虎が好き
この作品はnoteにも上げています。
あの日のことはよく覚えています。
あの日私はいつもと同じ鐘の音で目が覚めました。
外の通りからは豆腐売りの声などが聞こえていたと思います。
私はすぐに布団から出ました。
同級生の女の子たちはすぐに起きられないとかよくいっていますが、私はそんなことありません。なぜならお腹がすいているからです。早くお母さんが用意してくれた朝食を食べたいのです。
もう14歳なんだからそろそろ女の子らしく髪をとかしてからとか、それなりにきれいにしてからテーブルにつきなさいと、お母さんにいわれているのですが気にしませんでした。そんなことはご飯を食べてからにすればいいのです。
ですからその日もいつものように真っ先にテーブルにつきました。
でも、その前から少し異変には気づいていたのです。
台所から漂ってくるこの嫌な臭いはなんだろうと思っていたのです。
ただ体調が悪い日などせっかくの食事の匂いを嫌だと感じることもあるので、それかなくらいに思っていたのです。
でも違ったんですね。
嫌な臭いの原因は鶏肉でした。
昼食用のお弁当のために用意された唐揚げから漂っていたのです。
ヤギのおしっこような臭いが。
「お母さんこれおかしいんじゃない」
「今朝絞めたばかりよ」
お母さんはそういって唐揚げをクンクン嗅ぎました。そして首を傾げて、一個つまんで口に入れ、もう一度首を傾げました。
「おかしくないよ」
そりゃそうです。
おかしいのは私だったのですから。
「それお弁当に入れないでね」
「どうしたの。鶏肉好きでしょ。いちばん好きでしょ」
そうです。鶏、豚、羊、牛、馬、山羊、鹿、鴨と肉にはいろいろあるけれど、中でも私は鶏が一番好きでした。
「うん。そうなんだけど。なんか今日はちょっと。ごめんね」
そういって私は用意されていた卵雑炊を急いで食べました。急いで食べた理由は早くその場を去りたかったからです。
鶏の唐揚げから漂ってくる嫌な臭いが我慢できませんでした。
ただ卵雑炊はおいしく食べることができたから、体調が悪いわけではないようだとぼんやりとは思っていたのです。
二度目の悲劇は教室でおきました。
午前中の授業が終わり、昼休みになって、お弁当の時間。私はいつも以上にお腹が空いていました。いつもならば朝からしっかり二膳は食べて来るからです。それが今朝はあの臭いのせいでおかわりせずに逃げて来たのですから。待ちに待った時間でした。
ところが。
みんなが家から持ってきたお弁当を開けた途端、排泄物や腐敗した物がいりまじったような臭いが私を襲いました。
私は慌てて教室から跳び出し、走り去りました。原因は肉でした。
私が嫌がったことから私の弁当には鶏肉は入っていませんでした。しかし、それを避ければいいということではなかったのです。弁当には各自がそれぞれの家から様々な肉を入れてきますから。
実は肉が原因であることがわかったのも一週間も先のことでした。お母さんに何度も病院に連れて行ってもらってようやくどうもそうらしいという結論が出たのです。
鶏、豚、羊、牛、馬、山羊、鹿、鴨と私たちは様々な肉を食べます。遠い国の人たちの中にはそれらを一切食べない人たちもいると学校で習いました。そんなことは考えられないと思っていましたが、そういう生活を私は送ることになりました。
「肉が食べられないなんて」
とお母さんは悲しい顔をしましたが、私にとってはすでに肉は嫌悪の対象でした。
私は幾分か楽になりました。自分に何が起きているのかがわからないときは混乱まで抱えてしまいます。でも何らかの答えが出てくれれば対処のし方も見えてくる。
家族が協力してくれて、食卓には肉が並ばなくなりました。学校も協力してくれて、昼休みは私だけ保健室でお弁当を食べることが許されました。ふいに肉の匂いをかいでしまわないようにマスクも常に着用しました。
とりあえずはそれで、元の生活を取り戻すことができました。
保健室でお弁当を食べることが許されるようになってから、もう一つ変わったことがありました。
一週間に一度カウンセリングを受けることになったのです。中央からカウンセラーが学校に来て保健室で行います。名前はセキといって50代くらいの小柄な女性でした。そこでいじめに遭っていないか、家庭ではどうか、などと訊かれるのです。よその地域ではそういうことがあるというのは知っていましたが、私には身に覚えのないことばかりでした。他にも幼いころに大きな事故に巻き込まれた経験はないか。何か大きなストレスや不安を抱えていないかなど。
確かに私たちの先祖の歴史や食文化から見て肉が食べられなくなるなんていうのは異常事態です。
私はなにか良い解決策のきっかけになればとなんでも素直に答えました。
五回目のカウンセリングの日、セキさんは私に冊子を見せました。
それは私たちが一年に一度行うテストでした。テストといっても学校の教科の習熟を見るものではなく、「学校は楽しいか」とか「今頑張っていることは何か」とかいう質問が100個ならんでいるもので、自分の気持ちに素直に答えることを目的とした「心情テスト」というものでした。
セキさんが見せたものは私がかつて提出したテスト用紙でした。
そしてセキさんが見せているページには、
「犬や猫をおいしそうと感じたことはありますか」という設問が印刷されていました。その下に私の字で「あります」と書かれていました。その下の理由の欄には「色によってチョコレートやビスケットのように見えるときがあるから」と書かれてありました。
犬や猫だけではありません。私は食いしん坊だからか家具などを見ても色使いによってはそれが焼き菓子のように見えるときがあり、おいしそうと思ってしまうことがあったのです。
このことは友達にも話したことがあり、友達もいわれてみればと賛同してくれたので、おかしなことだとは思っていませんでしたが。
セキさんが私の奥底まで覗き込むような目をして尋ねてきました。
「今はどうかしら」
セキさんの質問にはなんでも素直に答えて来た私でしたが、その質問には躊躇してしまいました。
何故ならその時はすでにチョコレートやビスケットすら食べ物ではなくなっていたからです。
事態は改善には向かっていなかったのです。
数週間前に肉が食べられなくなったと診断されましたが、その後乳製品、果物、穀物、ほとんどのものが食べられなくなっていたのです。
本当はセキさんはそんな質問をしなくてもわかっていたのでしょう。だって私はほとんど食事ができずにやつれてしまっていたのだから。
そして、答えるのに躊躇したのにはもう一つ理由がありました。
それはその日の前日のことでした。
私のことを気づかってくれた友達のサキが家に呼んでくれたのです。そこにはエナもカスミもいました。そしてサキが飼っている猫のサトル。動物と遊ぶことがとてもいい癒しになるからと飼い主であるサキが私に抱かせてくれたのですが。
気づくと私は猫にかみついていたのです。
悲鳴とともに私はサキに突き飛ばされました。
私は慌ててサキの家を飛び出しました。
涙を流して告白する私をセキさんはやさしくなだめてくれました。
「大丈夫よ。猫は無事。首輪をしていたのが幸いしたわね。それよりもあなたの方が心配よ。緊急を要するわね」
セキさんに付き添われ、私は家に帰ると身支度をしました。
その間にセキさんが両親に話をつけてくれました。しばらく帰ることはできないと。
両親に見送られ、私たちが家を出ると馬車が来ていました。
猫にあれだけ食欲をそそられたのに、馬を見ても馬としか思いませんでした。
施設についたのはもう暗い時間でした。
ですから外観はわかりせんでした。中の印象は大きな病院の雰囲気。
二人の若い白衣の女性に連れられて部屋へと行きました。
部屋は一人部屋でした。
詳しいことは明日にして、もう遅いからすぐに寝るようにといわれました。
セキさんとはそこでお別れになりました。
「あとは施設の人に任せることになる」といって部屋を出て行きました。
私もいうことを聞いて気持ちを落ち着かせる薬を飲んで横になりました。
薬はすぐに効いて私は眠りにつきました。
私は匂いに叩き起こされました。
どんなに大きな音を鳴らしてもあれほど一気に目覚めることなどないでしょぅ。
久しぶりに嗅ぐ匂い。
目の前にあるのはステーキでした。鉄板の上でいい音をさせています。
私は何も考えることなくそれを口に入れました。自分の血が駆け巡る快感。喉からどころか胃が手をのばし、欲します。
300グラムはあった肉はたちどころになくなりました。
気づくと傍らに両親がいました。
お母さんは泣いていたと思います。でも私はそれに気を止めませんでした。だってあまりにもステーキがおししかったのですから。
そしてとてもとてもうれしかったのです。
「私治ったんだね」
きのう寝る前に飲んだ薬は病気を治す薬だった。ならば今日は太ることなんて考えずにひたすらに肉を食べていたい。そう思っていました。
「じゃあこっちはどうかな」
そう声を掛けられて私はやっと部屋には両親以外にも人がいることに気づきました。
昨晩会った女性二人と、体格のいい白衣の男性二人。そして私に一番近い位置に長身の中年男が立っていました。この男も白衣です。彼は新しいステーキを差し出しました。
やったと思うもつかの間私は眉をひそめた。
「臭いですよ。これ。処理が上手くできてないみたいです。さっきのはおいしかったのに」
お母さんの嗚咽が聞こえました。
なだめるように肩を抱くお父さん。
「結果が出たようですね」
長身の中年男がいいました。私は戸惑いながらその男を見ました。
「調査員のマチダだ。残酷なことをして悪かったが調査の一環でね。でもこれではっきりした。ご両親も納得していただきましたよね」
マチダさんがいうには、私がそのときおいしく食べたのは狼の肉らしい。不正がないよう、解体および調理はお母さんがした。両親は早朝、私がまだ眠っている間にこの施設にやってきて調査の説明を聞かされ、そして実行したのだということでした。
野性の狼の肉はどんなに上手に処理しても、上手に調理しても臭くて食べられたものではないらしい。それを私はおいしく食べた。
規定というものがあり、それにならって行われた調査だった。それによって出された答え。
マチダさんはいいました。
「君は肉食動物しか食べられなくなったんだよ」
正式名称「ヒノ・イスズ症」。その存在は実に1000年も前からいろいろな文献に登場しているらしいのですが、ひとつの病気として研究したのが遠い国のヒノとイスズという名前だったことからこの名称となったそうです。それも200年も前のことらしいのですが。別名「虎食い症」。「猫食い症」とも呼ばれる。前者は肉食動物の王様であることから、後者は確認されるもっとも多い症例であることからそう呼ばれる。私にも経験がある話です。
だいたい10万人に一人の確率で出現するそうですが、10万人という人口の見当が私にはつきませんでした。
この辺りの知識についてはマチダさんが教えてくれました。
規定により私には処分が下りました。
「追放」です。
生まれ育った町を出て行かなくてはならなくなったのです。
君は罪を犯したわけではない。よって罪人ではない君を禁固刑にするわけにはいかない。追放は理にかなった策だ。理解してほしい。
マチダさんの署名が入った書類と、両親の署名の入った書類と、委員会の決定が書かれた書類を見せられながら、黒い服の男たちから説明を聞きました。
私は手足を縛られ、頭からは布をかぶせられ、籠に入れられました。
覚えているのはそこまでです。縛られる前に飲むようにいわれたお茶に睡眠薬が入っていたのでしょう、気づくと私は山の中に一人で置き去りにされていました。
手足は自由にされ頭からの布も取り払われていたのですが、私は寂しいやらむなしいやらで涙を流しました。これまでにもさんざん泣いたのにまだまだ涙があふれました。
しかし、その涙がぴたりと止まりました。
低く唸る声を聞いたのです。
声の正体はわかりませんでした。ただ私の中にある本能が警告音を発していました。
私は空気の動きすらとらえるかのようにあたりに耳を済ませました。
左後ろの方向。
カサカサと草を分け、近づいてくる音。
私は振り返り音の正体を探りました。
それは虎でした。
本でしか見たことのない、猫に似ているがそれよりもずっと大きく2メートルを超える体。黄色に黒の縞模様。最強の肉食動。
それがこちらに近づいてくるのです。
私が置き去りにされたのは虎の生息地域だったのです。
つまり、私のようなものは虎にでも食われろというわけです。「虎喰い症」という呼び名にはそういう皮肉もこめられているのでしょうか。
私は「追放」という処分の残酷な真意と、実際に虎に遭遇してしまった恐怖とで混乱し、その場から動けないでいました。
虎は一歩一歩近づいてきます。
低く唸り声を上げ、2本の大きな牙を見せ、射程距離まであとわずかです。
それにしてもおいしそう。
私はそんなことを思っていました。
なんということでしょう。虎がさらに近づいて来ると恐怖心よりも食欲が勝ったのです。
私は素早く立ち上がり、自ら虎に走り寄りました。
そして、その右手で虎の首をもぎ取ったのです。
肉食動物しか食べられなくなってしまった私にはそれを狩る力も備わっていたのです。
首から滴る血で喉を潤し、胴体にかぶりついて腹を満たしました。
お父さんお母さんは元気でしょうか。
時には私のことを心配してくれる日もあるのでしょうか。
だとしたら心配は全く無用です。置き去りにされた場所は豊富な狩場です。
私は肉食動物たちをお腹いっぱい食べています。
木登りが得意な山猫も狩ります。だって私も小さいころから木登りは得意ですから。覚えているでしょう。
それに、3メートルくらいの高さから飛び降りても平気な肉体になっていますし。
最近では匂いでおいしい個体がわかるようになってきました。
強いものほどおいしいです。
そしてやっぱり虎が好きです。
もし楽しんでいただけたのなら、他の作品も読んでみてください。