第8話
第8話「始まりの過去」
緑色がイメージカラーのファミレスに集合し、今まで得た情報整理を行うこととなった。
ドリンクバーから持ってきたコーヒーを飲みながら先輩が口火を切る。
「まずは一番目。夜刀宮部員からの報告から」
「は、はい。報告といっても私は前の席の人から聞いたくらいで、何でも前から知り合いだった美術部の先輩と連絡がつかないと」
「だろうな。その答えは二年。小原」
「うえっ、ユウがやるんじゃないんですか?」
「夢岸は補佐。ついでに自分の推論を言わせる。変わるか?」
「No! じゃあ一応真面目にやりますか。まずはカリスマっていうか竹林先生に関わる話を訊いていたんっスけど、どうにも生徒では最後に関わったのは美術部らしいんっス。それで昼休みが終わってクラスの美術部員、ユウの隣の席の三島さんっていう女子生徒に話を訊こうとしたんですけどクラスに戻って来なかったです。先生方に訊けば早退したらしくて」
先輩は小さく頷き、目を閉じて熟考する。
恐らく自分の中にある情報と照らし合わせているのだろう。
「夢岸。今出ている情報からお前の推論を」
「推論、ですか」
今出ている情報は一つ目として、美術部員が竹林先生と学校内で指導室に呼ばれていること。
二つ目は美術部員である三島さんが体調不良という理由で昼で早退したことくらいだ。
ハッキリと隠された関係性が見えている訳ではないが、事情を訊きたいと思う程度にはグレーだろうか。
得られた情報は少ないが、ここから推理できる内容はあまりにも薄く決めつけに等しい。
「どうであれ、情報が少ないと思います。探偵の真似事にしても調べることが沢山ありそうですね」
「ふん。ならもう少し情報を足そう。まず美術部員のことだが二年の三島という女子生徒だけでなく、他の二年と三年の部員も早退している。またあの事件前日に美術部の全員が指導室に呼ばれている。具体的な理由は不明だ」
「帰ったのは三島さんだけじゃなくて、しかもあの日に美術部全員が呼ばれた?」
「そうだ。指導室に入ったが目ぼしい物証はない。不気味なほどに綺麗だ」
「それって、どういうことでしょう?」
「そりゃあ、あの日に呼び出された美術部の奴らが深い事情を知っているかもってことでしょ?」
「タカの言う通りだ。ただ最も知りたい情報。なんで呼び出され、なんで揃って早退したのか。それが分からないと話が進まない」
自分たちが知っている美術部は想像できることは一般的なものだ。
パレットに描かれた幾つもの水彩画。人数がいる割に静まり返った室内には筆がはしる音だけが響く。
自分たちの部活動より怪しい気な部活ではなく、ごく一般的などこにでもあるような部活で、漫画アニメなどの研究会とも区別されている。
校内に持ってきてはマズイものを持ち込むような人はいない、そう思っていたのだが違ったのだろうか。
「先輩。美術部に入りましたか?」
「ああ、入った」
堂々と他の部室に侵入したことを自白した先輩はポケットからスマホを取り出して画面を見せる。
思わず眉をひそめたが、美術部の部室は誰もが使う美術室ということもあり心の中で納得させた。
画面を見れば美術室の写真で、これといって不自然なものは無さそうだ。
「なにも、無さそうですが?」
「だよな。これじゃあ何も進展しなさそうだ」
「いや待て。よく見ろ。この絵」
部屋の隅に置かれた部員たちが描いたであろう彫像の顔だけの絵。
一見すれば何処にでもあるような絵だが、ひとつだけ描き方が明らかに違う絵がある。
黒と白の比率が他の絵と全く逆になっている絵が一枚だけ存在し異彩を放っている。
加えて、その絵は他の部員たちの絵を見れば同じ対象物を描いたであろうと推測できるのに、その絵にはひとつだけ足りていない。
「口が、ない?」
「時間が足りなかった、とか?」
「それは無い、と思う。明らかに時間がかかる描き方を選択し、さらに他の箇所は細かく陰影も描いている。口から下が無いなら時間がなかったとも考えられるが」
「描かないのか、描けないのか。どちらにせよ妙な描き方をする美術部員がいるのは確かだ。この絵を描いた者が誰なのか訊こうと思ったが逃げられた」
「それが全員早退の理由? そんなバカな」
「タカ。それでも美術部には何かがある。それは否定できない」
口の描かれていない絵を見ながら思う。なぜ口だけを描かなかったのかと。
描いた人物の才能がそうさせたのか、それとも何かの暗喩をこの作品にこめたのか。
凡人である者には解らない何かが、この作品にはこめられ、作者は何を伝えたかったのか。
「画像からは分かりにくいが、この絵は現場では大分異彩を放っている。それは、この絵の表面からも読み取れるものだった」
「表面?」
「この絵はな。ただの表面だ。この下に、もう一枚絵がある」
異彩を放つ絵の下に隠された本当の絵。
それはまるであの有名なダ・ヴィンチの絵画を連想させる。
隠された暗号は何かの陰謀とともに語られ、また散りばめられた秘密を持つ作品群は人種国籍問わず魅了する。
それほどまでの絵ではないのだとしても、妙に期待してしまうのは仕方がないだろう。
画面をスライドさせようとしたが、その先はない。
「あれ?」「え?」「どゆこと?」
「その先は撮れていない。邪魔が入ったんだ」
「そんな~……」
「だがそれを見た時、私は私が望んだモノに指をかけたと解った。ようやく私はスタート地点に立ったのだと。長く辛酸を舐めた日々の分だけ私は恐怖と歓喜に打ち震え、時間の感覚は消し飛び、現実と虚構が入り乱れるようなそんな! そんな何かを私はっ!」
「先輩っ!」
隣に座る先輩が唐突に何かに憑りつかれたかのように言葉を発し始めたのを腕を掴んで止める。
ピタッと機械のように動きを止め、周囲の状況を理解した先輩は軽く咳払いをして誤魔化した。
しかし、それで誤魔化されるような奴など此処にはいない。
「先輩。いったいどうしたんですか?」
「そうっすよ。今のは絶対正気とは思えねぇっす。そもそも何でこんな事件に首を突っ込んだです?」
「私もこの部に入ったら教えてくれるって言ってましたよね? この事件に固執する理由を」
先輩は俺たち三人の顔を見て、覚悟を決めたのかゆっくりと息を吐く。
呼吸を整えた彼女は、ブレザーの内ポケットに手を伸ばし、そこから取り出したのは学生手帳だった。
見慣れた学生手帳は自分たちの高校のもので、特に変わった様子はない。
先輩は手帳に挟んでいた何かを取り出し、こちらに渡す前に問うてくる。
「いいか。お前たちには協力してもらうにあたってこれは私なりの誠意だ、が……これは刺激が強すぎる。知らなくてもいいことだ。知らなければこの事件もこれ以上は関わらせない。それが身を守る最善の手段だからだ」
「それでも知りたいか、ですか?」
「先輩? ここまでやってそりゃ無いでしょ」
「そうですよ。こうして皆が先輩さんを心配して集まって行動してる。それなのに今になって引き返せなんてありえません」
「本当に、それでいいのか? いいなら、見てもらおう」
四つ折りにたたまれていた、所々痛んだ紙のように見えるモノを裏返しにしたまま机に置く。
机に置かれたモノを見て、それから崇之や夜刀宮の顔を見る。
アイコンタクトで伝わるのは誰が最初に見るのかということで、そして最初は俺からということになった。
「それでは自分から―――「ユウ」―――はい? 先輩?」
「ありがとう。すま―――」
伸ばした手は机に置かれた”それ”に触れ、先輩の声は最後までは聞こえることはなかった。
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その日はとても、暑い日だったのを憶えている。
日光から肌を焼かんとばかりに降り注ぐ太陽光が眩しくまた心を削り続ける。
口を開けて犬のように息を吐いても体温調節なんて出来ないけれど、それでも走っていたのも憶えている。
当時は幼く、何か面白いことはないかと色んな場所に出かけていたからだ。
適当な目的地を決め、移動手段は徒歩か自転車くらいだったが、それでも見たことのない場所を探して走り回っていた。
周りは生まれた国とは違う言語、人種、常識が溢れ、いつかまた出会えると思うアイツらに話すネタを探していた日々。
転校先の友人たちから教わったモノは母国と違うものも沢山あって、話すネタとしては上々の、いづれ日常になっていく小話ばかりだ。
だが、それでもまた逢う日を思って学校の無い日は毎日どこかへ出かけていた。
ただその日は、たしか家族でキャンプに出かけた日のことだったと思う。
森林浴も兼ねたその日は父の疲れた心を癒すためのものか、はたまた母と娘のために用意した家族サービスだったのかは分からないが絶好のキャンプ日和だった。
ただ日本とは違う暑さではあったが、さすがに遊び疲れて近くにあった洞窟へと逃げ込んだ。
洞窟は涼しいというよりも冷たく、入口でありながら日陰というよりも暗く、洞窟という閉所でありながら奇妙なほど広く感じる場所だった。
洞窟の奥は日光を一切通さないのか真っ暗で、風が木々の葉を奥へと運べば一瞬で見えなくなる。
子供心とは異常とも思えるほど恐ろしいものだと、今なら解る。
行くな、と心のどこかで発していながら私は歩いた。
一歩一歩。奥へと歩を進めていきながら周囲を見れば、ある一定間隔で不自然にぬかるんだ土や異様な動物なのか人なのか、そもそも生物なのか分からないが、それでも統一性らしさは感じられる不気味な絵と文字らしきものが大量に描かれている。
手足が震えているのが分かっても、それでも好奇心が足を勝手に動かしていく。
何かに引っ張られるように。
歩いて、歩いて、歩いて、歩き続けて。入口からの光が大分遠ざかったとき、音が聞こえた。
テケ・リ・リ! テケリ・リッ!
洞窟内を反響するその音は、反射的に外へと向かうのには十分すぎる恐怖だった。
歩いて奥まで来た以上、走って戻ればすぐに入口に着くと思っていたというのに何故か外までの距離は遠い。
それでも走った。何しろ外の日差しという輝きが見えているのだから。
何処からか聞こえた声は今も洞窟内に響き、だからこそ足を止めることはなかった。
だけど、その足は何かに足を取られ、勢いをそのままに転げまわる。
恐らく不自然にぬかるんだ土に足を取られたのかもしれないが、あの正気を奪う恐ろしい声は段々と近づいているのが分かる。
逃げないと、と思って立ち上がろうにもうまく立てない。
足についた泥の所為かと思ったが、足には何も付いてはいない。
それでも足の重さはまるで地面に縫い付けられたかのようで、懸命に、ただあの光の下へ這いずった。
近付く声はまるで吐く息すら聞こえるような気がして、恐怖で吐きたくなるほど気持ち悪い。
声から少しでも遠ざかりたいという一心で手を動かした。
あと少しと、近付く光に手を伸ばして――――
「テケ・リリ! テケリ・リ!」
―――――自分の口から響く、何かの声に、私は吐いた。