温めますか?
「お弁当、温めますか?」
「いえ、結構です」
「それではお会計の方が、九百二十一円になります。……千二十一円お預かりして、百円のお返しです。レシートは……」
「ああ、要らないです」
「ありがとうございました。またお越しくださいませー」
自動ドアの開閉と共に、店内に軽快な音楽が流れる。
「……有川君、さっきのお客様、何買ってったの」
「お茶と弁当とアイスだけです。まだ来るのは普通のお客ですよ。急ぎすぎです」
「ああ、そうだね……」
店長は期待の表情をさっと曇らせると、レジを出て陳列の確認に行ってしまった。時刻はもうすぐ深夜零時になる。彼はその時を心待ちにしているのだ。
「今週は色々と面白いネタが入荷したからさ、僕もちょっと気になっちゃって。なんてったって期間限定フェアが始まるし」
いまの客が最後の一人で、店内にいるのは私と店長の二人だけだ。毎日必ず訪れる、日付変更直前のゆったりとした時間を私はちょっと楽しみにさえしている。
「そろそろ零時になります。はやくレジ入ってくださいよ、忙しくなるんですから……」
「わかってるわかってる……あと三十秒か」
一通り店の中を回った店長は、私の隣のレジに入ると、休止中のフリップを下げた。二人でふぅ、と息を吐き、身なりを正して、秒針が刻む音に耳を傾ける。
かち、かち、かち、
かち、かち、
かち。
十二時、になった。その瞬間、勢いよく自動ドアが開く。
「「いらっしゃいませーっ」」
さっそく店に入ってきたのは、大学生くらいの三人組であった。一人はイヤホンで音楽を聴き、残りの二人はやかましく話声をあげながら商品棚の間に入る。
「なんか面白いもんあるかな」
「とか言って、お前いっつも買うもん決まっとるやろ」
「まーな。なあ酒井、お前何買うん?」
遅れて後をついていたイヤホンの少年は、自分が呼ばれていることに気付き、のそのそとイヤホンを外す。
「うーん、まだ決めてない。でも三つくらい買いたいかな。セットで」
「お、チャレンジャーだねえ……」
続いてもう一度、店内に音楽が鳴る。次に入ってきたのは七十代くらいの老人だ。ゆっくりとした足取りの彼は、毎日決まったルートで決まった棚に行き、決まった商品を買う客だ。この界隈では有名な老人である。名は安閑だったかダンカンだったか。ともかく案の定、先にレジに来たのは彼の方だった。少年たちはといえば、まだ棚の前であれこれ悩んでいる。
「……はい。ではお会計、二千円になります」
私はここでいったん言葉を区切り、つばを飲み込む。今日の私の台詞の中で、最も重要なものを口にする準備をするのだ。
「……温めますか?」
「いや、いい。すぐに書く」
千円札二枚を無造作に財布から出し、商品を鞄に入れて店を出る。もう何年も変わらずに続く彼のルーティンだ。今日もそれが終わった。
「彼、今日も温めなかったの?」
「はい。来る日も来る日も織田信長一本、あの調子じゃ帰ったら即執筆なんでしょ。すごいと思いますよ、ダンカンさん」
「安閑さんね。かれこれもう十年でしょ?うーん、そろそろ他のアイデアでも、温めてみても良いと思うんだけど……。あ、今のはもちろん僕個人の意見ね」
私と駄弁っていた店長であったが、少年たちのうちの一人がレジに来たため対応に移った。レジに置いた箱を見るに、少年が買うのはどうやら、ファンタジー系のアイデアらしい。私のレジには客が来る気配はないので、横目で様子を観察する。
「……異世界転生一点、巨大ダンジョン一点、機械文明一点、合計三点で、お会計は千六百円になりまーす」
「二千円で」
「はいお預かりしまして、お返しが四百円と、レシートになります。…………さて、温めますか?」
店長の声は、この時だけ妙に明るくなる。彼が最も楽しみにしている瞬間だからだろうか。
「あーっと、えーっと……」
少年は後ろを振り返って、連れの顔色を窺っている。
「うーん……じゃあはい、温めます」
「……かしこまりました。ではいずれ、忘れずに受け取りにいらしてください」
「よし、俺会計済んだから、先に店出て待ってる」
彼は残り二人を店内において、ひとり出て行った。ほどなくして、イヤホンをしていない方の彼の連れがレジに入った。彼が買ったのは密室空間と信頼できない語り手の二点だった。
「温めますか?」
「あ、はい。お願いします」
ミステリの彼と入れ違いになるようにして、今度は大勢入ってきた。とはいえ彼ら彼女らは、たまたま同じ時間に入店しただけのよう。はてさて、ここから忙しくなる。
「いらっしゃいませー」
「らっしゃいませ」
零時を二十分も過ぎると、店はそれなりに賑わいを見せる。同じ棚の前でずっと考えあぐねている女。あっちこっちを行ったり来たりとせわしない女子学生。彼女の付き添いで来たと思しき男子学生などなど。客層も様々。うっすら見覚えのある客もいれば、当然はじめての客もいる。
今対応しているお客も、一カ月に一度ほどのペースで来店する客だ。
ピッ、ピッ。
「あ、あとスプラッタって置いてるっけ。十八禁の」
「取り扱っております。年齢確認できる身分証明書をご提示願います」
青春小説との組み合わせはちょっとチャレンジングなようにも思う。が、組み合わせに私がとやかく言う権利は無い。彼が差し出した運転免許証で確かに年齢を確認し、私はレジ奥の棚から猟奇的表現を取り出し、青春小説の横に並べた。
「温めますか?」
「いや、そのままでいい。イメージが新鮮なうちに書ききれると思うんだ」
会計を済ませた彼は、急ぎ足で去っていった。免許証で見た名前はしっかりと覚えているわけではいが、たしかどこかの文学賞の大賞受賞者であったように思う。ああいう初動の速さも、求められる能力なのかもしれない。
**
「あーっ!!」
突然、店内に大きな声が響き渡る。私も店長も、そして他の客たちも、一斉にそちらに注意を引き付けられた。
「お客様、店内で大きな声を出すのは……」
「これは名作来たわ! これで勝つるわマジで!!!」
注意に向かった店長の言葉は全く耳に入っていないよう。その客は興奮気味に、乱雑に商品を棚から取ると、ずんずかとレジに進んで来た。取り方が雑すぎて周りの商品が床に落ちてしまったようで、店長はその再配置をしている。となるとレジ対応はもちろん、私である。
「いらっしゃいませ。えっと、異世界転生一点と、巨大ダンジョン一点、機械文明一点……」
「なあ姉ちゃん、この組み合わせは前代未聞やろ。魔法じゃなくて機械文明が主流の異世界に転生や! いや~、これは取ったな遠雷文庫」
「お客さま、他のお客様のご迷惑になりますので、もう少し声を……」
「すぐ出てくからええやろって。で、いくら?」
「千六百円です」
前代未聞だかアモンだかマモンだか知らないが、その組み合わせならつい二十分ほど前に高校生が買っていったばかりだ。それに、アイデアの組み合わせ自体もとりたてて騒ぐほど珍しくはない。だって陳列棚のちょうど真横に並んでる三セットだし。
とはいえもちろん、文章の美しさやら細かな設定やらで化けるテーマではある。それになにより、ここでは『先に書いたもん勝ち』だ。渾身のアイデアを温めるのも良いが、ほとんど変わらぬアイデアで先を越されてしまうのはできれば避けたい世界である。逆を言えば、先に生み出せばそのジャンルのパイオニアにだってなれる。
その客は百円玉を十六枚並べたのを確認すると、私は一抹の期待をこめて、例の台詞で問うた。
「アイデア、温めますか?」
「はい!」
即答だった。彼がさっきの少年に先を越されないことを祈りたい。
**
「あの……」
私が十八禁のどぎつい性癖を五十音順に並べなおしていると、後ろから声が降りかかった。慌てて振り返ると、なんと最初に来店したイヤホンの彼であった。時計はもう一時を示そうとしているが、彼はようやく買うものを決めたようだ。
「お待たせしました。えーっと、学園もの一点、神話パックが……えっと、いくつになさいますか?」
「二つお願いします。それと、スチームパンクを一点ください」
彼の注文に応じて、私は神話を二パック取り出した。昼間にトレーディングカードを売るのと同じ感覚である。次はスチームパンク。今実施中のフェアはサイバーパンクフェアだから、その一部であるスチームパンクはレジ横が陳列場所だ。昼間は肉まんが置いてあるが。
「はい、スチームパンク一点……」
「……え?」
少年はぼうっと自身のスマホを眺めていたが、弾かれたようにこちらを見て、それから私の手元を見る。私は丁度、文字通り湯気を立てるスチームパンクを取り出したところだった。
「あ、間違いましたすいません、スチームパンクじゃなくてバイオパンクで…………」
「了解しました」
「あ、いや、やっぱりスチームパンクもアリかも……?」
買い間違い。それはたまに、怪我の功名を呼び起こす。当店ではとりわけそうである。私はワクワクしながら彼を見守る。
「蒸気機関が主流の世界で、それぞれの都市の核となる機械が神の名で崇められる世界、主人公は少年少女で…………」
少年の口から、どんどんとアイデアの走り書きが生まれ出づる。彼の表情はどんどんと明るくなり、最後には自信をもって頷いた。
「ごめんなさい。やっぱりスチームパンクのままで」
スチームパンクと神話と学園もの。個性の殴り合いのようだが、うまくハマれば面白そうな組み合わせなものだ。彼が買った神話パックを開封したら、一体どんな神々が出てくるかも鍵になるだろう。
会計を済ませ、私は彼に問う。温めても温めなくてもどっちでもいいが、アイデアには鮮度があることをお忘れなきよう……。
「……温めますか?」
「いや……そのままで」
彼はイヤホンを耳に入れなおし、スキップ気味に店を後にする。すぐに別の客がレジに来て、その対応に追われた私には、彼の背中を見送る暇はなかった。
「身分証明書をお持ちでしょうか……」
「お会計は……」
「すいません、クトゥルフ神話は当店では取り扱っておりません…………」
零時から三時までの深夜の三時間、このコンビニは創作者たちの御用達となる。毎日やってくるこの業務にいそしみながら、私はさっきのイヤホンマンの少年のアイデアに思いをはせていた。彼の当初想定していた方、選ばなかった組み合わせもまた興味深いように思うのだ。
だがまあ、いつかきっと誰かが思いつくだろう。学園ものと神話を買いに来た未来の誰かも、レジを並んでる最中にパンクなケースが目につくはずだ。
ただいま、絶賛フェア開催中ですので。