口にしたのが織田の後継者争いの誰に付くべきかであったが、一人斉藤利三だけは「それどころでは無い」とそれらの発言を一蹴した。


「我らは今、織田に対する謀反人なのです」


 織田信長公を擁し安土城城番衆の水野守隆殿も側におられる。その事でその件は解決したと皆思い込んでいた。


「織田信長公もその身の安全の為に死んだとしてある。信忠様の死もすぐに知れ渡るでしょう。そうなると織田の後継を狙う二人、神戸信孝(かんべのぶたか)(後の織田信孝)と北畠信意(きたばたけのぶおき)(後の織田信雄)はその実力を家中に示すために明智を討とうと動くでしょう」


 話を続けるべきかと問う斉藤利三の視線に、明智光秀は頷いて見せた。


「我らはこれから挙げる三つを目的として動かねばならぬ。

 それも出来るだけ早くにだ。

 一つ目は謀反人の嫌疑を晴らすこと。二つ目は明智軍を維持し続ける事、そして三つ目に織田の後継者と目される二人に事態を静観して頂く事」


「具体的にはどう動くべきだろうか」

 明智光秀の問い対して答える前に、まず斉藤利三が溝尾茂朝に質問した。

「溝尾殿、我が軍の兵糧はあと三日で尽きると思いますが、どうでしょう」

「兵糧は丹波国から出た際の手持ち分しか無い。ここ坂本城の備蓄を放出してぎりぎり五日という所でしょうか」


 明智軍が兵糧不足で瓦解する寸前である事を、明智秀満も藤田行政も頭には無かった様だ。二人してそれは一大事と今更ながらに騒ぎ出す。


「安土城へ入るしかありませぬ。安土城の織田家譜代衆の方々を味方として明智謀反の嫌疑を晴らし、安土城にある潤沢な物資兵糧をも手に入れる。堅固な安土城に明智軍が籠もれば、神戸信孝と北畠信意の牽制にもなる」


「なるほど、斉藤利三の挙げる三つ全てを安土城に入ることで満たせるわけか」

 藤田行政が頷き、この意見に反対する者は誰もいなかった。

 ただ、溝尾茂朝だけが安土城が簡単に明智軍に城門を開くだろうかと懸念した。


「織田信長公を擁して開門を迫れば容易です」

「織田信長公の今の容体では、それは危険すぎる」

「織田信長公の姿を譜代衆や城兵に直に見せねば、城を攻め落とさねばならなくなります。それでは謀反人の嫌疑を晴らすことが出来なくなる。ですが、こればかりは我らが決める事では無い。殿の判断に委ねたいと私は思います」


 その場の一同の視線は明智光秀向けられた。

 

 織田信長公は織田家による日ノ本統治の拠点を安土城とは考えておらず、その為の新城を大阪と定め丹羽長秀にわながひでが現在その築城に取りかかっている。

 新城完成の後に安土城は天皇の住まいとすると決められており、その為の住居もすでに整えられている。だが、織田信長公は自分に言った。


 天下を統べる新城は織田を新たに治める者が継げば良いと。そして自身の命数が尽きた時、自分は安土城にて眠ると。

 上に天子を頂き下に民を抱く、ここ安土の城には小さいが自分の目指した天下の形があるからだと笑いながら申され、その為に織田信長公自身を祭った總見寺そうけんじを城内に建立したのだと。


「命数が尽きるというのであれば、織田信長公はここ坂本の地で果てるべきでは無い。安土こそが相応しいと思う」

 

 明智光秀のその言葉に明智秀満が反応した。

「殿は決断された。皆、腹を括ろう。まずは安土城に軍を入れる。全てはそれからの事だ」

 その場の皆が頷くと、斉藤利三が安土入城までの手順を申し述べる。


「安土城入城には瀬田の唐橋の修復が必須。それまでの時間も無駄には出来ません。織田信長公生存の急使を各地の主立った者に送り、それと同時に安土城にも船で使者を出し織田家譜代衆の説得もしておきたい」


 水野守隆の賛同も得て明智光秀は今後の具体的な決定を下した。

 まずは各地に散り戦闘中である柴田勝家や羽柴秀吉といた各軍団長に織田信長公の生存と明智謀反の誤報を伝える急使を送る。

 堺の徳川家康については当面所在の確認のみでよい。


 大阪の神戸信孝と丹羽長秀の元には明智光秀の娘婿で織田一族の津田信澄つだのぶすみがおり、まずは彼の説得から始める。

 近江国と若狭国の諸城にも使者を出し、明智に協力せねば武力行使も厭わぬとの警告を発することにした。


 琵琶湖水運の調略には斉藤利三を充てた。

 琵琶湖北の堅田湖賊の水軍頭である猪飼昇貞いかいのぶさだは、その息子の猪飼秀貞いかいひでさだが明智家に仕え明智姓を賜る厚遇を受けている事から親明智派であり、その交渉は容易であると考えた。


「丹後国の長岡藤孝ながおかふじたかには私が直接手紙を託す」

「殿と長岡殿は旧知の間柄で姻戚関係。まず我らにお味方くだされましょう」


 溝尾茂朝の言う通り、長岡家は最も信頼できる勢力と考えている。

 明智光秀は元は藤孝の家臣であった。

 足利義昭の没落と織田の栄達により立場は逆転したが互いの親交は今も続き、藤孝の息子長岡忠興(ながおかただおき)は光秀の娘玉子(たまこ)の夫でもある。

 明智光秀は長岡藤孝の力、その武力よりも今の明智に足りぬ政略面での手腕が是非とも欲しいと考えていた。


 そして安土城に出す使者として、織田信長公と城番衆の水野守隆殿を伴い、明智光秀自身が織田家譜代衆の説得のために一人乗り込むと皆に伝えた。

 これには危険すぎると反対もあったが、それ以外に手は無いと無理に押し通した。

 織田信長公を擁して赴くという点で、重臣達は皆折れてくれた。


「庄兵衛、瀬田の唐橋の修復についてはどうか?」

「人足を動員し、六月四日には終わるとの事です」

「では軍の安土城へ向けての移動は六月四日。それまでに丹波国亀山城の兵と京に駐留している筒井軍を呼び寄せ明智本隊に加える。坂本城には一千を残し、残りの全軍を以て安土城を目指せ。途中刃向かう勢力があれば武力にて排除せよ」


 評定が終わり諸々の手配完了の報告が終わると明智光秀は重臣達にも休息を命じた。

 陽は落ち夜空には星が広がっていた。

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