転勤命令!
この話はフィクション……なはずです。
「ねーねー優紀君!」
「はい、すぐ行きます!」
部長に呼ばれた僕、尾島優紀はいつものパソコンがバグったって呼び出しだと思った。
この部長はかなり厄介な生き物で
「僕はここの責任者なんだから、支給されたら最新型のパソコンを使うべきだ」
なんて言う割には、使い方すら知らない。
今月に入って何度も「パソコンの挙動がおかしくても叩かないでください」と言ったことか。
「だってね、優紀君。日本製ってのは大体叩けば直るじゃないか」
なんて真面目腐った顔して言うような輩だ。アホだ、お前だけの世界をこっちに持ち込むな、そう思うような人が僕の上司である。
なお、当時会社で使われていたOSはWindows95か98だ。叩けば一撃で青画面。世の中は殆どWindowsXPを使っていたのにね。
そんな部長に呼ばれ、デスク前に行く。
「はい、優紀くん、この中の封筒、好きなの選んで?」
まるでトランプを見せるマジシャンのように茶封筒を差し出してきた。
「え? 金一封ですか?」
「そんなもんだよ、がはは」
僕は特に何の気を回すことなく封筒を取った。
「じゃ、その封筒、開けてみて」
なんだろ、この前のセールスキャンペーンの副賞だろうか。
たまたまうまくいき、セールスキャンペーンで2位を取って社長からお褒めの言葉を頂いたばかりだ。副賞が出るとは聞いてないが、けちんぼな社長にしては粋な計らいをするもんだ……
【タイ王国】
これだけ書かれていた。
「なんですかこれ」
僕は書かれてた文字を見せると、部長は一言こう言った。
「じゃ来週から、タイ、転勤ね?」
「ちょっと待って下さいよ、ビザも何もないのに転勤なんか出来るわけ……」
「ほれ、パスポート。期限切れてない。あとこれ、就労ビザ、ほらばっちりー!」
☆--☆☆--☆--☆☆--☆
なんかのドラマじゃないけど、転勤は突然やってきたのだ。
この時脳内では『電波少年的海外赴任』って某日●テレビの人気番組風に再現されてた。
しかも封筒選んだらすでに就労ビザって、これ全部『タイ王国』って書いてあるだろと思うのだが、若い僕は何も考えてなかった。今もあまり考えない方だが。
『タイかぁ……、なんだろう、かっこいいなぁ、まるでジャパニーズビジネスマンじゃん!』
と訳の分からないことを考えてた。黄色と黒は勇気の印だった時代だ、ブラック企業なんて言葉なんかない、働いて当たり前、いつもニコニコサービス残業が当たり前の世界だった。
今はどうかは知らないが、当時、勤めていた会社は『残業は60hまで、そこから先はサビ残』だった。なお、当時の月平均の時間外労働は80hを軽く超えてた。
インターネットで検索する、タイってどんな国? 僕はそんなレベルの阿呆だった。
なお、当時の検索エンジンはInfoseekかYahooだったと思う。ぐ●ぐる? 当時の僕は聞いたことが無かった。あの頃は検索エンジンで出てくるサイトが違ってたなぁ。
あの当時、wikiってあったっけ?
ニコニコ動画は無かったな。
閑話休題
なお、僕が勤めているは食肉卸売業だった。
当時は東アジアで鳥インフルエンザが散発的に発生していた。
中国も鳥インフルエンザが発生するため、現地工場で生産していた『炭焼鶏野郎』という惣菜用焼鳥串に市中引き合いが強くなってしまい、生産拠点を変更しようかという話が出ていたのだ。
それならばと会社が持ってるタイの鶏肉加工場で『炭焼鶏野郎』を作り、出荷したところ、なんか今までと全然味が違うと客からとてつもない量のクレームが出ており、調査したらとんでもないことが分かったのだ。
「え? おいしくないから、いつもどおりナンプラー入れたよ!」
現地スタッフからの驚きの発言。
まぁ、タイの工場で何かを依頼すると味変する事例は時々あった。とはいえ時々レベルだったし、そこまで強いクレームもないからと担当者は知らぬ存ぜぬで放置。だからタイの工場もそんな事実を知らないからナンプラーをぶち込むことが通常化。おかげで『炭焼鶏野郎』の大量クレームでナンプラー混入がバレてしまったのだ。
で、担当者はそのクレーム多発前後に寿退社しており、工場に指示を出せる人間が居ない。しかも誰も行きたがらない。いや、行きたいって奴は何人かいたけど、ほとんどが風俗大好きなアカン奴。そんなのをタイに送り込んだら仕事以前に風俗にのめり込んで大変な事になると想像が付いてしまうのだ。
しかも風俗の話には前例があり、韓国に合鴨加工品の工場に行った奴は仕事もろくにせず現地で女性ばかり買ってしまい大問題になってしまったのだ。今でこそ韓国は性風俗産業が無いけど、当時女とチョメチョメしに行く先と言えば韓国だった。他にもどこぞの国で単身赴任して風俗通いしまくった挙句に帰国後、嫁や国内の風俗店に性病を撒き散らしてたなんて馬鹿な事例もある。
かといって女性に単身赴任しろなんて言うのもどうかと……という会社だった。男女雇用機会均等法とはこれ如何に? である。
で、僕は風俗通いするような甲斐性はなく趣味は編み物とアニメという、どう高く見積もっても童貞だと会社から思われていたらしい。そんな僕に白羽の矢が立つのは必然だったのかもしれない。
と言っても、当時は彼女さんが居たんですよね……。
仕事が終わり、秋葉原まで京浜東北線or山手線で行き、そこから地下鉄に乗り換えて日比谷線、東武伊勢崎線と乗り換えて自宅へ。品川に会社があったのだが、安くて広いマンションが良いとあえて埼玉に住んでた。それは彼女が家にいたからだ。
「あきちゃんただいまー」
返事が相変わらず無い。たぶんヘッドホンしてるからだろう、いつもの事なので気にしない。
リビングに買い物袋を置き、買ってきた惣菜を並べる。炊飯器からご飯をよそい、冷蔵庫に作り置きしてある味噌汁を温める。
「あきちゃん、帰ったぞー」
準備が出来たら彼女を呼びに行く。部屋の入口にボタンがあり、押すとパトランプが回るのだ。そのパトランプで初めて僕の帰宅に気付くのだ。
「ん……優紀おかえり」
パソコン画面から目線を僕に投げる。
「仕事してたんかお疲れさん。ご飯できたぞ」
「ん……たべる」
彼女ことあきちゃんは漫画家だった。彼女とは高校時代からの付き合いで大学も同じだった。その大学時代にデビューし、連載を持ってたのだが彼女には生活資力というのが完全に無かった。
まず料理や洗濯、掃除などの身の回りのことが一切できない。大学時代は北海道に住んでたからゴキが湧かなかったんだろうがほぼゴミ屋敷。そこらへんに放っぱつけたコンビニの弁当ガラやカップ麺の空きガラにはカビが湧いてコバエが飛ぶ。洋服は部屋中に散乱。教科書は部屋の中で行方不明。ぱんつにもカビが生えたことがあるぐらいだ。でも本人はそんなこと一切気にせず、洋服をぱんぱんと払うとそれを着て学校やコンビニに出かけようとする。風呂もカビで汚くて入れるような状態でないので、僕の部屋で入れてあげないとだめだった。
「優紀さんって、すでに要介護者がいるんですか」
と後輩から言われたことがある。
あきちゃんのお母さまから「娘を少しは鍛えてあげてくださいまし」と言われたが、それはあなたの仕事ですよね? と何度も心の中で叫んだことやら。まぁ大卒後は思うことすら諦め、僕が甲斐甲斐しく世話している状態だった。
ご飯を食べてる時は基本的に会話が無いのだが、その時はあきちゃんに言った。
「タイに転勤になったわ」
もそもそとご飯を口に運んでたあきちゃんは箸を止めて僕を見つめた。
しばし時間だけが流れる。僕はビールを飲み、こういった。
「付いてくる?」
「ん……、エアコンとパソコンあるなら行く」
タイでの物件ってどうなってるんだろう?
そこら辺の条件は明日部長に訊くことにして、その日は終わった。
感想、もしございましたら気兼ねなくお書きくださいませ。おっさんの励みになります。
もし誤字脱字がございましたらご報告くださいませ。すぐに訂正いたします。
※ただし、更新は不定期なので、気長にお待ちください。