雨とうさぎと③
駅に向かい改札前で別れる。向かう方面が真逆なこともあり、帰路に着くつかさの背に手を振る。けれどそれは直ぐに人混みの中に静かに溶け込むようなに消えて行く。
やはりこの悪天候、まだ辛うじて遅延していなくとも用心して早退してきた人たちでごった返している。こうなると電車が遅延するのも時間の問題だろう。
駅を出て傘を差し、歩き始める。二駅先だし歩いた方が早いだろう。満員電車になるべく乗りたくはないし。
色とりどりに映える傘の花たち。雨足は更に強くなっていく。そんな景色を眺めぼんやり歩きながら思案する。
あたしの世界は一変して、大切なものがなくなり何もかも変わってしまったのに対して何一つ変わらない日常。
生き甲斐も支えも、幸福も何もない。
あの魔法のような日々はもう帰ってこない。
「…あたし、何のために生きてるんだろう。」
まるで世界が色を無くしたように、全てが灰色に映る。確かに色鮮やかな色彩があったというのに。
…このままいっそ、あの人の元へいってしまえればこんなに苦しくはないのだろうか、そんな思考ばかりを繰り返しての日々。
胸にいつまでも引っ掛かる虚無感と喪失感。
あたしの世界はいつまでも止むことのない雨と絶望が吹き荒れている。同じように吹き荒れて揺れる街路樹を見て失った日々を、失ったモノの大きさを思案する。
"瑠衣ちゃん"
目を閉じると、ほら、こんなにも近くに感じられる。
穏やかな笑顔で優しいテノールのような低音であたしの名前を呼ぶ声が聞こえる。
こんなにもはっきり思い出せる、すぐに蘇るのに。
「…どうして、もうどこにもいないの…?」
一つの風が側を通り抜ける、それがきっかけ、押し殺していた筈の感情や言葉が溢れ出す。こみあがるばかりの愛しさばかりで現実を理解してくれず、それを受け入れなければならない悲しさで息がとまりそうだ。
頬を伝う暖かい何か。足元に一滴の染みが広がる。次々と溢れ出す涙で前が見えなくなる。
「なんで…いないの…っ!ずっと、傍にいるって言ってくれたのに!会いたいよ…朱鳥くん…っ」
気がつくとあたしは傘を投げ捨て豪雨の中、駆け出していた。
街行く人は誰ひとりとしてあたしを見ても不思議そうにも見ることはなかった。
こんな大雨なのに、傘もささないで歩いているというのに。家路を急ぐ彼らには他人になど興味はないし視界に入らないのだきっと。
「あ、バイト…連絡してない」
けれどなんだかもうどうでもよく思え、自分がどうなろうとそれさえもどうでもよくなっていたのだ。
そんなあたしを包むように何時の間にか夜は静かに訪れ、雨は強さを増して闇を連れてくる。
「朱鳥くん、今から行くから待っててね。」
何かに誘導されているかのように、ふらふらと足は歩みをやめない。死に場所を探す、その表現がぴったりだった。
通りかかったのは大きく古びた鉄橋。何故か車も人気もなく静寂な夜を示唆している。下を覗くと雨の影響で増水した川の水間も無く氾濫しそうな勢いだ。そして流れの速さ。
「…ここでも、いいかな…」
小さく呟いて欄干によじ登り、立ち尽くす。いつまで飛び降りれるように。
顔に当たる風がやけに冷たい。そのくせ、身体は芯から冷えきっているはずなのに、“寒い”という認知はあたしの中から排除されていて何も感じられなかった。
涙はとまらない。
「…っ、あ、あすかくん…。
ごめんやっぱりあたし頑張られないよ。もう疲れちゃった。会いにいってもいいよね…」
答えはないけれど。きっと彼なら…ごめんねって言って何時ものように壊れ物に触れるような優しさで抱き止めてくれるはず。
そんな気がして、飛び込もうと身体をバランスを崩す。その一瞬の隙に聞こえた、風のように、けれど囁きに似た声。
“見つけた…!僕の…アリス!"
「えっ!?」
ずらしたバランスを元に戻せないまま鉄橋の方に身体を戻し倒され尻もちをつく。
ばしゃんと水溜りの中に入ってしまったのか、大きな音と共に感じる不快感。
「…痛た。なに、…今の…」
倒れ込んだ拍子に腰を強く打ち付けてしまったらしく、ずきずきと痛みに襲われる。
ふっと顔をあげると、先程まで誰一人として存在しなかったこの場所にちょこんと立ち尽くす物体。
「…? ウサギ…?の割には真っ黒な毛並み…?
てか何でこんな所に…」
こんな街中にいるはずのないウサギがあたしを静かに凝視している。
珍しい黒い毛並みをしたウサギ。その毛並みから見え隠れする首元にかかる何かが光に反射している。
「…ネックレス…?違う、あれは…懐中時計だ」
そっとウサギに触れようと立ち上がり掌を伸ばすが刹那、ウサギはあたしの横を一跳ねをしてそれを遮る。そして、そのままぴょんぴょんと跳ねて夜の闇に溶ける。
「…な、何よあれ…。ちょっと、待ってよ!」
気がつくとあたしは、ウサギを追いかけるべく走り始めていた。横切った時に聞こえた、あの囁きに似た声。
あれは今日の夢の中の言葉であり、何故か心を揺さぶるようなに気になってしまったからだ。
“ふふ。やっと会えたね、僕のアリス!!”