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怪異其之七・文車妖妃 三

「なんだ……ここは」


 目を開けると、そこは吹雪く山の中だった。


「にい、さん?」


 背後から声が聞こえる。

 聞きなれたお萌の声だ。


「お萌ッ!」


 慌てて振り返ると、そこにはおびただしい量の布で覆われた背負子があった。

 人一人包み込める大きさの布と、人一人乗れるサイズの背負子。


「兄さん。どこなのここ? 何も見えないよ」


 その布塊の向こうからはお萌の声が聞こえてくる。

 どうやら布に包まれているらしい。

 これでは息苦しいだろう……そう考え俺が布に手をかけた時、そこに張られた張り紙に気づく。


『この布。とるべからず』

『この布は環境対応のための術が込められた布である』

『この布ははぎ取ったのち効力を失う』

『お前の妹の体でこの寒気は耐えられないだろう。妹のことを想うのであれば、この布を取ってはならない』


「……っ!」


 今吹き荒れている吹雪の様な、冷たい事務的なその文章に成彦の手が震える。

 そして彼は思い出した。

 自分がこうなる前に永休と結んだ約定を。



…†…†…………†…†…



『君にはある寺を目指してもらおう』

『寺ですか?』

『あぁ、結構な秘境の寺でね。行くだけでもかなりの危険を伴う。だが、そこにたどり着くことができれば、君の妹は間違いなく救えるよ』

『え?』


 そんなこと言っていいの師匠。と言いたげなルルエルさんの視線が気がかりだったが、相手は仮にも永久僧正だ。

 嘘をつくとは思えなかった。


『……で、でも永休さん。それって』

『あぁ、これが君にとって一番つらいことだろうね』


 永休はそういうと、懐から煙管を取り出し火をつける。

 くねる煙が室内に放たれる中、永休はため息のようにその言葉を告げた。


『その旅には、お萌ちゃんにも同行してもらう。彼女が救われるためには必ず現地に行かなくてはならない。だからこれは、絶対条件だ』



…†…†…………†…†…



「ごほっごほっ!」

「っ! お萌ッ!」


 寒さが体に障ったのか。それともまた体のどこかの血管が破れたのだろうか……。

 ともかくお萌は激しくせき込み、荒い息を布の下でもらす。

 赤黒い布にわずかににじんだそれは、お萌の喀血だろうか……。


――のんびりしてられない!


 そう悟った俺は、必死の形相で背負子をかつぎ膝まで埋まるほど深く積もった雪をかき分けながら山頂を目指す。

 目指す寺は……そこにあるはずだ。



…†…†…………†…†…



 ごうごうと吹き荒れる吹雪が俺の頬をたたく。

 どれほど山を登ったのだろう?


 そんな考えが思い浮かばないほど、深く積もった雪は俺の体力を奪ってくる。


 外は汗が凍り付くほど寒いのに、吐き出す呼吸は白く曇り体は不思議と熱を維持していた。

 問題は……。


「にい……さん」

「お萌。どうした? 苦しいのか?」


 時折背負子から聞こえてくるかすれた呼吸の中に、かすかな言葉が混じった。


 俺が思わずそこで足を止めると、ゴロゴロという明らかに異常な呼吸音の中に、


「ふ、ふふ……」

「お萌?」

「兄さん。ひょっとして、今外?」

「あ、あぁ! お萌を治してくれるすごいお坊さんが見つかったんだ。だから、ここを頑張ればもう心配はいらない!」

「そうなんだ……。それは、すごい……ね」


 幽かな笑い声を漏らしながら、時折激しくせき込みお萌は語り続ける。


「でも、私……もう、治らなくてもいいよ」

「何を言うんだお萌!」

「だって、私の願いはもうかなったから……」


 轟々と耳をかすめる吹雪の音。

 足音をかき消す深い雪。

 それを踏み固めながら一歩一歩先へ進む俺にお萌は語り掛ける。


「兄さんと一緒に、外に出たかった……」

「兄さんともっと一緒にお話ししたかった……」

「兄さんと一緒に、旅をしたかった……」


「全部……かなったよ、兄さん」


「お萌……」


 ずっと寂しい思いをさせてきたのだろう。

 お萌の言葉に今更それに気づく。


 想えば親父たちが死んでからは、俺は金のために奔走し多くの女をだましてきた。

 家に帰る時間は寝る時くらいで、お萌は病に侵された体を引きずり、ただ一人でいる時間が多かった……。


 帰ったらお萌が冷たくなっていたらどうしよう……。そんな考えに追われてしまい、俺はお萌の気持ちを顧みてやれていなかった。


「すまない……。すまない、お萌……」


 今までついぞお萌にも、騙してきた女にも言えなかった言葉が口をつく。


「俺は……俺はバカだった。お前の気持ちも知らず、お前を助けたいという俺の気持ちばかり優先して」

「うぅん。いいよ。だって、私――うれしかったから」


 お萌の声がかすれて小さくなっていく。

 聞こえていくのが荒い呼吸だけになっていく。

 その呼吸も時折途切れ始め――。


「お兄さんが、私のために、一生懸命だったの……わたし、しってるから」

「お萌ッ!」

「だから……この旅がどんな結果になっても――」


 そこで、お萌の声が完全に途絶えた。


「……お萌?」


 耳朶をたたく、轟々とした吹雪の音が焦燥を募らせる。


「お萌? おい、お萌ッ!」


 俺は慌てて背負子を下ろし、お萌の無事を確認すべく布に手をかけようとした……が。

 瞬間、視界に先ほどの注意がちらつく。


 この布をとれば、確実にお萌は死ぬと……そう書かれていたあの文字が。


「あぁっ……あぁああああ!」


 ただの布切れが、今の俺には鉛のように重く感じた。

 ただ一人の妹の無事すら確認できず、物言わぬモノとなった妹の前に、タダ泣き膝をつくしかない。


 だが……もう。


「ふーっ! ふーっ! ふーーーーっ!」


 永休僧正の言葉にすがるしかない。

 俺にはもう、それしか選択肢はなかった。



…†…†…………†…†…



 山頂に近づいたのだろうか。

 道の勾配はさらに険しくなり、逆に雪の量はわずかに減った。


 膝ほどまでに積もっていた雪は今はくるぶしほどしかなく、歩くのは比較的楽になった。

 が――。


「はぁはぁはぁはぁ!」


 声が聞こえなくなったお萌に、今までの雪山登山で俺の体力はすでに限界に達しつつあった。

 目の前が暗くなる。


 俺の体に積もった雪がやけに重く感じる。

 降っているのは雪ではなく、鉛ではないかと思えるほどだ。

 だが、そんな俺に追い打ちをかけるように、


「っ!」


 チリチリと、首元を焼くような鋭い何かに見詰められる感覚。


――何かに追われている。


 俺がそれを悟ったのはつい数分ほど前のことだ。

 それはつかず離れず……まるで追い立てるように俺の背後から、歩みを進めじっと俺についてきていた。


 追いつかれれば終る。

 なぜか本能的にそれを察することができた俺は、必死の形相で足を動かし山頂を目指す。


 その時だった。



 目の前が開け、雪がなくなる。

 足元にはしっかりとした石畳があり、その先には――見慣れぬ質素なお堂が見えた。


「あ、あぁっ! あぁああああああ!」


 やった! たどり着いた!

 歓喜のあまり走り出そうと俺が一歩前に進んだ瞬間だった。


『みつけた――』

「っ!」


 俺の肩を、燃え盛る手が握りしめたのは。

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