救世主の勘違い
DW info 「加速」
直後に使用したスキルの推進力や、数秒間の移動の速度を上昇させる智タイプのスキル。
自動ドアをくぐると、ビルよりは低いがそれでも日本の一軒家の二倍以上もの高さがある建物に取り囲まれ、パリの街並みに呑み込まれそうに感じる。
だがそれも一瞬だけで、すぐに俺は集中力を研ぎ澄ませた。
幸いまだ眩暈は感じない。ヒュグロンは足りている。
「向識」
『ファキュルテ:積極的、ソラネル:積極的』
アビリテがこの場所を教えたから、どこかに彼らが隠れているとしたらたった今が奇襲のチャンスだったはず。奇襲がなかったということは、まだ彼らはここには着いていないということだ。
どこにいる……? 一番広い道を走って二人を捜そうと、一歩足を踏み出す。
「一体どこに行かれるんです? 僕はここにいますよ?」
聞き覚えのある、自信に満ちた声。
振り向くと、やはり声の聞こえた方、数メートル先には金髪の青年がいた。
なるほど、奇襲しなくても勝てると。
「やあ、ファキュ──」
「加速! 双剣!」
俺の言葉が終わる前に、彼の姿はもう眼前に迫っていた。彼の振り出した二本の緑色の剣と俺の身体の間に、間一髪でスカーレット色の剣を入れる。
向こうはスキルを使っているので、当然俺が吹き飛ばされる。何かが割れる音がして、首や背中のあらゆる場所が刺されたように痛む。
首筋を伝って、金色の液体が流れてくる。少しだけ目が眩む。
「やはり、虚勢を張っていただけのようですね。アビリテがやられたからどれくらいの強者かと少し期待していましたが……ふっ、まさかこんなものとは」
明らかな挑発。無傷で心に余裕のある俺なら、絶対に乗らなかったはず。でも今は、口が勝手にコールをする。
「──双剣」
ファキュルテに近づき、二本の剣を振るう。
「剣舞」
しかしそれは彼の剣で受け流される。
そこからは、以前アスクと斬りあった時のような剣戟が始まった。俺の剣をファキュルテが受け流し、そのまま反撃。それを躱して再び俺が「双剣」をコール。それが弾かれてまた反撃される。その反撃を「盾」で受ける。
剣戟が長引き、避けきれなかった攻撃が互いの身体に切り傷をつけていく。
「双剣!」
そしてついに、ファキュルテを弾き飛ばすことに成功した。ガラスのショーウィンドウに激突し、背中にガラスの破片が無数に刺さる。
「うぐっ……前言撤回。あなた……相当なやり手ですね……」
彼がなにか言っているが、そんなことは関係ない。先にそういう状況にしたのは彼だ。そんな彼に、容赦など要らない。
「双剣!」
スキルの推進力で、動けなくなっているファキュルテに迫る。
これで、あとはソラネルだけ。
「──犠牲」
低い声が聞こえて、その次の一瞬でファキュルテは──ソラネルに変わっていた。
「双盾!」
橙色の二つの盾が俺とソラネルを隔て、剣撃はそれらに弾かれた。
「よかった……間に合ったようだな」
ソラネルはほっと息を漏らす。今相手と対峙しているというのに呑気なものだ。
「遅いですよ、ソラネル。もう少し遅ければ……やられていたかもしれません」
ニヤリと口角を上げるファキュルテ。彼はさっきまで俺とアビリテが戦っていた食料品店のドアの前にいた。
「どうして……?」
『「犠牲」は自身とチームメイトの場所を入れ替える、盾タイプのスキルです。それより、二人一気に相手するのは想像以上に難しいですよ? 一人を撒いて分断させた方がまだマシかと思われますが……』
「アーレッジさん、あなたは強い。でも、数の力は絶対的なんですよ。剣舞!」
ファキュルテがこちらに向かってくる。剣舞は双剣よりもスピードが落ちるので、まだ躱すことはできる。
「ユキ、聞こえるか? 少し言い難いんだけど、もっと集中してもいいかな?」
二度の斬撃を躱しながら訊く。訊く理由は、集中すると性格が変わるから。
『え、あ、はい。それでパフォーマンスが向上するのなら是非やっちゃってください!』
ユキが答えてくれている間にファキュルテを吹き飛ばし、その隙にヒュグロンを補給する。さらにそれから行った追撃は、犠牲で入れ替わってからの双盾によって防がれる。
「ありがとう、でも……引かないでね?」
そして俺はたった一瞬、目を瞑った。
「ごちゃごちゃと独り言ですか……余裕ですね! 双剣!」
目を開いた。眼前には二本の剣を振り上げた金色の髪の青年。
「双剣」
それを自分もコールすることで受ける。ファキュルテも自分も吹き飛ばされるが、二人とも何とかガラスに刺さる前に地面を踏み締める。
「はあ……余裕? んなもんねぇんだよ、こっちは。そっちこそ、人数多いからって余裕感出してんじゃねぇよ。言っとくが、俺に対しては一人だろうが二人だろうが関係ねぇ。全力でやる、それだけだ」
俺の中のもう一人の俺はそう答えた。
このゲームで、俺がゲームマスターに辿り着くことにこんなにも自信がある理由は、一つ目が先ほど確認した「学習能力」。そして二つ目が、たった今確認している途中の「廃人集中」。
ゲームプレイヤー、そしてそれを傍から見たことのある人ならわかると思うが、プレイヤーというのはだいたい、集中すると人が変わる。
そして、なぜ二回のプレイで完全にマスターしてこれたかという理由もここにある。要するに、集中でのゴリ押し。俺の場合、ほとんど二重人格のような集中後の俺は、めちゃくちゃにゲームが上手い。というか、周囲の状況を判別するのが上手い。
『ひ、ひぇぇ……こ、この人、アーレッジさんじゃない……!』
直後、圧倒的分析力で周囲の状況を判断した俺から、今からの動線についての確認が入る。
彼については絶大な信頼を置いているため、即断で了承する。
「ふっ」
俺なら絶対にしないような悪役的な笑みを浮かべ、続いて俺は呟く。
「双剣」
そして俺はファキュルテに切りかかる。ファキュルテはコールして二本の剣でそれを受け、互いに弾かれあった位置から「加速」を使ってこちらに突撃してくる。
ソラネルは遠くから見ているだけ……ということは彼は盾スキル特化の防御プレイヤー。攻撃はしないと見ていい。
それなら、今から一対一に集中できる。
ファキュルテの突撃を既のところで躱し、そのまま双剣で切り込む。
「犠牲! 双盾!」
そう、そうすると絶対にソラネルが入ってくる。しかし今の俺は、そこで止まらない。
剣が盾に当たると少し動きが遅くなるので、そうなる前にもう一度「双剣」をコールして盾とソラネルの後ろに旋回する。
「んなっ……!」
そしてそのまま、無防備な彼を剣の露とした。
『ファキュルテチームのソラネル、ゲームオーバーです』
ソラネルの身体が溶け込んでいく近くで、さっきまで彼がいたところにいるファキュルテを見据える。
「どうして……なんで二人もいて負けるんだ……」
「いい加減、理解れよ。攻撃スキルがねぇ盾なんざ、いないのと同じなんだよ……」
魔士や狙士相手ならソラネルの戦い方は覿面だろう。しかし、盾を飛び越えて攻撃する俺や、盾を壊すスキルを持つヴァイナーなんかが相手では、一人いないのに等しい。
だから彼は、初めから一対一をする気しかなかった。
「そう……ですか。チームメイトのことをそこまで言われたら、僕もさすがにキレてしまいますね……! 加速、双剣!」
すごい速さでこちらに向かってくるファキュルテ。しかしそれは、一度見切られている。
「怒りで判断力失ってちゃ、このゲームで生きてけねぇぞ……」
半分慈悲を持った目で、俺は彼を見る。そして彼は、俺のところに来る前に倒れた。
「ヒュ……グロン、不足ですか……」
一瞬ふりを疑ったが、コールなしで急に動きが変わるのは、それ以外ありえない。そこで俺は集中を解く。
「さっき、色々言ってごめんね。まあ、許してもらえないとは思うけど」
彼は何度もアスファルトの上に手をついて立ち上がろうとするが、その度に失敗して右頬を強打する。彼の顔の下から、金色の液体が滲み出す。
「まあ、そうですね……ですが、僕の考、えが、甘かったという、ことでしょう……」
申し訳ない。こんな、わざと相手が数を生かせないような戦い方をしてしまって。でもそれがこのゲームで生きるということだと、俺は解釈している。
そうだ、まだ一回も使っていなかった。使い勝手を試さないと。
這いつくばっているファキュルテの傍に寄る。
「単斬」
スカーレット色の剣を持った右手が、ファキュルテの身体を縦一文字になぞった。
『ファキュルテチームのファキュルテ、ゲームオーバーです。勝者、アーレッジ』
金色の液体が輝きながら周りを飛び散る中、俺は光に包まれた。
「お疲れ様です」
その声に反応し、閉じていた目を開く。
「ユキ。俺、勝ったよ」
気分の弾む俺に、ユキは穏やかに笑いかける。
「はい、とても素晴らしいプレイでした。ですが……」
笑顔は数秒で消え、彼女は口ごもる。
「どうかしたの? ああ、もう一人の俺のことか」
すぐに納得して確認するが、ユキは首を横に振る。
「いえ、あの……一度ログアウトしてみてください」
ログアウト……それはつまり、松山に何かあったということだろう。それなら、急がなくては。
「わかっ──」
しかしここで思い出す。
──『私を、だ、抱きしめればリアルに帰れます……!』
そう。ログアウトには、ハグが絶対条件。
ユキは顔を斜め下に向け、両手を大きく広げる。
「ど、どうぞ。私も、こんな複雑な気持ちでこういうことはしたくないですが……急がないと彼が」
複雑な気持ち、というのが気になるが、今それよりも優先すべきは、彼女の言う通り松山だ。
意外とすぐに決心し、俺は彼女に飛び込んだ。
「──はっ」
突然目が覚める。このゲームでこんな感覚はおそらく初めてだ。たぶん、勢いよく飛び込んだからだろう。
そんな思考が浮かぶと同時に、目を刺激したのは透明部についた血。まだ鮮やかな色をしていて、凹んだ透明部を流れていく。
『はぁ、はぁ……ログインの際は「アルケー」、ベースから出る際は──』
「ディアフィ」
動悸が治まらないが、淡々と赤と透明の斑模様は頭上に移動する。そしてその先にわなわなと震えた松山を見る。
「な、なあ、三倉」
手枷が外れる。
「このゲームって」
自分の手で頭からベースブレインを外す。
「ガチで……ヤバいやつじゃねぇかよ…………。ベース、だっけ……? さっきあれから音がしたと思ったら、どんどんどんどんお前の身体が切られてくんだよ……! 何度も何度も、見えない何かに切られて、その度に血が噴き出して……俺耐えてたんだよ、夜野見たとき。でもさ、お前の対戦見て、もう耐えられなくなっちまった」
百聞は一見にしかず、とはまさにこのことだ。俺の話だけでは、やはり彼に全ては伝わっていなかった。夜野の件についても、その場で見るのと映像で見るのではリアリティが違う。彼は今ようやく、このゲームの本当の怖さに気づいたんだ。
「で、松山。どうする……?」
プレイしない。そう言ってくれればいい。それが正しい決断だ。
「……っ、やめときたいって、言っちゃダメかな……?」
今にも泣き出しそうな顔で、松山は言葉を絞り出すように発する。
「うん、それがいいよ」
俺がそう言うと、彼は見開かれた目をさらに見開いて言う。
「怒らねぇの……? あれだけ決心したみたいな風装って、実際はこんな軽い気持ちだったんだぞ? 怒らねぇのかよ……? なあ、むしろ俺を殴ってくれねぇか?」
俺に縋りつく彼。いつもは輝いて見えるその顔が、今は涙でぐしゃぐしゃに濡れている。
「俺にそんな権利はない。あるとしたら、夜野にしかないよ」
なおも俺に縋りつく松山。そんな似合わないことはやめてくれ、早く俺の知っている松山に戻ってくれ。そう言いたかったけれど、松山が何かもごもごと言っているのでそちらに集中した。
「三倉さ、すげぇよ。あんな、殺し合いみたいなゲームで、三対一で全員倒すなんて」
その時、俺の頭に稲妻が走ったような感覚がした。
ユキが「複雑な気持ち」になっていたのがどうしてか、わかった気がした。
「三倉……いや、周騎。もう二度と、誰もあのゲームで悲しまないように。誰も傷つかず、死ぬこともないように、ゲームマスターに勝ってくれるって信じてる。もちろんお前も、傷ついちゃダメだ」
眦に涙は残るものの、大方いつもの松山に戻ってくれた。
「任せろ、優」
そうして俺は、松山を家の外まで送った。
「ユキっ! ごめん、俺、勘違いしてた」
開いた瞼の先がアクアブルーに染まっているのを確認したと同時に、俺はどこにいるかもわからない彼女にそう言った。
「勘違い……それが何か、詳しく聴かせていただいても?」
後ろで声がしたので、振り返る。エメラルドグリーン色の髪の美少女が、こちらをじっと見てそこに立っていた。
「ああ。俺はさっきのマッチで、とにかく勝てばいいと、ゲームマスターと戦うときまで勝ち続ければいいと思ってた。でも、違ったんだ。ファキュルテも、アビリテも、ソラネルも、みんなリアルで生きてる。あの人たちに、俺は危害を加えてしまったんだ」
ユキは静かに重く頷く。
「ファキュルテさん、ソラネルさんは、これよりベースの中で約一年間固定され続けます。アビリテさんは……死亡が確認されました」
寒気がした。正義と信じてやったことが、自分の目的と矛盾していただなんて。
何が、世界を救う、だ。二人が、自分と同じようにベースに固定されてしまうことになってしまったじゃないか。もう一人は、あろうことか亡くなってしまったじゃないか。
それなら俺も、この罪を償って死んだ方が──
「アーレッジさん、まさかとは思いますが、自殺したりしませんよね?」
ユキが俺にずんずん歩み寄る。
「なんで、俺の考えてることが……?」
「思考伝達機能は相変わらずオフのままですが、それくらいわかりますよ。人間ですらわかるのですから、AIにだってわかります」
至近距離での上目遣い。これは説教が始まりそうだ。
「自殺なんて勿体ないです。あなたはあなたの世界を救える。むしろ、ここで気づけて良かったではありませんか。他のプレイヤーで、数千人殺してから気づいた愚か者がいたと聞きますよ。その方は次のマッチで、一歩も動かずにただ殺されるのを待ったそうです。まったく、このゲームを自殺の道具に使わないでいただきたいですね」
ん? 俺は、怒られた……のか? いや、怒られたのではなく諭されたのだ。でも、どうすれば誰も傷つけずに勝てる……?
あの時母に言った、「誰も傷つけずに勝つ方法」。今もあの嘘は嘘のままだ。どうすれば……
──それ以上を知りたければ、仮想空間へ来い。
「なあユキ、ミュートス社の人と話すことって……できないか?」
DW info 「双盾」
二つの盾をそれぞれの手が向いている方に創造する。二方向を防御することもできれば、手を重ね合わせてより強固な防御をすることも可能。