プロローグ:怪異其之一・夜詰め切り 一
蒸し暑い夏の日の出来事だ。
ある古い商家の周辺に、空中に浮いた黄色い警告札が浮遊し結界を展開。関係者以外の立ち入りを厳重に封じている。
結界の中では、紺色の着物を着た同心たちが動き回り、商家の人々となにやらあわただしく会話をしていた。
「いったい何の騒ぎだい?」
「殺人だってよ……」
周囲のやじ馬たちからそんな話が聞こえてくる。
それを野次馬の一番後ろで聞いていた、一人の少年を伴う、目深に編み笠をかぶった巫女は、その笠を突き破るように普段は隠している狐の耳を出現させてしまった。
「……何やってんだ、お前」
「要所要所で隙が多いよね、稲荷ちゃんは」
「あわわわわ!?」
『こちらで術式制御をおこないます。変化術式0.1秒後展開』
呆れたような声が、巫女が持っていた錫杖から響き渡ると同時に、事務的な口調で腰に差した刀がつぶやき、すぐさま巫女の耳を隠す。
それにほっとした様子を見せる巫女に気付かぬまま、やじ馬たちは会話を続ける。
「何でも目が覚めたら旦那が殺されていたんだと」
「殺人だって根拠は? いい歳だったから病死か、事故死じゃないのかい?」
「聞いた話じゃ、首がこう……ズバッと斬られて無くなっていたんだと」
「ひぇ!」
クワバラクワバラ。と、手を合わせる野次馬の言葉に、巫女は一言つぶやいた。
「物騒な事件ね。こんな田舎で起こるにしては」
「こんな田舎だからだろう……閉鎖的環境に置かれると、人間は鬱屈するものだ」
『とはいえ、今回は人間の事件ではないようですよ』
刀から聞こえてきた声に、巫女は少し目を見開く。
「じゃぁ妖怪?」
「それこそまさかだ! 役人どもが日々どれだけ苦労してアイツらの現在位置把握に努めていると思っている。その性質上基本的に信用されていない分、人間よりも厳しい監視を受けているんだぞ、アイツらは。その目をかいくぐって誰にも気づかれないまま人間を殺すなんてまず無理だ」
「そうだよ! 何でもかんでも僕らのせいはよくないなあ!」
「お前は黙ってろ時廻」
「ひどいっ!?」
「じゃあ一体誰が?」
『何も妖怪だけが、不可思議を起こす存在じゃないでしょう』
刀がつぶやいたその言葉に、巫女は少し息を飲んだ後『ありえない』『いったい誰が』という同心たちのつぶやきを聞き、ボソリと漏らした。
「怪異……」
その言葉は夏の地面から立ち上がる陽炎に飲み込まれ、だれに聞かれることもなく、そのまま空気へと溶けて行った。
…†…†…………†…†…
榁待時代。後に嵐の前の静けさと言われる、平穏なこの時代で日ノ本経済は飛躍的な進化を遂げていた。
厳寇によって財政難に陥った幕府の経営を立て直すため、金融の怪物と言われた元鎌倉幕府政所統括――葦屈鷹氏が征夷大将軍に就任することによって生まれたこの幕府は、彼を大将軍に据えた朝廷の期待通り、死滅しかけた日ノ本経済を再生。さらには、新たなる金融機関=銀行の誕生や、霊力を使用した通信端末――神祇板を利用した遠隔取引などを実現し、日ノ本初の株式会社の設立や、国債の発行などが実現した、日ノ本経済の革命時代と名高い時代であった。
だが、大いなる変革には大いなる混乱が伴う。
政府主導で行った経済改革により、幕府がそれにかかりっきりになってしまい、肝心の治安維持や妖怪の監視などがおろそかになってしまったのだ。
その隙を付き、反人類派を謳っていた強硬派の妖怪たちが、ある事件を起こした。
後に《怪異生誕事変》と呼ばれたこの大騒動は、《歩き巫女》――豊穣院稲成と、《日ノ本最強》――尼野弓剣の二人が対応にあたったのだが、組織力の差によって敗北。
もとより、妖怪の大量自殺が目論見であったこの事件は結局防がれることなく、日ノ本はある厄介な現象を抱えることになってしまった。
それこそが《怪異》――『怪しき異変』。
《怪異生誕事変》によって、自らを構成する霊力すべてを放出することによって自殺した妖怪たちは、その放出した霊力を使い、自らの存在を世界に焼きつけ、一定の行為が行われてしまうことで自らの悪行を再生し、人に危害を与える現象へと自分の存在を昇華させてしまったのだ。
これにより、今まで妖怪相手に行っていた一般的な対策である、撃退や討伐といった手段は通用しなくなった。
物理攻撃が通用しない個体が多い上、霊的攻撃は通じやすいが、完全に討伐する事もまた難しいからだ。
彼らは世界に現象として焼き付いたもの。マッチをこすれば火がつくように、心臓が脈打てば血管に血が送りだされるように、あることをしてしまえば起こってしまう……そんな存在なのだ。何度倒したところで、別の人間が同じことをしてしまえば、何食わぬ顔で再び現れてしまう。これでは根本的な事件解決は難しく、幕府の対妖怪機関は大いに混乱し、その対応に四苦八苦していた。
現在、日ノ本で確認されている怪異の数は、おおよそ三百近く。そのうち人が死にかねない現象は百を上回り、後手に回った幕府をあざ笑うかのように、現在でも日ノ本各地でその数を増やしつつある。
おまけにそのほとんどが、討伐方法はおろか、何をすれば被害を齎すのかすら分かっていない状況だ。これでは対策のしようもない。
そこで三代将軍葦屈善光は、怪異によって殺されても問題ない存在――不死者に協力を募り、怪異研究を実行することを発表。
《特別怪異対策師団》――通称《怪師》に免状を与え、各国の怪異被害の調査を命じた。
日ノ本各地に散った怪師たちは、今日も怪しい事件と対峙する。
犯人は果たして人か、怪異か……蓋を開けねばわからない、怪しい事件の真相を手探りで調べながら。
…†…†…………†…†…
「こりゃ………仕業だな」
「見ただけで……」
「そりゃ、いくら……になったとはいえ、所詮……現象だからね。どうしても痕跡は……」
「あの、与力」
「ああ?」
それからしばらくして、商家の主人が殺された家の中では、小麦色の髪をした巫女と、かったるそうにあくびをする少年が、首のなくなった死体を調べ、眉をしかめていた。
そんな彼らを監視するように睨み付ける与力に、下っぱ同心が話しかける。
「あいつらはいったい? 行きなりやって来たあげく死体見せろだなんて。現場を荒らされるのはたまったものではないんですが……」
「ばか野郎! 下っぱの分際でデカい口叩いてんじゃねぇ!」
「ひっ!?」
そして響き渡る怒声に同心の身がすくんだ瞬間、与力の腕が同心の首に回され、
「と、立場上は怒らんとならんわけだが……」
「え?」
うって変わって、静かな小声が、与力の口から放たれる。
どうやら、あの巫女たちに聞かれたくない話をするらしい。
「俺だってほんとは不満だ。動きを見る限り現場維持のイロハは知っているようだが、ど素人に現場を……それも殺人現場を預けるなんざ、心配で心配で仕方ねぇってぇの。だが、お上の命令だ。歯向かうわけにもいかん。たとえやっこさんらが、どれだけ胡散臭いもんを専門にしていたとしてもだ」
「うさん臭い物?」
「おうよ。お前さんだって知ってるだろ? 最近幕府が警戒を呼び掛けている……」
そこまで言われて、同心はようやく彼らの正体に気づいたらしい。勢いよく首を捻り、巫女たち――豊穣院稲成達の方を向き、目を見開く。
「ってことは、彼らは《怪師》ですか!? すげぇ! 本物始めてみましたよ!」
「ばか野郎! デカい声だしてんじゃねぇよ! 気づかれたらどうする!」
「いや、あなたも十分声大きいですよ」
全部聞こえてますし……。と、怒号を響かせた与力に半眼を向けながら、稲成は立ち上がり二人のもとへと歩いてくる。
「い、いや、こりゃ失礼をば! まだまだ新入りで躾がなってなくてですね……」
「えっ!? 与力、俺が悪いんですか!?」
「というか、全部聞こえてたと言ったのに……。あくまで発言を取り繕おうとするその根性にはある意味脱帽ですけども」
ここまで清々しく、堂々とごまかされては、ねちねち言うのは野暮になるじゃないですか。と、稲成はあきれつつ、ひとまず調査結果を報告する。
「とりあえず一通り見ましたけど、怪異現象で間違いないみたいですね」
「はぁ……」
「怪異、ですか……」
そういわれても、いまいち実感が得られなかった公僕二人に、稲成も苦笑いを浮かべ、
「まあ、実感を得られないのも仕方ないとは思いますよ。何せ起こっていること自体は、猟奇的とはいえただの殺人ですし。突然超常のやからの仕業なんて言われても、納得はできないでしょう」
「はははは! そんなことないですって! お上が認めたんだから、オレたちもちゃんと信じてますって! 怪異でしょう! あの、妖怪どもが命と引き換えになるって言う、怪しい現象! 知ってる知ってる! 八割くらいは信じてますよ!」
「与力! せめてごまかす努力の痕跡くらいは見せて!」
「仲良いですね……」
もはややけくそに近い与力の発言に、同心が慌てるなか、稲成はあくまで自分の仕事を遂行するために、握っていた錫杖を与力たちにつきだした。
「説明は私の術具から……」
「現場を見る限り、こいつは《夜詰め切り》の仕業だな」
「ほう!」
民間で付喪神を使用した術具とは珍しい! と、与力は驚きの声をあげる。
付喪神は鎌蔵幕府が研究開発し、武装に使用していたということから、今だに高い軍事利用価値がある妖怪として注目されている。そのため、付喪神になった器物があれば幕府がすぐさま回収に動き、研究機関へと送られてしまうのだ。
そのため民間人が付喪神を保有していることは珍しい。いくら稲成が幕府肝いりの術者であったとしても、そうそう保有が許される器物ではないのだ。
いったいどうやって? と、与力が首をかしげるなか、
「俺は付喪神じゃないんだが……」
「父さん。勘違いさせておいた方が、なにかと便利ってことでその手の勘違いは放置って決めたでしょう。それより」
「はいはい、わかってますよ。それじゃ、話を続けるぞ?」
錫杖の先端にに取り付けられた宝石の付喪神は言葉を続ける。
「あんたらは、夜詰め切りについてどのくらい知っている?」
「たしか、夜中に爪を切っていたら現れる物騒な妖怪だろう?」
「うーん。確かにそれで正しいんですが、それでは少し足りませんね!」
「ああ?」
意外なことに、与力の言葉に訂正をいれたのは、宝石の付喪神――賢者の石ではなく同心だった。
「夜詰め切りは鎌蔵の世に発生した若い妖怪です。その行動は、夜中に爪を切っていると突如その人間の背後に現れ、その人間の頭に箱を被せた後、その首を切り取ると言う残虐なものでしたが、発生から数日後には正体を割られ、陰陽師によって討伐。その後生まれた夜詰め切りは鎌蔵幕府によって、殺人を生業とする妖怪――《特別警戒妖怪》に指定され、厳しい監視のもと管理されることとなりました」
「よく知っているな……」
「こいつ、大学じゃ妖怪文化を専攻していたらしいんですわ」
「どうりで……」
――というか、大学出身なら、管理職見習いだろう? どうしてこんな片田舎に……?
と、賢者の石が内心で呟くなか、同心の言葉は止まらない。
「興味深いのは、この夜詰め切りが最近になって生まれた理由です。発生起源は諸説ありますが、一番有力なのは安条初期からまことしやかにささやかれるようになった『夜に爪を切ると親の死に目に会えない』という民間伝承で、恐らくは発生理由が不明なこの伝承に理由付けをしようとしたさい、『夜中に爪をきっていると襲ってくる』という性質の妖怪を産み出したのではないかと、今の学会では考えられていて……」
「もうわかった! いいからお前さんは黙れ! 話がいつまでたっても進まんだろうが!」
まさに立て板に水がごとく。止めどなく放たれるようかい豆知識に、与力が耳を塞ぎながらどなり声をあげた。
実際稲成も迷惑そうな顔をしており、早く話が終わらないかと、眉をハの字にしていた。
だが、賢者の石だけは感心した様子で、
「それだけ知っているなら、こいつの撃退方法も知っているだろう? いってみろ」
「当然です。特別警戒妖怪の特徴を知るのは学者のたしなみ! そのくらいそらんじれますよ!」
「おまえ、自分が一体何の仕事についているのか自覚あるのか?」
与力のつめたい突っ込みと三白眼も何のその。生き生きとした顔で、同心は人差し指をたて、生き生きと言い切った。
「ずばり、やつらの弱点は……」
これが、後に怪異対策の第一人者となる同心――渦河燐才の、初仕事であった。