怪異其之一・夜詰め切り 二
お待たせしました!
善幸辺のつもりだったけど……まぁいいよねっ!
あれからしばらくして、一通り同心──渦河燐才の意見を聞いた俺たち──賢者の石ご一行は、あることが気になり、同心たちの事情聴取に付き合うため、広い商家の廊下を歩いていた。
「気になることって……あれは怪異の仕業なんでしょう? 犯人もなにもないんじゃ?」
対して、不満そうなのは俺が取り付けられた錫杖を持つ稲成だ。こいつは今晩、犯人が夜爪切りだと確定させるため、囮として爪を切りながら夜詰め切りの到来を待ってもらわないといけない。
対策がわかっているとはいえ、相手は遠慮なく首を切り取っていく夜詰め切りだ。稲成は今から気が重いらしく、無駄な事情聴取に立ち会うのは否定的だった。
だが、
「それでもだ。一応確認しときたいことがある。警吏連中も、そう思ったから事情聴取をするんだろう?」
「まあ、なあ」
俺の問いに答えるの、いかにも叩き上げといった雰囲気を持つ、無精髭を生やした与力だ。
何やら警戒されているのか、名前は教えてもらえなかったが、怪師としての俺たちのことは一応信用してくれたのか、捜査事情に関してもすんなり話してくれるようだ。
「渦河の話を聞く限り、この夜詰め切りだったか? こいつには特徴がある。夜中に突然現れるってこと。爪を切ると言う行為を引き金にすること。そして……」
「必ず犯行予告があることだ」
考えるのも不愉快と言いたげに黙った与力の言葉を引き継ぎ、俺は稲成にその事実を告げた。
「よくよく考えたなら不自然よね。怪異になった今ならともかく、伝承が残っているってことは妖怪時代から、そいつは予告を出していたってことでしょう? 討伐の危険を高めるだけなのに、なんだってそんなことを」
「それは妖怪の発生理由が主な原因でしょうね」
ついで説明を引き継いだのは、やけに生き生きとした顔で口を開いた渦河だった。
当然のごとく与力に「殺人現場で不謹慎だぞ!」ど怒られ首をすくめた渦河は、それでもめげることなく話を続ける。
「妖怪とは基本的に、人が未知なる現象に抱いた恐怖から生まれる存在だと言われています。なかには時廻さんみたいな不可思議な発生理由の個体もいるみたいですが」
「やだなあ! 誉めたってなにもでないよ?」
──あれは誉められたのか?
と、照れる少年──時廻童に、この場にいる面子が一斉に首をかしげるなか、渦河の話は続く。
「そして、それゆえに妖怪と言うのは自分のやらかした悪行に関して喧伝しないといけません。当然ですね、彼らは恐怖から生まれ、恐怖を向けてもらわねばならない存在。誰がやったかわからないでは、もらえるはずの恐怖をとりっぱぐれる可能性があります」
「まあ、そのお陰で起こった事件の犯人が妖怪だったときは楽だがな。事情聴取にしょっぴけば、隠すことなくペラペラしゃべってくれるし」
──だからこそ、妖怪がらみの事件は、犯人をあげることより未然の防止が重要視されるわけだが……。
と、愚痴を漏らしながら与力は頭をかいた。
「妖怪時代の夜詰め切りも恐らくそう考えたがゆえに、犯行予告を残し、それが伝承として残ったんだろう。そして、あんたの話を聞く限り、怪異とはすなわち妖怪の悪行再生現象な訳だろう? なら当然予告が残っているはずだ」
「ああ、それもかなり目立つ形で……だが、このガイシャは、それを知らなかったように見える」
「え? どうして?」
「夜詰め切りの被害にあったからだ」
「??」
俺の言葉の意味がわからなかったのか、稲成は首をかしげ、
「そんなにメジャーな妖怪じゃないんでしょう。与力さんだって知らないわけだし、私も知らなかったわよ?」
「まあなあ。だがだとしても、知らないことは不自然なんだ」
「??」
「まあ、この事情聴取に付き合えば、嫌でもわかるさ」
俺がそういったとき、 目的の部屋の前についたのか、与力の足が止まる。
そして、与力はためらうことなく二人の同心に見張られている襖を開き、なかで待っていた商家の丁稚や家族に向かっていい放った。
「お待たせしました。いまから、事情聴取を始めます。一人ずつ順番に身体検査を受けてから、隣の部屋に来て下さい」
いよいよ、事件の核心に迫るときが来たようだ。
…†…†…………†…†…
事情聴取が執り行われる部屋には、与力と渦河が座る座布団二枚とちゃぶ台。その対面に、聴取対象を座らせる座布団がおかれていた。
俺と稲成は、緊張のあまり錯乱した人物が出たときのために、部屋のすみにたたずみ、いつでも動ける体勢を維持する。
ちなみについてきたがった時廻童は厳重封印をかけて聴取対象が控えている部屋に転がしておいた。
──だってあいつ、つれてきたら絶対茶化して話を混乱させるし……。
その雑な対応にもの申したそうな顔をする与力から必至に目をそらしながら(石だから目なんてないんだが……)、俺たちは聴取対象の訪問を待った。
…†…†…………†…†…
一人目は、妙におどおどした少年だった。
一年ほど前からこの商家にデッチ奉公に来ているらしく、この店に来て一番日の浅い人物――要するに、人柄がいまだよく知られていないため、一番何するかわからないと思われている人物だ。
こういう身内から疑われているやつというのは、基本的には犯人でない場合が多い。自分が警戒されていることを何よりそいつ自身が自覚しているケースが多いからだ。
まぁ、それに今回の事件は怪異の仕業と確定している。事情聴取の目的も犯人の割り出しではないため、そういった意味では気楽な場だ。
だが、
「ぼ、ぼぼぼ、僕じゃないです! 僕は何もやってないです!!」
「…………」
慣れない警吏からの事情聴取とあってか、丁稚君はかなり緊張した様子で開口一番にそう言ってきた……。
――丁稚君、それ普通の事件だったら絶対やっちゃだめだからね? 開口一番で言い訳から入るとか、何か後ろめたいことがあると疑われても仕方ないから。
と、俺――賢者の石が、内心ため息をつく中、与力の顔も盛大にひきつり、
「お、おう……そ、そうか」
と、やや引き気味にいうことしかできていなかった。
その言動が自分を怪しんでいるとでも思ったのだろう。目をぐるぐるさせながら、口元を戦慄かせる丁稚君は、顔中に夥しい量の冷や汗をふきださせながら、言い訳を続ける。
「よ、与力さん! 信じてください、本当に僕は何もやってないんです! 今日は寺子屋で計算の授業があって、いっしょに住み込みで働いている先輩方に勉強をみて貰いながら、おそくまで勉強していたんです! 僕がその時一瞬たりとも旦那様の部屋に近づいていないことは、先輩方が証明してくれます! だ、だから……だから、も、もう勘弁してください! 本当に何もしてないんです! 何もしてないんですぅ!」
「お、おう。わ、わかった。わかったっていうかわかっているから、そんなに怯えるな? な? ていうか、もう勘弁してくれってまだ何も聞いてすらいないだろうが!」
これは早く帰してやった方がいいと判断したのか、与力はただ一言だけ、涙すら流し始めた丁稚に問いかけた。
「俺達が聞きたいのは簡単な質問一つだけだ? いいか? ちゃんと答えろよ! そうすりゃちゃんと帰してやるから!」
「え? あ、は、はぁ?」
「アンタは、この事件の犯人を誰だと思う?」
「……そ、それは店の人間で怪しい人がいるかということでしょうか?」
「いや、店の人間に限らず、ありとあらゆる可能性を考慮したうえで、一番可能性が高そうなやつをあんたなりにいってくれればいい」
「………えっと?」
それは果たして事情聴取なのかと、丁稚は盛大に首をかしげていたが、早く帰してくれるならそれに越したことはないと考えたのか、暫く悩んだ後すなおに言った。
「あの……ばかげていると思われるかもしれませんが」
「なんだ?」
「この事件ってその……ひょっとして夜詰め切りって名前の怪異の仕業じゃないですかね?」
「っ!」
俺に稲成が息をのむ気配が届く。だが、驚き固まる稲成に対し、俺と与力はため息と共に「やっぱりか」と内心で呟いた。
さてさて、こうなってくると怪しいのは……。
…†…†…………†…†…
その後も、似たようなやり取りは続いた。
丁稚のように疑われているのかと怯える者。
虚勢を張り、自分はやっていないと理論的に説明する物。
身に覚えがないゆえか特に慌てる様子もなく、淡々と与力の質問に答える者。
皆が最後に与力が聞いた質問に対して、口をそろえてこう言った。
「これは怪異――夜詰め切りの仕業では?」
と。
いったいどうして、と稲成が首をかしげる中、俺と与力の本命だった男が、聞かれてもいないのにべらべらと喋りつづけている。
男は長年この店に仕えてきた番頭で、よく気が利く働き者であるという。
ただ一つ――おしゃべり好きで諸々喋りすぎてしまうのがたまに傷のようだったが……。
「それでね、今の旦那様の奥さんはつい二年ほど前にやってこられた、器量よし、頭よしとまぁ素晴らしいお方で、最近だいぶん弱っておられた旦那様も、枕元にいる奥様に「自分が死んだあとはこの店を頼む」と言ってしまわれるほどの女傑ですよ! それはそれは綺麗なお方で。もとは、近くの街の吉原で一番の妓女だったって言うじゃないですか! 旦那様はそこに足しげく通って、奥様の心を射止められたわけですよ! いやぁ、あの盛大な婚儀は与力様にも見せてあげたかった!」
「お、おう……」
かれこれ既に三十分。白髪交じりの胡麻塩頭をした番頭は、とめどなく言葉を吐きだし続け、与力をややひかせていた。
俺も稲成も正直ドン引きしている。お互いわりと話をしたがる方だと自覚はあるが、この男ほどではあるまい。
「そんな、そんな美人の奥方をめとられて、子供もできてこれからだという時でしたのに……まさか旦那様があんな目にあうなんて――うぅ」
「そ、それなんだがな?」
そこでようやく番頭は自分の現状を思い出したのか、事件に関わる話題を出した。
与力もその言葉にほっと一息つき、涙ぐむ番頭を刺激して再び妙な話が始まらぬよう、慎重に言葉を選びながら発言する。
「あんた、この事件をどう思う?」
「ど、どう思うとは?」
「この事件、誰かが旦那を殺したかと思うか?」
「そんなバカなっ! 多少年の割に性欲が強い方でしたが、それだってきちんと節度を守ったものです! 従業員に性的嫌がらせも、立場を使った圧力をかけたこともありませんし、商売はこんな田舎の商家だからこそ、質素堅実に、人の足元も見ることなく、公正明大な取り引きを心がけておられました! 町の住人に聞いて回ってくださいまし! 旦那様を悪くいう人間など誰一人としていないはずです!」
「おう。確かにな」
番頭の言うとおり、いままでの事情聴取の様子を見る限り、ここの旦那は人格者だったようだ。皆事件に関する恐怖を抱いてはいても、誰一人として旦那を悪くいう人間はいなかった。
むしろ死を惜しまれ、もっと長生きしてほしかったという意見が大半を占めていた。
「ですからアッシはこの事件は人間が起こしたもんじゃねえと思っています!」
「……根拠は?」
「与力さんがたは、村の入り口にある看板をみましたか?」
その言葉に、俺と与力は内心やはりかと思いながら、番頭に話の続きを促した。
「あぁ、入るときに見てきた。村の入り口を記した看板だったが、ありゃひでぇな。獣が爪でも研いだような傷だらけだったぞ。熊にでもやられたのか?」
「まさか、片田舎の町とは言え、熊が平然と顔を出すほど田舎じゃございませんよ。ですがあの大きさの爪後は、クマか人間が刃物を使ってでしか残せません。田舎じゃ珍しい事件でもございましたし、つい数日前まではそいつが話題になって、神祇板を使って犯人を捜そうと画像を上げた住人もいたようで」
「それで話題になったんだな? どうも妙な怪異がこの村に来ている可能性があると」
「へい」
そう。この店の連中がことごとく夜詰め切に関して知っていた理由――それは神祇板だ。
鎌蔵時代に作られ、民間の派生したこの通信ツールは、多くの機能を持った地球で言うところのスマホのような物で、術式が刻まれた木の板に霊力を流し込むことによって光の画面を展開。望む人物と通信する電話機能や、撮影機能で撮影した写真をアップロードし、神祇網を介して多くの人に見てもらうインターネット機能すら完備している、通信の加護を与える神社――《白鷺大社》渾身の力作だ。
元手紙の神が作ったこの通信機能は今では日ノ本中に普及しており、どんな貧乏人だろうが持っていない奴の方が少ないという普及率を見せつつある。
当然、変わった事件があればそれを写真撮影してアップロードし、神祇網にて情報を求める奴もおり、それを見て夜詰め切りに関して情報を提供する奴もいるだろう。
稲成が言ったように夜詰め切りはマイナーな怪異ではあるが、同時に人が死ぬ危険性がある厄介な奴でもある。榁待幕府はそう言った怪異の情報を優先的に広めるよう動いているし、情報のアンテナの感度が高い奴なら、知っていてもおかしくはない。
だからこそ、稲成とは逆に俺と与力は訝しんだのだ。
――田舎とはいえ仮にも大店の旦那が、夜詰め切りへの警戒を一切怠ったまま殺されたのは不自然だと。
「それを、旦那は知っていたのか?」
「え?」
「そのことを旦那さんは知っていたのかと聞いている!」
与力の恫喝するような問いかけに、ようやく番頭は気づいたようだ。
そう。大店の旦那ともなれば、話し掛けられる人間は限られる。
神祇板や、空間転移門――義常門によって日ノ本は地球に匹敵する近代化をしつつあるが、文化や考え方はいまだに古いままだ。
店も当然のごとく厳しい階級社会が敷かれており、大店名の旦那ともなれば下っ端が気安く話し掛けていい存在ではなくなる。
そのため、話し掛けられるのは店の経営に直接タッチできる番頭あたりか、もしくは――。
「そ、そういえば……い、言ってません」
「どうしてだ? あんたのようなおしゃべりな男が、情報を得た夜詰め切りに関して旦那に話さないわけがない! どうして話さなかった!」
「ち、違うんです! わ、悪気があったわけじゃ……。ただ、だ、旦那様はもう歳でしたし、ここ一週間ほどたちの悪い病にかかり寝込まれておられて、そ、それで話し掛ける機会も少なく――」
「そんな理由で報告を怠ったのか?」
「ち、違います! アッシは情報を得た段階できちんと旦那様に話をするつもりでした。ただ、ただ話をしようとしたとき、看病をしておられた奥様が――!」
「番頭さん」
「――っ!」
与力の厳しい詰問に、番頭が涙を流しながら言葉を放とうとしたとき、
「少し時間がかかり過ぎよ? また余計な話をして、与力さんたちを困らせていたの?」
「お、奥方」
艶やかな、濡れたような声が俺達の耳朶を叩く。
驚いて与力が顔を上げると、そこにはあでやかな雰囲気を覚える、真っ赤な紅を口に差した女が一人――たたずんでいた。
「申し訳ありません、与力さん。この人少しおしゃべり好きで」
「あんたは……まだ呼んでいないはずだが」
「えぇ。ですが、私も身重の身ですから。少し無理を言って順番を早めに回してもらいました」
女は膨れ上がった腹をさすりながら、すっと番頭を見つめる。
番頭はその視線におびえたように身をすくませながら、そのまま黙って部屋を出て行った。
与力はそれを見てまなじりを吊り上げるが、
「あ、おい!」
「ここから先は私の聴取に移っていただけませんか。お腹の子に、あまり無理をさせたくないので」
「くっ!」
番頭をかばうように前に出た女の言葉に、静止の言葉を飲み込まざるえない。
そうして黙り込み、歯ぎしりをする与力相手に、女は真っ赤な唇を吊り上げ、妖艶に笑う。
「まさか、人びとを守る与力さんともあろうお方が、幼子を腹に収めた女の願いを、ないがしろにはされませんよねぇ?」
俺にはその濡れた声が――血に濡れた声のように聞こえた。