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エン州の戦い

かつて、最強という名をほしいままにした将がいた。虎牢関の戦いにてあまたの有名、無名の将を斬り、関羽、張飛という、猛将二人を相手にかつて無いほどの名勝負を演じ互角以上に戦った将がいた。

 彼の名は、呂布(奉先)。敵の大将であった袁紹は呂布を評してこう言ったという。

『人中の呂布、馬中の赤兎』どんな猛将といえど呂布に勝るものはなし、どんな名馬といえども呂布の愛馬、赤兎のように速い馬はいない。という意味である。現に、呂布は猛将ぞろいの董卓軍において無類の強さを誇っていた。だが、彼は董卓亡き後、長安にて政争に敗れ、都落ちしていた。もはや呂布の噂をするものはいない。群雄も最強の将呂布を探し求めるということはしなかった。

 呂布は裏切りの将でもあったのだ。かつて主君であり、また養父でもあった丁原を斬り、また董卓をも裏切っていたのだ。

 反董卓連合に加盟していた各地の群雄達は解散し、己の領域を拡大することと、優秀な人材を集めることに苦心していた。冀州の袁紹、幽州の公孫サン、エン州の曹操の名が各地で聞かれるようになった。

 徐州に陶謙というものがいる。彼は名君ではなかったが、徐州という肥沃な土地に恵まれて、戦乱に巻き込まれることもなく領地を治めてきた。

だが、西暦一九三年、この年徐州の地は大戦乱に巻き込まれた。

 ことの起こりは、エン州を治め地盤を固めた曹操が、徐州に住む己の父を迎えようとしたことから始まった。これを知った陶謙は、この機に曹操と誼を結ぶべく、エン州までの護衛をかってでた。

だが、護衛を勤めていた兵の一部が曹家の財宝に目がくらみ曹操の父を殺し、財宝を持ち逃げしてしまったのだ。これを聞いて激怒した曹操は、陶謙を滅ぼすべく徐州に侵攻したのだ。

曹操の怒りは凄まじく、それは兵の間にまで及んだ。曹軍の通ったあとは何も残らず、草木は枯れ、河は屍で埋められた。村を襲い、女を犯し、殺戮を繰り返す無秩序なその軍はまるで、かつて民を恐怖させた黄巾党のようであった。もちろん陶謙は弁明の使者を派遣した。だが、怒り狂った曹操は使者をことごとく斬り捨て、陶謙に無言の圧力をかけた。

もはや、この軍をとめる術はないと・・・。

陶謙の幕下には、曹操軍をとめられるような勇猛な将はいない。ましてや、命をかけてまで使者の任を務めるようなものもいなかった。なす術のなくなった陶謙は、居城に籠もりひたすら曹操が兵を退くのを願うしかなかった。

曹操の悪行は、幽州の公孫サンの元で客将をしていた劉備の耳にも届いていた。

「民を殺め、土地を荒らすことは戦ではない。曹操の悪行、止めねばならん。」

そう言って、劉備は公孫サンの許しを得、義兄弟の関羽・張飛をつれ徐州へ急いだ。

その手勢一千弱、これが曹操と劉備の長きに渡る戦いの始まりとなった。

ここに、一人の才子がいる。名を陳宮という。

以前は、曹操に仕えていたが、此度の徐州攻めを諫め聞き入れられずそのため、野に下った。陳宮は、曹操をかつて都で専横を奮った董卓と同じ類のものとみたのだ。

そのため、曹操に対抗すべき群雄を必要とした。

そして、陳宮が選んだ主君は呂布であった。冀州で名をあげ随一の勢力を誇る袁紹や、荊州にて一大勢力を築いている劉表などではなく、よるべき土地もなく、すでに誰もが存在を忘れていた呂布であった。

陳宮は呂布が潜伏しているという、ある村を訪れ呂布と会見した。呂布は森に住んでいた。正確には、その森の奥の古びた小屋である。

「ん、誰だお前は?」呂布が陳宮を見て初めて言った言葉がこれである。(これが人を遇する態度か?俺はお前の軍師となる男だ)そう、陳宮は叫びたかった。このとき、陳宮は呂布をただ勇猛なだけの将だと思っていた。自分の才があれば、天下に名を馳せ、州の一つや二つは簡単に手に入るだろうと。だが、違っていた。

「陳宮と申します。中華はこれほど広いのに将軍はどうしてこのような僻地におられるのです。天下にあまたの人あれど、将軍に勝るものはいません。ですが、将軍は兵少なく・・・」陳宮はくる途中考えてきた呂布への口説き文句を、長々と語るつもりだった。知者には多弁なものが多い。そうでなければ、人を説くことなどできない。だがそれが、呂布の癇にさわった。

「何が言いたい。」陳宮の言が終わらぬうちに呂布が不機嫌をあらわにした声音で言った。

「はい。この陳宮、呂将軍にお仕えすべく・・・」

「貴様に何ができる。」呂布は、また陳宮の言をさえぎった。

「知恵がございます。」

「知者は嫌いだ。何の役にもたたん。」呂布は吐き捨てるように言った。すでに、その鋭い眼光は陳宮を捉えていない。だが、陳宮は続けた。

「我が才と将軍の武をもってすれば、天下を治めることなどた易いことです。将軍、どうかこの陳宮の言をお聞きください。」呂布は再び陳宮を見た。だがその眼には殺気すらこめられていた。

「陳宮殿、将軍は気の短いかたでおられる。」側近が気を利かせて陳宮に囁いた。恐らくこのまま喋り続けていたら、陳宮は殺されていただろう。陳宮は呂布の気を引くべく話題を変えた。

「将軍、陳留に食糧があります。」

「それを奪うのか?」

「いえ、陳留太守張穆に分けてもらうのです。」

「張穆とは誰だ?」

「張穆は・・・私の友人です。」陳宮は言葉を選ぶようになっていた。呂布相手にはこのほうがいいと思ったからだ。

「友か。友はいい。」そういうと呂布は、赤兎馬のたてがみをなで、これまでみたことのない穏やかな表情をみせた。

(ふっ、少し手間取ったがまあいい。これで、曹操とやりあえる。)だが、陳宮はまだ呂布という人物を理解していなかった。

さて、徐州である。

曹操の徐州侵略から数ヶ月が過ぎたころ劉備軍はようやく徐州に着いた。そのころ、すでに曹軍は徐州における主な城を攻略していて、全軍が陶謙の籠もる下邳に進軍していた。

「劉玄徳、陶謙殿の救援に参りました。」その声を聞いたときの陶謙の喜びようは凄まじかった。たかが一千弱の劉備軍でも援軍にきてくれたのが嬉しかったのか、それとも関羽・張飛という豪傑の参陣が嬉しかったのか、ともかくすごいはしゃぎようであった。

「劉備殿、どうかお願いにございます。曹軍をしりぞき、そしてこの老いぼれの代わりに徐州の長になって下さい。」これには、陶謙の家臣のほうが驚いた。陶謙には世継ぎもいるし、ましてや劉備と陶謙には何のつながりもない。

「申し訳ありませんが、この玄徳そのような器ではありません。それにこれでは、民草に徐州欲しさに援軍にきたと思われてしまいます。」と、劉備は再三辞退したが陶謙はききいれてくれない。

「何を遠慮することがある。さっさともらっちまえばいいんだ。」と、張飛が呟く。

「まあそう言うな、兄者には兄者の考えがあるのだ。」関羽も張飛と同じ考えなのであろう。顔を曇らせ二人のやり取りをじれったそうに見ている。だが、張飛のように暴言を吐くことはしない。共に天下を望んだとき、この御仁についていこうとそう決めたのだから。

そうこうするうちに、曹軍は下邳まで迫ってきた。ならば、まずは曹軍を退けようと劉備らが城を出たとき、曹軍はすでに退却していた。

何故、曹軍は退いたのか。無論、劉備軍に怯えたからではない。呂布にエン州を攻められている、という報せをうけたからである。

陳宮の言に従い、陳留にて兵気を養っていた呂布軍は曹操の徐州侵攻の隙をつき、エン州を手に入れようと動き出したのだ。

だが、順調かと思えた陳宮の作戦であったが、思わぬ誤算が生じた。イナゴの大群の襲来という災害にあい、秋の収穫が期待できず兵糧不足に陥ってしまったのだ。

「陳宮どうするのだ。これでは我が兵は餓死してしまうではないか。」呂布はエン州・濮陽城にて主な武将を集め軍議を開いていた。

「心配いりません、将軍。兵糧不足は曹操とて同じ、むしろ兵の数が多い曹操軍のほうが深刻な問題となっています。」

「そうは言うが・・・」武勇に秀でた呂布でも、作戦のこととなるとからっきし駄目なのだ。

この戦場をこよなく愛する男は、戦う為の知恵などもちあわせていない。ただ、正面から突撃して己の武勇をふるうこと、それが呂布の戦い方なのだから。

「兵の士気が高いうちに、曹操の居城をつくべきではないか?」と、いう者もいる。通常、城攻めは少なくとも城兵の3倍の兵を必要とするといわれている。その上、長期戦を覚悟しなければならない。兵の数、兵糧ともに少ないこの状況でどうしてこのようなことが言えるのか?(呂布の家臣は皆こんな奴ばかりなのか)陳宮はつくづく呆れる思いがした。とそこへ、

「将軍いっそのことエン州を捨てて他へ移ってはどうでしょうか?」と、進言するものがいた。(ほう、このものなかなか面白いことを言う。確か、張遼と言う名だったか)陳宮はちらっと、張遼のほうへ目をやった。確かに腕力ばかり自慢している呂布の家臣(無論呂布も含む)とは違った印象を受ける。

「エン州を捨てるか・・・陳宮どう思うか?」呂布にとってエン州とはどれ程の価値があるのか?兵糧さえあれば、いつでも陥とせる程度にしか思っていないのだろうか?陳宮はしばらく考え込んだ。

「陳宮!」呂布は長考を嫌う。

「はっ、将軍はここを捨て他の群雄の下につくことを望みますか?」それを聞いた呂布の表情は一変した。

「この俺が誰かの下につくだと?貴様死にたいのか!」朱になったその顔からは殺気すら感じられる。

フッ。陳宮は微かに笑みを浮かべた。無論、呂布に気づかれないように。(どうやら私はこの将軍を育てなければならぬようだな。)

「恐れながら申し上げます。」陳宮は、わざと怯えた体をみせつつ発言した。

「このエン州において、将軍と曹操の名声、評判は比べるまでもなく、その上長期戦となれば不利になるは明白です。」呂布は、陳宮を凝視している。今回はいくら呂布でも陳宮の言を無下にするつもりはないようだ。

「この陳宮、あえて申し上げます。我が策受け入れてくださるのであれば、この首離れても悔い無しと。」その言葉を聞き、呂布の心は動いたようであった。

「知者でも己の命を賭けるのか?」

「戦場にあっては、知者も勇者も命を賭けることに違いはありません。」呂布は再び陳宮を凝視した。陳宮の目からは揺るぎ無い覚悟が感じられた。

「その意気やよし、陳宮お前の策に従おう。我が軍がこの精鋭をもってお前の智に応えてやる。」策の内容も聞かずに採用するのは、いかにも呂布らしい。が、なにはともあれ陳宮は呂布の信頼を得、軍師という立場につくことに成功したのだ。

一方エン州の大半を失った曹操は濮陽の北東のケン城にいる。そこへ、呂布軍がケン城に向かって進軍しているという報せが入った。

「ふっ、呂布らしい。力ずくでケン城を陥とそうというのか」と、夏候惇。

「しかし、たとえ呂布でもこの城を容易く陥とすことはできますまい。」と荀?。

「殿、ここは籠城の一手です。呂布軍の兵糧の尽きるをまち、敵が退却したところを一気に討つべきかと。」と程?。曹操は、各々の意見を考慮した上で、軍師郭嘉に問うた。

「郭嘉、お主はどう思う?」

「はい、確か陳宮が呂布の軍師になったと聞いています。いままでの呂布と同様に思われぬほうがよろしいかと。」

「うむ、儂もそう思っていたところだ。」

曹操は軍師郭嘉の言を聞き満足げに頷いた。と、そこへ再び報せが入ってきた。なんと呂布軍は進路を変え、北上しだしたというのだ。ケン城を北へゆけば、冀州の袁紹領になる。

「うーむ、呂布はケン城を諦め冀州の袁紹を頼るということですかな。」

「そう単純な話ではあるまい。このままでは我らは呂布にエン州を荒らされ、その上なんの報復もせず奴らを逃がしてしまうことになるのだぞ。殿、どうか呂布追討令を。」と、夏候惇が息巻く。

「うむ、確かにこれでは民へのしめしがつかぬ。陳宮の用兵もみておきたいしな。出陣のしたくをしろ。」と、曹操が命を下した。だが、そこへ

「お待ち下さい。」とそれをとめる者がいた。軍師郭嘉である。

「どうした。郭嘉。」

「はい。これは陳宮の罠でございます。我らをおびきよせ野戦にて決着をつけるつもりなのです。」

「うむ、郭嘉の言も分かるが、一度あったてみねば敵の力量もわからぬだろうからな。」曹操が考えこむようにして言う。これは、曹操自身も危惧していたことである。兵数が少なくても、野戦ならば呂布軍にも分があるからだ。

「されば、軍を二つに分け、一方を呂布軍の後方に、もう一方を迂回して呂布の先方をつくように編成してください。」

「挟撃、か。郭嘉殿は、少し陳宮に拘りすぎているのでは。」

「荀?殿こそ、陳宮を甘く見すぎています。陳宮が殿の下を離れ、呂布についたのも確たる勝算があるからこそです。」それを聞き荀?の表情は一変した。

「されば郭嘉殿は、殿よりも呂布のほうが上だというのか。」と荀?がつかみかからんばかりの勢いで言う。語気が多少荒くなってきている。

「少なくとも武勇において呂布に勝るものを私は知りません。」

「郭嘉殿。」荀?が郭嘉を凝視する。他の将も、戦の前に敵を恐れるこの軍師に不快感を抱いている。この場にいる多くの将が、郭嘉を睨みつけているが当の本人はそれを少しも気に留めていないようだ。場が緊張を帯びる。すると、

「ハッハッハ。郭嘉殿は相変わらず言いたいことをズケズケと言うわ。」夏候惇の豪快な笑いで荀?の怒気がそがれた。こういうところが、夏候惇が曹操から絶対的な信頼を得ているゆえんなのだろうか。他の将ではこうはいかない。

「うむ、では郭嘉の言を採用しよう。夏候惇、お主は後方から呂布にあたれ。儂は別動隊を率いる。荀?は夏候惇に、郭嘉は我が隊に加わるように。」

曹操の決定の元、曹軍が動き出した。夏候惇率いる本隊は城外を出、呂布の後方を突くべく進軍していた。

「夏候惇殿、油断は禁物ですぞ。」

「荀?殿、陳宮など恐るるに足りぬ相手なのでは?」荀?だけではなく、多くの将が陳宮を軽視している。曹操の才能を見出せず呂布につくなど愚者のすることだと思っている。

「私は、そう思うのですが郭嘉殿があれほど気にかけていますから。何かあるのかも知れません。」夏候惇が口元に笑みを浮かべる。

「俺はてっきり、荀?殿は郭嘉殿を嫌っていると思っていたのだが。」

「ええ、嫌いです。ですが、あの者の才は認めています。」

「フッ」

「おかしいですか。」

「いや。智者というのは己の感情がないものだと思っていたからな。」

「確かに軍師たるもの、好悪で物事を判断すべきではありません。ですが、情がないとはあまりにひどい。」荀?が夏候惇を恨めしげに見た。武人と文官の友情というものは滅多にないのだが、この二人はこれよりのち深い友情で結ばれることになる。

馬の蹄の音、大地が揺れるような感覚、行軍のなかでも呂布には分かった。後方から敵が近づいていることを。ここに陳宮はいない。

「将軍、あまりはりきり過ぎて敵を敗走させないように。これはあくまで第一段階なのです。武勇に頼って策を台無しにせぬようにお願い申し上げます。」陳宮がくどいくらいに言っていたのを思い出す。確かまわりの武将はあまりいい顔をしていなかったはずだ。(ふっ、俺はそれほどまでに無謀な将に見えるのか?)そしてふと笑みを浮かべる。それから、

「全軍反転せよ、敵を打ち破るぞ。」と号令し、自ら先頭にたって駆けていった。呂布はことごとく敵兵を斬り捨て敵陣深く入ってゆく。付き従うものはわずかしかいない。己の武勇を誇るかのようなその行為は陳宮の言などとうに忘れているかのようであった。

「フッ。さすがは呂布よ。」

「夏候惇殿、夏候淵殿と共に呂布を止めて下さい。」

「承知。荀?殿は軍の指揮を頼む。」そう言って夏候惇はかけていった。

「呂布よ、兵卒を相手にしてもつまらないだろう。」と、夏候惇。

「我らが相手になってやろう。」と夏候淵。

「二人がかりでくれば勝てると思ったか。笑止。」と、呂布。夏候惇と夏候淵の矛が同時に呂布に迫る。

だが、呂布はそれをものともせず、自慢の奉天画戟でその両方を受け、はじきとばした。並みの武将ならばその勢いのまま落馬していただろう。が、二将は巧みな手綱さばきでこれを逃れる。

しかし、それもつかのま、呂布の戟が夏候淵を襲う。青い火花が散る。そこへ、夏候惇が後ろから斬りかかる。呂布相手に二対一だの卑怯だなどといってられない。そうしなければ、自分がやられてしまうのだ。

「邪魔しおって。」呂布は、器用に夏候惇の攻撃をよけ、少し間合いをとった。

もともと、この二将を殺すつもりはない。陳宮の言うようにここに曹操はいない。だとしたらこの二将を斬り、敵を敗走させるのはまずい。

しばらく睨み合いがつづいた。どちらも手をだせないのだ。

緊迫した空気が流れる。

とそこへ、ビューンという鋭い風きり音と共に一本の矢が!

流れ矢だろうか?

ほんの一瞬のことだった。

刹那。

夏候惇の左目に矢が!

これは、流れ矢などではない。狙って射たものだ。すると、呂布の後方から

「敵将討ち取った。」と、叫ぶ声がした。方角からして間違いなく夏候惇を狙撃した者の声であろう。夏候惇は左目に突き刺さった矢をもろともせず、腰の短刀を抜き声の方へ投げた。

短刀が真直ぐ飛ぶ。

「グェッ」意外と近くにいたのかもしれない。その者の最期の声は呂布にもはっきり聞こえた。

敵も味方も夏候惇を注視している。戦場で片目を射抜かれ平然とたちつくしているこの将を。

夏候惇は目につき刺さった矢を、己の眼球ごと抜きとり、こう言った。

「親からもらったこの五体、どうして捨てることができようか。」

なんと、夏候惇は己の眼を喰ったのだ。これには、さすがの呂布も驚いた。

「惇兄、ここはいったん退いて手当てをしたほうが。」そう言って、若干振り返った夏候淵は我が目を疑った。後方に土煙が、そして『呂』の旗印が迫ってきている。

同じ頃、後方で軍を指揮していた荀?もこの異変に気づいていた。

「敵の援軍か、郭嘉殿の予感があたったか。だが、こちらとて・・・。李典殿、援軍の抑えをお願いします。」そう言うと、荀?は手勢を引きつれ前線へ向かった。

陳宮は、兵と共に森に身を伏せていた。(曹操を知るものは我をおいて他になし。)陳宮は曹操が軍を二手に分けることも、奴が本隊ではなく別動隊率いるということも読んでいた。この戦いにおいて、呂布軍の勝利は間違いないが、陳宮の勝利は曹操の首を取ることである。そのため、自ら伏兵を率いて曹操が表れるのを待っているのだ。

数刻前、陳宮が呂布に授けた策はこうである。

「将軍、まず我が軍はケン城を攻めると見せかけ北上します。」呂布、その他の武将は地図を見、陳宮の策を頭に入れていく。

「張遼殿はケン城手前の林に伏せ、敵が呂布軍の後方を突いたのち挟撃してください。」辺りを見回し、一息ついてからさらにつづける。

「恐らく曹操は、迂回して我が本隊、つまり呂布軍を挟撃するつもりでしょう。私は、ケン城北東の森に兵を伏せ曹操を側面から攻撃します。その際、将軍は少数精鋭を率いて反転し、曹操の首を獲ってもらいます。」

「なるほど、敵の動きを読んだ上で我らが常に先手をとる、というわけですな。」と、作戦を真っ先に理解した張遼が言う。しばらくして、他の将も理解していったようだ。

(これで勝てる。)このとき、陳宮はそう確信した。その陳宮の前を、曹軍が通過していく。

(まだだ、まだ。)

逸る心を抑え、そのときをまつ・・・。

「今だ、撃てー」声と共に、兵は一斉に矢を放つ。曹軍の兵がバタバタと倒れていく。陳宮は、森の中にあらかじめ選んでおいた狙撃手を残し、曹軍の側面へ襲いかかった。兵を指揮しながら曹操を探す。

(どこだ、どこにいる曹操。)

・・・いた。屈強な武将に護られ、ひときわ目立つ派手な鎧を身につけている。間違いない奴だ。

陳宮はできるだけ大声で叫んだ。

「曹操、我は陳宮なり。かつておまえに仕えたが、その残虐さ目に余るものあり。故に、貴様の元を離れた。曹操よ、己の器をわきまえよ。さっさと我が君に頭をたれたらどうだ。さもないと、その首、胴から離れることになるぞ。」陳宮に負けじと曹操も大音声をあげる。

「おう、陳宮ではないか。儂の元を離れ呂布に仕えたということは、呂布にその器を見たということか?」隣で郭嘉が表情を曇らせているのを知ってか知らずか、曹操は陳宮に問答をしかけた。

「中華広しと言えど、我が君の武勇に勝るものはなく、曹操の残虐さを知らぬ者はいない。我が君がエン州を攻めたのは、徐州の民を救うためであり、我が君の民草を想う気持ちを知らぬ者はいない。お前はどうだ。私心によって徐州を荒廃させ、罪なき民を苦しめた。どちらが正でどちらが邪か、明白であろう。」

「殿。」郭嘉が曹操を促す。こうしている間にも曹兵は次々と倒されていく。

「うむ、そうだな。陳宮よ、お主の兵法しかと見せてもらったぞ。次はこうはいかぬ。」そう言うと、曹操はケン城へと逃げていった。陳宮が足止めをして、時間を稼いだにもかかわらず呂布はまだ来ない。(将軍は何をしておられる。)こうなれば自ら兵を率いて、曹操を討つしかない。と思ったとき、ようやく呂布が現れた。

「陳宮、曹操は?」

「あそこに!」と陳宮が指さす。丁度ここからケン城までの中間ぐらいである。呂布の愛馬・赤兎ならゆうに追いつける距離である。呂布は赤兎に鞭をいれ、曹操を追った。

実は、呂布が遅れたのには理由があった。張遼の軍が夏候惇の後方についた時に呂布は反転して、高順と合流し曹操の元へ向かうつもりだった。

だが、呂布は突出しすぎていた。すでに周りは敵兵に囲まれている。呂布に代わり本隊を指揮している高順のところまでは、余りにもかけ離れていたのだ。

そして、そこへ荀?が合流したのだ。呂布は荀?の巧みな用兵に阻まれ、高順との合流にてまどってしまったのだ。

呂布は、曹操を追う。今度は郭嘉が、それを阻む。迫りくる矛をかわし、飛来する矢を戟で振り払い、兵卒には目もくれず、ただひたすら曹操を追う。

曹操の傍らには屈強な武将がいた。陳宮とたいじしていたときのあの男である。男は、これでは追いつかれると思い馬首を返し、呂布へと向かった。男は下馬し、両手をひろげ叫んだ。

「呂布よこの先一歩も通さんぞ。」その男は、右手に大きな戟を持っている。おそらく、呂布の奉天画戟と同じくらいの大きさであろう。それを思いっきり振り回し、馬ごと呂布を斬ろうとした。

「オリャー」下段から振り上げられたその戟は、そのまま赤兎の首を真っ二つに切るかと思われた。

閃光。

呂布は愛馬をかばい、その戟を己の戟で受けた。が、いかんせん体制が悪かった。そして、何より男の力が予想以上に強すぎた。呂布はその衝撃で落馬してしまった。

これで、五分である。男はこれを狙っていたのだ。自分の馬は赤兎ほど速くないし、何より屈強で体格のよすぎるこの男は馬術が苦手であった。だからこそ、下馬して呂布に挑んだのだ。

「貴様、なかなかやりおる。名を聞こうか。」起き上がった呂布が言う。

「我が名は、典韋。その首もらい受ける。」そう言うと、典韋は戟を振り下ろした。

ガチッ。

火花が散り、戟と戟が交差する。どうやら力では典韋の方が上のようだ。

だがそこは呂布、不敗の将である。呂布は受ける力を少し弱め、わずかに身を引いた。すると勢い余った典韋が、前のめりになった形でバランスを崩した。そこで呂布は戟を返し、典韋の左腕を切りあげた。

腕が宙を舞い、鮮血と共に地におちた。

「なあ、典韋。俺に仕えぬか。その腕ではもう俺を倒せまい。」と、呂布。

「フッ、笑止。我が主は、曹操様ただ一人。」と叫び典韋が戟を振るう。呂布はそれを難なくかわし、赤兎にまたがった。

「どういうつもりだ。」

「もはや、まにあうまい。」そう言うと呂布は退却した。天下に人材を愛するものは数多いるが、呂布ほど武勇の将を愛するものもいないだろう。

呂布は典韋の武に惚れ、矛を収めたのだ。

戦はこの後、曹操軍が撤退を始め、呂布軍の大勝に終わった。

だが、曹操には逃げられた。

陳宮にとってこの戦は、勝戦ではなかった。

「将軍、今宵はこの地で野営しましょう。」と、陳宮がケン城からさほど離れていない平地を指しいう。

「かの地で我が軍の勝利を祝い、曹操を挑発するというのですか。」と、張遼。

「恐らく曹操は夜襲をしかけてくるでしょう。我が軍はそれを迎え撃つのです。」この夜襲軍に曹操がいる可能性は低い。ましてや、このような挑発にのるかどうかも疑わしい。

だが、地の利のないエン州を根城に曹操と戦うのは不利である。ならば、たとえ可能性が低くともここで曹操を討つのが最良だと考えたのだ。だが、

「好かん。」この一言で陳宮の策は却下された。

陳宮の目が点になる。

(今、何といった?)

「将軍?」

「俺はそういうやり方は好かん。」耳を疑うような言葉がはっきりと聞こえた。

 (嫌いだから?だから採用しないのか。だいたい、何故あの時曹操の首を獲ってこなかった。)陳宮はだんだん腹がたってきた。

「将軍、戦は好き嫌いでするものではありません。」だが、呂布は陳宮をうっとうしそうに見、

「張遼、あの片目にあったか?」と聞いた。

(片目?何のことだ。)陳宮には皆目見当もつかない。だが、

「はい、あの将はなかなかの豪のものですな。武人とはあのようなものを言うのでしょうな。」と、張遼。

「俺も、曹操を追う途中なかなかの強者にあったぞ。仕えんかと誘ったが、断られてしまったわ。」と、心底悔しそうに言う。(呂布は所詮呂布なのか。戦というものを全く理解していないではないか。)

陳宮に、一抹の不安がよぎった。

だが、それは一瞬のことだった。

「将軍、ならば兵を休ませた後、徐州へいきましょう。」この言に従い、呂布軍は徐州・劉備の元へと進路をかえた。

呂布が下ヒで劉備に会ってから、数日が過ぎた。その間、劉備は呂布を賓客の如くもてなしていたが、その一方で呂布の処置に困っていた。

劉備軍には、武勇の将はいても、軍師と呼べるものはいなかった。

(さてどうしたものか。呂布を放てば過日必ず敵となるだろう。かといって、この玄徳に呂布を従えるだけの器があるか。)

そんなある夜、呂布は酔って暴言を吐いた。

「劉備殿は、曹操から徐州を護ったため徐州牧となったようだが、曹操が兵を退いたのは、この呂布がエン州を攻めたからだ。ならば、我らに何らかの報いがあってもいいではないか。」それを聞いた張飛が、目を怒らせて呂布を睨みつけた。

「兄者は陶謙の奴がどうしてもというから、徐州の牧となったのだ。それをどうしてお前に報いなければいかんのだ。お前のような奴はこうして連日酒食を与えてやっているだけで充分だ。」それを聞き張遼が立ち上がった。その手には、青龍刀を持ちいまにも張飛に斬ってかかろうという勢いである。

「あ、いや。弟が失言を。どうか、呂将軍気を悪くなされますな。」劉備はここで何かあっては大変と、呂布に頭を下げた。それを見てさらに張飛は怒った。

「兄者、何故こんな奴に謝るのだ。呂布よこの張飛と勝負しろ。俺に引き分けたらこの場は許してやろう。」その言が終わるや否や、張遼が青龍刀で机を真っ二つに斬ってしまった。

「主、辱められて、何で黙っていられよう。礼を知らぬ猪武者よ、この張遼が相手になろう。」張飛が蛇矛を、張遼が青龍刀を構え互いに睨み合っている。一触即発、まさにそんな感じであった。とそこで、突如

「ハッハッハ。酔うた、いや、酔うた酔うた。」と呂布が大声で笑った。

「劉備殿、我らは明日にでも徐州を去りましょう。こうも噛みつかれては、ここに居られません。」それを聞き劉備は大いに慌てた。ただでさえ、曹操という強敵がいるのに、この上、呂布とまで敵対すれば徐州を治めることなどおぼつかなくなる。

「呂将軍、そう気を悪くなされますな。将軍ほどの豪傑にこの徐州が狭すぎるのは百も承知。されど、この玄徳のため小沛の地にあって共に徐州をお護りください。」なおも抗弁しようとする張飛を、関羽が目で黙らせる。

とりあえず呂布は小沛に移ることになった。


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