決意
目が覚める。ここはどこだろう。頭が強く掴まれているような感覚がある。
そして、眼前には――血。
「……ッ!」
ノイズが聞こえ、その後に声が続く。
『ロキさん――いえ、星宮 理紅さん、ご無事で良かったです。ログインの際は「アルケー」、ベースから出る際は「ディアフィ」のコールをお願いします』
私はこのハキハキとした声を知っている。ナビゲーターのノエ。そうだ、私はさっきまで、「ディヴァイン・ウィル」をプレイしていたんだ。
――そして、敗北した。
中学二年生の私には、このゲームは早かったのかもしれない。
『いえ、もうあなたは中学二年生ではありませんよ。中学三年生です』
思考伝達機能をオンにしている私が、また要らないことを考えてしまったと思っていると、信じられない声が耳に届く。
「…………え。そんなこと、あるわけ……」
ノエは冗談を言っているのだ。そうとわかっても、敗北直後の私にはそれを笑う余裕もない。
『いえ、本当です。今日は2086年2月3日ですから』
淡々と、冗談を続ける。まさか。そんなはずは無い。丸一年も、眠り続けられるわけがない。
『ではご自分で確かめてみては? ナビゲーターは嘘はつきませんが、それでも信じられないとおっしゃるのであれば、そうするしかないかと』
寒気が走る。さすがに、ここまで嘘をつき続ける人はそうそういないだろう。たとえそれがナビゲータープログラムでも。
いや、ナビゲータープログラムだからこそ、嘘なんてつかないはず。本人もそう言っている。
それなら……まずいことになっている。
「ディアフィ」
空気が漏れ出す音がして、ベースの透明な部分が上に開く。
器具を取り外し、黒い筐体から出て、部屋を見回す。ベースに入る前と何ら変わりない。
本棚にはジャンル問わず様々なコミックが並び、電子書籍を読むためのタブレット三台も、いつものようにその奥行きのある棚の上から二列目に立てかけられて鎮座している。
部屋の中央にある小さなテーブルには、充電器が刺さったままの白いスマートフォンが、いつも通り水色のケースに守られて置かれている。
ベースから一歩しか離れていないその丸テーブルに手を伸ばし、愛機を手に取る。その振動に反応して真っ暗な画面が光り、最推しのアニメキャラが背景となっているロック画面が映し出される。
そこには確かに、2086年2月3日 (日)という小さな表示があった。
「嘘…………」
本当に、一年が経ってしまったというのか。それなら私はどうなっている? 一年もあの筐体の中にいて、あんなに出血もしたはずなのに、無事でいられているはずがない。
しかし、パジャマを着たままの私の腕にも、脚にも、心臓の辺りにも、何一つ傷などはなかった。
顔はどうだろうか。肩甲骨の下辺りまで伸びた髪を目の前に持ってきて確認すると、「ディヴァイン・ウィル」を始めた日――ゲームオーバーになった日の三日前――に一度ログアウトした時と同じように、ヴァーチャルの赤髪ではなくリアルの茶髪に戻っている。
うん、一度ゲームオーバーになっても、そこは変わっていない。
スマホの横に置いてあった、赤いハンドバッグの中をまさぐり、手鏡を取り出す。
自分の顔に傷はないか入念に確認するも、全くそういったものは見られない。むしろ、以前より肌が綺麗になっている。
「なんで……? ゲームオーバーになると、死ぬんじゃなかったの……?」
確か、ノエはそう言っていたはずだ。どうして、私は生きているのか。
ふと、ドアをノックする音が聞こえる。
入ることを許可すると、予想通りの人物が私の部屋のドアを開ける。
「お姉ちゃん……生きてるの?」
ショートカットの茶髪をゆっくりと揺らして、部屋の外から顔を覗かせる、中学一年生の妹。明褐色の瞳は私と瓜二つだが、目の形は彼女の方が丸い。
その瞳に、恐れ、悲しみ、怒り、緊張、喜び……彼女の人生のミニチュアのようなものが詰まっている気がする。そう、例えば――失われた一年間とか。
「翠華……私、生きてる」
そう、私は生きている。
妹は、そんな私の返答を聞き、口角を上げた。
「久しぶり、お姉ちゃん」
そして、そう呟く。今日が2085年1月31日なら、彼女はそうは言わないはずだ。やっぱり、スマホが示した時間が正しいんだ。
そして、私が疑ってしまったノエも。私は何故か死ななかったが、ノエの言うことが本当に全て正しいなら、あのゲームでゲームオーバーになれば、そこでその命を絶たれるプレイヤーもいるということだ。
そうならなくても、私のように取り戻せない時間を――あまりにも長い時間を――失ってしまうこともある。
「お姉ちゃん? 黙ってどうしたの? もしかしてその機械に声を出せなくされちゃったの?」
穏やかな顔をしていた翠華が、再び心配した表情をする。
「ううん、声は出せる。それより翠華、聴いて欲しい」
私は、彼女に自分の意志を伝える時には、いつもこう言っている。そういう時、彼女は私と目線を合わせ、真剣な表情をしてくれる。
今回もそうだった。なあに、と言って、彼女はテーブルを挟んで私と向き合えるように座ってくれた。
その顔が、決めた覚悟を壊しきる前に。
「翠華。私はもう一度、あのゲームをやらなきゃならない」
ベースに入る前、親よりももっと自分のことを心配してくれていたのは翠華だったと思い出す。
目の前の彼女の表情には、暗い影が落ちる。
「どうして……? なんでお姉ちゃんは、自分の命よりもゲームが大事なの? 命より大事なものなんてないよ! お姉ちゃんは成績優秀で、後期選抜まであと一ヶ月頑張るだけで――」
そこで私は、彼女の前に右手を差し出し、その言葉が紡がれるのを止める。ヴァーチャルでラヴィアンに向けた右手とは全く異なり、それはまるで覇気も意志も感じられない、弱々しいものだった。
「待って、翠華。今……なんて?」
彼女は、私の絶望に気づいたように、目を見開く。
「後期選抜まで、あと一ヶ月、だよね……?」
私は息を呑んだ。目標にしてきた高校。それに受かるために、あと一ヶ月しか勉強できない。三年生になってからやろうと思っていた。だけど大誤算だった。「ディヴァイン・ウィル」が、私から一年間を奪ったんだから。
「勉強、しなきゃ……」
翠華は頷く。
「うん。もうあんなゲーム、やっちゃダメだよ?」
それに頷かなかったことに、翠華は気づいたはずだ。けれど、もう何も彼女は言わなかった。これ以上は、止めても無駄だと思ったんだろう。
「……勉強の前に、教えてほしいことがいくつかあるんだけど」
そう私が言ってから翠華は、私が求めた「私が不在だった一年間の話」をしてくれた。その間、私は「ディヴァイン・ウィル」のことについて、ずっと考えていた。
一体どうやったら、あのゲームをサービス終了とすることができるのか。
――どうすれば、世界中のプレイヤーたちが大切な一年間を失うのを止めることができるのか。
とりあえず、高校受験に受かることから始めよう。あのゲームをするのはそれからだ。
*****
プレイヤーデータ
・Ourage
・プレイ開始年月日:2085年2月3日
・戦績:0勝1敗
・タイプ:「剣士」
・スキル:「剣」「双剣」「盾」「向識」
・Roki
・プレイ開始年月日:2085年1月29日
・戦績:12勝1敗
・タイプ:「魔士」
・スキル:「速炎」「業紅炎」「閉界者」「?」
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