太史慈
横江をおとした孫策軍は瞬く間に当利を陥落させた。さらに、勢いを得た孫策軍は次々に砦をおとし、遂に劉ヨウの本拠地曲阿に迫った。
だが、曲阿は今までのように簡単におちることはなかった。それは、城壁が堅固だったわけでもなく曲阿を守る兵の士気が高かったわけでもない。たった一人の武将によって、孫軍は苦戦を強いられているのだ。
「あいつはいったい何者なんだ?」と、孫策が喚く。ここ周瑜の幕舎のなかには周瑜と孫策の二人しかいない。
「どうやら新参者みたいですよ。太史慈という名のようです。」二人はここ数日苦戦を強いられている敵将の話をしている。
彼、太史慈は、あるときは城壁の上にたち巧みに兵を指揮し、またあるときは城外にて孫軍を蹴散らし悠然と城内に戻っていく。巧みな用兵と勇敢な突撃は、敵味方の知るところとなり彼が戦場にいるだけで孫軍の兵は怯えだすありさまである。
「公瑾。何かいい策はないのか。」
「曲阿をおとす策ですか。それとも・・・」
「両方だ。俺はあいつが欲しい。」周瑜は軽く笑みを浮かべる。(確かに伯符様の好きそううな将だ。だが、どうする・・・)
「どうも太史慈という将はあまり重用されていないようですね。」
「劉ヨウは阿呆か。」吐き捨てるように言う。
「恐らく、太史慈はこの戦で功をたて劉ヨウの信頼を得ようとするはずです。そこをつけば太史慈を捕えることはできましょう。」
「俺の臣にはならないと?」孫策がふてくされたように言う。
「やり方が少々汚いので。それに劉ヨウへの忠義もなかなかかと。」
「どんなやつだ。」孫策が促す。
「伯符様には太史慈と一騎討ちを演じてもらいます。そして、わざと負けたふりをして太史慈をおびきよせて下さい。」
「その後、捕えるのか。」 孫策は不満げな顔をしている。策の汚さからか、それとも演技とはいえ負けたふりをするのが自尊心を傷つけるからか。
「俺は太史慈を気に入っているのだ。そんな手は使わん。」
「では、ご自身で太史慈を捕えると?」
「ああ。」当然だといわんばかりに頷く。
「それでは小隊の長にすぎません。」
「何だと!」孫策は卓にこぶしをたたきつけ立ち上がった。周瑜はそれを冷静に見ている。孫策の短気にはもう慣れている。
「俺は、俺のやり方で太史慈を味方につける。お前には俺の気持ちが分からないんだ。」そう言って孫策は幕舎を出ようとする。周瑜は気づかれないようにそっとため息をつき、孫策を呼び止めた。
「伯符様。あなたは何者です。」 孫策は周瑜に背を向けたまま答えようとしない。
「あなたは孫軍の長なのですよ。」
「分かっている。」ボソッとつぶやいたその声はかすかに周瑜の耳に届いた。仏頂面をした孫策を容易く想像できる。
(全くこのお方は)周瑜は苦笑した。(それを許してしまう私も私なのだが。)
「しょうがないですね。」
「えっ」孫策が周瑜に笑顔でふりかえる。
「自分より強いと思ったら迷わず逃げること、それとこちらが危険と感じたら加勢に出ること。この二つを許してくだされば。」
「いいのか?」孫策は周瑜の言葉を最後まで聞かず、つい身を乗り出した。
「はい。伯符様の思うままに。」
「本当だな。」
「はい。」 それを聞いて満面の笑みを浮かべる。
「ただこれだけは覚えておいて下さい。無謀は武勇に非ず、時と機を心得るものこそ名将であると。」
「わかった。心しておく。」
翌日、孫策は単騎城外にて太史慈に一騎討ちを申し込んだ。
城壁の弓兵が慌しく動き出し、南門に集結する。
「どうした太史慈臆したか。」じれた孫策が再び吼える。城壁の上の弓兵が一斉に弓を構える。太史慈はまだ出てこない。
(劉ヨウはこの弓兵で決着をつけるつもりなのか。いくら殿でもこれだけ多くの矢ならかわしきれない。)周瑜に不安がよぎる。やはりやめておくべきだったか。後悔して己の主を信用しきってない自分の心を恥じる。
(やはり私には分からないのか。策をたてそれに喜びを感じる私には。)昨夜の孫策の言葉を思い出す。
はっきりと、お前には俺の気持ちが分からない。そう言われた。
確かに、あの時太史慈を味方にすることより、城をおとすことのほうが優先だと思っていた。そのために太史慈をおびき出すことはあっても、仲間にしたいとは思わなかった。
周瑜はふと笑みをもらした。苦笑といっていいだろう。(よくこれで軍師が務まるものだ。主のために最善の策を立てるのが軍師の役目だろうに。)
そして、周瑜は先代から仕えている三人の将を呼んだ。最古参の程普、用兵・武勇に優れる黄蓋、そして弓の名手韓当。彼らは孫軍の中でも歴戦の将として称えられ、皆それぞれ一軍を率いる力量がある。
「もしこのまま太史慈がでてこなかったら、程普殿と韓当殿は東西より曲阿を攻めてください。黄蓋殿は数百の突撃隊の将となり殿が無事退却できるよう援護願います。」
三人はそれぞれ頷いた後、持ち場へ戻っていった。本来なら程普が指揮をとるべきであろう。だがこの三人は、今までの戦ですでにこの若き軍師の才を認めていたのだ。だからこそ素直に周瑜の言に従ったのだ。ただひとり、程普は苦い顔をしていたが。
「頼もしいですな。我が殿は。」と、黄蓋。
「全く。あの太史慈と一騎討ちを望むとは。」と韓当。それに対して程普は浮かぬ顔である。
「程普殿。また周瑜殿のことか?」程普が周瑜を嫌っていることは軍内では知らぬものはいない。
「またとはなんだ。またとは。だいたいこのように若を危険なめにあわせようとは・・・」
「若ではなく、殿ですよ程普殿。それにこれは殿の望みでしょう。」と韓当がなだめる。
「しかし、何故あのように冷静でいられるのだあ奴は。」
「信じているからではないのですか。殿が負けるはずはないと。」と黄蓋。
「儂とて信じてはいる。だがな・・・」
「黄蓋殿、程普殿そろそろ持ち場に着かないと。」韓当が話をきりあげる。程普はまだ不満があるようであったが。いつまでも愚痴るわけにはいかない。
周瑜の心配は杞憂にすぎなかった。太史慈が挑戦に応じたのだ。太史慈はつやのいい白馬に跨り、通常の二倍ほどの太さのある槍を片手に悠々と馬をすすめてきた。孫策はその様をみて、改めて太史慈が欲しいと思った。そして孫策は矛を交える前に
「太史慈よ、俺の部下にならぬか?」と叫んでしまった。その声は孫軍の陣営にも、曲阿城内までにも聞こえる大声であった。それを聞いた周瑜は己の額に手をあて大きくため息をついた。太史慈は馬をすすめ槍の穂先を孫策にむけ、断ると叫び返した。
それが、二人の勝負の始まりだった。太史慈は己の獲物を振り回し果敢に攻撃してくる。孫策は巧みな手綱さばきでそれをかわし、太史慈を口説き続けた。
「そんなに劉ヨウがいいのか。俺ならもっとお前を高く評価するがな。」
「先頭きって敵陣に突っ込むような男に誰が仕えるか。」互いに槍を繰り出し相手の出方をうかがっている。
「俺に劉ヨウほどの器を見出せないか?」
「フッ。よほど自信過剰な男のようだ。」
「それはそうだろう。でなきゃこうやってお前を口説いたりはしない。」そう言って、孫策は白馬めがけて槍を突き出した。太史慈は己の獲物でそれを防ごうとする。(フッやはりな。この白馬、太史慈の馬じゃない。)孫策は何度目かの攻撃でそれを確信した。受けて防ぐより、よけて反撃に転じるほうが動きに無駄がない。
だが、太史慈はそれをしなかった。やつは決して馬術が下手なわけではない。
ならば、何故。
簡単なことだ。劉ヨウの阿呆が、見た目だけの駄馬に乗るように命じたのだ。勝ち負けよりも、体裁を重んじて。
「太史慈。俺のところへ来い。」 孫策はもう一度叫んだ。だが、太史慈は返事をしなかった。構わず、つづける。
「江東を制したら、俺は中原にでる。太史慈お前が必要なんだ。」
数合で太史慈は気付いていた。この馬では孫策の素早い突きには耐えられないと。そして、孫策もそれに気付いているだろうことも。
なら、何故。決まっている。
俺を生かすためだ。(全く俺もついてない。)太史慈は劉ヨウを裏切るつもりはなかった。一度決めた主君に終生忠義を尽くす。それが大丈夫たるものだから。
一騎討ちは日暮れまで続き、勝敗の決することなく終わった。
その夜。
「殿、明朝曲阿に総攻撃を仕掛けましょう。」
「そうです。この勢いがあればた易いでしょう。」
「殿の勇姿を見て兵の士気も上がっております。」
大将の一騎討ちで皆昂揚しているのか。積極論が飛び交う。孫策は周りの将をみて、そして最後に周瑜の顔を覗い見た。その表情に反対の色はない。孫策はふと疑問に思った。いつもなら反対するだろうに。
軍議をおえ孫策は周瑜の幕舎を訪ねた。
「お前らしくないな。力攻めに賛同するなんて。」
「たまにはいいのでは。曲阿をおとせば太史慈も降伏するでしょうし。」
「ああ、あいつが加わればもっと強くなる。江東を制し、父上の仇を討つんだ。」
そう話す孫策に周瑜は眉をしかめた。
(伯符様は焦っておられる。破虜様の死にこだわりすぎているのではないか。破虜様の仇を討ち破虜様が強かったことを証明したいのではないか。)そんな周瑜の不安をよそに孫策はつづける。
「必ずこの手で父上の雪辱をはらすのだ。」孫策が熱ぽく語る。顔が赤いのは酒のせいではないだろう。
「なあ、公瑾できるだろう。荊州を奪って父上の仇を討つ。」
「ええ、もちろんです。」そう言って周瑜は笑顔をみせた。
長い夜はふけ、朝を迎えようとしていた。孫軍はこの日、曲阿に総攻撃をかけた。数時間の激戦の後、劉ヨウの戦死という形で戦闘は終結した。
もはや、曲阿陥落はさけられないとみた劉ヨウは数名の護衛と共に脱出を試みた。だが、発見され雑兵の手によって殺された。
太史慈はというと。孫軍の多大な犠牲によって捕えられた。
「なぜ殺さない。」孫策の前につれてこられた太史慈は、すぐにそう叫んだ。孫策は答えず笑顔を見せ、自ら縄をほどいてやった。太史慈の腰には短刀が納められている。それははっきりと孫策の目にもみてとれた。
だが、孫策は丸腰のまま太史慈の前にいる。まるで、俺を殺したければ殺すがいい。と言わんばかりに。
そして、太史慈がそのことに気付くまでさほど時間はかからなかった。
(全くこの御人は。)顔にはださず、心の中で驚いた。
(俺の負けだ。)そう思った太史慈は孫策に忠誠を誓った。
「この太史慈、命尽きるまで孫策様にお仕えします。」と。
このあと、遂に呂布が登場します。
かなり久々ですがそれほど暴れる予定はありません。
呂布の強さが明らかになるのはもう少し先になります。
どうぞ、お楽しみに。