確信
湖と反対側に一歩踏み出す。
「向識」
そう呟くと、やはり淡々としたイメージのみが脳内に入ってくる。
「オルパロン:消極的、アスク:積極的」
対戦中全く見ないと思っていたら、オルパロンはやはり消極的らしい。まずはアスクのことを考えないと。
それにしても、さっき使われた「剣舞」というスキル……あれはとても強かった。気をつけなければならない。
湖からどんどん離れる。確かアスクに飛ばされたのはこの辺り――
突然、視界の端で飛沫が上がる。
「双剣!」
長く戦いすぎて、聞き慣れてしまった声が再び耳に入る。
振り返り、剣を振り上げながら飛びかかってきているアスクと目を合わせる。
「双剣!」
湖の中にいるという可能性も考慮していたので、心の準備はできていた。ぬかるむ地面を必死に踏み締め、アスクの双剣を受ける。また電磁音が響く。俺とアスクの間に稲妻が走る。
「剣舞!」
剣の交わりが絶たれ、一瞬で姿勢を低くしたアスクがこちらに切り込む。
「双剣!」
一回目の剣撃を左の剣で受け止める。続いてアスクは軽い身のこなしで移動するが、その動きを見極めて二回目の剣撃を右の剣で受ける。
唇を噛み締めるアスク。次は決めるといったように、もう一度「剣舞」をコールする。
だがもちろん、こちらが同じ対応をするはずがない。
「剣ッ!」
一回目、一本の剣で受け止める。いや、両手で力強く剣を振り上げて、弾き返す。
続いて二回目。
「双剣!」
双剣の推進力で、受けずに躱す。「剣舞」を持っていないなら、擬似的に使えばいい。アスクの後ろに回りこみ、二本の剣で背中を斬――
「盾!」
背中を斬ろうとすると、剣が褐色の光の盾に弾かれる。
「おい……どういうことだ……?」
そうだ、確かユキはこう言ったはず。
――実はサービス開始から今までの剣タイプのプレイヤーの中で、盾タイプのスキルを持つプレイヤーがあなたしかいないんです!
『おかしいですね……私にも何がどうなっているのか……』
ゆっくりと振り返り、こちらに歩み寄るアスクは何も話さない。ただ淡々とコールをするだけだ。
「剣舞」
「双剣!」
いや、盾が使えようと、それを加味して動けばいいだけだ。致命傷など、何一つ負っていない。
アスクの一度目の剣撃を左の剣で受ける。そして二度目を右の剣で受け、もう一度「双剣」をコールしようとした瞬間。
拍手が聞こえた。ゆっくりとした、乾いた音。それは決して大きな音ではなかったが、静かな森によく響き渡っていた。
俺もアスクも、拍手をする者を目で探す。
そして俺の目が捉えたのは、オルパロンだった。
「いやぁ、いいものを見せてもらったよ。アーレッジくん、君は素晴らしい人材だ」
落ち着いた笑みを浮かべる白髪の紳士は、なおもゆっくりと手を叩き続ける。
「なん……で……そこ、に……?」
向識では「消極的」だったはず。近くにいるのに消極的と判断されるはずはないだろう。
オルパロンは、その俺のか細い問いに、拍手をやめて答える。
「勘違いをしているようだね、アーレッジくん。君がアスクやヒュギアと相対してから、私もずっと君を見ていた。向識の『積極的』と『消極的』は、あくまでも攻撃をする意志があるかないかで判別されているのであって、近づいていれば必ず『積極的』と判別されるということではない」
そうだったのか。というより、この状況はとてもまずい。何とかして、どちらかとだけ戦えないか。
「それにしても、初戦においてアスクとヒュギアの二人を相手にここまで戦い、さらにヒュギアを倒したのは褒め讃えるべきことだ」
オルパロンは微笑む。仲間がやられたというのに。見た目とは相反して残虐なプレイヤーなのかもしれない。
「オルパロンさん。そういうのはいいから、今から一騎打ちしませんか? 俺はあなたと戦ってみたい」
結局、どちらと先に戦っても、勝負は同じように決まると考えている。勝つ見込みがあるのはアスクだ。しかし、キル数による報酬については何も聞かされなかった。それなら先に興味のある方へ行ってもいいだろう。
それに、俺には一つ、はっきりさせておきたいことがある。
オルパロンは微笑みを一切崩さず、「もちろんだ」と答え、こちらに歩み寄る。そして、俺と2mほど距離があるところで足を止める。
「初期位置はここでいいかな? これくらいなら双剣でも詰められるだろう?」
熟練者の目。いや、あるいは。
「いいですよ。やりましょう」
オルパロンは頷く。相変わらず表情は微笑から変わらない。
「それでは、3カウント後に始めよう。三、二、一……」
コールしてしまえばほとんど関係ないと言うのに、自然と脚に力が込められる。狙うのは、もちろんオルパロンの心臓の辺り。
狙士ならば、こちらが素早く動けば、その攻撃は当たらない。チュートリアルで矢を見て考えたのだ。狙士を相手取った剣士にとって、攻撃は最大の防御だと。
「開始!」
「双剣!」
右側に体重をかけて、右前方向に跳ぶ。すぐに2mの距離を詰め、左の剣から切り込んでいく。
そこで初めて、オルパロンは何かを呟いた。何を言ったかは聞き取れなかったが、おそらくはコールだろう。だが、遅い。俺の剣はもう、彼の左肩まで数センチに迫って――
「ぐはぁっ?!」
一瞬の閃光、そして左の胸の辺りに襲い来る痛み。スカーレット色の剣は届かず、痛むところを見ると、完全に穴が空いている。そこからは絶え間なく金色の液体が流れ出す。
「くくくっ、あははははっ!」
そう嗤うのは、オルパロンでも、アスクでもない。
「やっと……確信が持てたよ、オルパロンさん」
ヒュグロンの流出を最小限に留めるために胸を押さえ、俺は言う。痛みで吐きそうだが、ここで言わなきゃもう言える時はないと、直感が訴えかけている。
「あんた……ゲームマスターだよな?」
オルパロンの朝焼け色の瞳孔が微かに揺れる。図星だからか、俺がまだ生きているからか。それはわからないが、どちらにせよ少し気分がいい。
「興味深い質問だな。なぜ、そう思った?」
「まず、アスクとヒュギアの様子だ。こいつら、コール以外喋ってないんだよ。プレイヤーだってのに、あまりに無口すぎるだろ?」
脳内に柔らかな声が再生される。
――プレイヤーと区別するために、彼らは話せないようになっています。
それに、と俺は続ける。
「ユキ――俺のナビゲーターから聞いたけど、剣士の中で盾を使うプレイヤーは俺だけだ。それならアスクはなんだ?
――NPCってことになるんじゃないのか?」
オルパロンは黙って、目を閉じて聴いている。それでいい。黙って聴いてもらわないと困る。意識を繋ぎ止めるものが、次々と切られていっているような感覚があるから。最悪、最後まで言えずにゲームオーバーだ。
「そして、今言った点から、アスクもヒュギアもNPCだとしたら、それをこの対戦に持ってこれるあんたはどうなる?」
――マスターは《神》を唯一操作することができます。
「そんなことができるように《神》を操作できるのは、ゲームマスターだけだろ? 加えて、あんたは強すぎる。《神》を操作して、自分のアバターのスキルもいじったんじゃないか?」
オルパロンは笑う。それもこれまでの微笑ではなく、大声を上げながら。
「はっはっはっ、いい推理だ。ほとんど合っているよ。私はこれまで、ゲームマスターということを気づかれたくなかった故に、いい感じに調整したNPCを使って戦っていたのさ。まあ、自衛のために自分のスキルは強くしてあるんだがね」
だが、とオルパロンは続ける。
「そんなことを今更暴いて、何になるんだい? どうせ君はもう少しでゲームオーバーだよ?」
「あはは、たかが『ゲームオーバー』だろ? 大抵のゲームは、ゲームオーバーしたってやり直せるんだ。競技人口三億人のこのゲームがそうじゃないはずないだろ」
ヴァーチャルの死はリアルの死? そんなもの、ただの脅し文句だ。……そう信じている。
「いいや、必ずしもそうではないんだよ。その真実を、知るといい」
そこで、俺の瞼は落ちた。




