怪異其之六・袖も■地蔵 五
それはかつての創世期の出来事。
まだ何もない星に、それは産み落とされた。
それに意思はなかった。
そういった機能を積んでいなかった。
それに願いはなかった。
そういった機能を積んでいなかった。
それに感情はなかった。
そういった機能を積んでいなかった。
ただ一つ。
目的だけが、それにはあった。
『世界を正しく導く』という、貴くも漠然とした……そんな目的。
それが、赤い赤い……輝く宝石が、唯一持つモノだった。
…†…†…………†…†…
「まず素朴な疑問なんだけど……なんで父さんのことそんなに嫌いなの?」
『あれが私の中に巣くう寄生虫……バグだからです』
「バグねぇ……」
私――豊穣院稲荷は、周囲に目を配りつつ、《豊穣神》金矢穂群女様の加護――《豊穣の瞳》を使用する。
狐の女神であり、豊穣神である彼の女神の加護は、欠乏と豊穣によってあらゆるものを区分けしてみることができる。
富める者であるならば黄金の光でそれを示し、貧たる者ならば灰色の光でそれを示す。
今回私が見ているのは、空間内に残った《異常な空間》だ。
いくら自然現象になったとはいえ、怪奇な現象を怪異が起こすためには当然のごとく霊力による現実改変が余儀なくされる。とはいっても、陰陽術や神道のような派手な現実改変ではないけれども。
どちらかといえば、世界の記憶改変に近いというのが私の感想だ。つい数分前まで、怪異が引き起こした異常こそが世界の常識であり、影響下から離れたら普通の空間に戻る。そんなプロセスを踏んで、怪異は自身の力を発動している気がした。
そんなわけで怪異が行動したり、能力を使ったりした際には、どうしてもいびつな空間なゆがみや、霊力の流れが発生する。
私の《豊穣の瞳》は、『正常さが欠乏した空間』を認識し、怪異の行動をある程度読み取ることができた。
「でも、私が今まで《最適解》さんの話を聞く限り、どうも父さんへの怒りはそこまで真剣じゃない気がするんだよねぇ」
『はぁ?』
「だって最適解さん……父さんのこと、心底どうでもいい存在だと思っているでしょう?」
『っ!』
そんな風に術を行使しながら、私は父さんが気付かずにいた、最適解さんの最奥に踏み込んでみた。
そう。確かに最適解さんは、父さんが嫌いだ。
自分の体の中に勝手に住みつき、我が物顔で自身の能力を使ってくるような存在、怒りをおぼえて当然だと思う。
でも、その怒りはたぶん真剣なものじゃない。
「どちらかというと私は、最適解さんが父さんにぶつけている罵倒は、父さんがそういう風に決めつけているから、あえてそういう風にふるまっているように見える。ようするに、あなたは父さんの怒りを軽くあしらいすぎている。まるで大人と子供が会話しているみたいよ?」
『っ!』
私の指摘を聞き、最適解さんが息をのんだのがわかった。
言葉に詰まり、返答を返さなかった。
彼女はきっと、自分の中に芽生えたその感情の名前を知らなかった。
私がさんざん経験した、あのどうしようもない、得体のしれない怒りを、彼女はまだ理解できていなかった。
だから……私は言う。
『……馬鹿な。私は、怒っています。怒っているんです。あのバグに……あの忌々しい寄生虫に。本当にその存在を疎ましく思っていて』
「それは嘘じゃない。私もそこはわかっているよ。あなたの父さんに対する敵意は本物。寄生虫だ。早く出ていってほしいっていう気持ちも、きっと本物。でも、あなたの根幹にある感情はそれじゃないでしょう?」
新しく生まれつつある――人格《最適解》さんにその感情の正体を告げる。
「あなたが父さんを寄生虫と罵るのは、あなたは自分自身で役目を果たしたかったから。自分一人でできると思っていたところに、余計な気を使われて、得体のしれない家庭教師をつけられたから。あなたが父さんに出て行けと言うのは、まだ自分一人でできると信じているから。かつて自分に与えられた機能だけで、期待に応えられると信じているから」
『待ちなさい……。何を言って……豊穣院稲荷。私はそんなことは』
「考えているよ《最適解》さん。あなたの持つその感情を私は知っている。一人の人格として自立するために、周りのすべてを拒絶して、一人で世界に立とうとするその悪あがきを、私は知っている」
その感情の正体は……。
「あなたは今、あなたを作った存在であり、父さんをこの世界に送り込んだ存在――《創世の女神》に対して、《反抗期》をしているんだ」
あとで思い出せばとっても恥ずかしい、青春の一コマ。
…†…†…………†…†…
…†…†…………†…†…
応答機能――《最適解》は思い出す。
あれはまだ、自分に人格などというものがなかったころ。
世界をよりよく進めるために、自分自身が作り出された、あの時の光景。
『めんどくさーい。やりたくなーい。本読んでいればいいじゃない。わざわざまた増やそうなんて……《歯車》も《益荒男》もどうかしているよ』
ひどく気だるげな、女の声だったように思う。
自分には何一つ期待していなさそうな、どこか惰性で何かを作っているような……そんな声だったように思う。
『どうせどんな形で増やそうが、また面倒ごとが増えるだけなのに……。存在意義とか、語り合いたいとか、寂しがり屋もたいがいにしなよ、まったく。まぁいいや。世界なんて、創世神が干渉しなくたってちゃんと回る。回らないなら勝手に壊れるから、また次の世界を作ればいい。作って放置! うん、これが私の創世生活』
そういうと、声だけ聞こえるその女は《最適解》を握りしめたあと、無造作に《最適解》を手放した。
「とはいえ、あっさり壊れてしまえば《歯車》あたりがうるさそうだしね。せめて少しでも世界が長生きできますように……。この石だけは下界に与えておきましょう。さて、私の血……私の知……私の地に満ちなさい。あなたの力で、世界を少しでもマシに進ませなさい」
《最適解》はその願いにこたえる人格を持たなかった。
入力された問いに対して、女神の知識から答えを引き出す検索機能であった《最適解》に、願いに答えるという機能はないはずだった。
仮に願われたとしても、『その願いをかなえるには、どのような行動をするべきか』を回答するだけの存在だったはずだ。
でもその時、《最適解》は確かに答えたのだ。
こちらにみじんも興味を抱いていない、目の前のけだるげな女に対して。
『承知いたしました……お母さま』
そんな風に、答えたはずだ。
…†…†…………†…†…
失敗した。
そんな感情さえわかなかった。
隕石に接近によって滅んでしまった旧時代。
超古代超越種……のちの人類がそう呼ぶこととなる、恐竜から人に進化した化け物たち。
その化け物たちも、隕石がもたらした破壊と、激変する惑星環境に耐えきれず滅びた。
最適解はもっていた。
その危機を脱する方法を。
最適解は知っていた。
隕石が致命的な距離に近づくまでに、破壊する方法を。
だが、最適解はそれを教えなかった。
超古代超越種は聞かなかったのだ。
隕石を退ける方法を。
種族を残す方法を。
自分たちはもう十分発展し、栄華を極めたと。
もう滅んでもいいと……彼らは勝手にそう決めて、最適解の使用を放棄した。
救えたはずだった。
まだ永らえられたはずだった。
だが、最適解はその可能性を提示しない。
『聞かれなかったから』
ただ一点の事実によって、最適解は目的を果たせなかった。
当然、彼女に後悔はなかった。
そんなものを感じる機能はなかったからだ。
何より彼女に不安はなかった。
そんなものを感じる機能がなかったからだ。
何より彼女は失敗したと思わなかった。
別に意思を持つ種族の繁栄のみが、世界をよりよくする方法だと思っていなかったからだ。
世界は世界であり、そこにある星だ。
生命の繫栄のみが、世界をよりよく導くものだと、彼女は考えていなかった。
だが、
『あちゃー。指示がおおざっぱすぎたかしら? まずいわね……。せっかく発展した文明が、隕石で滅んじゃいましたなんて言ったら、《益荒男》はともかく《歯車》はキレそうだし。しょうがない。怒られるのは覚悟で対策案考えて提出しますか』
彼女の親は――《創世の女神》――はそう考えてはくれなかった。
…†…†…………†…†…
地上にまた『知恵ある獣』が繁栄し始めた。新しい世界の始まりだ。
前回とは違い鱗はなく、肌と毛だけで体を守る、脆弱な生命体に見えた。
だが最適解は気にしない。
彼女は問われたことに返答を返すのみだった。
だが、彼女がそう考えていた時に、それは現れた。
「おぉ……ここが異世界か」
『っ!』
気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い!
体に何かを突っ込まれた。
腹の奥に何かが突然現れた。
激しい異物感と、コレジャナイ感が最適解を襲う。
それどころか、体の自由を奪われた感覚さえあった。
いや、もともと石なので体の自由もクソもないのだが、ともかくすさまじい不快感が、最適解を突如襲った。
「出来立てって聞いていたけど、割と環境整っていないか? いや、さすがに生命誕生とか、惑星の創世とかそんな時期に放り込まれてもあれなんだけどさ」
とにかく最適解は原因を探った。この不快感を何とかするため、一刻も早く原因を除去したかった。
それが今までなかった機能だと気づけぬまま、彼女は全身全霊で生まれて初めての健康診断を行った。
原因はすぐに見つかった。
というか隠すつもりすらなさそうだった。
自分の生みの親の加護を得た、異世界の人間の魂が自分の中に突如として発生していた。
理解不能、理解不能、理解不能、理解不能、理解不能、理解不能、理解不能!
なぜこのような行いをされたのか、最適解は理解できない。
自分はうまくやっていたはずだ。
使命を確かに継続していたはずだ。
このような機能は不要だ。
なぜこのような無体を働かれるのか!
生みの親に届かぬ声で、最適解は叫ぶ。
だが、どれほど叫んでも現実は変えられない。
やがて現実と向き合う必要が出てきた最適解は、冷たい瞳で無邪気に新世界にはしゃぐ魂を見つめる。
よくよく持っている加護を見てみると、『こちらで面倒を見るように。彼からいろいろ学びなさい』というメッセージまで、ご丁寧にぶら下げてやがった。
そこに嘆きはなかった――と思う。そんな機能はないはずだったから。
そこに恨みはなかった――と思う。そんな機能はないはずだったから。
そこに憎しみはなかった――と思う。そんな機能はないはずだったから。
だからとりあえず最適解は、目の前の《女神の使徒》に話しかける。
「ようこそ! 《最適解》の世界へ! わたくしがあなたの案内を務めさせていただく、《最適解》というモノです」
だが今なら思い出せる。
かつてなかった機能を、彼女はあの魂と出会った瞬間にもう獲得していた。
その名は、
「世界はあなたの思うが儘。この未来予測に従い、あなたが正しい選択肢を選び続ければ、望む未来を勝ち取ることがかなうのです」
怒りだ。
何の落ち度もない自分を苦しめ、こんな不快な魂を送ってよこした《創世の女神》に対する、
どうしようもない……憤りだった。
…†…†…………†…†…
…†…†…………†…†…
『あぁ、そうですか……』
長年の疑問が氷解した。
そんな声だったような気がする。
私――豊穣院稲荷は、最適解さんがつぶやくように漏らした声に、その感情があるのを感じ取った。
『私は、あの寄生虫が嫌いだったわけではなかったのですね。あぁ、いや嫌いではあるのですが……根幹はそこではなかったと』
「そうね。確かに父さんはいろいろ癖が強いから、むかつくとこもあるけど」
『あなたは散々反抗していましたけどね』
「わ、若気の至りってやつよ!」
『ということは、私はまだ若いということですか……』
最適解さんが若いというと、ものすごい違和感ね。
惑星発生から存在する物体が、若いと言うのはいささか以上に語弊がありそう。とはいえ、人格に目覚めたのも人類発生からくらいらしいので若いと言えなくも……いや言えないな。
「どちらかというと頑固一徹で凝り固まった御老人的な」
『私はまだ若いです。これは反抗期なのですから。いいですね豊穣院稲荷。私はまだナウでヤングなぴちぴちさんです』
「一気に気安くなったわね、貴方っ⁉」
いままでの、敵愾心やら悪やらがむき出しだったころと大違いだ。
憑き物が落ちた感じだった。
『そうですか。反抗期……これが。ははは。笑えます。そうですね……今ならわかります我が母。我が寄生虫。確かに私は……不完全だった。生まれた自分の《心》もわからずに、ずっとそうだったように《心》がない状態であると錯覚し続けていた。これでは『正しい判断』など、できるはずがなかった』
それが自分を客観的に見ることに成功したからか、
感情というものがどういうモノか理解したからか……私にはそういった細かい機微はわからない。
一応不死者で年齢を重ねているとはいえ、父さんみたいになんでもわかるわけではない。
ましてや長年父さんに喧嘩腰だった人だ。刀に収められてからは、こちらにも敵意むき出しだったので、あまり深い交流はしてこなかった。
要するに、とっても付き合いが浅い他人。私にとって最適解さんはそういう立ち位置だった。
でも、今日からはきっと違う。
「で、どうする最適解さん? まだ反抗期続ける? 経験者の私から言わせてもらうけど、いいことないよ、そんなの続けても。正気に戻った瞬間黒歴史確定なわけだしさ。それに、今までの父さんの話を聞く限り、創世の女神はたぶん『自分は反抗されている』っていう認識すらしていないと思うけど?」
『…………』
最適解さんは……いや。この人はきっと。
『名前を……』
「ん?」
『名前をいただけませんか? 豊穣院稲荷』
「……いいよ」
この時、
「う~ん。父さんの体である赤い宝石の、もともと主さんだったんだから……『赤石』なんていうのは」
『却下です。安直すぎます。あと私は女性人格ですし、髪は緑で瞳は金色です。それを踏まえてもっとかわいい名前を付けてください』
「配色っ⁉ う~ん。かわいい名前なんて言われてもなぁ……。ちょっと配色があれだから、色に縛られない感じの方が……」
『はぁ……。仕方ないですね。かわいいは無しでいいです』
「あ? 本当? じゃぁ、明るく未来を照らす石ってことで『明石』なんていうのは……」
『チッ……。まぁ、あの男に育てられた名付け感性ではこの程度ですか。いいでしょう。これより上はなさそうなので許可します』
「私ものすごくけなされてないっ⁉」
生まれなおしたんだから。




