プロローグ
この物語は現在刊行されています『雑賀乱る~反骨の兵達~』という小説の続編となります。
メインとして描かれるのは明智家の者達ですが、『雑賀乱る』に於いて雑賀を捨てた雑賀鉄砲千人隊蛍組の一族のその後、そして成長した蛍火の娘が活躍する物語でもあります。
2024年2月に出版社との契約が切れ、『雑賀乱る』は廃刊となりますので、この物語を読んでそちらに興味を持たれた方はご注意下さい。
天正十年(一五八二年)六月二日未明、京都本能寺。
数挺の鉄砲の銃声が響いた。
慌てる小姓達の声を耳にして織田信長は寝着姿のまま寝所を出ていく。
周囲の喧騒に驚きながら、女人や小姓達は自分の姿に目も止めずに通り過ぎていく。皆御殿の広間へと集まろうとしているのだ。
「これは謀反か、如何なる者の手勢ぞ」
廊下を走る者達にそう声を掛けるが、その問いに答える者は無い。
それら人の流れに反するように早足で駆け戻って来た森蘭丸が口を開く。
「敵は千を超える規模の軍、明智の手勢と思われます」
「何を馬鹿なことを、儂自らその敵とやらを見聞してくれるわ」
槍を掴み白い寝着のまま素足で外へと出た。
集まった小姓達と共に歩を進め、まばらに姿を現す敵を突き伏せながら御殿南の本能寺本堂まで一丸となって躍り出る。
本堂の高見に立ち周囲を見回すと、本能寺全域をぐるりと囲む無数の篝火の列が見える。
敵は寺を囲むがその攻撃は正門のある南側からのみであり、全体として確かに千人は超えるのであろうが、境内に突入して来る敵は未だ多くはない。
南側では馬廻りの者達が奮戦している叫び声なども聞こえるが、薄闇の木立を抜け本堂に立つ自分達の前に姿を現すのは敵ばかり。
だがよく見ると敵の軍装は明智軍を語るには程遠く粗末な装備であり、全員が白い布を首に巻いている以外はこれといった共通点も無く、軍を現す旗印一つ掲げてさえいないのだ。
「この軍は明智光秀の軍にあらず。お乱、見誤ったの」
この頃、織田信長は森蘭丸を『お乱』とそう呼んでいた。
しかしこの信長の軽口ともとれるその言葉に森蘭丸の返答が無い。
今この状況を一番よく掴んでいる筈の彼の顔に焦りが見えた。すでに我らは逃げ出す機を逸しているという事なのだろう。
「皆の者、この本堂に火をかけ盛大に燃やしてみせるのだ。それで外の味方に我らの窮状が知れる」
「お味方など一体何処に!」
声に構わず燃やせと織田信長は叫んだ。
森蘭丸の指示が飛び油が撒かれ、本能寺の本堂に火が放たれた。
「火勢で敵の勢いも止まる。しばしここで耐えよ」
織田信長の檄と共に小姓達は扇状に二段に構えた。背後で立ち上る炎は次第に大きくなっていく。
この様な軍勢に対し村井貞勝の京都警備隊三百の手勢は当てにならない。なぜならば彼等は京での犯罪取り締まりを役目として各地に散らばり、軍としての体を成していないからだ。
それに京に滞在している息子の織田信忠の妙蓮寺にも手勢が寄せているに違いない。織田家を機能不全に陥れるならばこの儂と信忠、両名を一度に討ち取る事が最も効果的だからである。
ならば今自分達が頼れるのは京に向かい来ている明智光秀の軍。
あの男ならば京の郊外にすでに自軍の一隊をすでに配しているだろうし、銃声が響き、それに次いで街中での出火が起こったと知れば明智軍なら必ず動く。
だがしかし、この襲撃がお乱の言葉通り明智光秀の采配であるならば、我ら既に逃れる術は無い。
「明智の者が来るまでの辛抱ぞ」
小姓達に向けて織田信長は叫んだ。そしてその言葉で自身の抱く不安な胸中をも吹き飛ばした。
敵と斬り結ぶ中、突如敵側の気勢が怯むのを感じた。
敵を追い散らす黒い肌の巨漢の男、その男の出現と働きでその場の劣勢は一気に逆転した。
敵は化け物が出たと驚き、その黒人が一声咆えると腰を抜かして南へと逃げ戻って行く。
思わぬ援軍の出現に小姓達の顔にも明るさが戻る。
皆、親しみを込めて弥助と彼の名を口にする。
織田信長に振り返る黒人の顔は闇と同化し輪郭も定かではなく、ただ白い歯だけがはっきりと見える。
「弥助めが、励みおるわ」
約一年ぶりの懐かしき者との再会に自然と笑みがこぼれ、織田信長は大きな声で笑っていた。
* *
妙蓮寺に宿泊していた織田信忠も本能寺での異変を察知した。
彼は織田信長の嫡男であり、つい先日の武田家討伐の功により正式に織田家の後継者と認められ、今回の中国地方に勢力を持つ毛利家討伐にも父織田信長に代わり十万の織田家直轄軍を率いるいわば織田家の総大将である。
物見の報告では敵は千を超えており明智軍の襲撃の可能性が高いと告げる。
すぐに武力をあてに出来ない前田玄以と叔父の織田長益を織田信忠は呼び出し、彼等に次のことを命じたのである。
「明智光秀が謀反であるなら京周辺は全て敵、早急に安土城へ救援を求め、その後岐阜城へと赴き我が子三法師の事を頼みたい」
二騎が妙覚寺を出立する頃には信忠配下の馬廻りの者達が参集して来ていた。しかしながら皆、突然の出来事に鎧も纏わず手に刀一振りといった者が殆どという有様である。
本能寺に宿泊する父織田信長に加勢に参ると告げ騎乗した自分に駆け寄り、馬廻りの鎌田新介が口上を述べる。
「今は一刻も早く二条御所へと向かうべきです」
「新介、お主の進言通り堺に向かわず京に残らねば、この父の大事に何も出来ぬままであった」
さあと馬の轡を引く彼の手を織田信忠は鞭で打った。
「我が向かうは本能寺だ。今は父上の救出が何よりの大事、しかしお主の言にも聞くべき所がある。使者として御所へと参り万全に備えよ。父上救出の後、我らは二条御所にて体勢を立て直す」
走り去る鎌田新介を見送り、集まった馬廻りの者達に出撃を命じた。
「父上をお救いに参る。歩行は後から続け」
駆け出した織田信忠に二十騎程が従い、その後を五十名が走る。
南蛮寺の側で京都所司代である村井貞勝一行と合流したが、彼が率いるのはわずか数人の小勢。
突然の事にただ為す術無く逃げてきた様でもあり、本来率いるべき京都警備隊の兵は一人としていない。
「明智光秀の謀反に間違いはないのか?」
織田信忠の問いに村井貞勝は分からぬと首を振る。
明智の伝令は今日の早朝に行われる予定であった京の都での父信長による閲兵を受けるため深夜郊外に駐留する旨を自分に伝え来ている。
あれは我らを油断させる策であったのだろうか。
「信忠様はすぐに京より退去して下さい。今ならばまだ逃げられます。まずは御身の安全を」
自分の足にすがり言う村井貞勝を睨み付けると、燃え上がる本能寺へと向けて織田信忠は馬腹を蹴った。
本能寺と妙蓮寺、その双方に兵が押し寄せているであろうと織田信長は予想していたが、この時織田信忠が滞在する妙蓮寺に敵は一兵として押し寄せてきてなどいなかったのである。
すでに書き上げている作品なので、更新はかなり早い頻度で行えると思います。




