二条御所の戦い
何者かは分からぬが、明らかに本能寺襲撃犯の一味と思われる軍勢が立て籠もる二条御所。
これを放置する訳にはいかず、主君明智光秀に代わりこの場の仕切りは明智秀満が執り、斉藤利三と藤田行政の三人とで御所攻めの策について協議した。
「我らには鉄砲に対する備えが殆ど無い。まずは弾避けを揃えたい」
明智秀満の提案には藤田行政が同意し、その手配は自身が行うと告げる。
「あの鉄砲が厄介です。あなたの意見が聞きたい」
斉藤利三は明智軍の鉄砲奉行を務める御牧景重を呼び出し皆の前で敵の鉄砲にに対する意見を求めた。
「あの射法は明智鉄砲隊のそれによく似ています。ですが見たところ鉄砲の数は二十そこそこ。一カ所を攻めれば火力を集中されますが、四方より同時に攻め立てれば敵も鉄砲を分散せざるを得ないでしょう」
そう述べると彼は一つの建物を指差した。
「鉄砲隊の一部を北西のあの建物の屋根に登らせれば中を狙い撃てると思います。熟練射手を選んで私が直接指揮しましょう」
「あの建物はかなり高位の公家の屋敷ではなかったかな。確か近衛家の、そこから御所に向けて発砲する事に協力してくれるだろうか?」
この斉藤利三の問いには明智秀満が強い口調で言い切る。
「今は非常時、俺が直に乗り込んで無理矢理にでも協力させてみせる」
「奴等、仏罰とか言いおったな。何者であろうか?」
「藤田殿、敵の詮索は後でやりましょう。今は御所制圧に集中しましょう」
皆が頷いた。弾避けの準備の為に藤田行政が去ると、入れ替わりに溝尾茂朝が戻って来た。
「殿は気落ちしておられる。信忠様の死が堪えたのでしょう。ですが誠仁親王を無事に救い出せと一言だけ申された」
その言葉に皆黙り込んだ。
二条御所は敵に制圧されている。親王やその一族、その世話をする番衆の貴族達は無事なのであろうかと。
「敵と交渉してみるか」
「斉藤殿、それは危険すぎる」
先に負傷した明智光忠の例もある。
溝尾茂朝は反対の意を唱えたが、斉藤利三はいつも通りの軽口でなぜそうすべきかをさらりと言ってのける。
「溝尾殿や秀満殿は明智にとって大事なお体。藤田の厳つい顔では交渉になりませぬ。最も藤田では満足に口上も述べられぬでしょう。なので私の様な男が丁度良いのですよ」
無茶な言い分だが、引き抜きで重臣に加えられた新参者として、他者を危険に晒すまいという彼なりの心配りだろうと明智秀満には思えた。
「ではその交渉、斉藤利三殿に任せます」
それぞれの役目を担って皆別れていった。
明智秀満と御牧景重が近衛前久邸に乗り込んだとき、そこは既に無人であった。
その理由を詮索する余裕は無い。
御牧景重は鉄砲組と弓組の手練れを御所内からは見えぬように配し、号令と共に全員が屋敷の大屋根へと登る準備を整える。
全ての音が消え、辺りは静まり返った。
下馬して兜を脱ぎ、鎧だけを身に纏った斉藤利三が御所の大手門へと一人歩み出て行く。
明智軍の兵士から「あれは誰だ」とざわつく声が聞こえる。
明智家重臣斉藤利三と認識されないその声に、斉藤利三は肩を落としつつ立ち止まった。
御所内から一発の銃弾が発射され、斉藤利三の足下へと着弾したが、彼はそれに怯える事無く両の手で自身の頬を二度弾いて気合いを入れると、大声で口上を述べ始めた。
「誠仁親王とその御一族はこの争いには無関係。戦火に巻き込まぬ為に退去させては頂けぬだろうか?」
沈黙する御所内に向けて斉藤利三は口上を続ける。
「仏は心の神、皇族は人の世の神。神を傷つける罪深さはお主達にも理解出来るだろう」
しばらくして、御所内から返答の声が上がった。
「我らとて、この戦で皇族や公家に危害を及ぼすつもりは元より無い。退去させるまでそちらからの攻撃は控えてもらえるだろうか」
「そちらの申し出、この斉藤利三が了承した」
この交渉内容はすぐに明智秀満の元へも伝えられた。
あっけなく敵方が斉藤利三の交渉に応じたため、何か拍子抜けだった。
* *
二条御所内の小さな蔵の一つに、雑賀衆の頭領田造の双子の娘、燕と雀は体を縛られ捕われていた。
蔵の外には見張りもいる。あまり迂闊な事は出来なかった。
暗い蔵の扉が開くと、父田造と僧形をした見知らぬ男が入ってくる。
「田造、二人のうち一人を選べ」
「父様、何?」
燕の問いに父田造が答える。
「どちらか一人だけこの二条御所から出してやれる」
その言葉だけで燕は察した。つまり自分か妹の雀のどちらかだけは生き残れる。
そういう事だ。
「雀を」
迷わず燕はそう答えた。
「かあ姉」
「その名は呼ぶなと言うたじゃろ。私は燕じゃ」
「どちらでもいい。比叡山に味方の軍がおる。そこの覚と申す者に事は成ったと急ぎ伝えよ。その援軍が間に合えば、我ら皆、生き残れるかもしれぬぞ」
僧形の男はそう言い放つ。
縄を解かれた雀が立ち上がり、僧形の男に確認する。
「事が成ったと伝え、援軍を呼ぶ。それで皆が助かるのだな」
僧形の男が頷くと、雀が自分に抱きついてくる。
「かあ姉、行ってくる。私が皆を必ず助ける」
「雀、励めよ」
二人頬を寄せ別れを告げた。
僧形の男に引かれて雀が出て行き、その場には父様と自分だけが残った。
「燕、すまぬ。お前は助けてやれぬ。儂と共にここで死ぬ」
僧形の男の言う援軍の話は嘘か、援軍がいたとして到底間に合わぬという事だろう。それでも妹の雀だけは何とか助けられた。
燕は無言で父田造に頷いて見せた。
* *
両軍が睨み合う中、二条御所の大手門が静かに開かれる。
姿を現したのは騎乗した華奢な体つきをした男性。誠仁親王その人である。
誠仁親王退去を聞き、主君明智光秀もその出迎えに出ていた。
「織田信長公に擁立された我が身は、織田信長に殉じて腹を召すべきであろうか?」
「明智は親王様に危害を加えるつもりはありませぬ。但し馬や籠は使わずに御退去願いたい」
明智光秀はそう答えた。未だ織田信忠様の死に自失状態なのであろうか、その言葉は淡々として事務的なものに明智秀満には聞こえた。
番衆の公家十人を先頭に改めて姿を現した誠仁親王は、その番衆の一人の背に背負われており、その後ろに親王一族とその世話人と思われる女人達が続いた。
誠仁親王一行は大手門を出ると東に進み、二条御所を囲む明智勢の面前を歩きながら内裏の方向を目指した。
この騒ぎを遠巻きに見ていた連歌師にして有力な町衆でもあった里村紹巴が、この親王退去の哀れな姿を見かねて荷輿を用意して明智光秀の前に現れた。
里村に迫られて、殿も誠仁親王に対する自身の非礼にはっと気づいたようである。
里村の心配りに礼を述べ輿の使用を認めると、彼等は慌てて親王一行を追いかけ、二条御所の東門辺りで誠仁親王を輿に移すと、自ら率いた自警団と共にそれなりの行列を作って内裏の方角へと去って行った。
同時刻、内裏より吉田兼見と観修寺晴豊の二人の公家を使者とし朝廷はこの騒動を明智光秀に求めきた。
吉田兼見と殿は親密に過ごした時期もあると明智秀満も以前聞いたことがある。
しかしその彼にも、殿は敵はただ賊とだけ告げ、織田信長公や織田信忠様の事は何一つその場では語らなかった。
そして賊を討伐後に京の治安回復に努めると伝えただけだった。
* *
一時の両軍の平和な関係は、明智軍の方から破られた。
明智秀満の号令で二条御所への一斉攻撃が開始されたのだ。
幾つもの長梯子が水堀を越えて掛けられ、南の大手門と東西の両門の全てを打ち崩しにかかる。
二条御所に立て籠もる敵の抵抗も激しい。
巧みに身を隠し梯子を渡る明智者を的確に鉄砲で狙い撃ってくる。何人もが水堀へと転落していき、門前では並べられた弾避けの盾が幾つも弾け飛んだ。
それでも数は明智方が圧倒的。二条御所へと取り付いた味方は玉火矢や棒火を投げ入れ、御所内の建物を燃やしにかかる。
大手門の敵勢が崩れると伊勢貞興の手勢が先陣を切った。
二十四才の当主に率いられた荒削りだが明智勢の中では最も勢いがあり破壊力の大きな隊である。それに続き藤田行政も突入する。
一斉に二条御所内へと雪崩れ込んだ明智勢は、その数にものをいわせて鉄砲を持った敵を乱戦の最中に引き入れ打ち倒していく。
敵は内側の御殿に退こうとしたが、御殿の門の内側は近衛前久邸からは格好の的、御牧景重の率いる手練れの鉄砲隊が屋敷の高屋根に現れると、内部の敵を次々に狙撃していく。
ついには御殿内にも明智軍が突入して勝敗は完全に決したが、敵は降らず最期まで激しく抵抗を続けた。
槍に突かれ腕を斬り飛ばされても南無阿弥陀仏と唱え爪を立て歯を剥き抗う姿に、その誰もが石山本願寺の率いた一向宗との壮絶な戦いの恐怖を思い起こした。
「これは一向宗、石山本願寺の残党なのか?」
藤田行政自身、そう口にしながら背に寒いものが走った。
明智兵達の抱く恐怖は残虐性となって伝染し、敵の遺体にさえ何度も槍が突き込まれた。
藤田行政は恐慌して叫ぶ兵をその拳で殴りつけて騒ぎを静めていく。
その藤田行政の元へと敵将らしき男を追い詰めたとの報告がもたらされる。
僧形のその男は明智勢の多くを一人で倒し、片腕を失うと一人櫓の上へと登ったのだ。男は眼下の明智勢を見下ろしながら大声で叫んだ。
「俺は火車、地獄からの使いよ。伊勢国長島での無念。ついに晴らしたぞ」
彼に対して降伏の呼びかけは不要。死を覚悟した顔であるのは見て取れた。
彼は藤田行政の目の前で竹筒を掲げて流れ出た油を頭から浴びると、篝火の炎を自身の身に纏いながら地面へと飛び降り自決したのだった。
無残な屍だけが二条御所内に散乱した。
織田信忠、村井貞勝をはじめとする織田者達の首と胴が揃えられて丁寧に葬られ、その後絢爛たる御殿にも火を掛けて焼いた。
この様な惨事のあった建物を、再度皇族の住まいとして使用させない為の配慮であった。
* *
主君明智光秀は二条御所には長く留まらず、織田信長公を隠した村井屋敷へと戻り、その庭先にてもたらされる伝令よりの報告を受けていた。
ここには明智秀満だけが呼ばれた。
屋敷の庭先で一人頭を抱え込んだ姿の殿の姿を見て、明智秀満はしばらくどうしてよいか分からず立ちすくんでいたが、意を決して彼に話しかけた。
「殿は、織田の未来は消えたと申されました」
その声に気づき、明智光秀が振り向いた。
「私にとって天下平定後の織田信忠様の治める世こそが理想の国造りの始まりだと思っていた。そしてその片腕として我が息子光慶を仕えさせる事が楽しみであった。その為にこの私自身が血を流す覚悟は出来ていたのだ。
それがこんなにも簡単に潰えようとは、何者がこの非道を行ったというのだ」
「ですが、織田の今は救えました。終わったわけではありません」
織田信長公は救えたではないか。その言葉が少しでも殿の励ましになればと明智秀満は思った。
「殿が挫けてどうするのですか、明智の誰もがこの事態に不安を抱えています。殿が我々の行く先を示してくれねば、あなたが明智の頭領なのですよ」
「そうだな。秀満」
そう短く口にした明智光秀の目にはまだ、深い悲しみが満ちていた。




