ある男子中学生と美少女ナビゲータープログラム
中学生活って、本当に時間が有り余る。定期テストだって、提出物を済ませておけばあとは適度な点数も取れるし、成績も四あたりをキープできる。
勉強なんて、やる方がバカバカしい。中二の俺はそんな風に考えている。
だから俺はゲームに逃げることにした。そう決めてから今までスマホや携帯機でたくさんのゲームをやった。
アクション、パズル、リズム……あらゆるゲームで世界のトップクラスに数えられて、そしてその度にそのゲームに飽きてきた。
次はもっと楽しそうなものを。そうして、見つけたんだ。オンラインショップにあった、ヴァーチャル・リアリティのゲームを。
「ディヴァイン・ウィル」。「ベース」という筐体に自分が入ると、自分の脳の情報が仮想現実の世界のキャラクターに伝わり、まるで自分自身が現実で戦うような感覚を楽しめるらしい。
ゴーグルだけをつけるものはやったことがあるが、フルダイブ型というものは世界初なんじゃないだろうか。
不意に、呼び鈴が鳴る。壁にかかっているカレンダーを見ると、2月3日だ。ネットで見つけたアレを即購入してから五日が経つ。
「こ、これ、本当にウチ宛てですか?!」
母が叫んでいる。こういう時の為にと自分で貯めに貯めたお金で自分で買ったんだ。親が知らないのも当然――ではないんだけれど。
*****
2085年1月27日。
「母さん、またゲーム買ってもいいかな? 俺のお小遣いまだ残ってるから」
母の顔に、「またか」という呆れ、そして心配の表情が渦巻く。
「あと二万円もないんじゃない? それだけで買えるの?」
俺は何かを買うごとに母に残金を伝えなければならなかったので、母が財布の中身を知っているのも当然だ。
「じゅーぶんじゅーぶん! まだあまりプレイヤーがいないから、お試し価格百円で買えるらしい!」
*****
そう、母には一応訊いた。最後まで怪しいからやめておけと言われたけれど、どうしてもフルダイブ型をやってみたかったから、無理やり購入してしまったのだ。
だから母は、俺がどんなものを注文したのかは知らなかった。
二階の自室にいた俺は、玄関の母の元へと降りていき、届いたものと対面する。
母は、気になったのか既に包装のダンボールを開け、その中身をただ呆然と見つめていた。目の焦点は合っていないように思える。そりゃそうだろう、突然我が家に、縦2m、横1m、奥行き1m程の漆黒の筐体が届いたのだから。
「これが、あんたが買ったやつ?」
母はこちらを向かない。かなり混乱しているように見える。
「ああ、そうそう。これが『ベース』。自分の部屋まで上げるから手伝ってくれない?」
「う、うん……」
人が二人横に並べばもう隙間がないくらいの狭い玄関付近の通路で、早くも圧倒的存在感を放つウチの新入り、ベース。何とかしてこいつを二階まで持っていかなければ。
恐る恐る手を伸ばし、筐体の上方を抱きしめるように掴む。そうして少し傾けようとすると、その見た目からは想像もつかないくらいに軽く傾く。
反動で押し倒されそうになり、思わず右足を後ろに引いて体を支える。
「母さん、それ、もう片方持ってくれない?」
要するに、二人で両端を持って運びたいということだ。俺の意思は伝わったようで、母は俺の思ったように動いてくれた。
「……軽っ。これでいいの?」
俺は頷き、さらに軽くなった筐体を後ろ手に持ち替えて、母と共に部屋まで運んだ。
「あれ、あんたこれ、いつ掃除したの? ちょっと前まではあんなに散らかってたのに」
俺の部屋は、もはや一昨々日までのコントローラーや攻略動画をチェックするためのタブレット、さらにはゲームとは関係ないがライトノベルなどが白いカーペットの上一面に無造作に広がったような、足の踏み場もない楽園ではなかった。
コントローラーやタブレットは大きめのベージュの引き出しの中にしっかり収納、ライトノベルは黒い本棚に所狭しと並べ、塵のひとつはあるかもしれないがスナック菓子の粉くらいはないように綺麗にはしたはず。
ベッドと、買ってから数回しか正しい使い方をしたことのない勉強机――キーボードとデュアルモニターがその上で存在感をいかんなく発揮している――の間、人が一人寝ころべるくらいのスペースは、床の上に何もない。
「ベース置くためにスペースいるなって思って」
「ゲームのことになるとすごい行動力ねぇ……」
「そんな人たちがたくさんいるってことがゲーム業界がやっていけてる理由の一つだよ」
壁に添わせるように、ベースを置く。黒い、とは言ったものの前面はほぼガラスのような透明な素材でできていて、中が見える。腕を固定するような輪っかと、配線で繋がれた、頭の上から被るような器具がある以外は、何も無い。
下部中央、透明な素材と漆黒の素材の間付近に、これまた黒いボタンがある。恐る恐る、押してみる。
電車のドアが開くような、小気味よい音が静かな部屋に鳴り響く。中には何も無いと思っていたが、紙切れが一枚入っていた。
「『取扱説明書』……」
そう上部に印刷された紙の文字を下まで追っていくと、他には三点の説明があった。
・腕に固定具をつけてください。非装着でのプレイは、こちらの予想できない危険が身に及ぶ可能性がございますので、絶対におやめください。
・頭に「ベースブレイン」をつけてください。これの装着によってプレイが可能になります。
・ご家庭にお一人の場合はご家庭でのプレイはご遠慮願います。もしプレイする方がのめり込んでしまった場合、同居者の方は下記URLより購入できる商品をご利用ください。
http:――
「母さん、これ……」
母は俺に渡された説明書を読んで、さらにもう一度読み返す。
「本当に、大丈夫なゲームなの?」
「わからない。一度チュートリアルで小手調べしてくるよ」
少し不安だが、さすがに死にはしないだろう。チュートリアルがあるかどうかもわからないが、とにかく早くやってみたい。
「え、ええ……危ないと思ったらすぐにやめるのよ?」
「わかってる」
いくらゲームのことであっても、家族に迷惑をかけたいはずがない。
俺はベースの中に立ち、「ベースブレイン」と書いてあった頭に着ける器具を装着する。
電子音が小さく響く。
『前を向き、腕を体から少し離してください』
近くから聞こえてくるアナウンスに従うと、俺の両腕は固定具にしっかりと掴まれた。これであまり身動きが取れない。ただ立っているのも疲れるかもしれないので、後ろにもたれる。結構楽だ。
『ゲームスタートの場合は「アルケー」、ベースから出る場合は「ディアフィ」と声に出してください』
「アルケー」も「ディアフィ」も恐らく英語じゃないな。何語かはわからないが、ゲームスタートを宣言しよう。
「アルケー」
取扱説明書を握りしめ、何かを噛み締めて堪えているような表情の母が見える。しかしその視界は、数秒後、別のものに切り替わる。
何故か閉じられていた目を開く。小さな部屋、俺の部屋と同じようなところにいた。しかし床も壁もアクアブルーで、ここが俺の部屋ではないことがすぐにわかる。
「ようこそ、『神の意志』――ディヴァイン・ウィルの世界へ」
現実世界で聞こえたアナウンスと同じ声が、俺の鼓膜を小さく揺らす。
その声にはっとして後ろを向くと、若草色のショートボブに、パステルブルー色の瞳の少女がいた。その色からか、はたまた湛える微笑からか、彼女の周りには柔らかなオーラが漂っているように思える。
そして少女は何故か黒のブレザーとスカートを身につけ、ブレザーの胸元からは桃色のカーディガンが見える。こんな制服、少なくとも俺の記憶にはない。
「私はユキです。《神》に、あなたの案内役として選ばれました。あ、この制服は『マスター』の意向です」
ユキと名乗る少女は笑う。率直に可愛い。
「会っていきなりだけど、《神》と『マスター』の違いって何? さっきの言い方だと別人みたいだけど」
ユキは困った顔をする。
「その前に、訊いておかないといけないことがあるんです。ごめんなさい。えっと、あなたのお名前は?」
解答を先延ばしにされたが、悪い気はしなかった。それより、名乗りもせずに質問をした自分が恥ずかしい。
「ああ、ごめん。俺の名前は――」
「もちろん、プレイヤーネームですよ? リアルのお名前は――こちらは把握していますが――基本的にこの世界では使いませんので」
そうだった。ここは仮想の世界。ユキがあまりにも現実味があるから勘違いしていた。
さて、名前か。何にしようか、などとは思わない。いつも使っているハンドルネームでいいだろう。
「Ourage。それが俺の名前だ」
「死」を避けたい。だからいつも、CourageからCを消した名前にしている。死するときは「敗北」のときだから。
「いい、お名前ですね」
先程の恥ずかしさを含んだものとは違った柔らかな笑顔を浮かべて、ユキは言った。
「ありがとう」
その笑顔に、俺はそう言うしかなかった。
「さて、アーレッジさん。私から、このゲームのルール説明をさせていただきます」
急に顔を真面目に戻し、ユキは宣言する。ルール説明で、俺がこのゲームをプレイするか、それとも「ディアフィ」とコールするかが決まると言ってもいい。
「――このゲームをプレイ中は、リアルの肉体も相応のダメージを受け、下手をすれば死にます」
DW info 「プレイヤー数」
「ディヴァイン・ウィル」のプレイヤー数は、サービス開始から七年目の2085年現在、三億人を超えている。




